|
園舎の屋根に避難して助かった園児たち
2011年3月11日の東日本大震災の津波の際に、石巻みずほ第2幼稚園の子どもたち11名と教師たち13名は幼稚園の屋根に避難しました。沿岸警備隊がみんなを救助するまで、子どもたちと教師は次の朝まで夜を徹して19時間待ちました。
![]() (石巻市みずほ幼稚園長津田広明氏が携帯電話で撮影しました)
津波から園児を守った園舎解体 感謝の垂れ幕下ろす
東日本大震災の津波にのまれたものの、園児、職員ら24人が屋根の上に避難して助かった、宮城県石巻市の石巻みづほ第二幼稚園の園舎が取り壊されることになりました。9日、1年3か月正面に掲げていた「ありがとう 前へ」の垂れ幕が取り外されました。
夕方、集まった6人の先生たちは、園舎に、「18年間、お疲れ様でした」と言いながら深々と一礼し、手すりに結んだ垂れ幕のひもをはずしました。 垂れ幕はシーツとふとんカバーを縫い合わせたもので、虹とひまわりの絵が描かれています。震災の4カ月後、支援の人々と、子どもたちを守った園舎に感謝を込めて、先生たちがつくったものです。
震災後の園舎
私は震災後石巻に何度も来ていますが、園長が高校および仕事上の先輩でもあり、親しい間柄でもあったので心にかかり、ここを時々訪れていました。
送迎バスが園舎に突っ込んでいた(2011.4.月)
「ありがとう前へ」の幕が下がっていました(2011.7月)
とてもわびしく見えました。(2011.12月)
雪原の中に雄々しく建つ
あの屋根が子供たちを救ったのか…と改めて感慨を深くしました。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2012年10月19日
全1ページ
[1]
|
兵馬俑・華清池・始皇帝陵など
大雁塔を煌々と照らす満月を眺めて阿倍仲麻呂の望郷の念を想う
24始皇帝陵
兵馬俑坑は1974年に井戸掘りをしていた農夫によって偶然発見された。1号坑は、東西230m、南北62mで約6000体の歩兵が並ぶ。
3号坑 車馬房は、戦車一輌、兵士4名、馬4頭が配置されている。
作戦本部と考えられる部屋もあり、指揮官たちがここで作戦を練っている様子を表したものであろう。 銅車馬一号車
先導車になり、長い銅製の傘蓋があり、その下にいる御者は腰に剣を持っています。
兵士のいろいろな髪型 (博物館内のパネル写真)
「にほんブログ村」
見ましたよ~の印にポチッとクリックお願いいたします。(^O^)。
に参加しています。 ↓ ↓ ↓
ありがとうございました。
コメントやナイス☆も、引き続きよろしくお願いします。
|
全1ページ
[1]







