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そえみみずへんろ道とお接待おばあちゃん
「そえみみずへんろ道」は、三十七番岩本寺経向かう、 中土佐町 から四万十町 にかけての昔からの遍路道である。この道は、土佐の中央部と足摺岬とを結ぶ道で、弘法大師も歩いた道であり、最初の四国遍路ガイドブックである眞念の「四国辺 ( へん )路 ( ろ )道 ( みち )指南 ( しるべ )」にも紹介されている。
ここは、一時遍路道としては使われなくなってしまったが、「へんろ道保存協力会」の人々によって復元された。
へんろ道の入り口付近に差しかかると、熟年
歩き遍路は、そういう人びとの「おかげ」で歩かせていただいている。へんろ道には、「おかげ」がいっぱい詰まっている。
登り口付近にあるヘンロ小屋31 そえみみず酔芙蓉(すいふよう)
この道に入ると、アスファルトの「酷道?」で押さえ込まれていた感覚が急に解き放たれた気がした。森の色、森のにおい、頬にあたる森の風の感覚、ふんわりとしたやわらかい土を踏む感触、そういった感覚が湧き水のようにわいてくる。
3度目の遍路の時には地元の俳人数人が詠んだ数多くの句が、木札に書かれて枝に下がっていてこれが森の中のへんろ道にいっそうの風情を与えてくれた。まるで、「俳句の道」と言ってもいいくらいだった。立ち止まっては読み、また歩く。
これを繰り返していると、いつの間にか厳しく長い「そえみみずへんろ道」も終わりに近づいていたという記憶がある。
4度目の遍路の時には、これが人生訓に変わっていた。これもまた良し。
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四国歩き遍路のこころと魅力
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心の世界 −自分を見つめ 自己をみがく―
心が穏やかになる
信仰心があるわけではないが、歩いているうちに知らないでいるうちに何か心穏やかになってくる。
何か自分の中に持っているこだわりのようなものが少しずつ取れていくような気がする。もちろんそのこだわりがすべて捨てきれたとは思えない。これから、二度、三度と回ればもっともっとこだわりが捨てられるのかと思う。はたしてどんなものなのだろうか? だからまた巡ってみたい。
裸の自分をみつめる
〈自分の心と向き合う遍路の旅は、かぎりなく険しく、はてしないものかもしれない―― と感じるときがある。
そして、〈これが人生なのかな…〉とも思う。
一人でいつも同じ環境にいては、それ以上は見えてこない。仕事から、家庭や社会といった俗世間から離れたときに、初めて裸になれる。
何にもとらわれない自分になれる。だから今まで見えなかった自分が見えてくるのだ。
遍路に来ると、たちまち俗世界から別の世界へ入ってしまう。本当に不思議だ。だから裸の自分に出会うことができる。
3度目の遍路をするまでの自分には、すなおに自分自身を見つめることは出来なかったように思う。すなおに見つめているつもりでも、無意識に仕事や家庭、人間関係など、何かのとらわれがあったと思う。
歩いていて無の状態になったとき、「あっ、そうか」と、裸の自分が見えてくるときがある。
もう一人の自分と出会う
遍路は刻一刻と時が変わり、ところも変わる。それにつれて心も変わる。まさに「無常」の世界といえるかも知れない。「一期一会」その時々で違った自分がある。
その刻一刻と変わりゆくのがお遍路なのだ――と言えるかもしれない。
子どもの時を思い出しながら歩いていると、自分自身が子どもに立ち返る
ときがある。そのときの自分はすっかり子どもになりきっている。子どもの
心に湧く折々の問いは、日常に馴れきっていた大人の心に何かをはっと自覚
させるようなことがしばしばある。今までの大人の自分を子どもの心で見つ
めている自分がいる――そんなことがしばしばあった。
四国遍路の魅力とこころ 記事一覧
クリックするとそれぞれの記事が開きます。
雲辺寺からの眺め
11.人生リセットの遍路旅へ
14.ドイツ館と撮影モデル
