シルクロードへの熱想い 1.マルコ・ポーロとの出会い
シルクロードに興味をいだく人間で「マルコ・ポーロ」の名を知らない人はいないだろう。『東方見聞録』の中で、日本を「黄金の国・ジパング」と紹介した男である。――わたしが彼と初めて出会ったのは、小学5年生。担任のF先生は、わかりやすい面白い授業をする先生で、人間的にも立派で、学校中の生徒から人気があった。特に歴史が好きで、手振り身振り、ユーモアたっぷりで、社会の授業を盛り上げていた。いつもは隣とおしゃべりをしたり、おとなしいと思えば寝ている悪ガキどもも、社会の授業だけは楽しみにしていた。いつもとは打って変わって、教師のほうへ顔を向けて、たまには「はあ〜、それからどした…」などと、合いの手を打つほどの変身ぶりだ。
先生はマルコ・ポーロの『東方見聞録』(実は、マルコ・ポーロがアジア諸国で見聞した内容口述を、ルスティケロ・ダ・ピサが採録編纂した旅行記である)の話になると、いつもにも増して熱が入った。旅の話はことさら面白くて、多少の作り話も混じっているとは思っても、ついつい引き込まれて、目を輝かせて聞いていた。マルコ・ポーロが東洋に夢を膨らませたように、私もシルクロードの世界に夢とロマンを広げていった。『アラビアンナイト』や『シンドバッド』、はたまた「月の砂漠をはるばると、旅のラクダがゆきました…」を思い浮かべながら、夢と想像を広げていった。
『東方見聞録』には、日本は「ジパング(日本)は、カタイ(中国大陸)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で、莫大な金が採れて、宮殿や民家は黄金で出来ているなど、財宝に溢れている。人々は信心深く、仏様の崇拝者で、外見がよく、礼儀正しいが、人肉を食べる習慣がある」と書かれているという。
旅の話ならば少しくらいのウソが入っていたほうが却って面白がって聞いていたが、さすがに自分の国のこととなるとそうは行かない。少し抗議口調で「鎌倉時代には、ほとんどの民家が貧しかったので金なんかでできているわけはないし、宮殿だって平泉の金色堂くらいしかないんじゃないですか。それに、日本人が人食い人種だなんて、まったく面白くありません。先生はどう思うのですか?」と尋ねた。
すると先生は「私もそう思っている。宮殿や民家は黄金でできている、というのは、中尊寺金色堂についての話を聞いたものだといわれているんだ。実際、マルコ・ポーロは日本には来たことがないので、中国で聞いた噂話として書かれているんだ。
「東方見聞録」の黄金の国ジパングのモデルになったといわれている中尊寺金色堂
ところで、『ジパング』は日本の英語名「ジャパン」(Japan)の語源になっているんだよ。当時のヨーロッパの人々も、マルコ・ポーロの言っていた日本についての内容はあまり信じなくて、彼は嘘つき呼ばわりされたそうだよ。だが『東方見聞録』は、その後多くの言語に翻訳されて、手写本としていろいろな国に広まっていったん
だ。これがアジアに関する貴重な資料として重宝されて、後の大航海時代に大きな影響を与えるようになったのです。ジパングを目指して出航し、アメリカ大陸を発見したコロンブスも、この書を手元から離さなかったそうだ。なんと366箇所も書き込があったそうだよ」と答えてくれた。
こんなわけで、私はマルコ・ポーロに強い興味を持った。さっそく、1時間以上電車に乗って仙台の書店まで出かけた。なかなかいいものが見つからなかったので,書店のおねえさんに「マルコ・ポーロの本を探してるんだけど」というと「あなた小学生でしょう! これがいいんじゃない」と言って『マルコ・ポーロの冒険』という少年少女向けの本を出してきてくれた。本での最初の出会いだった」
1271年、イタリアのヴェネチアに暮らしていた17歳の少年マルコ・ポーロは父ニコロと叔父マテオに随行して東方へ旅立つことになる。道中でマルコは様々な体験や色々な人々との出会いと別れ、冒険を繰り返しながら成長していく。未来に向かって、理想に向かって突き進んで行くマルコ・ポーロ。未知の世界を切り開く意思の強さ、何処までも希望を捨てない精神の強さ……。感動で時には涙をためながら、一気に読みきってしまった。'''「大人になったら絶対にシルクロードに行ってやる!」"""――そう決意した。
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