東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

4河西回廊(蘭州〜武威〜酒泉~)

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  マルコポーロが『東方見聞録』で紹介している大仏寺の釈迦涅槃仏

2009年7月30日(木)
[コメント]  このシルクロードブログは旅の流れ沿ってリアルタイム的に紹介してしております。ひとつの記事はそれぞれ独立していますが、初めて訪問される方は、「すべて表示」や各書庫で初めの方の記事からご覧いただければ、より楽んでいただけると思います。 書庫の番号はほぼ旅の日程順に並んでいます。
また、「シルクロードを詩う」をご覧いただくと、これからの旅(中国篇)の雰囲気をご覧いただけると思います。(題目をクリック)

マルコ・ポーロも見た大仏寺の釈迦涅槃仏

 鐘楼を下り、100数十メートルしか離れていない大仏寺へと向かった。マルコ・ポーロは、大仏寺について、見聞録に記している。これを実際に見るのが張掖での最大の楽しみである。
 現代という時間に生きるわたしは常々、昔の人々の時間はどうやってどのように流れていたのかを無性に知りたくなるときがある。マルコ・ポーロが見た釈迦涅槃仏を自分が見るということは、遠い昔に存在した人物と同じ空間を共有するということになる。このことは、彼の生き様の一端を追体験させてくれるものである
 『東方見聞録』の記述は客観的、写実的だが、ものの見方の表現からマルコ・ポーロの感覚も伝わってくることが多い。600年以上も後世のわたしが見て感じることと、マルコ・ポーロが感じたことを比らべてみたい……。
 自然に足取りが早くなる。柳の街路樹のある通りを歩きくとあっという間に山門へ着いた。
 大仏寺は、創建は西夏の永安元(1098)年。始めは「迦葉如来寺」と呼ばれたというが、元代には十字寺、明代には宝覚寺と呼ばれ、清代に勅命によって宏仁寺となった。普通には大仏寺と呼ばれている。また、元のフビライがここで生れたという伝説もある。

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 大仏寺前

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 大仏寺山門

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 円形の入口をくぐって境内に入る。そこには静謐な世界が広がっている。

 
 円形の小さな入口をくぐって境内に足を踏み込むと、そこには静謐な空気が漂っている。3時過ぎということもあり、参拝者や観光客の姿はまばらだ。広大な寺院内には、大仏殿、蔵経殿、土塔などの古建築がならび、いかにも古刹といった佇まいだ。
 正面に大仏殿が建っている。建物には塗装などは施されておらず、柱もはめ板も触ってみなければ木であることがわからないほど灰色を帯び、人を寄せ付けない迫力があった。

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 大仏殿

 扉から薄暗い堂の中に入ると、そこには朱色の布を巻きつけた大仏が横向きになって寝ていた。これこそが私が対面を楽しみにしていた涅槃仏である。横の長さ35メートル、肩幅8メートルにもある。全身が泥で出来ている釈迦牟尼の塑像である。

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 涅槃仏のちょうどおへその下あたりから見ると目を閉じているように見えたが、顔のそばへ行くと、その目は大きく見開かれている。奈良にしても鎌倉にしても、大仏の顔ははるか上にあり、遠くからしか見ることが出来ないが、ここの涅槃仏はその顔をまぢかに見ることが出来た。切れ長の目元と厚い唇に微笑をたたえている。
 ――涅槃像は釈迦の入滅の姿を現しているのになぜ目を開けているのかと、疑問に思って以前調べてみたことがあった。「釈迦は不滅であることを示している」からである。
 涅槃像は中国に現存する泥塑臥仏としては最大のものである。涅槃像の表情にはどことなく愛敬のある明るさがあり、回廊を回りながら、幻となった西夏の人々に思いを馳せると、涅槃像の大きな目の表情などが心に残るような気がする。

 
 涅槃仏を囲んで、背後に迦葉阿難らの十大弟子、両脇には十八羅漢と計28体の塑像がある。周囲の塑像の表情も変化に富んで、西方的なエキゾチシズムを漂わせている

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 回廊を回る壁面には仏伝や『西遊記』の故事を表す壁画があり、迦藍の内部全体が、ひとつの演劇的空間を構成していて見応えがあった。大仏殿の入口の左右の外壁に一対の精緻な石刻レリーフがあったが、これも見ものだった

