東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

4河西回廊(蘭州〜武威〜酒泉~)

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 初めて目にするゴビ砂漠!と、思いきや、それは石ころと砂が入り混じった荒涼たる無限の広がり――ゴビ灘だった。
 はるか向こうの祁連山脈からちぎれ雲が湧き上がるようにして生まれ出て、互いにくっつき合って次第に大きな雲になってこちらに迫って来た。

2009年6月22日(月)
[コメント]  このブログは旅の流れ沿って紹介してしております。ひとつの記事はそれぞれ独立していますが、初めて訪問される方は、時間のある折にでも、初めの方からご覧いただければ、より楽んでいただけると思います。
'''また、「シルクロードを詩う」をご覧いただくと、これからの旅(中国篇)の雰囲気をご覧いただけると思います。(題目をクリック)

ゴビとの出会い 武威への道3

イメージ 2 トラックの左右に見え隠れしていた万里の長城がいつしか姿を消していた。
 残雪を抱いた祁連の山並もはるかかなたに遠のいていた。

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 見渡す限り灰色の原野だ。いや瓦礫(がれき)の荒野である。「ゴビ灘」と呼ばれるものだ。土のにおいはしない。石が土になったのか、土が石になったのか、よく見ると灰色に固まった土が波打って見える。わずかに地を這うようにのびている草がある。蘭州から230キロの地点だ。

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 回廊と言うには余りにも広大すぎるその原野を、まっすぐに延びるアスファルトの道――。甘新公路だ。ほぼ正面から差し込む西日で一筋の道は光り輝き、まぶしいくらいである。
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 待ちに待っていた限りない無の風景である。興奮気味にカメラのシャッターを切り続ける私に向かって運転手は「もっと西へ行けばこんなものではありません」と、こともなげに言った。

 トラックは80キロ以上のスピードで走っていた。漢の時代に切り開かれた4つの前線基地の最初の街、武威を目指して――。
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 単調な景色に思わず景色から目を離して、メモに夢中になった。すると、何かとすれ違った。
 振り返ってみると、遠くに馬影が見えた。またとないシャッターチャンスを逃してしまった

 十頭くらいの荷馬車の隊列である。どの荷馬車にも人影が見えた。石を運んでいるようだった。たぶん、この荒野の風景は今も昔もさして変わりはないであろう。とすると、軍馬を連ねて西へ向かった古代の兵士たちの姿もこんな風景だったのではなかろうか。
 ひづめ音と荷馬車のきしむ音だけが響くシルクロード――。 


無味乾燥な景色がいつまでも続いたかと思うと、道はやがて、山に差し掛かかった。
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      ゴビ灘の山越え
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 迫り来る雲(霧)の中、烏鞘嶺を下っていくと、突然霧の中から抜け出して視界が開けた。そこには美瑛を思わせるような風景が広がっていた。

2009年6月21日(日)
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烏鞘嶺を越えて 武威への道2


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 黄土高原に畑作地帯が続く。麦の収穫が大分済んだようだ。

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 高度が上がると段々畑が多くなり、麦の刈り入れもまだの楊だ。農民には申し訳ないが、段々畑はとても絵になるのである。

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 「耕して天にいたる」の言葉のように、急斜面のの高いところまでまで段々畑が作られている。涙ぐましいまでの土地の利用だ。

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  引大総干渠:青海省大同河から甘粛省景泰まで水を送る長い用水路。庄浪河をまたぐため水道橋になっている。水道橋の総延長は 93km

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草原では羊の放牧が行われている。

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 放牧をする老人。朝に羊を牧草地へ連れてきて夕方連れて帰る日々が続く。

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 標高3000メートルの烏鞘嶺の頂上付近では、ヤクの放牧が行われている。ちなみにヤクは3000メートル以上で棲息する。

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 4月下旬だが、烏鞘嶺頂上にはもちろん雪が残っている。予想したよりもむしろ少なく感じた。

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 頂上からやや下った地点にある展望台。

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 突然湧き上がるように雲が迫ってきた。その後激しく雹が落ちてきた。

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 オアシスのポプラの林も麦の収穫あとの畑も薄っすらと白くなった。

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 10分ほど下るとウソのように晴れ上がり、緑と黄色と茶色がみごとに調和した景色が現れた。よく見ると明の長城の茶色の壁が延びている。しかしところどころ切れている。道路の建設や人間の通行を確保するために、最小限度切断されることも少なくないという。

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 さらに下ると緑や黄色がいっそう鮮やかになり、それぞれの濃淡がさらに風景にバリエーションをあたえている。

