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千変万化 河西回廊の風景
河西回廊に入る前には、回廊は茶色の山の間の谷間のくねくねした道だと想像していたが、その予想は見事に外れた。
実際には緑豊かな草原やお花畑や田園地帯もけっこう多くて、オアシスも頻繁に現れる。。
田園地帯が近づくとそこには必ずポプラ並木が現れ、その道はオアシス入って行く。
Tサンはトラックを6,70キロのスピードで車を走らせているので、入ったと思うと、2,3分であっという間に通り過ぎててしまう。
だが、とても気に入ったオアシスがあったので、リクエストして、Tさんと二人で歩いてみることにした。
オアシスの昼下がり
昼下がりのオアシスは、大人は昼の眠りにつき、子どもたちの声だけがどこからともなく聞こえてくる。
張掖にに近いオアシスでは区画整理が進み、用水路が碁盤の目のように張り巡らされている。祁連山脈から流れ出た水は、いく筋もの川となってゴビを抜け、あるいはゴビの下を潜って用水路に注ぎ込む。そしてどんな小さな農道にもポプラ並木が続いている。
用水路の脇の道を歩いてゆくと、薄紅色のそばの花畑が一面に広がり、可憐な花の周りをモンシロチョウが舞っている。何ともものどかな光景だ。
そよ風に乗ってそばの花の匂いがプンプンと漂ってくる。ところがその匂いたるやお世辞にもよい香りとは言えないのだ。なんだか鶏糞のような匂いなのである。
日本でもそば畑があるが、作付面積が小さいせいか、種類が違うのか知らないが、このようなにおいは感じなかった。
一面に広がるそば畑
薄紫の可憐なそばの花
そば畑と用水路を隔てて、反対側にはひまわり畑が彼方まで広がっている。
ひまわりは、太陽に向かう花として中国では人気がある。もちろんそのために畑があるのではない。種から食用油をとるのである。
畑の中で、ひまわりに飛びついている少年を見かけた。
何をしているのだろうか?
私はそっと近づいた。
ひまわりは大人の背たけを越えていた。
少年は飛びついた花を手元に引き寄せると、花に顔を埋めた。
そして唇と舌を使って実にたくみに種を取り出し、口の中で皮を砕いて中の白い実を食べていた。
少年は私の姿に驚いたが、ひまわりに飛びつく私を見て笑みを見せた。
私もひまわりの実を食べた。香ばしい香だ。
少年は写真を撮ってくれとせがむ。
いいよ、と返事すると、他の子供も一緒に撮ってくれと言って私をオアシスの方へ連れて行った。
私のカメラを目ざとく見つけて子どもが集って来た。
河西回廊は飛行機で飛んでしまう観光客が多いので、このオアシスにはめったにカメラを持った人が来ないのだろう。
珍しくて仕方がないようだ。
撮影後モニターを見せると、キャーキャー言って喜ぶ。
ほんとうに純粋な子どもたちだ。
和やかな時を…、幸せな時を過ごした。
子どもとのふれあいは、いつでもどこでも心が和む。
シルクロードを以前旅したとき、中国人から「黄金の季節」という言葉を聞いたことがある。
そのときには秋だった。まさに緑豊かな収穫の時期だ。しかし、春にもそれに劣らず「黄金の季節」である。河西回廊をここまで走って来てそう思った。
祁連草原の緑、山丹の大草原、そして一面の菜の花やひまわりが咲き誇るオアシス―― まさに黄金の季節であった。
色を失ったゴビが支配する回廊。
それゆえに、中国の人たちの緑への執着と、緑を作り上げてきた自負を私は強く感じていた。あちこちで涙ぐましいほどの植林の努力、放牧地の制限にその姿勢を見た。
植林に精を出している人たちを車の中から見て、郵便局のポストや看板が緑色なのも緑化を意識しているのでは?という想いがふと頭に浮かんだ。
今回のシルクロード一人旅行が、もしも中近東の政情不安でダメな時には、私は内モンゴル自治区の植林に参加しようと思って準備していた。今、ちょっと引け目を感じながら通り過ぎた。
植林した苗木の周辺には、給水した水が周囲に流れないように土手状に土が盛られ地いる。
嘉峪関には次のような砂漠化防止を呼びかける石碑が建てられていた。
「甘粛省を横断するこの河西回廊は、千年以上も前から東西の文化を繋ぐ重要なルートであり、敦煌、玉門関、酒泉、嘉峪関など、多くのシルクロード遺跡が点在している。しかし、多くの旅人を魅了して止まないこの美しい土地は、日々拡大する砂漠に飲み込まれ続けている」
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