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はじめまして前立腺ガンくん!
まさかきみと知り合いになるとは、全く考えていなかったよ。出来れば出会いたくはなかったんだが、出会ってしまった以上は、それを前向きにとらえて、「災い転じて福となす」にしようと思う。君もそのつもりでぼくに接してくれたまえ。まず、どんないきさつで君とお近づきになったのか説明するのでしっかりと読んでもらいたい。
3月25日、いつも胃腸や血圧でお世話になっている掛かりつけの病院へ血圧の薬をもらいに行きました。診察を終えると担当の先生から、「そろそろ血液検査をしましょうか」と声をかけられて、ごく自然に応じたんです。
ところが、その3日後の3月28日、先生から「前立腺に気になる結果が出ています。説明しますからすぐ来てください」と電話がありました。電話口の先生は明らかに動揺していましたね。こちらもただならぬ雰囲気を感じましたよ。そんなわけで、その日さっそく病院へ駆けつけました。先生は結果を見せて「前立腺の腫瘍マーカー値(PSA)が4未満のときは正常ですが、1年ごとに2.3、3.6、5.2とズンズン高くなってきているので、ガンの疑いがあります。泌尿器科へ行って専門の先生に診てもらった方がよいですよ」と言うんです。その時にはなんだか他人ごとのようでした。紹介状を書いてもらって、その足で泌尿器専門の病院へ行きました。一通りの検査終えたあと「ガンの可能性がありますので、入院して組織検査や精密検査の必要があります。どうしますか?」と訊かれました。それに対して、「実は予定しているスケジュールがありまして…、もちろん検査を最優先しますが、それをお含みの上で先生のご判断をお願いします」と言って状況をお話ししました。
―― 私には東北4県の津波被災地に鎮魂・慰霊の場を設定する「東北お遍路プロジェクト」という組織の活動スケジュールが入っていました。4月19日から福島県の南相馬市から青森県の八戸市までの4県の津波被災地を一人で歩いて巡る予定でした。
その事情を聞いた先生は、「仮にガンだとしても、前立腺ガンは急速に進行するガンではないので、歩き終えた6月に検査してもいいですよ」ということだったので、そうすることにしたんですよ。
ところが、家族やプロジェクトのメンバーが案の定反対しました。何せ1000キロほども歩くのですから、自分自身も多少心配ではありました。そのようなわけで、「まず検査ではっきりさせてから歩こう」と方向転換したわけです。
4月23日から3日間の検査入院をしました。
残念ながら、4月30日に「前立腺がん」だと宣告を受けたんです。この時点で、君は僕の「歓迎しない居候」になってしまったというわけです。だけど、意外に平静に受け止めることができましたね。何せ東日本大震災では金華山で3度も命拾いしましたから…。
まず、5月2日に社会保険病院で「骨シンチ」の検査を行って、骨に転移していないかどうかどうか調べてもらいました。初めて聞いた話ですが―― 、君は骨に転移しやすいそうですね。
引き続き5月14日から2度目の検査入院となりました。
当初は5日間の入院予定でしたが、幸いど君はどこへも転移しなかったので、3日間で退院しました。
私の場合、担当の先生と相談して、―― すぐに手術や治療をせず、当分は1カ月に一度ずつPSA(腫瘍マーカー)で監視する「待機療法」で様子を見ることになりました。進行速度などの状況次第で最も適切と考えられる治療方法を実施しましょうという提案を受けました。
私のガン(「きみ」)は、4段階のうちの2ステージのa――2aとのことです。下の図では病期B1。
現段階ならば、①待機療法 ②手術療法 ③放射線療法 ④内分泌療法(ホルモン療法)のいずれも可能なそうです。3段階になると手術は大体不可能で、そうなると、いやいやながらも君と中々、もしかすると一生おさらばできなくなります。
①はあくまでも監視なので、これで「きみ」が消えることはめったになく、いずれは②〜④のいずれかまたは併用を選ぶことになると思います。
もしも、君がおとなしくしてくれて現状維持でしたら、――手術や放射線や薬物なんかで攻撃したりしないで、手荒なことはせずに 折り合いをつけながら君と付き合って行こうと思っているんです。そして君が居づらい環境を作って、君が自主的に僕の体の中から消え去ってくれるように努力しようと思っている―― 。そこのところをよく理解してくれよ。
これまでぼくは、無理や無茶な生活を送っていたが、やっと「健康第一を心がけなければ」―― と自覚したところです。それもこれも君のおかげですね。まあ、逆に少しは感謝の気持ちを持っているよ。 目下のところは、君はおとなしくしているので、ぼくは普通に生活いていられるんだよね。
今までは自分の健康を過信しすぎていたようですね。
きみがぼくの居候になったおかげで、今までよりも健康に留意するようになったので、「君と上手にお付き合いして」、というよりも「君を味方に引き入れて」ゆけば、却って長生きできるのではないかとプラス思考で考えています。
とにかく、暴れまわったり、浮気心を起こして、前立腺くんからよそへ転移しないでくれよ。もしもきみが暴れようとしたら、容赦なく手荒な攻撃をして君を追い出しにかかるよ。それは覚悟しておいてくれよ。
これまでは自分の体力に過信しすぎて、自分を粗末にしていたような気がします。神様がそれに警鐘をならして、きみを前立腺くんへ送り込んでくれたのではないでしょうか?
生活習慣や食生活に気を付けて、できるだけ運動をして―― もっともこれは君にとっては都合が悪いことかもしれませんがね―― 快適な生活をしてゆきたいと思います。
そして君とは円満にお別れしたいですね。ある日知らないでいるうちに君がどこかへ行ってしまう―― これが理想の別れですね。
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2013年05月22日
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77窟の天井にはたくさんの飛天が描かれていた。
東西2キロに連なる石窟群のほぼ中央に、唐代に造営された77窟がある。
かつて、この窟の入口には、巨大な大仏像が立っていたという。
「ここの砂を掘ってみてください」とガイドに言われて砂をどけると、確かに大仏のくるぶしらしきものが出てきた。
「大仏は、バーミヤンの大仏のように破壊されたのでしょうか? それとも自然崩壊したのでしょうか?」というわたしの質問に、漢人のガイドは「さ〜、どうなんでしょうね?」とさらりとかわした。回教徒(イスラム教徒)の多い新疆ウイグル自治区では、デリケートな問題のでしょうね…。
窟内に入ってまず目を奪われたのは、釈迦涅槃像あったと思われる奥壁の天井画だった。天界の音楽を奏で舞い踊る多くの伎楽天と舞楽天が描かれていた。
執金剛神
天井は10個n長方形に区切られ、その中に、さま座月な楽器を奏でる伎楽天がいる。
東と西の両端に合掌する天人配されている。その内側を東からひとつずつライトを当てていくと、3つまでははっきりとわかるが、それから西に向かって4つの長方形は全く破壊されて不明だ。いったいどのような楽器が描かれていたのであろうか?
もしかすると、当時の亀茲音楽を演奏する上で最も重要な楽器が描かれていたのかもしれない。―― そんなことを想像しながら見るのも楽しかった。
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