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初めてゆで卵
津波騒ぎが収まった11時10分、朝食兼昼食。パン1枚、スープ、なんと初めてゆで卵も出た。地元からの差し入れなのだろう。
感謝されることに感謝 ―これがボランティアの原点になった
午後には被災しない農家からの玄米を運搬した。農家の厚意による救援米だ。運搬距離は1キロ弱だが、30キロ袋の重さは70歳に近い身にはいささか応えた―― 30メートル歩いては休みの繰り返しだった。
午前中回収してきた飲み物を午後のおやつの時間に配ると、被災者の皆さんから「甘いものは久しぶりなので、生き返ったようだ」と大喜びだった。甘いものがこんなにおいしく感じたのは」ほんとうに何年振りだろうか……私も生き返ったようだ。
また、夕方にはわれわれが運んで玄米でおにぎりが作られた。
皆さんから飲み物とおにぎりのお礼を言われた時には、疲れも吹き飛んだ。人のために働かせてもらうことの素晴らしさを実感させていただき、“感謝されることに感謝”した。この思いがその後のボランティア活動のきっかけとなった。
水爆だ! 大変なことになった
午前11時ごろ、福島第一原発で「水素爆発」が起きたとラジオが報じた。同室の人びとは、「水爆だ! 大変なことになった」とざわめいている。私は化学が専門だったので、水素ガスが空気中の酸素と混じって烈しく反応して爆発を起こしたのだ、と説明すると、少し安心した様子だった。
だが、すぐ近くの東北電力女川原子力発電所がどうなったのか心配されるところだ。しかし、福島第一原発よりは高いところにあるので大丈夫であろうと思った。
後日わかったことだが、福島第一原発では実際には核燃料がメルトダウンを起こして、日本中に長期にわたって放射能被害をもたらすことになったのである。
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一般社団法人「みちのく巡礼」
東日本大震災犠牲者慰霊
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現在は熟年たちがボランティア精神でがんばっていますが、
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2014年04月15日
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【宮沢賢治の生誕の地。花巻から被災地釜石に夢をのせて】
JR東日本は12日、釜石線の花巻―釜石間90・2キロで蒸気機関車「SL銀河」(C58 239)の定期運行を始めました。 このSL銀河の機関車(C58 239)は1940(昭和15)年に造られ、72年に引退後は盛岡市の県営運動公園で展示されていた。JR東日本は2012年10月、釜石線で復活運行させると発表。傷んだ車両の修復と試運転を重ね、準備を進めてきたのです。 http://www.jr-morioka.com/sl/cat1/ 東日本大震災の復興支援として、観光の目玉として復活させたものです。 沿岸被災地にとって6日全面復旧した三陸鉄道に続く明るい話題です。 強い煙と汽笛を上げて前進する姿に、SLファン。賢治ファンにはたまらないもの だと思います。 ![]() 宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」のモチーフにした。メガネ橋。 ![]() ![]() これからの、震災復興のけん引を託したい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【復活のSL、被災地に活気 JR釜石線、定期運行始まる】 岩手日報 2014年4月13日 約40年ぶりに鉄路に復帰した機関車は午前10時37分、花巻駅を出発。直前の式典には上田東一花巻市長、本田敏秋遠野市長らが出席し、冨田社長は「SLのとどろきが東北に元気を与え、多くの人が沿岸を訪れて地域が復興の力を得てほしい」と期待を語った。 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をイメージした青色の客車を従え、SLは山を越えトンネルを抜けていく。停車駅の遠野市では線路脇で大勢の人々が手を振り、沿線各地で観光や郷土芸能団体が多彩なイベントを繰り広げて乗客を歓迎した。 SL銀河の機関車は1940(昭和15)年に造られ、72年に引退後は盛岡市の県営運動公園で展示されていた。JR東日本は2012年10月、釜石線で復活運行させると発表。傷んだ車両の修復と試運転を重ね、準備を進めてきた。 http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20140413_3
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