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金魚姐さん
32日目、朝6時過ぎ道後温泉を出発し、山頭火の終焉の地である「一草庵」に立ち寄った。
五十二番太山寺では、3体の薬師如来像が印象的だった。投句箱があったので、2句投句したが、内容は全く覚えていない。
五十三番円明寺では、大師堂をお参りしてふと左奥を見ると、すみのほうにキリシタン灯篭がひっそりと立っていた。高さ40センチほどで、十字架とも思える形の灯篭で、合掌するマリア観音とおぼしき浮彫の像が見られた。ささすが寛大な弘法大師の寺だけのことがあるな~あと思った。拝み終えた所に女遍路がやって来て、彼女はちょこんと頭を下げた。
昼食を取った後、午後2時半ごろその日の宿泊地の北条に向かって県道を歩いていた。怪我した足を引きずっての歩きなので、自分でも歯がゆいほど歩みが遅かった。ふと向かい側の歩道を見ると、先ほど五十三番円明寺でちらっと見かけた女遍路が私を追い抜いて前方に歩いて行くのが見えた。〈足に自信のある自分が女遍路に追い抜かれたのはちょっと悔しい〉と、またまた競争心が頭をもたげる。信号でストップだったので向こう側へ渡ると、女遍路も信号待ちだった。「こんにちは」に始まり、会話を交わすと、その日の宿が同じだった。では、「ご一緒に」と、連れ立って宿まで歩いた。
次の日、当日の宿五十八番仙遊寺宿坊でも同宿だということなので、その日も道連れになった。女遍路は 愛知県からやってきたMさんといい、 亡くなったご主人の供養で、区切り打ちで回っているのだそうだ。ところが仙遊寺では、「久百々」での夜を楽しんだ東京のKさんとまた同宿になった。まったくの驚きだった。さらに驚いたことには、MさんとKさんは五度も一緒に歩いたことがあるとのことだった。Mさんは、金魚の名産地・弥富にちなんで、Kさんから「金魚姐さん」と命名されていた。
その晩は3人で旧交を温めて、遅くまでの語らいとなった。例によって、Kさん持参の「キハダ焼酎」で盛り上がった。
とても穏やかな仙遊寺の観音像
59番国分寺本堂
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四国歩き遍路のこころと魅力
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『四国八十八ヶ所めぐり お砂踏み』が,
四国八十八ヶ所霊場開創1200年記念事業として、仙台空港で開かれました。
仙台空港は、東日本大震災の折、津波に襲れましたが、多くの乗客や地元の人々が3階に避難して命を救われました。
災後1年②〜仙台空港の被災から復興まで(クリック)
こうした点を考えても、仙台空港はこの催しにふさわしい場所と言えると思います。
四国八十八ヶ所各寺の「出開帳ご本尊」が、通常は有料待合室となっている祈りの部屋に、札所の順番に並べて祀られていました。(チラシ右下のイメージ写真)
「出開帳」というのは、ご本尊をお寺以外の他の土地に出張して行う開帳のことです。 「出開帳ご本尊」は、著名な仏師松本明慶さんの作です。
「お砂踏み」とありましたので、札所境内の砂が入った袋が、ご本尊の前に置かれているのかと思ったのですが、そうではありませんでした。、ご本尊の前に敷かれた緋毛氈の下に砂が薄く撒かれているようです。
私は5月23日に行ってきました。
とても感動しました。
私は四国歩き遍路を4度結願しておりますので、実ははじめはあまり行く気がなかったのです。しかし、知り合いがぜひ行って見たいので、経験者の私にも一緒に行ってほしいということで同伴したのです。
ところが予想に反して、待合所はいっぱいの人で溢れていました。私たちは3時間も待っていました。その間ほとんどおしゃべりもなく、落ち着いた雰囲気でした。祈りの部屋では、みなさんが熱心に拝んでいらっしゃっいました。これには心打たれました。むしろ、四国八十八ヶ所の札所よりも厳粛さを感じました。来て本当に良かったと思いました。
