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祈りの場づくりの原点になった母子の祈り
私のこの活動への直接的な動機は、身内を亡くした人々が強い悲しみの中でひたすら祈る姿でした。
震災から3日後、鮎川で避難所生活をしていた時のことです。夕暮れ近く、一人で浜に出てみました。少し離れた水辺付近で、小さな女の子と母親らしい女性がしゃがみこんで、一輪の野の花を二人で持って丁寧にていねいに砂浜に手向け、ひたすら祈り始めました。その姿を見たとたん、身内を亡くした母子だとピンと感じました。その瞬間、強い思いが込み上げ、噴き出すように涙があふれました。はばからず声を上げて泣いてしまいました。二人が祈り終えたとき、私はすごくちゅうちょしましたが、恐る恐る声を掛けました。私の第六感で、多分女の子のお父さんだと思ったのですが、“身内の方を亡くされたんですか?”と尋ねると、女性は“父ちゃんがまだ見つかんないんです。せめて写真でもと思って探してんです”と答えた。私には“見つかるといいですね。頑張ってください”としか返す言葉がありませんでしたが、“祈りの場があったらいいのになあ”と心から思いました。身内を亡くした人々のために祈りの場を創ってあげたいと思ったのは、まさにこの時でした。 避難所に戻ったその夜も、ラジオからは続々と犠牲者の情報が入ってきました。そして我々がいる避難所にも犠牲者のご遺体が運び込まれたという連絡が入りました。こうした現実を前にして、祈りの場づくりの思いがさらに強まりました。同時に、「地震後すぐ逃げさえすれば、2万人近くの人々が命を落とすことはなかったはずだ」と、悔しくてしかたがありませんでした。
今なお悔しい思いがいたします。震災の教訓を絶対伝えなければなりません。
そんな気持ちを強く持ちながら活動を続けています。
この1年、健康に留意して無理をしすぎないように頑張っていきますのでよろしく
お願いいたします。
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2016年01月16日
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