 マルコ・ポーロは次のように描写している。
「偶像教の寺院・僧院の数も多く、そこには例のごとく無数の偶像が安置されている。これら偶像の中には、実際に十ペースにも及ぶ巨大なものがあり、その素材も木あり粘土あり岩石ありといった多様さであるが、一様に塗金されて、細工もなかなかすぐれている。巨像は横臥の姿勢をとり、その周囲には、うやうやしくこれにかしずいている多数の肖像が取り巻いている」(前掲書より)

 彼が見た涅槃仏や周囲の弟子たちの姿と、私が目の当たりにしている21世紀のそれらの姿はほとんど変わりがないように見える。『東方見聞録』は誇張やおとぎ話も少なくない――という認識を持っていたが、東方見聞録の一節が、間違いなく今、私の目の前に広がっている。これは紛れもない事実だ。
 この発見は大きな驚きだった。それとともにマルコ・ポーロに信頼と親しみを感じた。

 この涅槃仏が造営されたのは、1098年,西夏永安元年である。
 西夏、そして元と、漢民族以外の民族が河西回廊を支配していた時代が長く続いが、彼らは漢民族の文化に対抗する文化をもってなかっため、仏教文化が引き続き栄えていた。
 マルコ・ポーロが涅槃仏を見たのは、この仏様が作られてからざっと200年後である。彼は多数の仏教信者に囲まれてここに立っていたのであろうか。当時は寺も仏も色鮮やかだったに違いない。

 蛇足になるが、マルコ・ポーロはこの涅槃像に触れた後で“偶像崇拝教徒”がさほど性道徳において禁欲的でないことなどを報告している点は面白い。
 
ほか境内には、大仏殿のうしろに蔵経殿がある。ここには7000余件の経が集められているという。

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 蔵経殿と土塔
 

イメージ 13 さらにその奥に、明代創建といわれる高さ33mのチベット仏教式の土塔がある。台座の部分が丸く膨らんだ真っ白な仏塔があり、その頂につけられた小さな鐘たちが風に揺られて軽快な音を周囲に響かせている。説明によればこの様式はチベット仏教特有のものらしい。確かに現代ではこの河西回廊と、中国共産党政府が定義したチベット自治区とは遠く離れてしまい多少の違和感を生むが、もともと張掖のすぐ南にある青海省はチベット文化圏であり(ダライ・ラマ14世も青海のかなり中国寄りの街の生まれだ)、この場所を様々な信仰を持った王朝が取り合った時代の名残りであることがわかる。
 土塔の前の仏教展庁では、「皇帝聖書」(明の時代の皇帝の肉筆)、教典(「妙法蓮華経」木刻版の写真など)、「大唐西域記」などがの展示があった。

 
 張掖には隋代に創建された万寿寺木塔があるので足を運んでみた。高さ33メートルの八角九層の塔で、市内や祁連山が一望できた。
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この木塔を夜に訪れてみると、きらびやかな光に包まれて、現代と古代とが交じり合った独特の雰囲気を放っていた。マルコ・ポーロがこの寺を夜に訪れていたならば、怖いほどの静寂と暗黒に包まれていたであろう。
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鐘楼の前を通ると、ここもライトアップされていた。中国はライトアップがお好きのようだ。

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 シルクロードでは張掖の大仏寺以外にも炳霊寺大仏寺などほとんどのところで、大仏や涅槃仏のご尊顔をまぢかで拝することが出来た。
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 「憧れのマルコ・ポーロの像」'を、胸をときめかせて見上げる。私は完全に少年の心をよみがえらせていた。

2009年7月29日(水)
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マルコ・ポーロのいた街

 午後2時前張掖の街に入った。ここは、その周辺を農村に囲まれた、河西回廊では一番大きな街である。
 この街は、マルコ・ポーロが1年間近く滞在したところである。
 白いレンガ造りの家並みが街を明るくしている。街の中央にまで来ると、なんと、そのマルコポーロの像が立っているではないか。思わず胸が高鳴る。何せ私にとって、シルクロード旅行の原点になった人の像との出会いだ。私はの心は完全に少年時代に立ち返っていた。

