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妻との連絡が取れてほっとした後、他の仲間とここ(石巻市総合運動公園)で別れた。
みんなは避難所になっている石巻市役所に向かうと言っていたが、私は石巻と東 松島市に住む親や兄弟の消息が心配なので、歩いてそちらに向かおうと考えていた。
その前に救援物資の仕分けセンターへ立ち寄った。
鮎川の避難所で不足していて困っていたものを伝えてあげたいと思ったからだ。
お世話になった鮎川の人たちへ恩返しという思いに加え、
「生かされた命」を被災した方々のために少しでも役立てたいという思いも強かった。
自分自身で感じていた物は、乾電池、ローソク、マスク、毛布などだった。また、何人かの男性たちからも不足を訴えられていた物品だった。 私はこれらに加えて、「燃料や食料品、日用品などはもちろんですが、赤ちゃん連れの女性は、ミルク、哺乳瓶、オムツで困っていました」と答えた。 これらは赤ちゃんの生命線である。 「あるお年寄りは、夜中にトイレに起きるとみんなに迷惑がかかるので、ガマンしてから行くと、途中で漏れてしまう」と言っていたのを思い出し、「尿漏れパットなんかもあればいいと思うのですが」と伝えると、「なるほど連絡して取り寄せ可能ならば送りましょう」と、言ってくれた。
これで救援センターで少しは役立つことができたと、多少の満足感があった。
東日本大震災「祈り・伝承・防災・復興」みちのく巡礼
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2016年05月17日
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