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本音は訊くにあらず漏れいずるもの
お遍路さんの中には、さまざまな苦しみや悲しみをかかえて四国を巡礼し、心のよりどころを得たいと願っている人も少なくない。私は、そのような人と何人か出会った。こうした人びとの多くは、他人に話を聞いてほしいと願っているようだ。
58番仙遊寺の観音菩薩 観音様は苦しんでいる人たちを救ってくれると言われている。
昔から、遍路の動機を聞くことはタブーとされてきた。だが、これも時と場合によるのではないだろうか。もしも、一緒に歩いている相手が何か打ち明けたがっていると感じ取ったら、自然に話しを切り出しやすいような雰囲気を作ってやることも思いやりではないだろうか。相手がこちらの気持を感じ取ったら、自然に話し出すにちがいない。
愛媛県の女性Mさんとは最後の三日間ほど道連れになり、同じ日に結願した。
彼女は大変気の毒な経験をしている人だ。お遍路に来る一年前のこと、元気だったご主人が突然亡くなり、そのショックで姑さんが倒れてしまった。そのためMさんの娘さんが、車で急ぎ病院まで駆けつけようとしたが、途中で交通事故に遭って命を落としてしまった。そして、後を追うようにして姑さんも亡くなった。結局二ヶ月の間に、ご主人と娘さん、姑さんというかけがいのない家族を三人亡くし、息子さんと二人だけになってしまった。
二人とも精神的に大きな打撃を受け、彼女はそれ以後心身ともに体調を崩し、通院が続いた。息子さんの方は、「死んだ姉さんのためにも、自分がもっと強くならなければ…」と言って、3人の供養と自らの立ち直りのため、歩き遍路に旅立ったという。そして、みごと結願した。息子さんの勧めで自分も遍路に来たとのことだった。お遍路に来てだいぶ回復し、立ち直りの自信がついたとのことだった。また、心機一転の明るい遍路をしている私と行動をともにし、「自分も明るく生きていかなければ…」と、勇気をもらったと感謝の言葉を述べてくれた。少しでも人助けの役に立ててよかったと思う。
お遍路は人生の苦しみを癒し、
生きる喜びを与えてくれる祈りの旅
心に重いものを抱えた人が、四国遍路でその重荷を下ろしてゆく。そして、それからの人生を生きていく…。歩き遍路の魅力は、人間の本来の心を、もう一度自分に思い起こさせてくれるということだと思う。人間には、よみがえる力が必ずあるはずだ。苦しんだり、疲れたり、悩んだり、いろいろなことがあると思う。そんなときには、八十八ヵ所をゆっくりと歩いてみてはどうだろうか。あっという間に元気がよみがえるに違いない。そして今までのしがらみや重いものから次第に解放されていくのを感じるに違いない。
「悩める人よ、いざ来たれ! 四国遍路へ」
また、苦しみを持った人でなくても、今までの苦労が忘れることができる、というよりも、消化される場でもあると思う。
お遍路は「人生の苦しみを癒し、生きる喜びを与えてくれる祈りの旅」ということができるのではないだろうか。
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四国歩き遍路のこころと魅力
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がまん、がまん、ここはがまんだ!