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 あたり一面を黄色に彩っっている菜の花畑。とにかく雄大だ。

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 古永高速道路へ入る。私がお金を払うから入ろうと誘ったら、運転手は大喜びだった。

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 「中国の高速道路は、できるのも早いが壊れるのも早い」という。規則では15年の保障だが、実際には数年で壊れてしまう。理由は、汚職だそうだ。担当の幹部が予算よりも安い価格で工事をさせ、その差額を懐にするというものだ。中国社会では、汚職が問題になっていて、甘粛省でも交通局の関係者50人が刑務所送りだそうだ。現実に、この高速道路はまだ3年しか経たないのに、あちこち修理の跡が見られる。
 
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 前漢の始め頃、ここ烏鞘嶺は漢と匈奴との境界であり、激しい戦闘が繰り広げられた。今は、そんな歴史を微塵も感じさせないほど菜の花が穏やかに黄色い絨毯を敷き詰めていた。
2009年6月20日(土)
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河西回廊入口から運送トラックに便乗   武威への道1

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 8時に宿の前で待っていると、「○○运輸公司」と書いたトラックが到着した。宿の亭主からは、運送屋の名前と運転手名は念のため伏せておいてほしいと言われた。それから、「もしも警察の検問にあったら運転手が、途中で拾った気の毒な旅行者ということにするので、あなたは警官とは直接話さないでください」と注意を受けた。

助手席に関係者以外の人を乗せるのは比較的大目に見るが、小遣い銭稼ぎが目的でなんだかんだと言いがかりをつけて罰金を取ってインマイポケットする悪質な警官もいるので…、とのことだった。それはずいぶん経験した。 
 
イメージ 2 出発して間もなく鉄橋をわたり、項が支流の荘浪河に沿って西へ向かう。
あたり一面は野菜とりんご畑が続く。日本の信州を思わせるのどかな田園風景である。
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 走りながら、運転手に蘭州近辺の一般的な仕事の状況についていろいろな話を聞いた。 
――西域の貧しい農家の子女が蘭州方面にたくさん働きに来ている。日当は1日9元(130円)くらいで、食事付きだがいたって粗末。一部屋に6~8人で、アリのように住んでいる。
怪我しても保障されない。
旧正月に帰郷させると、そのまま職場へ帰らなくなるので、給料を渡さない。そのため、旧正月も帰郷できない。身分証明書は、ボスのもとに預けられているので、不満があっても逃げられない。
飲食店で皿などを割ったりすると、給料から差し引かれて、給料が残らないこともある。
挙句の果てにはクビにされてしまうこともある。こうなるとまるっきりただ働きだ。
12,3歳の子どもを違法に使っている場合もある。
政府では、労働条件の改善などの雇用政策を出すが、雇用する側はそれをあまり守らない。経営者は政府の役人に上手に取り入って、不当な雇用条件や労働条件をお目こぼししてもらうように計らってもらい、従業員にはいかにに自分の利益になるように働かせるかを工夫している。上(政府)は政策を立てるが、下(雇用者)はそれからたくみに逃れる対策を考える。こうした状況は、「上は政策、下は対策」という言葉で表現されている。
 自分自身のことについては、書かないでくれと頼まれた。


 道はゆるやかに上り始め、次第に黄土高原のような景色に変わっていく。
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 蘭州から150km地点、天祝をすぎたあたりから左手に雪を頂いた祁連山脈が見えてきた。東西800km、西は安西の南の方まで続いている。海抜4000〜5000m級の山々が連なり、3000本以上の氷河を頂き、ここから流れ出る水が河西回廊沿いのオアシスを潤している。
河西回廊は、祁連山脈と北のティングリ砂漠やバンダンギリ砂漠や龍首山に挟まれ、このあたりから新彊との境にある星星峡までの長さ1200km、幅100kmの帯状の地を指す。
 
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 紀元121年、漢の武帝は、霍去病を二度に渡って出撃させ、河西地方から匈奴を追い出し、河西四郡を置いた。武威郡(涼州)・張掖郡(甘州)・酒泉郡(粛州)・敦煌郡(沙州)。これにより、漢のシルクロード支配の第一歩が開始された。
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 霍去病の漢軍と匈奴殿激しい戦闘場面(甘粛省博物館の絵)

 道の勾配が次第に急になり、蘭州から175kmほど走った所で、右手に二重の万里の長城が見えてきた。今回の旅で初めて万里の長城である。
いま目にしている長城は、北京郊外にある素焼きのレンガで作られた八達嶺の長城とは異なり、延々と続く、崩れかけた黄色い土塀であった。
「大分崩れていますが、あれが漢代の長城ですか?」と運転手に訊くと
「あれは漢代のものではありません。おそらく5,6百年前の明代のものでしょう。奥に
低く見えるのが漢代のものです」と、運転手は説明してくれた。

