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これまで大津波に襲われた南三陸町の市街地を中心に見てきましたが、今回は志津川湾の海岸線の漁港の現状も見てきましたので紹介します。海岸線に建設が計画されている8m70cmの防潮堤の工事は語り部の佐藤さんが言うように全く手が付いていない状態でした。
写真は全て拡大可です。
昨日紹介した高台のベイサイドアリーナから下ったところにある志津川漁港
今は平穏な景色ですが、大津波時は岬を波が越えて押し寄せて来たようです。
大森崎の前の島
大津波の時、この島はほとんど津波に飲み込まれていたそうです。
海岸の消波ブロックの対岸は宿泊したホテル観洋
旭ヶ浦付近の浚渫船(しゅんせつせん)?
旭ヶ浦付近の魚市場
主がいなくなった漁船?
大森町付近の水門
修復できていない新志津川漁港の防潮堤
修復できていない新志津川漁港の防潮堤
八幡川の水門と志津川湾越しのホテル観洋(白い建物)
国道45号線から見た新志津川漁港
ホテル観洋からの南三陸町と新志津川漁港の遠望(朝の景色)
真ん中あたりに南三陸町防災対策庁舎の鉄骨がうっすら見えます。その右側の水色部分は
八幡川の水門、左の白い建物は病院
↓ ↓ ↓
ホテル観洋からの志津川湾の海岸線(朝の景色)
このホテルは2階の露天風呂まで津波が来たそうですが、
被害は少なくすぐに営業開始できたそうです。
次回に続きます。
写真撮影:2013年月7月16、17日
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2013年07月22日
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わたしは3度死に直結する体験をしているんです。それがね、どれも水が関係しているんですよね。
それでも今、僕の眼の前で生きているんだから、「水運が強い?」というわけですか!?ぜひ聞かせてください。
Y君の求めに応じて、私は次のような体験談を話した。
最初は四歳の時。
造り酒屋の屋根の上に深さ3メートルほどの給水用大樽が設置されていた。子供心にその樽の中を一度覗いてみたいと思っていた。丁度おあつらい向きに、屋根まで上る梯子が立てかけてあり、おまけに樽にも梯子が掛かっていた。たぶん、樽の中を掃除するためだったのだろう。これ幸いに、その家の息子「坊ちゃん」と二人で、空になっていた樽の中へ入り込んだ。ところが、入ったのはいいが、外へ這い上がることができない。仕方なしにその中で遊んでいた。すると突然水が入り込んできた。二人で大声で叫び続けたが、誰も気付いてくれない。水が増えて来て、溺れかけた時、たまたま外へ出てきた杜氏が叫び声に気付いて「樽の中で坊ちゃんとSちゃんが騒いでる。早く水を止めろ!」と、急いで給水をやめさせた。二人の大声と偶然が命を救ってくれたのだろう。
二度目は七歳の時。
深さ4メートルほどのコンクリート製肥溜めの横に、直径30センチ、長さ1メートルほどの土管が並べて立っていた。そこに上って弟たちと木苺を採っていると、弟がバランスを崩して落ちそうになった。つかまえようとしたら、逆に自分の土管が倒れて肥溜めに転落してしまった。まだ泳げなかった私はしこたま汚物を飲み込んで、肥溜めの底へと沈んで行った。耳元でひゅーひゅーという音が聞こえた。底に足がついた途端無意識のうちにキックした。すると体が自然に上へ浮かんで肥溜めのヘリが見えた。思わず手を伸ばすと、左手の指がわずかに掛かった。しかし指の力がなく、再び沈んで行った。死ぬかもしれないとなんとなく思った。水におぼれた時には一度は浮かぶが二度とは浮かばないと、以前、大人から聞いていたからだ。その時、自分でも不思議なほど冷静だった。再び底まで沈んだが、死んでなるものかと、今度は底にしゃがみ込むようにして両足で思い切り底を蹴った。浮き上がりながら今度こそつかまりたいと強く思った。上で「つかまれ」という大人の声が聞こえた。必死に手を伸ばした途端、大きな手が両手でしっかり自分の小さな右手を捕まえていた。
三度目は、二十五歳の時である。
