東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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今日は、東日本大震災の月命日です。

時間のある方は、「黙祷」お願いいたします。

東日本大震災における死者・行方不明者数及びその率(県別)
データ: 
警察庁緊急災害警備本部広報資料 (26/3/11)現在
http://www.isobesatoshi.com/data/sisya-eastjapan.html

死者        15,882人
行方不明者      2,688人
合計         18,550人


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【各自治体の報告を受け県が集計する行方不明者に重複などがあったため】
行方不明者数に変更があるのは陸前高田市と大槌町。岩手県警と県によると、同市で8人が重複。同市によると、身元が判明した死者のデータが行方不明者のデータから削除されていなかった。3月に県警と精査した際に分かったという。同市の行方不明者は215人から207人に減る。
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【震災不明者数1132人に 重複などで県警が変更】
岩手日報  2014年4月10日
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20140410_6

  岩手県警は9日、3月31日現在の東日本大震災の県内行方不明者数を前回2月28日現在より10人少ない1132人と発表した。県警の調べで身元が判明した死者と、各自治体の報告を受け県が集計する行方不明者に重複などがあったためで、死者数に変更はない。
行方不明者数に変更があるのは陸前高田市と大槌町。岩手県警と県によると、同市で8人が重複。同市によると、身元が判明した死者のデータが行方不明者のデータから削除されていなかった。3月に県警と精査した際に分かったという。同市の行方不明者は215人から207人に減る。
また大槌町では、前回の行方不明者数集計後、女性=当時(19)=の身元が判明したほか、部分遺体がDNA鑑定で同町の男性のものと分かったといい、同町の行方不明者は431人から429人となった。

転載元転載元: 山と土と樹を好きな漁師

【「あの日」を境にうまく泣けなくなった・・。】

3.11のその時。人口約1万5000人の大槌町では803人が死亡、479人が依然行方不明となっている。町役場も津波にのみ込まれ、全職員140人のうち約3割を失った。


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「あの日」を境にうまく泣けなくなった。再び巡ってきた3月11日、僕の昔からの公務員時代の友人の岩手県大槌町の総務部長兼総務課長平野公三さん(56)は、東日本大震災の巨大津波に直撃された旧町役場前で黙とうをささげていた。

 震災後に就任した碇川豊町長が、当時の加藤宏暉町長ら死亡・行方不明となった職
員40人の名前を一人一人読み上げ、哀悼の意を表した。
 平野さんは「目の前で大勢の同僚が波にのまれた。それなのに涙が一滴も出なかった」と打ち明ける。人間の感情で対処できる範囲を超えていた。この日も涙は出なかった。普通の感情はもう戻らない、とも思う。

 旧役場庁舎解体の是非をめぐっては、遺族や町民の間で意見が分かれていたが、碇川豊町長が昨年3月、正面玄関などを含む建物中央部分を、震災遺構として保存する方針を示していた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【岩手・大槌町旧役場の解体始まる 碇川町長、一部保存の方針】
河北新報   2014年04月11日金曜
 
 東日本災で大きな被害を受けた岩手県大槌町で、当時の町長や職員計40人が津波の犠牲になった旧役場庁舎の一部を解体する作業が10日、始まった。大震
 旧役場庁舎解体の是非をめぐっては、遺族や町民の間で意見が分かれていたが、碇川豊町長が昨年3月、正面玄関などを含む建物中央部分を、震災遺構として保存する方針を示していた。
 10日は、朝から周囲に高さ約3メートルの作業用の囲いを設置した。重機などを使って建物を取り壊すのは、5月以降になる見通しという。
 現場を訪れた碇川町長は「建物を保存し津波の恐ろしさを伝えることは大切だ。一方で『見たくない』という人への配慮も真剣に考え、提案していきたい」と話した。

転載元転載元: 山と土と樹を好きな漁師

 昼過ぎ、体力維持を兼ねて支所よりも高いところにある集落へ取材に出かけた。この地域は、地震被害はかなりあるが津波からは免れたところである。何軒かの家では早くも大工が壊れた家の修理をしていた。日本人は取り掛かりが早いと思った。女川へ向かう道をさらに2キロほど歩いて行くと、湧き水からポリタンクに水を汲んでいる40歳前後の男性に出会った。
 
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この道路は女川へ行く道ですか? と確認すると、「どこへ行くのかね?」と、逆に尋ねた。これまでの経緯と、今はどこへも行くつもりはないが、いずれ石巻を通って仙台まで帰らなければならない旨を話すと、「近日中に歩いて行くのは絶対にやめた方がいいよ。俺は若いんで石巻からここまでどうにか帰れたが、あんたたちの年齢の人なら死にに行くようなもんだ。せっかく金華山で助かった命を大切にしなきゃダメだよ!」と、叱り口調で言った。そして彼は自分のつらい体験談を話した。
 
―― 震災当日石巻に出かけていたが、鮎川の両親が心配なので、無理を承知で12日の朝に石巻を出発して鮎川へ向かった。石巻を出る時は水が胸の近くまであった。牡鹿半島の浜辺の集落はどこも壊滅状態で、集落はがれきで埋まり、人っ子ひとり出会わなかった。集落の人は全滅したんだなあ、と思いながら歩き続けた。時にはひざ以上もある泥の中をズブズブとはまりながら、喘ぎ喘ぎ歩くこともあった。9時間以上かかった。鮎川に着いて見渡す限りのがれきを目の前にした時は、両親も家もダメだなと失望し、疲れもどっと出てひざが崩れて座り込んでしまった。
 
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 気を取り直して自宅へ行ってみると、一階は空洞化して泥やがれきで埋まっていたが、二階はどうにか残っていた。もちろん両親はいなかった。二人を探して家に近い避難所を二ヶ所回ったがいなかったので、不安と落胆はますます大きくなった。そして、藁をもつかむ気持ちで回った総合支所で両親を見つけた。その時の安心は一生忘れないだろう。支所で一泊して、住めるかどうかわからない我家に今朝3人で戻った――。
 彼は最後に避難所を出る時、家を失くした人たちに対して後ろめたい気がしてつらかったとぽつりと言った。自分自身が苦しい思いをした上に、他人への気遣いでつらい思いを重ねている姿は実に気の毒だった。おじさんはうなずきながら親身に話を聞いてくれて本当にありがとうと、心からの感謝の表情で言った。被災した人のためにいくらかでも役立つことができ、幾分でも恩返しができて嬉しかった。私こそ感謝された喜びを味あわせてもらい、逆に感謝の気持ちでいっぱいだった。
 
 
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