東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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8番熊谷寺へ
 十楽寺から農道を西へ向かいます。
 泣き顔は見せなくなりました。
 時々、「帰りたいけど帰れない!」と、呪文のように繰り返しながら歩いています。
 
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 1.4キロほど行くと宮川内谷川にかかる御所大橋を渡った時、後ろから孫が「おじいちゃん、おじいちゃん」と声をかけました。
 振り返ると「杖、杖!」と叫んでいます。
 私がうっかりと橋の上で杖をついていたのです。
 「ありがとう! うっかりしたな」と言って、あわてて杖を持ちました。
 昨日橋の上で杖をついてはいけないことを教えたのでした。
 まさに「負うた子に教えられ」でした。
 
 なだらかな上り坂を歩き、徳島自動車道をくぐると、前方に荘厳な熊谷寺の仁王門が見えてきました。
 
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  寒いので桜はまだ咲いていません。
 山門もをくぐってだらだら坂を上ると、多宝塔が見えてきました。
 孫もお参りが慣れてきたので、「開経偈(かいぎょうげ)」も、読ませるようにしました。
 「これから読経をはじめますという、ご挨拶のようなお経なんだ」
 「なかなかお会いすることができない仏様に今やっとお会いすることができました、というような内容なんだよ」
 孫は読み終えると「意味は分からないけど、読みやすいいいお経だね」と、
いかにもごもっともなことを言うので、思わずおかしくなりました。
 
  9番法輪寺へ 〜お金をいくらおろせばいいと思う
 熊谷寺から9番法輪寺へは南西方向へ約2キロの道のり。
 広々とした田園と古い民家の中をのんびりと歩きました。
 「今日郵便局でお金を下ろそうと思うんだけれど、いくらおろそうと思っているか当ててもらおうかな」と、切り出しました。
 「今、3万円くらい持っている。明日は焼山寺の山で郵便局はない。明後日は徳島に入るので、郵便局はあるだろう。」
 「たくさん下せばいいんだけれど、なくしたり盗まれたりすると困るからな。適当なお金を下ろしたいと思う。いろいろなことを考えて答えをだすんだよ。質問してもいいよ」
 彼が質問したのは、宿代でした。1日二人で1万3千円から1万4千円だよ、と答えました。、いろいろ考えていたようでしたが、10万円と答えました。
 いや〜そんなに下ろさないよ。3万円下せば、合わせて6万円位になって。4日分の宿代が払えるよ。
 こんな対話も、楽しい生きた教育だと思いました。
 
法輪寺で一皮むけた孫
 
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 孫はこの寺で急に一皮むけました。
 お寺に着くと、バス遍路さんがたくさんいました。
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 おばあちゃん達から、「歩いて回ってるの?」、「がんばってるね〜」「どこから来たの?」、「イケメンだね〜」などなど、話しかけられていました。
 少し離れたところに、小さな子供遍路が一人いました。
 その子に私が話しかけるのをじっと聞いていました。
 おばあちゃんたちと会話して褒められたり、自分より小さな子供がお父さんと二人で遍路をしているのを見て、大きな刺激を受けたに違いありません。
 どこか生き生きと感じられるようになりました。
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 大人と違い、子供は感受性の強いので急激に変わるものですね〜。
 
 
 
 [遍路二日目]
 孫は元気がない
 2日目の朝食、食卓に着いてもほとんど箸が進みません。
 おそらく大きなプレッシャーを感じているに違いありません。
 今日は20キロ以上歩かなければならないので、何としても食べさせなければならない、と気がかりでした。
 じいちゃんもつらいよな〜。
 団体遍路の子供たちは、どんどん食べて出発して行きました。
 遅く出発すると、次の宿へ到着するのが遅くなります。
 やむを得ずラップと塩をいただいて、本人に塩おにぎりを握らせました。
 母親が時々作ってくれるそうなので、母の味なのでしょう。
 2個作って、1個は食卓で食べさせ、一個は持参して、休憩時間に食べさせることにしました。
 
