高校の世界史の教諭Y先生はなかなかの実力者で、歴史好きの私には聞き応えのある授業だった。
待ちに待った『東方見聞録』が出てきた。Y先生にいろいろと質問すると、「君はよく『東方見聞録』の中身を知っているなあ。読んだことがあるようだね」と言うので、ついそれに引きずられて「はい」と応じてしまった。そのあとで、お調子づいてつい口が滑ってしまい、「『東方見聞録』についてはオレのほうが先生よりも知っているかもしれません」と続けてしまった。一瞬,Y先生の顔がこわばった。<しまった>と思ったが,後の祭り。
だが、さすがY先生だ。さりげなく「それじゃ次の時間には、君に『東方見聞録』の話をしてもらおう。みんなも質問したいことを準備して来いよ」と何食わぬ顔で言った。ずしりとした重いパンチだった。それを聞いたとたん、教室中に茶化すような笑いが響いた。これには思わず頭にきた。こうなったら意地でも後へは引けない。これでかえって腹が据わった。
実は、私がそれまでに読んだこのがあるのは、子供向けの『マルコ・ポーロの冒険』と、東方見聞録の解説書だけだった。さっそく図書館で『東方見聞録』を借りて、受験勉強をそっちのけにして必死に読んだ。皮肉なものだ。そのことが「シルクロード」への関心によけいに火をつけた。それ以後は、シルクロードに関する情報にはアンテナを張り巡らせていた。
私が興味を持ったのは――「シルクロード」という言葉は、いったいいつごろから誰が言い出した言葉なのだろう、ということだった。今でこそシルクロードといえば、たいていの大人は、少なくても言葉は知っている。
だが、今から60年近く前のにはシルクロードという言葉はあまり使われていなかった。聞いても「それってなに?」って感じだった。
世界史や地理の教科書には、「『絹の道』は西域を横断する古代の東西交通路」と説明されていた。 ちょっと専門的になってしまうが…、「西域」という言葉は、 紀元前1世紀頃から中国で一般的に使われるようになったもので、狭い意味では現在の「新疆ウイグル自治区」を指し、もう少し拡げれば「西トルキスタン」――わかりやすく言うと「中央アジア」までも含むが、広い意味では、「中国から陸続きの西方の諸地域」ということで、ヨーロッパまでも含まれる。「シルクロード」は広い意味での西域を横断する古代の東西交易路である。
ドイツの地理学者リヒトホーフェンがザイデンシュトラーセンSeidenstrassen(絹街道)という語を使ったのが始まりで、この道を通って、古代中国特産の絹が西へ運ばれたために名づけられた。リヒトホーフェンは、中央アジアのオアシス群を結ぶ道(オアシスルート)をシルクロードと考えていた。だが、その後、東西交易についての研究が進むと、シルクロードの概念は西へ西へと拡大して、中国の西安(= 長安 =)から西アジアを経て、イスタンブールやローマに達する交易ルート全体をさすようになった。そこには、ユーラシア北方の草原地帯を通る「ステップルート」や、中国の広州あたりから東南アジア、インド洋を経て紅海にいたる「海のシルクロード」(南海ルート)も含まれる。
だが、わたしにとっては、子供の頃にあこがれた、マルコ・ポーロが辿った砂漠の道が「シルクロード」なのだ。キャラバンといえば、やはり砂漠の道が絵になる。
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