15.般若心経のふとん
16.子供たちから元気をもらう
焼山寺の遍路ころがし
40.仏さまとの静かな語らい
霧が立ち込めて幻想的な風情を醸し出している雲辺寺の参道
45.納経所あれこれ
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「四国歩き遍路」は心の癒しには絶好の場
私は四国八十八ヶ所の歩き遍路をするたびに
「自分発見や心の癒しに絶好の場だ」と強く感じます。
3巡目の遍路のとき、ひきこもりを脱却するために遍路に来たという23歳の青年と、3度同宿になって語り合い、その後も連絡を取り合いました。
彼は出会うたびに明るさと積極性を増しました。
無事結願して大学に復学しました。
現在は立派な社会人として活躍しています。
また7年前『15歳のお遍路』という本を読みました。
著者は3年間不登校でした。
しかし、一人で八十八ヶ所の遍路に挑戦し、困難を乗り切って歩き通しました。
多くの人々の温かさや自然に触れて、心が癒されたといいます。
また、自分を見つめ直し、自分が何をしたいのか、目的は何かが明らかになったとも語っています。そして、不登校を乗り切りました。
リストラに遭ったり、悩み事を抱えた多くの若者遍路たちと出会いましたが、彼らは
―― 多くの人々と出会い、自然の中に身を置きながら、困難に立ち向かい、裸の自分と向き合っているうちに、自立心が芽生えてきたと、共通して語ります。
私は教員時代、不登校生徒の立ち直りの困難さを、身をもって感じていました。
しかし現在は、自分の遍路体験や見聞を通じて、
「歩き遍路は、不登校、ひきこもり、ニート、非行からの立ち直りに有効だ」
と確信しています。
これらの対策で、苦慮している親や教員は多いはずです。
改善策の一つとして、「四国歩き遍路」に目を向けてみることを強くお勧めしたいです。
すでに、ひきこもり、不登校の立ち直りに「四国遍路」が取り入れられており、新聞やインターネットなどでも報じられています。
たとえば、「スローウオーク 四国88四国お遍路」では、ひきこもりや不登校からの立ち直りを目的として、集団で四国遍路をしています。
遍路本来の目的に加えて、集団に溶け込むトレーニングにもなり、素晴らしい企画だと思います。
23歳のひきこもり青年の心に響いた3つの光景
吉野川の中州の菜の花畑
父親から「だまされたと思って最低3日は歩いて来い」と言われた3日目なので、もう今日で帰ろうかな〜と思っていた時、一面の菜の花に心が癒された。こんな光景に出合えるのならもう少し歩いてみようかなという気持ちが少し湧いた。
焼山寺遍路ころがし一本杉の弘法大師像
青年は、「出会った瞬間は叱られているようだったが、その後、優しく包みこんでくれるようで、とても心が安らいだ。そして、最難関を乗り越えたことで遍路に対する自信めいたものが生まれた」と語った。
室戸海岸の勇壮な眺め
壮大な太平洋をを眺めながら3日以上室戸海岸を歩いているうちに、自分ももっと強くならなければならないと思うようになった。そして、自分はどのような生き方をしていくべきなのかを真剣に考えながら歩くようになった。「完全に僕を立ち上がらせてくれた恩人は室戸海岸です」と、高知の宿で強い決意を語ってくれた。
この時私は、「この青年は間違いなく立ち直る」と確信しました。 |
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こんなところにもお接待のこころ
「お接待」と言えばふつうは、地元の方々がお遍路さんに、食べ物や金品を提供してくれたり、いろいろな便宜を図ってくれることを思い浮かべることだろう。しかい、〈なるほど、これも「お接待」だなあ〉と思うことに、何度か出会った。
二番札所の極楽寺の朱色の山門を入ると、美しく広々とした庭園が広がっている。〈石と樹木をうまく配置しているなあ〉と、感心しながら庭を歩いた。手入れが実によく行き届いている。これを手入れする人の心持が庭を通して伝わってくるような気がする。こうした心遣いにもお接待の精神が宿っている。
2番極楽寺のよく手入れが行き届いた庭園
