東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

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自然災害から尊い命を守りたい
−みちのく巡礼の活動−


災害の教訓を後世に伝え尊い命を守りたい

近年、台風や大雨による洪水、土砂崩れ、竜巻など異常気象が原因と考えられる災害や火山活動などの自然災害で多くの災害犠牲者が出ています。また今後、首都直下型、東南海、南海トラフによる大規模地震も予測され、自然災害はますます増えることが予想されております。
東日本大震災では、津波被害等で多くの方々の尊い命や財産が奪われました。さらに原発事故という未曾有の事態が発生し、放射能被害に加えて風評被害も相まってその影響が今なお東北のみならず全国各地に及んでいます。東日本大震災の時には、「すぐに逃げさえすれば2万人近くの人が命を落とすことはなかったはずだ」と、今なお悔しい思いがします。多くの犠牲と甚大な被害、悲しい記憶の中から生まれた貴重な教訓を広く世に伝え、後世に語り継いで尊い命を守ることが現在に生きる我々の課題であると確信いたします。私はそれを実現するため、主旨に賛同する仲間と共に「一般社団法人みちのく巡礼」を立ち上げました。

みちのく巡礼の背景になった阪神・淡路大震災
最初の発想は「阪神・淡路大震災」です。この大震災1年後に四国歩き遍路した時、身内を亡くされた方がたくさん慰霊の遍路をしていました。特に印象に残る男性がいます。その方は奥さん、息子夫婦、孫2人の計5人を亡くし、5周目の慰霊遍路でした。「一人一周としてこの5周目が心のけじめをつける最後の遍路です。初めは慰霊の気持ちが強かったのですが、今は、私自身を癒すために巡っていると言った方がよいと思います」というこの言葉は、強く私の心に刻まれました。この出会いによって、「四国八十八ヶ所は、本来の修行もさることながら、慰霊の場、心を癒す場として果たす役割が非常に大きい」ことが改めて実感させられました。

「生かされた命」を祈りの場づくりに
直接的動機はやはり東日本大震災での私自身の被災体験、震災後のボランティアそして犠牲者への追悼の思いです。
私は東日本大震災の折、震源地に最も近い島・金華山で大地震に遭遇しました。建物の天井落下寸前の危うい脱出、崖崩れが起こる最中の高台への避難、さらには高台を襲った巨大津波から必死に逃れて三度命拾いをしました。そしてその後の避難所生活、60数キロの徒歩での帰宅、ほぼ全壊した自宅、その中での耐乏生活等々の被災体験は、過酷で厳しいものでしたが、今から思えば震災を後世に伝えるには貴重な体験となりました。
3度の命拾い後、津波が収まった海を眺めながらふと思ったのは「自分は何か大きな力によって生かされたのではないか」という思いでした。同時に浮かんだのは、四国遍路でお接待をしてくれたおばあちゃんが優しさの中にも毅然とした意思が込められた「私はお大師様(弘法大師)から人のために役立ちなさいと生かされています」という言葉でした。この思いと言葉に背中を押されるように、「これからは被災された方々の役に立つ事を実行しながら生きていこう」と決心しました。

 何もないところでひたすら祈る母子に号泣
その後ボランティアや慰霊のためにひんぱんに被災地を訪れています。特に東日本大震災が起こった3月11日を祥月命日、毎月11日を月命日と心に定めて慰霊に出向いております。そのたびに、身内や知人を亡くした人々が身近な場所に祈りの場を望んでいることを実感させられました。
ある日の夕暮れ、何もない鮎川浜で小さな女の子と母親が一輪の野の花を二人で持って、それは丁寧にていねいに砂浜に手向け、ひたすら祈り始めました。その姿を見た時、涙があふれ出て声をつまらせて、誰にはばかることなく大声で泣きました。祈りの場があったらなあと心から思いました。被災者のために祈りの場を創ろうと思い立ったのはまさにその時でした。 (続 く)




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3.11  みちのく巡礼への軌跡 
題目をクリックしてご覧ください
8.金華山・ 津波からの命がけの避難5       9.「生かされた命」―― みちのく巡礼の発端と津波の到達点を示す碑

