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たった5キロほどを3時間以上掛かって、やっと三陸自動車道の石巻・河南インター近にたどり着いた。付近にはイオン石巻店がある。店の建物を見たとたん激しい空腹感に襲われた。
思えば、朝食前に鮎川を発って来たので、前日の夕方5時以来、ろくにお腹に入れていなかったのだ。ものすごい空腹に加えて疲労困ぱいだった。この時、戦後満州から引き揚げて来る時、極度の空腹に耐え、命の危険を感じながら、何百キロも我が子の手を引いたり、背負ったりして歩き続けた母親たちのことを想った。それに比べたら、この程度のことは何ということもないさ、と自分を励ました。
鮎川の避難所で聞いたラジオで、―― イオン石巻店は避難所になっていて、店長が自分の判断で店の食料品を無料で避難者に配った。――という放送を耳にしていた。
〈もしかしてイオンには何か食べるものがあるかもしれない〉というほのかな希望が湧いた。半面、それを否定する自分もいた。〈食べ物なんか残っているはずはない。食べ物がなくてもとにかく腰を下ろして休みたいな〜〉―― こんな自問自答のような気持ちで、吸い寄せられるようにして建物の中に入って行った。報道されていた通り、ここは避難所になっていた。フロアーに敷かれたビニールシートの上に布団を敷いて、たくさんの人々が疲れ果てた姿で座り込んだり横たわったりしていた。
近くのおばあちゃんに「店にひょっとしてまだ何か食べるものは残っていませんかね?」と、あまり期待せずに尋ねると、
「ここの店長さんはとてもいい人でね、自分の判断で、店の商品を被災者のみんなに無料で配ってくれたんだよ。ありがたいよな〜」と感謝の気持ちを込めて言った。それを聞いた私は喜び勇んで店員さんに、昨晩からほとんど食べていないこと、これから歩いて矢本の実家の被害状況を確認し、そこから仙台まで帰らなければならないなどの事情を話した。
すると気の毒がって、「ちょっとお待ちください。探してみます」と言って、どこからかメロンパンを持って来て、まるまる一個提供してくれた。思わず〈こんな大変な時にまるまる1個も…〉と、驚きよりも感謝の気持ちでいっぱいだった。大震災以来、パン一個なんて食べたことがない。
終戦後で物が不足していた子供の頃ならいざ知らず、近頃はメロンパンを当たり前のようにあまりありがたみも感じないで食べていた。しかし、このパンは最高級料理よりもおいしかった。この時のメロンパンは、「一生で一番おいしいしかも感謝パン」になるだろう。この一個のパンは、「幸せとは何か」を強く感じさせてくれた。
まさに人生の恩人でもある。
大変な時、苦しい時だっただけに、温かさがずしんと心にしみた。
強い感謝がみちのく巡礼の活動への頑張りの後押しになっているのです。
東日本大震災・「祈り・伝承・防災・復興」
一般社団法人みちのく巡礼
ホームページ::http://michinoku-junrei.info
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みちのく巡礼「祈りの場創設と巡礼について」
1.祈りの場創設について
⑴東日本大震災物故者慰霊の対象: ①と②のいずれも可とします。
①すでに安置されている本尊や仏像など
②東日本大震災慰霊のために建立された像、碑、塔など
⑴巡礼開始時は「のぼり旗」(右図)による表示とする。
⑵のぼり旗は、巡礼開始より5年間はみちのく巡礼より毎年2枚ずつ提供する。
②東日本大震災慰霊のために建立された像、碑、塔など
3.納経帳(御朱印帳)への対応
⑴ 納経(御朱印) 希望する巡礼者には加盟全寺院で対応する。
⑵納経帳の作製:宮城県の加盟寺院数が33ケ寺に達した時点で、
みちのく巡礼用の式な納経帳を作製する。
⑶ 当面は、巡礼者が持参した納経帳へ墨書・御朱印等を行う。
⑷ 寺院側が不在の場合、あらかじめ墨書、御朱印済みのものを近くの店等に依頼するなどの方法で対応する。
⑸すでに他の霊場に加盟されている寺院の場合、東日本大震災慰霊目的の祈りであるか、他の霊場巡りなのかを確認した上で対応する。
5.巡礼開始
東日本大震災5年4か月の月命日である平成28年7月11日に巡礼開
始を予定している。る。
6.札所番号と巡礼コース
⑴札所番号を付ける時期
宮城県の加盟寺
4. 墨書・御朱印(納経)について
⑴「東日本大震災犠牲者慰霊」のための巡礼であるので、必ずその趣旨を
反映する文字等を表記する。
① 納経用紙を使用する場合
・「東日本大震災犠牲者慰霊 みちのく巡礼」の文字を印刷した納経用
紙に、墨書や御朱印の押印を行う。巡礼者が自分で納経帳に貼り付け
する。
・納経用紙はみちのく巡礼で用意して各寺院に30枚ずつ配布。
不足の場合は、みちのく巡礼事務局連絡する。コピーも可。
② 納経帳に墨書や押印する場合