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 まるであぜ道と区別がつかないほど補遺解している万里の長城  年間際に切れ切れに見えるのが漢の長城。その手前の比較的はっきりしているのが明の長城 さらに手前は草の生えているあぜ道

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         漢の長城

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  明の長城と祁連山

 人類が築いた、地上最大の建造物といわれる万里の長城は、匈奴の脅威に対処するため、
秦の始皇帝によって東は遼東から、西はリン等に至るまで広大な空間に築造された。漢
の武帝時代に河西回廊が編入されると、長城はさらに西へと伸び、敦煌にある陽関や玉門
関までの、全長1万1千5百里に達した。秦や漢の時代の一里は約400メートルだから、
その長さはなんと4千6百キロという膨大なものである。

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 漢代の長城は高さ1丈余り《約2.5メートル》、幅3尺(約70センチ)で、きわめて
堅固に作られ、「五里一墩、十里一大墩」といわれる方形の墩台(とんだい)が設けられた。墩台とは、小高い砦のようなもので、守備兵がここにつめて昼夜を問わず監視を続け、敵の襲撃の兆しを発見すると、ただちに烽火を上げたところである。
[万里の長城の関連記事]
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/26165776.html http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/26155709.html (クリックしてください)

 長城は、ある時は甘新公路沿いに、あるときは山の尾根づたいに、またあるときはゴビ灘の草原の中を見え隠れしながら、延々と連なっていた。烽火台の脇では、白や黒の羊とヤギが草を追い求めていた。
時計針が正午を過ぎた頃、トラックは標高3千メートルの峠にさしかかった。ここは、霍去病が匈奴を打ち破るまでは、匈奴と漢の境だった。右手には4千メートルの毛毛山が、左手には万年雪を戴く祁連山脈がそびえる。蘭州から百八十キロの烏鞘嶺である。急に肌さ、無垢なったと思ったら、小雪がぱらついてきた。

 東チベットで見たヤクの放牧をここでも見た。ヤクは3千メートル以上にしかすまないのだそうだ。運転手に聞くとヤクは中国語で「毛牛」といいい、人に馴れるとおとなしいが、若いやつは気性が荒く、闘牛の楊に立ち向かってくるそうだ。
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 道路と並行して走っている列車があえぎながら走っている。
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 峠を下り始めると緑の草原が広がり、羊を放牧する遊牧民の姿は、かつて匈奴の地であったことを連想させる。
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 しばら天祝県に入る。割りに大きな街でチベット族が多い。

 天祝県煮を過ぎると古浪峡の峡谷地帯に入った。
 河川の流れがこれまでの東向きから西向きに変わる。このあたりから河はすべて内陸河になる。
 河西回廊はこの古浪峡に端を発し、西は新疆ウイグル自治区と甘粛省の境界にある星星峡までの、長さ1200km、幅100kmの帯状の地を指す。

 「回廊」という言葉には、回りくねった廊下というイメージが強い。中国ではこの帯状の地帯のことを「河西走廊」と呼んでいるが、この走廊は長い廊下という意味である。中国の中央部と西域を結ぶ一本の細長い廊下――私には、河西回廊よりも河西走廊と呼ぶほうが、シルクロードのイメージに合うような気がする。皆さんはどう思いますか?

イメージ 20 古浪峡で午後1時くらいになったので、杏林酒家と言う食堂に入り、ラグ麺の昼食。 麺うちを見せてもらう――日本のうどんそっくりだ。店の奥さんが、日本人がめんつゆを置いていったのでよかったらどうぞ、と進めてくれたが、私はあくまでも「郷に入りては、郷に従え」ウォ貫いて、具を掛けて食べた。〈長旅で健康を保つためには、その土地の食べ物に自分を慣らすことが大切と思っているからだ。
 

 食堂を出てまもなく、午後2時過ぎ、突然豆粒のような雹(ひょう)に見舞われた。黄色い山肌に、緑の牧草、それに真っ白い雹のコントラストが実に美しかった。

 古浪峡の峡谷を抜けた一本の道は、祁連山の豊かな水に潤され、「鑫の張掖、銀の武威」
として栄えたオアシスの町につながっていた。
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  幻の黒水城・カラホト 多くの伝説が語り継がれた城カラホト 小説『敦煌』でも登場した。 私にとってはロマンの城だ。二度目のシルクロードでついに対面をはたした。今日の記事では訪れる場所がない。何にしようか…と思ったときふと浮かんできたのがこのシーンだった。