  入院から数日は1日のうちの大多分の時間は眠っていたように思う。 
 主治医は日増しに病状が悪化する私の様子を見てさぞ心配だったのではないだろうか。初めの数日間は朝晩様子を見に来てくれた。患者の私よりもむしろ心配している様子が、表情から察知できた。若いので顔に出るのだろう。楽観的な私もその表情を見て不安を覚えた。看護師さんたちも他の患者さんのナースコールで来たついでに様子を見てくれた。こんな様子を観察していると、自分は容易ならざる事態なのだなと思わざるを得なかった。そして幾分死を意識した。
  カーテンも四六時中閉ざされていて周りが一切見えず自分がどんな状況の中におかれているのかさえ全くわからない。まるで孤独の世界だった。最初の5日間は妻が日中はずっとついていてくれた。これが安心感を与えてくれた。とてもありがたくもあった。
  意識が薄いのに妙に感覚が研ぎ澄まされている自分が不思議に思えた。
 死を意識したが、あまり死は怖いとは思わなかった。〈これまで7度も命が助かっているのだからまあいいか…〉という開き直りにも似た気持ちだった。
 自分が死に近づくと、死んだ身内のことを考えるという。私の場合、父のことを想った。実は、私の父親は脳梗塞で死亡したのです。《、自分も父と同じ病で死ぬのかなあ》と淡々と思った。
 父は入院する前日、家の中で転倒して敷居に頭を打ち付けていた。父は「たかがこぶができたくらいで病院なんかに行ってたまるか。大丈夫だ!」と言い張って、病院行きを渋っていたのだが、母が心配して病院へ行くことを強く勧めた。
 それでやっと承諾して病院行きを決めたのだが、直前まで卓球をしていた。そして「休養だと思ってちょっと出掛けてくるよ」と言って、午後3時ころに車で送られて行ったそうだ。ところがその晩、容態が急に悪化して意識不明になり、あっという間に死に至ったそうだ。
54歳というあまりにも若い死だった。

 私は、薄れる意識の中でも意外に冷静に物事を判断していたように思う。
 命をとりとめても寝たきりか、少なくとも重度の後遺症での介護生活を覚悟していた。しかし意外にまるで他人ごとのように冷静にそれらを受け入れていた。
 客観的に考えることが出来たのは、これまであまりにも無理をしすぎてストレスを貯めすぎたからだな〜と、その時自己分析出来たからだと思う。これまでの人生、無理を重ねてきた結果だと妙に納得していた。
 このまま死を迎えるにしろ、寝たきりになるにしろ、ゆっくり休めるな〜という気がしていた。 だからこの病気にかかったことは、天の思し召しであり自分に長期休養を与えてくれたとさえ思えた。そして、何かに行く末をゆだねるといった落ち着いた心境だったような気がする。(続 く)




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東日本大震災から4年7か月

犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます.。  合掌

毎月確実に月命日が巡ってまいります。


今朝は、窓の外では雨が降っています。

雨の日曜日ということもあって外は静かです。

今朝も早起きし、身を清め、、心鎮めた後、線香をあげ

合掌礼拝し、開経偈、般若心経、回向文を心を込めて読経させていただきました。

その後、私が祈りの楽器として弾かせていただいているタオライアーを奏でました。

心が込めて弾くと何とも言えない静けさ、さわやかさが広がってきます。

無心です。

心の赴くままに奏でます。

自分が安らげば、お亡くなりになられた方々の御霊(みたま)もきっと、やすらいでい

ただけると、時々思いながら奏でさせていただきました。
イメージ 2
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そのあと必ずやることがあります。

みちのく巡礼の原点となるこの散文です。

活動の多忙さに追われてついつい原点を見失いがちです。

この散文を読み上げて、自分を原点に立ち返らせております。

    凛とした背中

 古希を迎え 人生の集大成として

 とてつもなく大きいことに取り組みにはじめた

 東北六県に 「東日本大震災への祈りの道」を創ることだ

 

 私は 震源地に最も近い島 金華山で大震災に遭遇した

 建物崩壊の危機 がけ崩れ最中の津波避難 

 さらには巨大津波の高台襲撃を受けながら 3度も命拾いした

 

 天からか 大自然からか それはわからない

 何か大きな存在によって 生かされたような気がした

 「人のために役立て!」と ドンと背中を押された思いがした

 だから被災地に足しげく出向いた

 

  被災地の人々は手を合わせる場所がほしいと言う

 亡くなった身内や知人を悼み

 自分自身も癒される祈りの場があると いいな、と語る

 被災地以外の人びとも

 犠牲になられた方々に祈りをささげに行きたいという

 そんな願いに応えたいと思った

 

 震災一年後には 小学四年の孫と二人で 四国八十八ヶ所を歩いた 

 東日本大震災の犠牲者を追悼しながら 孫や四国の人々に震災を伝えた

 そんな経験から 

 東北に 震災犠牲者追悼のための巡礼地がほしいと思った

 これを創ることこそが 自分に課せられた使命だと 強く思った

 多くの人々に苦しみを与え 不安を抱かせ続ける放射能

 これらの記憶や犠牲の中から生まれた貴重な教訓を 

 後世に伝えなければならないと 強く思った

  今までの人生は これをやり遂げるための 基礎造りだったように思える

 この歳になって自分の背中に 今までとは一味違った 

 凛とした人生模様が描き加えられたような気がする



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  呼吸困難と頭頂部付近の頭痛が脳梗塞の前兆あるいは 初期症状だったのかも?
 
