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クズルガハ千仏洞を出発するとすぐ、とひときわ高い岩石の丘の上に高い塔のようなものが見えきた。忽然と立っているという表現がぴったりだ。今から向かうクズルガハ土搭(烽火台)(写真中央)である。
まさに荒涼たる固い茶色の世界を、バスにガタガタ揺られながら走る。クズルガハ烽火台は2千年以上も前の前漢時代につくられたものだ。なんだかタイムスリップしたような不思議な感覚だ。英雄霍去病と同じ光景を眺めていると思うと、偉くなったような気分\(^o^)/。
この光景が見えた途端、ガイドはクズルガハ土塔を指さしながら、搭をめぐって地元に残されている伝説を話し始めた。
「クズルとはウイグル語で、娘と言う意味です。ガハは、とどまるという意味です」
とまず説明すると、長話が始まった。
話を要約すると―― 当時、クチャ国王が溺愛していた王の娘が、ある占い師に「あと100日でこの娘はサソリに刺されて死ぬだろう」と言われ、この土塔を築いて匿ったそうです。
しかし、100日目に国王が贈ったリンゴを食べたところ、娘は亡くなってしまいました。 リンゴのなかにサソリが潜んでいたのだそうです。悲しんだ国王は、土搭の下に身を投げ出して、「娘よ、とどまれ」と叫んだそうです。 、
バスを降りて丘陵へ登ると、烽火台の周辺は平坦な台地上になっている。
この烽火台は今から2000年以上前の前漢時代に匈奴の侵入をいち早く知らせるためにつくられたもので、烽火台の遺跡としてはシルクロードで最古と言われている。霍去病の時代かそれ以前につくられたと思われるので、彼の戦にこの烽火台が役だったに違いない。
霍去病の遠征
当時は、このような烽火台が等間隔に設けられていたが、現存するのは、この一基のみとのことである。
以前の説明では、17メートルと聞いていたが、看板には、高さ13.5mと書いてあった。中国観光では、ガイドたちが話すことが適当なこともけっこうある。時と場合、人によって異なることもあるので、要注意だ。
上部には物見やぐらがある。それを囲んでいた木の柵を今でも確認できた。 物見やぐらを囲む木の柵 やはり看板によれば,昼間は煙で,夜は火で信号が発せられたようである。主に土で出来ているようだが,上部に木製のフェンスが突き出ている。烽火台はシルクロードに沿って5〜15km間隔に設けられたそうである。この土搭(烽火台)は,万里の長城と同様、土を固めて作られている。
北は天山山脈に跋扈する匈奴を睨み、東はクチャのオアシスを見下ろすこの烽火台は、敵の襲来を知り警報を発する台としては、絶好の位置にあるなあ――そう思いながら周辺を見回した。
先ほどのサソリにかまれたお姫様の伝説は砂漠の民にはふさわしい話ではあるが、この土搭は漢代につくられた烽火台であって、残念ながら娘をかくまうために建てられたものではない。しかし、美しいロマンとして受け止めておきたいですね。
伝説の姫はこんな感じだったのでしょうか? クリックよろしくお願いします
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2013年05月30日
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