納経用紙を用いない場合には「東日本大震災犠牲者慰霊 みちのく巡
礼」等の文字を墨書あるいは押印する。
③ ①②いずれの場合にも、印章は各寺院にて準備する。
④ 納経の内容は寺院に一任する。
墨書・御朱印の他、御朱印のみによる納経も可とする。
⑤ 納経料は300円とする。
5.巡礼開始
東日本大震災5年3か月の月命日である平成28年7月11日に巡礼を開
始を予定。
6.札所番号と巡礼コース
⑴札所番号を付ける時期
宮城県の加盟寺院が33ケ寺以上に達した時点で付ける。
⑵巡礼コース
寺院名、所在地、巡礼コースおよびロードマップをホームページ、ブログ、
Facebook等による発信、およびパンフレットで紹介する。
東日本大震災・「祈り・伝承・防災・復興」
一般社団法人みちのく巡礼
ホームページ::http://michinoku-junrei.info
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津波の悲惨な爪痕に心痛めながら石巻の街を歩く
三陸自動車道に行くにはどう行けばよいのか全くわからない。高校卒業してからほとんど石巻に来たことがない。すでに50年経つので、街の様子がすっかり変わっている。途中で何度か道を訊いたが、地元の方が教えてくれるのは、近道なのだろうが却ってわかりづらい。何度も迷ってしまった。
三陸自動車道の石巻河南インターは、山下よりは西に位置するはずなので、いくらかでも西へ進みたい―― その一心でそちらへ向かうと、未だに冠水していたり、道が陥没して深い水溜りになっていたり、がれきが道をふさいでいることもあった。
その都度、遠回りしたり、逆戻りせざるを得なかったりの繰り返しだった。。お金はあるがお店が開いていない。肉体知的な疲労に精神的な疲労が重なってほとほと参った。食べていないことも疲労をさらに大きくしていた。
私がかろうじて覚えているのは国道45号線と石巻駅だけである。そこで、悪戦苦闘の末、たどり着いたのは〈石巻駅へ行く〉という考えだった。結局、1時間以上のロスだった。
石巻駅付近までたどり着いて、〈矢本に立ち寄って仙台まで帰りたい〉と話すと、「それは無理だよ。市役所が避難所になっているからそちらに行くといいよ」親切にアドバイスしてくれた。―― 以前のさくら野百貨店が現在は石巻市役所になっている。山仲間も総合運動公園で別れるとき避難所へ行くつもりだと言っていた。 ―― しかし私は、どうしても早く仙台まで戻りたいという気持ちは動かなかった。
何人かの人に尋ねると、三陸自動車道に沿って走る農道は道路自体からはほとんど水が引いているので、そちらがよいと言う。山下で自分自身が思ったことと同じだった。とりあえず東松島市の実家までのル−トはめどがついた。今度は、多少遠くとも広い公道を教えてもらった。
それにも関わらず、地図がないのでとても不安だった。勘だけが頼りで、どこを歩いているのかよくわからなかった。もともと地理が分からないので当然のことだった。 かなりの地域でまだ水が引いていないし、未だに水没しているところや泥で覆われているところがかなりあった。 靴の中は泥水だらけで、歩くたびにピチャペチャ、グチャグチャと音がする。 現在は水が引いているところも、床上浸水した跡がくっきりと見えていた。 海から数キロも離れたこんなところまで水が襲って来たのかと、恐ろしくなるような光景の中をひたすら歩いた。 三陸自動車道石巻河南インターまで3時間以上もかかってしまった。結局、総合運動公園を出てから4時間半ほど以上歩き回っていたことになる。
疲れもだいぶ出てきた。 さすがの私も気力がなえてきた。早くどこかで休みたい。何か食べたい……。本能的な願望が、私の脳みそを占領していた。 (続 く)
東日本大震災「祈り・伝承・防災・復興」みちのく巡礼
目下、6月11日の巡礼開始に向けてけていろいろ準備を続けています。
5月30日は「みちのく巡礼札所会総会」です。 |
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高校時代のトレーニングコースを埋め尽くすがれき
市街地の見える場所から反対方向の海岸の見える場所に移動すると、日和大橋の向こうに牡鹿半島がみえた。その先端付近に金華山が位置しているが、ここからだと半島に隠れて見えなかった。大震災からのことが足早に思い出されたが、そんな余韻を吹き飛ばすように、眼下の海岸一杯に「がれきが原」が広がっていた。
この一帯はひばり野海岸と呼ばれ、高校時代陸上部の冬季練習でこの海岸と日和山のサーキットコースを走り回っていたことを思い出す。当時は砂浜ばかりだったが、その後住宅地として次第に発展し、門脇町、南浜町などの町名で呼ばれるようになった。
しかし、今は見渡すがぎり瓦礫で覆われている。
日和山のすぐ下の西光寺墓地もかなりの数の墓石がめちゃくちゃに倒れていた。