また、四国八十八ヶ所霊場会の淵川法仁さんとお知り合いになり、次回の遍路で善通寺を訪ねた祈りの再会を約しました。
ご本尊が安置されている部屋は撮影禁止でしたので、それ以外の場所の様子をご覧ください。
仙台空港外観
空港ビル1階
遍路スタイルの人形
四国八十八ヶ所霊場の説明 |
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遍路道での遍路同士の出会いはうれしいものだ。男女の区別も年齢も仕事や立場もまったく無関係で、ただの人間関係になれる。道中の苦しさをともに経験してきた歩き遍路同士は、日常の生活から離れ、本来の人間同士の付き合いを取り戻しているからに違いない。
すぐに打ち解けあい、心開いて、自分自身の素直な言葉が出てきて、楽しい会話になる。すぐ分かれるのが心残りでしばらく一緒に歩くことが多い。しかし、それもある一定区間だけで、いつまでも行動を共にすることはない。これがお遍路さん同士の暗黙のルールなのかもしれない。だが、その日の宿が一緒だったり、意気投合したりすると「それじゃ、きょう一日ご一緒しましょう…」などという具合になるときもある。その後ずっと行動をともにする場合もまれにはある。遍路がご縁で…、などということもあるそうだ。
東京のSさんとは、何度も出会いと別れを繰り返した。
初めて会ったのは、初日に泊まった、一番札所付近の「つしまや」だった。彼は坊主頭だった。見たところ若い感じがしたので、「三十歳後半ですか?」と訊くと、「いや、こう見えても五十代です」とのことだった。いろいろなことを話すが、不思議にどちらからも同じ宿へ泊まろうとは誘わない。ところが、何度も同じ宿になった。なんとなく、別れるのは寂しいが、「また、ご縁があったらお会いしましょう」と言って、割合にあっさりと別れる。
再び出会うと、「また一緒になりましたね」と言って、宿では酒を飲んで語り合う。別れがたくて別れた人との再会はよりいっそうに楽しい。それがわかってから、その後は再会を楽しみにして別れることにした。別れることはまた会うことの始めなのだ…。
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心がはだかになり、もう一人の自分と出会う
遍路に来ると、たちまち俗世界から別世界、言い換えれば「非日常世界」へ入ってしまう。本当に不思議だ。日常のわずらわしさ、人間関係、仕事のノルマ、曜日だってまったく無関係。世の中で何が起こっていようが、何も関係ない。俗世界の中を歩いていても自分の周りには、目に見えないバリアーがはられていて、それが俗世界と遍路の世界を隔ててくれる。
「日常世界」では、常に何かしらのしがらみがある。すなおに自分を見つめているつもりでも、無意識の内にどこかに「とらわれ」がある。今までの自分も、すなおに自分自身を見つめることは出来なかったと思う。多かれ少なかれ、ほとんどの人がそうではあるまいか。また、いつも同じ環境の中にいたのでは、それ以上は見えてこない。
人々の生活の中を歩き、人々と触れ合っていても、人々がその「お遍路世界」というバリアーの中に入ってきてくれて、お遍路世界の中で会話を交わしてくれる。そんな気がした。まったくの別世界だ。人通りの多い街の中や、自動車がひっきりなしに走っている国道を歩いていても、俗世界を離れた別の世界にいるように感じる。とても不思議だった。
他のお遍路さんをみても、誰もかれも自分は浮世とはまた異なった世界を歩いているといった匂いを漂わせている。
非日常の世界であるお遍路では、心がすなおになっているので、なににでも感動できる。
日常ではうずもれている感性が呼び覚まされてくるのだと思う。すなおになれれば、感動がストレートに出てくる。青い空を見上げただけでも喜びがこみ上げてくる――そんな世界なのだ。