 出発間際に事務室の女性が私に声をかけました。
 住職からの預かりものということで、袋に入ったものを渡してくれました。
 後で確認すると二人分の手首数珠と記念バッジでした。
 実は住職の畠田秀峰さんは、私の大学の後輩の弟さんなのです。
 7時過ぎに出発しました。予定より30分ぐらいの遅れです。
 2日目の今日は、七番十楽寺から11番藤井寺までです。
 大人でも結構きつい距離です。
 
 10日間の遍路を覚悟させる
 素朴な農村地帯を西に向かいます。
 
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 歩きはじめて500メートルほど行くと、「おじいちゃん 3日か4日で帰ってもいいの?」
 と突然聞きました。
 「まだ、1日しか経っていないのに何を言っているんだい! そんなことは、今決めることじゃないよ。3、4日経ったら相談しよう」と言っても、
 家族に会いたい、帰りたいと泣き声で訴え続けます。
 
 実は、最初に誘ったときに、3,4日経ってどうしても続けられないときには、その時に相談しよう。とりあえず最低3日は歩きなさい―― ということで連れてきたのです。
  私は、自分自身やいろいろな人の体験談から、「焼山寺の遍路ころがし」を越えると、自信がついて続けようという強い決意が生まれるということを知っていました。
 8年前に出会った23歳のひきこもり青年も、父親から「だまされたと思って3日歩いてこい。3日経っていやになったら帰ってきてもよい」と、言われて来たのでした。
 結局、遍路ころがしを乗り切って、88ヶ所を廻りきり、大学へ復学しました。
 孫も必ずそうなるだろうという見通しでした。
 しかし、状況はちょっと違うようです。
 3日という縛りが、却って逃げ腰を生んでいるように思えました。
 私は考えました。
―― 孫の場合、逃げ腰の気持ちを断ち切って、10日間絶対に帰れない――
と覚悟させた方がよいと判断しました。
 ここは自分も踏ん張り時だ。鬼になろう!
 それを言い出した時、孫は絶望的に大声で泣きました。
 「とにかく絶対に帰れないんだから、気が済むまで泣きなさい」と、きっちりと言いました。
 それから孫は、七番十楽寺まで泣きながら歩きました。
 私はその間、無言でした。 《じいちゃんだって辛いんだぞ〜》。
 
 山門近くになって、「もうお寺だぞ! 泣き顔でお参りしていたら、仏様にも他のお遍路さんに笑われるぞ」と注意すると、スパッと泣きやみました。
 
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  心の中で〈お前は偉いぞ! がんばるんだぞ〉と、叫んでいました。
 
 新聞記事の切り抜きをいただく
 山門を入るとすぐに水子地蔵があります。
 それを説明してあげても上の空です。
 おそらく帰りたいという気持ちでいっぱいなのでしょう。
 
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 巡拝を終えて納経所へ行くと、
 「新聞に載った人たちですか?」と声をかけられ、記事を見せられました。
 
 
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 孫は大喜びで、途端におしゃべりが始まりました。
 彼は社交的で、知らない人でも気軽に会話を交わす。
 会話で息抜きをして、また修行といったところでしょうか?
 職員の女性が記事を切り抜いてにっこりしながら渡してくれました。
 孫にとっては生まれて初めての新聞掲載は貴重なものです。
 これ以来、孫は少しずつ、変わってゆきました。
 
 歩いていてもお寺でも、あちこちで声をかけられました。
 「えらいね〜。がんばってね!」という言葉に、孫はどれだけ励みや勇気をもらったことでしょう。 ありがとうございました。
 家では「やってもらうことが当然」と思っていた孫も、お接待や励ましなど他の方々からの親切を受けることで、少しずつ感謝の心が育つことでしょう。
 
 泣いていても「ほらほら、向こうから人が来るぞ」と言うと、スパッと泣き止んで、
 愛想よく「こんにちは〜」と挨拶する。
 気分の切り替えが、すごく上手なところが、まことに不思議な子なのです。
 そんな時、〈将来何になったらいいのかな〜〉なんて考えたりしていました。
 
 次は、8番熊谷寺まで、4.2キロの道のりです。
 少し距離が長いので、東日本大震災の話をしてあげました。
 
 よければ、孫へのメッセージよろしくお願いいたします。(じじバカより)

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