遠方には石巻市立病院が見えるが、おそらく内部はめちゃめちゃなのであろう。
石巻市立病院が機能しなくなったので、日赤石巻病院がフル稼働を余儀なくされたのだと後で知ったが、その時は想いが及ばなかった。
実家の被害が心配
仙台の自宅に早く帰りたい。元気な顔を早く家族に見せてあげたい。そんな思いが強く浮かんでくる。
東松島市の実家の家族は、一応生命は無事だと聞いているので幾分安心しているが、東松島市の津波被害も大きかったという報道を、鮎川の避難所でラジオで聴いていただけに、どうしているのか心配だ。
東松島市は石巻市から仙台へ向かう途中にある。実家は海岸から2キロ弱しか離れていないので、津波が到達している可能性が極めて高い。実家の被害状況を見るために、東松島市矢本に向かことにした。
私の母は東日本大震災より11か月前に亡くなった。こんな惨状を見ずに亡くなったことはむしろ幸せだったかもしれない…、と自分を慰めた。
そんなことを想いながら 日和山公園を後にして、海側を見ながら西に1キロほど進んだ。母校の前を通ったとき、高校2年生の時に襲って来たチリ地震津波を、グランドから半分は興味で眺めていたことを悔いの気持ちで思い出した。 山をさらに西に下って国道45号線に出るルートが東松島までは最短距離だ。だが、山下町まで下ってみると、“途中の大街道付近の道路はまだ水没している”という。仕方がないので、とにかくいったん内陸部へと向かった。三陸自動車道のすぐ脇の農道を歩こうと思った。道行く人に聞くと、「あそこもどうだかな? まだ水がかぶってるかもしれないが、とにかく行ってみらい」という。 そこで、その人の言う通り、とにかく行ってみることにした。とにかく、遠回りでもなんでもどこか通れる道を見つけて、仙台方面へ向かわなければならないのだ。選択の余地はない。
とにもかくにもそこからが大変だった。
(続 く)
「みちのく巡礼」の活動 主旨
東日本大震災「祈り・伝承・防災・復興」みちのく巡礼
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みちのく巡礼札所会総会
私は東日本大震災当日、震源地に最も近い金華山で3度の命拾いをして「生かされた命」を意識し、「身内を亡くされた人々のために祈りの場を創って差し上げる」ことを思い立って一人で活動を始めました。その後、多くの寺院ご理解をいただき、共に活動する仲間を得て、多くの皆さまのご支援をいただきながら、何も求めず、無心と感謝の気持ちで、手弁当で頑張ってきました。
活動開始から5年、法人化して2年数か月、お陰様で賛同頂いた寺院が30ケ寺以上になり、被災地巡礼ツアー、防災講演会、会報発行、次世代へ震災を語り継ぐDVD制作など、微力ではありますがお役に立たせて頂いているのではないかと思います。
2015年11月に各地区各宗派代表の10名ほどの住職と当法人理事、事務局長で構成する「巡礼地創設検討委員会」を設置し、巡礼地創設および活動や運営について検討してきました。これに基づき1月22日に「加盟に関する説明会」を開催し、まず、宮城県で正式加盟の寺院を募りましたところ、22ケ寺になりました。
みちのく巡礼加盟寺院(宮城県)(2016.5.27現在)
[県南地区]
1徳本寺(山元町) 2徳泉寺(山元町) 3称名寺(亘理町) 4浄正寺(山元町) 5恵洪寺(岩沼市)6龍島院(村田町) 7秀麓禅齋(名取市)
[仙台市]
8西光寺(太白区) 9賢聖院(青葉区) 10愚鈍院(若林区)
11昌林寺 仙台市若林区)
[石巻地区]
12願成寺(東松島市)13寿昌院(東松島市) 14禅昌寺(石巻市山下町)
15 洞源院(石巻市渡波) 16照源寺(女川町)17番松景院(美里町)
[県北地区]
18彌勒寺(登米市中田町)19寶性院(登米市津山町) 20徳性寺(南三陸町) 21清涼院(気仙沼市本吉町) 22地福寺(気仙沼市波路上)
寺院名に付した数字は、効率的な巡礼順番を示したものです。札所番号ではありません。
この加盟寺院の会を「みちのく巡礼札所会」と命名し、その総会を開催する運びとなりました。
1 日 時 平成28年5月30日(月) 15時00分
2 会 場 仙台新寺斎場清月記
〒984-0051 仙台市若林区新寺4-4-1
TEL.022-257- 5777
3 内 容
⑴ 総 会 15:00〜16:00
⑵ 情報交換会 16:00〜17:30
総会においては、会則、役員人事、運営、祈りの場創設と巡礼について協議しま
す。
情報交換会では、情報交換と共に各寺院間の横のつながり目的としております。
6月11日の巡礼スタートに向けて弾みをつけたいと思います。
みちのく巡礼祈りの場に掲げるのぼり旗を紹介します。
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