 身体がほとんど動かず外界への意識反応もほとんどなかった意識混濁の中で、内面の意識は不思議に働いていた。しかし、周囲の人々は外への反応のない私を心配していたに違いない。しかし、当の本人はまるっきり自分の世界の中で思考をめぐらしていたのかもしれない。
 そんな中、私が疑問に思っていたことは、入院の16日前にから起こった頭頂部周囲の頭痛と鼻呼吸の困難さだ。これについては、入院中時々考えていたし、今なお疑問で、興味深いのです。
もしかして、過度のストレスのせいだったかもしれないし、これが脳梗塞の前兆だったかもしれませんし、すでに徐々に脳梗塞が起こっていた症状かもしれません。とにかく当時の様子を紹介します。

3月20日の連休前日の金曜日、夕方から鼻づまりによる息苦しさと頭頂部の比較的的広い範囲で 軽い頭痛がした。
どうも時々起こる持病の蓄膿症による症状とはちょっと違うとは思ったが、あいにく病院が休院のため時々服用している蓄膿症用の漢方薬を飲んで様子を見るしか方法がなかった。
しかし、土曜日も症状が治まらなかった。
3月下旬でもあるし、ひょっとして花粉症の始まりか? 
という疑いも浮かんだ。
これまでは鼻が悪くても幸い花粉症だけは免れてきたのだが、そんな自分にもついに来るべきものが来たかという感じがした。
だが一方では花粉症ではないのではないかというはかない望みもあった。
れでこれまでの経験から、単なる蓄膿症ならば運動して血液の循環を良くすれば症状が治まるという思いもあり、翌朝ノルディックウォーキングに出かけてみた。
確かに歩いている時には朝の冷気で冷やされると症状が緩和した。
しかし、帰宅してみると余計に鼻の状態がひどくなった。
翌日もウォーキングの後状況が悪化したので、外へ出て花粉を吸いこんで花粉症が悪化したのか?という思いが強かった。
いよいよ花粉症であると確信せざるを得なかった。

だが、連休のため耳鼻科に行くことが出来ず、鼻づまりによる呼吸困難に耐えながらひたすら忍の一字であった。
夜眠れないのが一番つらかった。
わずかに、冷凍パックで冷やすと症状が和らぐことが唯一の救いだった。
暖房のかかっている部屋に入ると鼻が乾いた状態になるので、廃棄ガスか暖気アレルギーかもしれないとも考えた。いろいろ考えあぐねて何が何だかわからない状態だった。過度のナーバス状態だったと思う。

待ちに待った連休明けだ。さっそく耳鼻科へと向かう。マスクをした患者が大勢いる。〈みんな花粉症か〉と思う。1時間ほど待つと私の名前が呼ばれて診察室へ入った。診察室内の椅子に座って様子を見ていると、医師はまるで流れ作業のごとくてきぱきと患者をさばいてゆく。

いよいよ私の番が来て診察台に上がると、お医者さんはいかにも忙しそうにお決まり口調で「どうしました?」と一応尋ねる。私はオウム返しのように「もしかして花粉症かもしれません」と答えると、「どれ」と言って鼻の中を覗いた。「けっこうきれいですよ。一応鼻のレントゲンを撮ってみましょう」と言われ、少し待った後撮影を受けた。その後鼻洗浄をし、再び診察台に上るとまずレントゲンの説明を受け、「抗アレルギー剤を出しておきますので、様子を見てよくないようでしたらまた来てください」と言われた。本人はこんなに苦しんだのにいたって簡単だなと思った。

帰宅後処方された薬を飲み時々点鼻薬をさすが、一考に好転の気配がない。何がアレルゲンになっているのかわからず、不安といらいらがつのるばかりであった。
暖房の効いた部屋へ入ると花が乾いた状態になり、鼻づまりと呼吸困難が一層ひどくなった。毎日苦痛の日々が続く。
何がアレルゲンかわからず、それによるストレスははかり知れないものだった。
苦し紛れに思いついたのが、加湿型空気清浄器だった。
泉中央のコジマ電気へ駆け込み真剣に見回る。
店員にいろいろ薦められたが、苦しさから逃れるためには出来るだけ高級品が良いだろう――まあこれはきれいになりたいと願う女性の心理と同じだろう。
イオンタイプの空気洗浄機を38千円の大枚をはたいて購入した。
翌日、つまり第1回の来院から4日目に再び通院した。
「ずいぶん早いですね」と言うので、
もしかするとドライノーズではないかと言うと、医者は
「ドライノーズなら隣の薬局に薬が売っていますよ」
とちょっと不愉快そうだった。
隣の薬局でドライノーズ用の薬を買う。
成分を見ると、ネットで調べたとおり、基本的には食塩水の一種だった。しかし、ドライノーズ用点鼻薬はその時だけで、長続きはしなかった。
根本的にはほとんど快方に向かうことなかった。
そこで、何に対して反応するのか検査してもらうために46日に徳洲会病院に行った。
ここからが、「脳梗塞からの奇跡の生還1」の記事です。
1週間後妻が結果を聴きに行ったところ、全くどの花粉にも反応しなかったそうです。
 呼吸困難と頭頂部付近の頭痛はいったい何に起因するのでしょうか?
過度のストレスにによるものか、
それとも脳梗塞の前兆あるいは脳梗塞の初期症状だったのでしょうか?
 もし、この症状の時に耳鼻科ではなく脳の病院に行っていたら軽く手済んでいたのかもしれません。そんなことを考えても結果論ですね。



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