2009年6月19日(金)
[コメント]  このブログは旅の流れ沿って紹介してしております。ひとつの記事はそれぞれ独立していますが、初めて訪問される方は、時間のある折にでも、初めの方からご覧いただければ、より楽んでいただけると思います。
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[セミバックパッカー] 
皆さんは、「バックパッカー(Backpacker)」という言葉はご存知だろうか。
その名の通り、持って行く荷物は全部リュックサック(バックパック)にいれて、旅行する人のことだ。予めの予定を尊重しないで旅行を企画する人々といえる。そういう人々は、 偶然の出来事を信じて旅行する人々である。Backpacking(リュックで旅行すること)はそれだけでなく、ツアーやガイドなどに頼らず、また、出来るだけ余計なお金をかけないで、安く旅行すると言う意味も含まれている。
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 私の場合、なぜバックパッキング(Backpacking)するかというと、経費の節約もさることながら、出来るだけ現地の人々や生活に触れたいからである。そして、そこで暮らしている人の普段の生活を体験するためである。そして、新しい発見や驚きを見つけてみたいと思ったからである。 この旅の形は、長期間旅しながら取材するのには理想形であるように思う。

ただ、もう青年ではないので用心のためにどうしても荷物が多くなるし、現地で購入する本や小物などがあるので、次第に荷物が増える。そのため、荷物はスーツケースに入れて運んでいる。やることはバックパッカーだが、長時間の移動はリュックではない。厳密にはバックパッカーではない。ふだん使用しないものはトラベルケースにいれ、4,5日分の旅行に対応できるだけの荷物を、大き目のリュックにいれて行動している。私は自分を「セミバックパッカー」と称している。

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昨日までの東チベットへの旅行は、2泊3日だったので、スーツケースはあらかじめ今日泊まる河口の宿へ預けておいた――といった具合だ。

 私は、若いときは完全なバックパッキングで数多く旅行をしてきた。同じ場所に行くのに違った道を計画することもあった。「最後の瞬間」まで計画をしないことも少なくなかった。例えばバスで行ける可能性のある場所に、わざわざ鉄道がストライキのときに反対に電車で行ったこともあった。料金の安い公共の交通手段で移動したり、交通の不便なところはヒッチハイクをしたりすることは、精神が自由である。「最小限」の困難を恐れず、俗に言う「快適な状態」にしがみつかないで、「心地の良くない状態」に身をおくことがむしろ快感だった。

 私のような貧乏旅行が身に染み付いているものにとっては、高級ホテルに行くには「勇気がいる」し、泊まっても、余りに丁重な対応をされたり、食事のマナーにも気を使ったりして、かえって緊張して疲れてしまった経験もある。これはむしろ拷問である。

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 語りついでにちょっと――私は、旅行中はその国の服装やことばに合わせるようにしている。「郷に入りては、郷に従え」である。また、余り目立たない質素な格好をしている。この動機は危険に備えているからである。私は出発にあたって、各国、各土地に最低でも1人は信用できる人を持っていた。
 今回の2回目のシルクロードひとり旅にしても、一回目の8人でのシルクロード旅行の際に、現地ガイドやホテルマンなどとできるだけ仲良くしておいたり、現地で親しくなった人の連絡先を聞いておいた。旅行の全てにかかるお金も計算していた。備え付けの医療について調べ、身分証明書をしっかり用意しておいた。

 行動は自由だったが、孤高の人ではなかった。特に移動について家族に小まめに連絡していた。現地で知り合った旅行者と一緒に行動したりしたこともあった。場合によっては、日本人に限らず団体旅行のバスに便乗させてもらったこともあった。

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 話は旅のことに戻すが、昨日、河口へ着いてからさっそく今日の交通手段の確保に取りかかった。目的地の武威行きのバスはあるが、バスではありきたりだ。今回の旅行ではまだヒッチハイクの経験はない。したいがまだ様子が分からないので、一発チャレンジはちょっと無謀な気がして、安全策をとった――若い頃なら即実行だったろう。
 そこで知恵を絞って、運送屋や商売の店に行って交渉することにした。自慢じゃないが、こういう方法を取っているバックパッカーはいないのではないだろうか。
 宿の亭主に頼むと、地元の運送屋に交渉してくれた。「毎日西へ行っているので、お安い御用」と、引き受けてくれた。「運転手に10元もやってくれ」とのことだった。

 では、続きは次回。

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