利根川支流の吾妻川の河原にある大きな水たまりに浸かって体を冷やしていたところ、突然激流が押し寄せて来た。後で聞くと、一キロほど上流の発電所からの放水だった。その瞬間は軽く考えていた。だが、急いで岸へ向かおうとしたが全く意思通りにならない。水深は高々腰ほどだが、流れが急だし、石がぬるぬるして滑るので、まったく踏ん張りが利かない。自分の気持ちに逆らって、まるで駆け足をしているかのように、下流へ向かって体が運ばれていった。五百メートルほど下流にも発電所がある。初めのうちは、そのうちいつかは岸にたどり着けるだろうと思っていた。ところが、あれよあれよという間に発電所に近づいていった。あと二百メートルほどに迫った時、取水口が見えた。その口がぐんぐん大きくなってゆく。口の直径は5メートルほどある。吸い込まれたら一巻の終わりだと思った。そのとたん、突然死の恐怖が走った。必死に現実から逃れようとあがいたが無駄だった。あと50メートルくらいまで近づいたとき、両岸がコンクリートの壁に取り囲まれ、急に水底が深くなった。発電所の取水水路に入り込んだのだ。泳ぎには自信があったが何せ流れが速いし逃げ場がない。いよいよ取水口に近づいたとき、〈あ~、あそこに吸い込まれて死ぬんだなー〉と、不思議なほど穏やかな気持ちになった。急に恐怖から解放された気がした。死という現実を自然に受け入れたのだろう。ところが、取水口目前になって、急に水路の右側が倍以上に広がり、流れが緩やかになった。いったん死を受け入れた私だが、とっさに流れと逆方向の右側の壁に向かって泳いだ。運よく壁にはステンレス製の手すり階段がついていた。こうして、自力生還したのであった。
わたしは先ほどのY君のように、一瀉千里に喋りまくった。その間Y君は一言も言葉をはさまなかった。というより、はさめなかったのだろう。思えば、死と向き合ったこの3度の体験をまとめて話したことはなかったと思う。死に直面した話を聞いて、彼はどのように感じたのだろうか。(続 く)
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3.11の大津波で被災した南三陸町には被災後、11ヶ月経ってから町内の皆さんのご努力で志津地区に仮設30店舗の「南三陸さんさん商店街」が「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南サン(三)陸の商店街にしたい」という思いからオープンしていましたが、それから1年5ヶ月が経ちました。ツアーバスの上からの見学になりましたが、時間が許せば商店街に立ち寄って買い物なり、飲食をしてみたいところでした。平日の夕方ということもあって人影はまばらでしたが、週末には様々なステージイベントも開催されているようです。
南三陸町の地図
航空写真に切り替えるとまだ3.11以前の状態になっていて正常な町の姿が見れます。
詳しい地図で見る ← 「南三陸さんさん商店街」の位置が分かります。
写真は全て拡大可です。
オープンして1年5ヶ月の「南三陸さんさん商店街」(30店舗)
2012/2/25オープン
南三陸町観光協会HP : http://www.sansan-minamisanriku.com/
小売店19店舗、飲食店5店舗、暮らしの店6店舗
南三陸さんさん商店街
南三陸さんさん商店街
国道45号線の津波到達点の標識
大津波の被害を免れた高台の
スポーツ交流村・総合体育館「ベイサイドアリーナ」
ベイサイドアリーナの奥に災害ボランティアセンターがありました。
南三陸町災害ボランティアセンターのテント
ちょうどボランティアの方々が、この日の作業を終え、宿泊所に戻るところでした。御苦労様
南三陸町災害ボランティアセンターのテント
テントの中には「絆」の地が見えます。
南三陸町の現状色々
川の護岸がまだ土嚢のままになっています。
津波で倒壊した建物の残骸の山
コンクリートの破片が大部分でした。
津波で流されなかった一戸建て住宅
3階まで津波が浸水した結婚式場の建物
工事中の復興道路(三陸沿岸道路)・志津川IC
次回に続きます。
写真撮影:2013年月7月16日
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