七十三番出釈迦寺には、早朝6時10分ごろ到着した。
境内には誰一人いない。一番乗りは、初めての経験で誇らしい。
ローソク立てもきれい掃除されていて、お線香たての灰はきれいに盛り上げられて平らにならしてある。やはり、最初の灯明や線香は気分がいいものだ。
自分のお灯明と線香が一番乗り
入念に巡拝したが、それでも納経開始時間にはまだ15分以上ある。その日はたくさんの札所を回る予定なので、早く宿を出て来た。だから内心、早めに納経所が開いてくれればいいなと思っていた。ところが7時になったが、誰も来ない。インターホンがあるので声をかけることもできるが、「待つことも修行」と自分に言い聞かせて、待とうと思った。
そして、何気なく正面に張ってある紙を見ると、
がまん がまん ここはがまんだ どんな長雨も いつかはやむ と書いてある。 思わず、どきっとした。自分の心の奥が言い当てられたような気がした。あまりのタイミングのよさに、神がかり的なものを感じた。これでは、〈いよいよ待つしかない〉と腹を決めた。そう思うと、焦りがまったく出てこない。〈自分にもこんな「腹のすわり」があったのか〉と感心するほど、落ち着いた気分だった。不思議なほどすがすがしい気分にもなっていた。
7時10分ごろ女性があらわれた。 「お待たせしてすみません。あなたがずっと前からいらしていたのはわかっておりました。よくお待ちになりましたね」と、やさしく言ってくれた。この言葉で、〈待った甲斐があった〉と、すなおにうれしくなった。まるで、先生からほめられた小学生のようだった。 〈自分にもこんなすなおさがまだあったのか〉と、ますます嬉しくなった。 あとからわかったことだが、その女性は、住職の岡田幸恵さんだった。 |
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義父(妻の父)が4日前に亡くなり、夫婦の両親がすべてこの世を去った。さびしいことだ。
葬儀の後で義姉(妻の姉),、妻、わたしの三人で親たちを偲んだ。その折、義父の話から私の母に話題が移った時、私は子供のころ太っ腹だった祖母と比べて母はとてもけちだと思っていたというと、妻は「お義母さんはとても『しまり屋』だったけど、出すべき時には惜しまずにポンと出す人だったわ」と言った。それを聞いた私は、子供のころに母がお遍路さんにお接待をしたときのことを思い出した。
4,5歳のころ、宮城県にある実家の店先に、白装束を着て鉄鉢を持った人が現れた。母が二言、三言ことばを交わしていたが、当時としては高額の百円札―― 現在なら1万円くらいの価値だったと思う―― を金入れから取り出して来て、
「遠ぐまで難儀でござりすね。気いつけで行ってけさいね」
と言って、深々と頭を下げながら差し出した。
その時、私は〈え~、けちな母ちゃんが…〉と、すごい驚きだった。何せわたしの郷里では、子供が百円札を持って買い物に行くと警察ににつかまると言われていた時代だ。母と言えば、5円や10円の小遣いをくれる時も、いちいち使い道を訊いて「むだ使いするんじゃないよ」と言っていた。
その人が去った後、母は、
「四国遍路さ行ぐんだって…、大変だべな。どういうわけがあるんだべな…」と、真剣な顔で言った。当時のお遍路は――まして遠方の東北からわざわざ出かけるのは――深い事情を抱えた者がするというイメージがあったにちがいない。母のこの言葉が何を意味するのかは子供の私には知る由もなかったが、このシーンはとても印象的だった。
これが、「お遍路」という存在との最初の出会いである。母のていねいな応対ぶりと、その人の白装束とに、神聖さと畏敬の念を感じた。そして「四国遍路」という言葉が妙に頭の中に残った。大人になったら自分もお遍路してみたい……と、なんとなく感じた。隣県山形の、羽黒山修験者の修業的なイメージをダブらせていたのかもしれない。