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 マルコ・ポーロがこの街に滞在したのは、13世紀の後半元の時代だ。彼はパミールから西域を抜けて、河西回廊を西から東へと旅している。そしてこの張掖に1年間滞在している。彼は『東方見聞録』に次のように記している。
 ――カンプチュウ(甘州)もタングート大州内の都市であるが、大州の首府であり、統治の中心であるだけに、規模も大きく非常に立派な町である。住民は偶像教徒の地に、若干のイスラム教徒を含んでおり、キリスト教徒は城内に立派な教会堂三所を持っている。(愛宕松男釈註『東方見聞録』)
 偶像教とは仏教徒のことである。仏教、イスラム教、キリスト教がこの街に根づいていたことがはっきりと分かる。

 私はまだ興奮冷めやらぬ状態で、現代の張掖のシンボル、鐘楼へ向かった。鐘楼の朱色、ポプラの緑、空の青――色の組み合わせがみごとだ。

 
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 この鐘楼は明代に作られたものであり、それ以前は張掖には鐘楼がなかったとのことであるから、
マルコ・ポーロはこの街では鐘楼というものには登ったことはなかったであろう。
 鐘楼の上から眺めた張掖は、並木道が街を碁盤の目に区切っていた。元の時代もこのような街のつくりだった出あろう。だが、この張掖もご多分に漏れず、ほとんどが現代的な建物に変化してしまった。
 私が興味を持って捜し求めたのは、今にも崩れ落ちそうな木塔や、頂に草が生えている廃寺を想わせる寺の瓦屋根であった。それらしい建物がわずかだが目に入っって来た。それらを見ながら、マルコ・ポーロはあれを見たに違いないなどと、勝手に空想したりしていた。
 
 
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 何気なく遠くを見やると祁連山脈が眼前に広がっていた。ここに来るまでは祁連山といえば、私にとっては「天馬のふるさと」であり、「漢と匈奴との戦場」であった。だが今眺める祁連の山並は、「マルコ・ポーロも眺めた山」であった。彼も雪をたたえた雄姿を見ていたに違いない。やっと接点が見つかって、何か新しい発見をしたような気分になった。

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2009年7月28日(火) '
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張掖への道2 オアシスのひまわり畑と少年

 昼下がりのオアシスは、大人は昼の眠りにつき、子どもたちの声だけがどこからともなく聞こえてくる。都市に近いオアシスでは区画整理が進み、用水路が碁盤の目のように張り巡らされている。祁連山脈から流れ出た水は、いく筋もの川となってゴビを抜け、あるいはゴビの下を潜って用水路に注ぎ込む。そしてどんな小さな農道にもポプラ並木が続いている。
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薄紅色のそばの花畑にモンシロチョウが舞い、用水路を隔ててひまわり畑があった。ひまわりは、太陽に向かう花として中国では人気がある。もちろんそのために畑があるのではない。種から食用油をとるのである。

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 一面に広がるそば畑
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 薄紫の可憐なそばの花

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 ひまわり畑がかなたまで一面に広がっている。
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 畑の中で、ひまわりに飛びついている少年を見かけた。何をしているのだろうか。私はそっと近づいた。ひまわりは大人の背たけを越えていた。少年は飛びついた花を手元に引き寄せると、花に顔を埋めた。そして唇と舌を使って実にたくみに種を取り出し、口の中で皮を砕いて中の白い実を食べていた。少年は私の姿に驚いたが、ひまわりに飛びつく私を見て笑みを見せた。私もひまわりの実を食べた。香ばしい香だ。
 少年は写真を撮ってくれとせがむ。いいよ、と返事すると、他の子供も一緒に撮ってくれと言って私をオアシスの方へ連れて行った。私のカメラを目ざとく見つけて子どもを集って来た。河西回廊は飛行機で飛んでしまう観光客が多いので、このオアシスにはめったにカメラを持った人が来ないのだろう。珍しくて仕方がないようだ。撮影後モニターを見せると、キャーキャー言って喜ぶ。ほんとうに純粋な子どもたちだ。和やかな時を…、幸せな時を過ごした。子どもとのふれあいは、いつでもどこでも心が和む。

