96窟 北大仏
敦煌莫高窟を象徴する朱色の楼閣・九層楼
「敦煌」が語られる際、この伽藍の写真が使われます。よく見ると楼閣は岩山に沿って造営されているのです。
しかしこの96窟の素晴らしさは、外から見える九層楼閣ではなく、中のご本尊「弥勒菩薩」にあります。
北の大仏「弥勒菩薩像」
弥勒(みろく)菩薩で、眼(まなこ)を半眼に閉じた菩薩には近よりがたい威厳を感じました。
このご本尊の造営は初唐の695年です。この弥勒菩薩像は、岩山そのものをくり抜いて台座の輪郭を造り、きめ細かく掘って泥を重ね塗りながら作られた塑像なのです。
北大仏が造営された初唐は、悪名高い?女帝 「則天武后」の時代でした。この大仏は則天武后の命によるもので、彼女をモデルにしたといわれています。さすがかのじょらしいな〜と、その凄さぶりにある意味では感服しました。
ガイドの楊さんによりますと、
――発願人の則天武后は、唐王朝の権力を握ろうとしましたが、それは横取りに等しく、自ら人気のないことを知っていました。しかも女性ですから、権力を奪うことにはいっそう反対が多いのは目に見えています。そこで、仏教の力を借りようとして、自分は「弥勒の生まれ変わり」と称して大仏を建立したというのです。さらには、彼女に取り入ろうとした陪臣がこぞって弥勒仏を作ったので、大仏ブームが巻き起こった、というのです。
大仏をよく観察してみると、このことが充分にうかがえました。体型や身に着けている衣装からして女性に作られていいます。130窟の南大仏や普通の大仏の顔は男性的なのに対して、この大仏は女性的なのです。
「北大仏」
体型、顔、胸元の着こなし、衣の装飾などからこの弥勒菩薩像は則天武后をモデルとした女性像であることが見て取れます。
北大仏殿は、七層の楼閣 で覆われています。その一番上に登らなければ、大仏のお顔を正面から見ることが出来ません。楼閣の階段を息を切らしながら上り詰めて見た北大仏のお顔は、ほぼ方形で、鼻は大きく広がり、唐の同じ時期のいろいろな像に比べて、あまり美人とはいえません(近すぎて顔全体がカメラに収まりせんでした)。
やはり、彫工たちにも人気がなかったのだろうか?、なんて思ってしまいました。まあそんなこともないでしょう、それより35メートル以上の巨像を下から見れば、威圧感は充分です。この威圧感こそが、民衆教化、馴化という造営目的からすれば、必要充分条件だったのに違いありません。
130窟 南大仏
96窟の大仏につぐ巨像で、像高は26m。窟内には階段があり顔の高さまで上ることができました。彫った後粘土を塗りつけて色彩を施したとのことです。
第130窟 弥勒菩薩坐像(南大仏) 盛唐(8世紀)
窟内には階段があり顔の高さまで上ることができました。 お顔と対面したとたん、大きなものに包み込まれるような感覚をおぼえて安心した気持になりました。この仏像は、万物を包容する気概と雄大膨大な気勢を持っていて、威厳があり、しめやかでもあるように思いました。
私は50余りの石窟を見学しましたが、その中で一番印象に残ったのは130窟でした。断崖に三層にわたって造られた大きな洞窟で、その中に26メートルの堂々たる椅座の弥勒大仏が収められているのです。敦煌の彫刻はどれも塑像ですが、この大仏だけが岩を削って造った唯一の石造りで、その森厳な表情といい、その静まり返った大きな体躯といい、まさに盛唐のゆたかさを代表する傑作だと思いました。
像の顔を仰ぐためには首を直角に折り曲げなければならないほどです。すると、森厳という以外に形容の仕様のない大きなものが上に置かれてあって、それを仰ぐ自分が次第次第に小さくなっていく――そんな感覚にとらわれました。
第328窟
南大仏はこの弥勒菩薩をモデルにして作られたともいわれています。
素朴さの中に気品があふれて心惹かれました。
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