月山登山中に出会った、出羽三山を修行する修験者たち
思えば、母の行為はまさに「お接待」だったのだ。東北に住む母は、当時その言葉は知らなかったに違いない。幼いときのこの出会いが、私に「四国遍路」を意識づけたことは間違いない。
足摺岬にて 子供のころに出会ったあのお遍路さんは、はたして
ここまでたどり着くことができのだろうかと、しばし思いにふけった。
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豪雨の中を雲辺寺の激坂に挑む
青空屋の主人と別れてからも相変わらず大雨が続いている。国道192号線の上り道を2キロほどの進むと、愛媛県と徳島県の県境「境目トンネル」に到達した。このトンネルは初めてだ。前の2回はこのトンネルが出来ていないので、きつい峠を越えていた。長さ855mの境目トンネルは狭くて怖いし、おまけに排気ガスで息苦しさを感じた。だが大雨から解放されてありがたかった。トンネルを抜けてから1キロちょっと進んで左に折れ、遍路道に入った。キャンセルしてしまった「民宿岡田」の前を通過するときは、実に複雑な気持ちだった。好天で足が健在ならば、気軽に通り過ぎただろう。だが、足の痛さを押してのこれからの強行軍を思うと後悔の念もあった。でも、こんな激しい雨に見舞われるなんて予想しなかったのだから、悔いても始まらない。あくまで結果論だ。
さらに1キロ歩くと、徳島自動車道の手前からいよいよ難関「雲辺寺の遍路ころがし」が始まった。いきなり激しい坂だ。この坂道は1.5キロ進む間に400メートル近く上る。この急坂は完全に激流状態だった。滝のように雨水が流れ下って来る。水がひざまで来る所もあった。水に押し戻されて中々進めない。足が滑って何度か転倒した。四つん這いでないと上れないところもあった。白衣が泥衣に変わった。この恐怖的な激流がいっそう孤独感を与えた。これまでの遍路で一番の苦難だ。〈大師様もずいぶん厳しい試練を与えてくれるものだな~〉と恨めしくなった。一方では、〈自分が決断したんだから後悔するな!〉と戒める自分がいた。
以前、元気で晴天の時は、ここを1時間足らずで上った。
だが、今は事情が全く違う。この道が激流に変わっている。豪雨で目を開けているのがやっとだ。 あたりの様子が全く分からない。
焼山寺の遍路ころがしは平坦なところやくだりもあるが、こちらはほとんどが急坂でゆっくり休めるところがない。
これぐらいの豪雨の中での登山は何度か経験がある。だから、今回も精神力で乗り切れるだろう―― そういう自信はあった。だが、無理しすぎて、足の怪我が悪化して歩けなくならないか? という不安がよぎった。こんな弱気の虫さえもたまに湧いた。 今さらそんなことを考えても始まらない。第一ここから逆戻りなんかできはしなない。今は後のことを考えずに頑張って上るしかない―― 。そう自分を鼓舞すると、迷いは全くなくなった。 「激流遍路道」をひたすら登り続けた。
上りがやや緩やかかになったと思うと、林の激坂から舗装道路に出た。どっと緊張がほどけた。
皮肉なことに雨が小降りになってきた。 〈悔しい!逆ならよかったのに…〉。〈神様がわざわざそうしたのかな〉と自分を慰めた。
ほっとして初めて時計と高度計を見た。ここは標高665mの地点。以前のほぼ2倍の2時間掛かったことになる。だが気持ちの上では、もっと長い3時間程は歩き続けただろうと思っていた。それでも、〈よくやったな〜。自分をほめたいよ〉という、満足感もあった。このめりはりが歩き遍路の醍醐味なのだ。
霧の中から見えた景色はまるで墨絵の世界だった。苦あれば楽ありか…。人生そのものをここでも味わったような気がする。だからお遍路はやめられないのである。
910m地点にある雲辺寺まで、あと標高差250mの上り、距離にして2キロだ。頑張ろう!
