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入院から数日は1日のうちの大多分の時間は眠っていたように思う。
主治医は日増しに病状が悪化する私の様子を見てさぞ心配だったのではないだろうか。初めの数日間は朝晩様子を見に来てくれた。患者の私よりもむしろ心配している様子が、表情から察知できた。若いので顔に出るのだろう。楽観的な私もその表情を見て不安を覚えた。看護師さんたちも他の患者さんのナースコールで来たついでに様子を見てくれた。こんな様子を観察していると、自分は容易ならざる事態なのだなと思わざるを得なかった。そして幾分死を意識した。
カーテンも四六時中閉ざされていて周りが一切見えず自分がどんな状況の中におかれているのかさえ全くわからない。まるで孤独の世界だった。最初の5日間は妻が日中はずっとついていてくれた。これが安心感を与えてくれた。とてもありがたくもあった。
意識が薄いのに妙に感覚が研ぎ澄まされている自分が不思議に思えた。
死を意識したが、あまり死は怖いとは思わなかった。〈これまで7度も命が助かっているのだからまあいいか…〉という開き直りにも似た気持ちだった。
自分が死に近づくと、死んだ身内のことを考えるという。私の場合、父のことを想った。実は、私の父親は脳梗塞で死亡したのです。《、自分も父と同じ病で死ぬのかなあ》と淡々と思った。
父は入院する前日、家の中で転倒して敷居に頭を打ち付けていた。父は「たかがこぶができたくらいで病院なんかに行ってたまるか。大丈夫だ!」と言い張って、病院行きを渋っていたのだが、母が心配して病院へ行くことを強く勧めた。
それでやっと承諾して病院行きを決めたのだが、直前まで卓球をしていた。そして「休養だと思ってちょっと出掛けてくるよ」と言って、午後3時ころに車で送られて行ったそうだ。ところがその晩、容態が急に悪化して意識不明になり、あっという間に死に至ったそうだ。
54歳というあまりにも若い死だった。
私は、薄れる意識の中でも意外に冷静に物事を判断していたように思う。
命をとりとめても寝たきりか、少なくとも重度の後遺症での介護生活を覚悟していた。しかし意外にまるで他人ごとのように冷静にそれらを受け入れていた。
客観的に考えることが出来たのは、これまであまりにも無理をしすぎてストレスを貯めすぎたからだな〜と、その時自己分析出来たからだと思う。これまでの人生、無理を重ねてきた結果だと妙に納得していた。
このまま死を迎えるにしろ、寝たきりになるにしろ、ゆっくり休めるな〜という気がしていた。 だからこの病気にかかったことは、天の思し召しであり、自分に長期休養を与えてくれたとさえ思えた。そして、何かに行く末をゆだねるといった落ち着いた心境だったような気がする。(続 く)
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2015年10月20日
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