同じ二番札所で、手水場で使う柄杓の裏にマジックインクで氏名が書かれているのを初めて意識した。それ以後、注意して見ると、どの札所でも数人の同じ名前が書いてあった。きっとあらかじめ自分で記名した柄杓を寄進しているのだろう、と思いながら札所を巡り続けていた。ところが愛媛県の札所で、真新しい柄杓を持ってきて手水場に置いている人を見かけた。声をかけて話を聞いてみると、今まですべての札所で名前を見かけた人だった。車で巡拝しながら各札所に柄杓を寄進しているとのことだった。これは、まさしくお遍路さんからのお接待である。
柄杓の裏にはマジックで寄進者の氏名が書いてある
ある朝、手水場の手ぬぐいを交換している女性を見かけた。お寺の人かと思ったら、お話を伺うと近所の方で、毎日交換に来ているのだそうだ。
六十五番三角寺や八十四番屋島寺へ上る坂道で出会った老人たちから話を聞くと、早起きウォーキングクラブのお年寄りたちで、「山の上にある札所まで歩き、巡拝した後、寺を掃除することを日課にしている」とのこと。私が巡拝していると、お灯明のローソク台を掃除したり、境内を掃いたり、草取りをせっせとやっていた。庭園の剪定をやることもあるそうだ。最近は、この寺の観光ボランティアもやっている人もいるとのこと。
二十七番神峯寺の庭園は、地元の造園師の方が、自分がお遍路したときに受けたお接待に対するお返しの気持ちで、何年も掛けて自らの手で造り上げたものである。多くのお遍路さんの目を楽しませている。
疲れを忘れさせる神峯寺の庭園
お遍路の心を癒すために、自宅前の遍路道に花を植えたり、国道の随所に花壇が設けられてあるのも、お接待の心から出たものであろう。
遍路道のあちこちに遍路用無料休憩所やあずま屋があり、いざというときには寝泊りができるようになっている。また、寝泊りのできるバス停がある。戸がついており、内鍵がかかるようになっているところもある。
こうした、行為や心遣いはすべてお接待の心に他ならない。
足摺岬の遍路小屋にて
四国遍路の魅力とこころ 記事一覧
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雲辺寺からの眺め
11.人生リセットの遍路旅へ
14.ドイツ館と撮影モデル
15.般若心経のふとん
16.子供たちから元気をもらう
焼山寺の遍路ころがし
霧が立ち込めて幻想的な風情を醸し出している雲辺寺の参道
45.納経所あれこれ
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生かされて歩く喜びとあふれる出る感謝
毎日歩き続けていると、「自分ひとりの力で歩いているのではない」という想いが、日増しに強くなっていく。
「われわれ遍路がこうして歩けるのは、四国の人びとの多くの支えがあるからだ。遍路道周辺の人びとの温かい気持ちに囲まれながら歩いているのだ」と、つくづく思えてくる。
歩くという動作だけを考えれば、歩いているのは、確かに自分の二本の足だ。だがそこには、足を守ってくれる靴があり、靴下がある。それを作ってくれた人がいる。
人が作った道の上を歩いている。山道だって自然のままではない。その道を踏み固めたり、補修してくれる人がいる。草を刈り、道しるべをつけてくれる人がいる。
道の周りを見れば、心を和ませてくれる花があり、木々がある。鳥も鳴いている。のどの渇きを癒してくれる清水もある。こういういくつもの縁 ( えにし )が私の歩みを支えてくれているのだ。〈それを意識しなければ、罰が当たる……〉。そんな気持ちが自然にわいてくる。そして、森羅万象すべてに感謝したい気持ちなる。幸福感も感じる。思わず目頭が熱くなるときもある。「俗世界」に戻っても、この気持ちを持ち続けたい……そう強く感じていた。
四国遍路の魅力とこころ 記事一覧
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11.人生リセットの遍路旅へ
14.ドイツ館と撮影モデル
15.般若心経のふとん
16.子供たちから元気をもらう
45.納経所あれこれ
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