これまで苦しんだだけに、この道は、比較的楽に感じられた。
どこか幻想の世界に入ってゆくような感じ
六十六番雲辺寺に到着するころにはすっかり雨はやみ、霧の中から山門がうっすらと見えてきた。
幻想の世界の入り口のように感じた霧の雲辺寺山門
山門の前に立って「よろしくお願いします」と一礼すると、「よくがんばったな~」という褒め言葉が聞こえて来るような気がした。
霧に煙る幻想的参道をゆっくり歩むと、まるで幽玄の世界に入ってゆくように思えた。自然の霊気を感じる。 人影がまったくない。幽遠の世界をただ一人独占している感があった。
五百羅漢 大師堂 民宿「青空屋」
雲辺寺を打ち終え、少し下って空を仰ぐ。打って変わって抜けるような青空が広がっていた。まことに爽快な気分。快晴になったせいか、足の痛みも薄らいだ。心晴れ晴れで坂を下る。
民宿「青空屋」へ到着してみると、農家をリフォームした落ち着いた造りだった。古い家の格調と新しい感覚とがとてもマッチしている。
ここは、脱サラした中山典彦・里美さんご夫妻が開いた宿である。自分が四国遍路した時に四国の人びとに大変お世話になったので、その恩返しの意味もあってお遍路民宿を始めたという。お遍路さんは晴天を望んでいるだろうという気持をこめて、「青空屋」と名づけたそうだ。二人の対応がういういしくてさわやかだった。
中山さんは、お遍路さんが山で迷わないように雲辺寺周辺の遍路道を時々草刈をしているそうだ。
私が仙台の人間だと知って、以前ここでお世話になった秋田県のお遍路さんが送ってくれたとっておきのお酒を出してくれて二人で語り合った。
遍路の最も大きなことは、「自由」だと強調していた。まったく同感だと意気投合して、遅くまで遍路談義で盛り上がった。
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見ず知らずの人を自然に信じる
六十五番三角寺から六十六番雲辺寺へ向かう途中、番外霊場の椿堂でも参拝した。お参りを済ませて出発して間もなく、ぽつぽつと雨が降り始めた。
65番三角寺 本堂
階段を下って雲辺寺に向かう。
別格20霊場14番 常福寺(椿堂) それが5分も歩かない内に急に大雨に変わった。カッパを着る間もないほど急激で、すっかりぬれてしまった。それからカッパを着ても、どっちみち汗でビショビショになるのが落ちなので、ずぶぬれになりながら歩いた。
すぐに足が冷えてきて怪我した足が痛んできた。四十四番大宝寺から次の岩屋寺へ行く山道で、過信から無謀な下り方をして痛めてしまった。10日経った未だに軽いびっこを引きながら歩いている。痛みをがまんして歩いていると、足を引きずるほど痛み出した。体全体が冷えてきて、気力もなえてきた。ただ向きになって歩いているといった感じだった。追い抜いて行く車が、誘いのクラクションを鳴らしてくれる。
〈もうこんなに無理をすることもないか…。すなおに乗せてもらおう〉という気持と、〈せっかくここまで歩き通して頑張ってきたのに…〉という気持が闘っている。これから雲辺寺の遍路ころがしを上るのかと思うと、心細さも出てきた。〈無理して山の途中で歩けなくなったらどうしよう〉という不安な気持も頭を持ち上げてくる。
しかし、自分の慢心をいさめるための試練から逃れては絶対だめだ―― と言い聞かせた。
そう決心して雨に打たれながらさらに30分ほど歩いていると、(現在ヘンロ小屋37号「しんきん庵・法皇」がある付近)前方から来たワゴン車が停車した。ドライバーが「今日のお宿はお決まりですか?」と声をかけてきた。そのような声がけは初めての経験だし、聞いたこともないので一瞬びっくりした。また、車のお接待と称して悪い人も出始めていたので警戒心も持った。だが、どうしようもない孤独感から解放されたかったし、人恋しくもあった。自然にその声に反応して、思わず「まだですよ」と答えた。信用する気持ちになっていたのだろう。
「この雨なので、車の中で説明します。よかったらどうぞ」と言うので、ワゴン車の中へ入って説明を聞いた。開業してから1ヶ月くらいの宿で、民宿「青空屋」と言うのだそうだ。自分は今日中に雲辺寺を打つために、一度予約した「岡田屋」を昨日キャンセルしたのでまだ宿を決めていなかった。渡りに船のような気持ちで、宿泊をお願いすることにした。
「この大雨の中、足が痛いのでは大変でしょう。雲辺寺までお送りしますよ」と言ってくれたが、「せっかくここまで何日間も足を引きずって歩いて来たんです。自分に負けるわけにはいきません。せっかくのご厚意ですが、お断りさせてください」と頭を下げた。そして「リュックをお預かりしましょう」と言う主人の提案に応じて、宿まで運搬してもらうことにした。まことに自然な流れだった。不思議なほどにまったく疑う気持ちは持たなかった。
巡拝用具だけ持って身軽になった自分は、豪雨の中を再び雲辺寺へ向けて歩き出した。だが、これまでの3度の歩き遍路の中で最も心細さを感じていた。せっかくの「救い人」と、みすみす別れたことを半分は後悔していた。
(次回に続く)
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