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 以前シルクロードを旅したとき、中国人から「黄金の季節」という言葉を聞いたことがある。
 そのときには秋だった。まさに緑豊かな収穫の時期だ。しかし、春にもそれに劣らず「黄金の季節」である。河西回廊をここまで走ってきてそう思った。
 祁連草原の緑、山丹の大草原、そして一面の菜の花やひまわりが咲き誇るオアシス―― まさに黄金の季節であった。

 色を失ったゴビが支配する回廊。それゆえに、中国の人たちの緑への執着と、緑を作り上げてきた自負を私は強く感じていた。あちこちで涙ぐましいほどの植林の努力、放牧地の制限にその姿勢を見た。
 植林に精を出している人たちを車の中から見て、郵便局のポストや看板が緑色なのも緑化を意識しているのでは?という想いがふと頭に浮かんだ。シルクロード旅行が政情不安でもダメな時には、私は内モンゴル自治区の植林に参加しようと思って準備していた。今、ちょっと引け目を感じながら通り過ぎた。
 
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 植林した苗木の周辺には、給水した水が周囲に流れないように土手状に土が盛られ地いる。


 嘉峪関には次のような砂漠化防止を呼びかける石碑が建てられていた。
「甘粛省を横断するこの河西回廊は、千年以上も前から東西の文化を繋ぐ重要なルートであり、敦煌、玉門関、酒泉、嘉峪関など、多くのシルクロード遺跡が点在している。しかし、多くの旅人を魅了して止まないこの美しい土地は、日々拡大する砂漠に飲み込まれ続けている」

 
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2009年7月27日(月)
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張掖への道1 幻のピンゴリー    

イメージ 1  西の方の山から次第に雲が湧き上がってくる。ここは標高二千メートルほどなので、砂漠地帯というよりむしろ高原だ。だから天候はめまぐるしく変る。どんよりと曇った空からは、今にも雨が降ってきそうな気配だ。

 小さな集落をいくつか通り過ぎる。どの集落にも、郵便局、人民銀行、学校、赤旗の立つ地区の革命委員会の建物があり、長距離バスの停留所があった。大きな袋をかついだ人たちがバスを待っている。バスが来ると、大きすぎる袋はバスの屋根の上に積み上げられる。いつ見てもバスは満員である。Tさんのトラックに乗せてもらわなかったら、この種のバスに乗っていたにちがいない。
イメージ 14 イメージ 15     中国の郵便局は、ポストも看板も緑色。
イメージ 3 イメージ 4 (左)バスを待つ人々。 (右)大きな荷物は屋根に積み込まれる。このシーを見てふと思い出した…以前タイでバスに乗ったとき、スコールでリュックの中身がずぶぬれになってしまったことがあったっけ。でも、河西回廊はめったに雨が降らないので大丈夫だろう。

 ところどころで警官に停止命令を受ける。――シルクロードは1回目の旅のときにも、中国からトルコまでどこでよく警察の検問を受けた――。外国人の私を乗せているので、しつこく理由を聞かれる。その都度Tさんは根気強く対応してくれる。それでも面倒な時には、伝家の宝刀「Tさんの兄の紹介状」を見せる。すると、すぐに埒が明く。始めからみせたら? と私が言うと、権威を振り回したくない、と彼は言う。すぐに権威を振りかざしたがる人が多い中国にあって、Tさんのような人は珍しい。我々のすぐ後、対向してきたトラックが取調べを受けた。彼は書類を書かされた上、お金を払わされていた。
 現金だと交渉次第で値引きしてくれるとのことだ。たまには、警官の懐に入ることも、もちろんある。蘭州拉麺で働いていたおばさんが「うちの亭主は小遣いがなくなると、検問に行く」と話していた。これは別段中国に限ったことではない。

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 道路の補修工事があちこちで行われていた。道路わきに、コールタールをためたプールのようなため池がある。長い柄杓柄杓からドラム缶にタールを移している人が見える。老人も若い娘さんも働いている。そういえば、スカートをはいた女性を見ることは稀である。みんなズボン姿だ。土や砂利を運ぶのは荷馬車。山丹で見た軍馬もこの中にいるのだろうか、そんなことを想ってみた。

