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わたしはこの像を見上げた瞬間、強い胸の高鳴りを覚え、燃えたぎってくる想いを抑えきれなかった。完全に少年の心がよみがえっていた。
午後2時前、張掖の街に入った。
この街は、マルコ・ポーロが1年間近く滞在したところである。
白いレンガ造りの家並みが街を明るくしている。さすがくイタリアの街を意識した佇まいだ。以前来たときとはすっかり変わっている。
街の中央まで来ると、なんと、そのマルコポーロの像が立っているではないか。目に入った瞬間不意打ちを食らったように立ちつくし、思わず胸が高鳴った。何せ私にとって、シルクロードの原点になった人の像との出会いだ。私はの心は完全に少年時代に立ち返っていた。
マルコ・ポーロがこの街に滞在したのは、13世紀の後半元の時代だ。彼はパミールから西域を抜けて、河西回廊を西から東へと旅している。そしてこの張掖に1年間滞在している。彼は『東方見聞録』に次のように記している。
――カンプチュウ(甘州)もタングート大州内の都市であるが、大州の首府であり、統治の中心であるだけに、規模も大きく非常に立派な町である。住民は偶像教徒の地に、若干のイスラム教徒を含んでおり、キリスト教徒は城内に立派な教会堂三所を持っている。(愛宕松男釈註『東方見聞録』)
偶像教とは仏教徒のことである。仏教、イスラム教、キリスト教がこの街に根づいていたことがはっきりと分かる。
私はまだ興奮冷めやらぬ状態で、現代の張掖のシンボル、鐘楼へ向かった。鐘楼の朱色、ポプラの緑、空の青――色の組み合わせが実にみごとだ。
この鐘楼は明代に作られたものでなので、、それ以前は張掖には鐘楼がなかったとのことなので、マルコ・ポーロはこの街では鐘楼というものには登ったことはなかったであろう。
鐘楼の上から張掖を眺めると、並木道が街を碁盤の目に区切っている。元の時代もこのような街の造りだったであろう。だが、この張掖もご多分に漏れず、ほとんどが現代的な建物に変化してしまった。
張掖駅
マルコポーロの幻影を求めて
私が興味を持って捜し求めたのは、マルコポーロが滞在した当時の建物―― 今にも崩れ落ちそうな木塔や、頂に草が生えている廃寺を想わせる寺の瓦屋根であった。それらしい建物がわずかだが目に入って来た。それらを見ながら、マルコ・ポーロはあれを見たに違いないなどと、勝手に空想したりしていた。
Tさんに尋ねると、そういうものはおそらく残っていないのではないでしょうかね、とそっけない。中国人の彼としては名所旧跡ならばいざ知らず、あまり見てほしくないのだろう。一応旧市街と言われる付近で下してもらって、2時間後に大仏寺で落ち合うことにした。
旧市街に入って見ると以前カシュガルなどで見たことのある2、3百年前の建物だった。
住民の人にもっと古いところはあるかとたずねると、子どもに案内させますと言って子どもたちをついて来させてくれた。子どもの話によると、ここには観光客も来るとのことだ。なるほどこれなら元の時代のものと言っても十分通りそうな建物であった。
何気なく遠くを見やると祁連山脈が眼前に広がっていた。ここに来るまでは祁連山といえば、私にとっては「天馬のふるさと」であり、「漢と匈奴との戦場」であった。だが今眺める祁連の山並は、「マルコ・ポーロも眺めた山」であった。彼も雪をたたえた雄姿を見ていたに違いない。やっと接点が見つかって、何か新しい発見をしたような気分になった。
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