私はお遍路世界に身を入れたとき、――環境も変わり家庭や社会といった俗世間から離れたとき――、利害、思惑、将来を踏まえての行動、自己抑制……、そんなことからすっかり解き放たれた。そして、またたく間にすがすがしい気分になれた。心がすごく軽くなったような気がした。まるで、心が洗われたようだ。
「見栄を捨てれば心が楽になる」。これも強く感じた。遍路中は、まったく見栄を張る必要がない。本当に気持が楽だった。
自然は人間の殻を破ってくれるような気がする。分別だとか、理屈だとか、ましてや小ざかしさだとか…、そういうものを取り去ってくれる。取り去るというよりも知らない間に溶かしてくれる、と言ったほうがいいのかもしれない。《自由に、すなおにものを考えることができる!》――これを「裸になった」というのだろうか。
いろいろな場面で、〈自分にはこんな面があったのか〉、と気づかされることも多かった。今までにはなかったいろいろな自分を発見することがあった。実は、お遍路で見える「今までなかった自分」は、もうひとりの自分ではなく、「本当の自分」ではなかったのか。だだ、日常のいろいろなしがらみに忙殺され、潜在意識の中に深く閉じ込められて、気づかなかったのではないか。どこかにしまい忘れていた大事なものが出てきた…、思いがけなく見つかった。そんな気がする。
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お接待を思う
お接待にはいつもながら心あたたまるものを感じた。これは長い旅を続ける遍路にとってどんなにか心の支えになるか知れない。
見ず知らずの他人に、無料でお茶やお菓子をふるまったり、現金をくれたり、時には一夜の宿まで提供する――こんな行為は日常ではまったく考えられないことだ。お遍路でなければありえないことだ。私は、お接待の存在は遍路へ出発する以前からよく知っていたが、それでも最初はとまどいを感じた。
お接待には、思いやりが感じられる。ねぎらいがある。恩を着せるとか、憐れみをかけて優越感を味わうとか、そういうことが微塵も感じられなかった。とにかく純粋な気持が伝わってきた。お接待の背後には、施与によって自分も徳を積んだり、ご利益が得られるという信仰が昔からあるが、お接待をしてくれる人はその気配をまったく感じさせない。
「お接待をするのは、他人 ( ひと )のためでも自分のためでもない…」と言う人がいたが、たしかにその人からは「何かのためということを超えて、何か大きなものに導かれてそれをしている」と感じられたのである。
四国の人の心の中には――とりわけお接待をしてくれる人の中には、「お大師さん」が生きている。ある中年女性は、「こうして元気に生かしてもろうているのは、お大師さん始め、みなさんのお陰なので、少しでもご恩返しができたらと思ってやらさせてもらってます」と言っていた。「お大師さん」への感謝の気持が、「お接待」という風習を、昔から育んできたのだ。長い期間歩いていて、確実にそう思えるようになった。自分の心の中にも、――仮の姿かもしれないが、少しずつそういうものが生まれてきたような気がする。
お遍路に行けない人たちの熱い思いの込められた金品を受け取るたびに、いろいろな重圧と責任を感じた。相手が功徳を積むと同様に、相手の思いを受け止め、その責任を果たそうということで、自分も次第に功徳を積んでゆくのではないだろうか。
感謝の気持ちを感じることは実に清々しい。実に、いい気分だ。
古くから多くの僧や修行者たち、そして山頭火のような遊行の人たちも、四国の道を歩いた。歴史的に見ると、弘法大師をはじめとする多くの名僧や高僧が脚光を浴びるが、この人たちとて、お接待なしでは独力で歩けなかったはずだ。
お接待は、遍路と地元の人との交流である。お接待の気持をしっかりと受け止め、心から感謝できることは、本当に幸せである。「感謝することの幸せ」を十分味わえることは、お遍路の大きな魅力のひとつだ。お接待は人の心に根ざした貴重な風習だと思う。
須 崎 自宅でのお接待
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