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 集落の高台や河原に解放軍の駐屯地であろうか、緑色の軍服をつけた兵隊の姿があった。3台の高射砲が西の空を向いている。かまぼこ型のテントとテントの間には、洗濯物がぶらさがり、その横でバレーボールに興ずる兵隊がいる。
 
イメージ 11 厚い雲間から青空がのぞき、薄日が差してきた。ジェット戦闘機が白い線を残して雲の中に消えていった。このシーンは、戦争とはいかにも無縁そうな大草原で夢と歴史の世界に浸っていた私を、一瞬にして現実の世界へ引き戻してしまった。

 こんな集落を抜けるとまたゴビ、そしてまた集落、その繰り返しが延々と続いた後、ここから張掖の街まで、途切れ途切れにオアシスが続いている。ちょうど昼時であった。人通りは少ない。
通りでは、ござやシートの上に瓜、スイカ、野菜、果物が山に積まれている。「ピンゴリー」という初耳の果物があった。
「りんごは中国語でピンゴー、梨はリーといいます。つまり、ピンゴリーはりんごと梨を掛け合わせたものです」と、Tさんは説明した。残念ながら、その場を通り過ぎた後に説明されたので、買って食べる暇がなかった。ピンゴリーは、見た目はりんごに近く、味は梨のようだという。ただ、食べた後はりんごの酸っぱさが残るのだそうだ。機会があったら食べようと思ったが、それからはピンゴリーとは、二度と出会えなかった。
イメージ 12 幻に終わった「ピンゴリー」 赤いのがピンゴリー

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2009年7月26日(日)
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さらば山丹  長城再び

イメージ 1 翼朝、村の人々の盛大な見送りを受けて、Tさんのトラックに乗って村を後にした。この村には、日本ではすでに失いかけている濃密な人情がまだ残されていた。昨日親しくなった若者3人が10キロほど馬でついて来た。舗装道路に入るところで別れとなった。
お互いに車と馬から下りて、堅い握手を交わした。ごつくてがさついた手から温かさが確実に伝わってきた。テレビの旅行番組的な別れだ。
 この濃密な感情をもった青年たちをすっかり好きになった。もちろん精一杯感謝の気持を伝えたが、ほかに、今、私にしてあげられることはせいぜい、旅の貴重品として持参してきた、3色ボールペンを進呈することぐらいしかない。物で気持を表すことは私流ではないが…。
 発展途上国を旅していると、日本ではすでに失われてしまった感情や人間関係と出会うことが多い。そんな時にいつも思うのは――多くの人がそう感じるかもしれないが、大切なのはこころの豊かさだ、ということだ。


 祁連草原から再び回廊へ戻った。河西四郡第二の都市、張掖まではまだ2時間かかる。
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 回廊に入ってまもなく、万里の長城がぼんやりと姿を現し始めた。最初に見えてきたのが漢代の長城だ。次第に輪郭がはっきりしてくると、崩壊が進み、しかも砂に埋もれかかっているのがよくわかる。何せ2000年の風雪にさらされてきたのである。その存在だけでも偉大さを感じ、尊敬の念が湧き上がってくる。この長城は、長い年月の間にどれだけの人間や歴史を見続けてきたことだろう。ぜひ、語ってほしいものだ。

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 遠方に薄っすらと漢の長城が見えてきた。

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 漢の長城は痛みがかなり激しいが、2千年の風雪に耐えて、今なお歴史の悠久さを見せてくれる。

 やがて、漢代の長城の背後に明代の長城が見えて来た。、まだ形がしっかりとしている。漢の長城を目の当たりにしてしまうと、明の長城はあまり歴史を感じなくなってしまう。昨日バスで同席になった武威の中学教師が「あれは明代のものです。歴史的な価値はありません」と言ったことばがふと浮かんだ。

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 兵士の駐屯所跡


 切れ切れに姿を見せる長城に目を凝らし、シャッターを切りながら、西へと向かう。 
 長城沿いに羊の放牧風景が目立って多くなってきた。長城側に目を奪われていたが、ふと左手の祁連山脈側の草原を見ると、みごとな緑の草原に、白い点が無数にちりばめられている。
 道路を横切る羊の群れに車を止められたことが何度もあった。羊はいつも。悠々として道路を横切ってゆく。しかし、ラクダはまだ姿を現さない。

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