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2009年7月17日(金) [コメント] このシルクロードブログは旅の流れ沿ってリアルタイム的に紹介してしております。ひとつの記事はそれぞれ独立していますが、初めて訪問される方は、「すべて表示」や各書庫で初めの方の記事からご覧いただければ、より楽んでいただけると思います。 書庫の番号はほぼ旅の日程順に並んでいます。 また、「シルクロードを詩う」をご覧いただくと、これからの旅(中国篇)の雰囲気をご覧いただけると思います。(題目をクリック) 天馬のふるさと祁連2 草原と山と雲と中国の六大美草原のひとつ 祁連草原はすばらしい 空は高くすみ 緑の大草原を風が渡る すず風に吹かれて草や花が 波のように揺らぐ ひとつの波が草のロールを押すと 次から次へと波が伝わってゆく 水平線のかなたまでそれが続く ふと空を見上げると 風に身を任せて雲が動く 山のかなたから糸のように生まれ出る雲 それが風に押されてこちらに向かってくる やがてスジのように迫力を増し、 まるで精鋭部隊がせめて来るようだ 綿菓子の細い糸が集まって千切れ雲になり 青い空と白い雲 鏡のようなさわやかな緑の草原には、山並がとても映える。 真っ白な雪をかぶった山々から溶け出した水が やがて川になり 湖になって 草原を潤をす 広がる草原には 羊や牛が白や黒の点のように散らばっている そんな自然の原点のような景色を見ていると 自然の摂理を感じる。 だが、かえって不思議な世界を感じてしまう。 ここはまさしく天国のような世界だ。 |
4河西回廊(蘭州〜武威〜酒泉~)
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2009年7月15日(水) 16日(写真と文を変更しました) [コメント] このシルクロードブログは旅の流れ沿ってリアルタイム的に紹介してしております。ひとつの記事はそれぞれ独立していますが、初めて訪問される方は、「すべて表示」や各書庫で初めの方の記事からご覧いただければ、より楽んでいただけると思います。 書庫の番号はほぼ旅の日程順に並んでいます。 また、「シルクロードを詩う」をご覧いただくと、これからの旅(中国篇)の雰囲気をご覧いただけると思います。(題目をクリック) 天馬のふるさと祁連1 〜まるでモザイクの世界・祁連草原の菜の花畑〜漢の時代、ここ祁連草原では漢と匈奴との間で幾度となく激しい戦闘が繰り返されていた。、祁連山は水豊かにして緑濃い理想の放牧地であった。その一角の焉支山は、ほお紅を作るベニバナの生えている場でもあった。匈奴はこの地をこよなく愛していた。 祁連山を「天の山」と呼んで崇めていた。 私は、匈奴の愛したこの二つの山のふもとまでぜひ行きたいと、以前から強く願っていたが、前回はひとり旅でなかったので割愛せざるを得なかった。今回はこそは必ずゆこうと決めていた。だが、不安要素があった。これから向かう張掖から観光バスが出ているが、人が集まらないと実施しないからだ。 山丹長城で万里の長城の調査員たちにそのことを話すと、隊長が「自分の弟がが山丹軍馬場近くに住んでいるので、トラックでもよかったら案内させましょう。それから、今日は弟の家にとまってください」と、まことにありがたい申し出をしてくれた。日本社会のように遠慮して一応断ったりすると、かえって礼を欠くので、ありがたくお受けした。 弟のTさんがが山丹長城まで迎に来てくれて、天馬の故郷といわれる祁連山脈のふもとへ出発した。河西回廊を10キロほどして左折して地元民だけが走るという未舗装道路へ入ると、車は砂塵を巻き上げて走る。砂は締め切ったトラックの中にも容赦なく入り込んできた。私はあわててカメラをバッグにしまいこんだ。このシルクロード旅行では砂は大敵である。 いったいどこまで走れば草原お目にかかれるのだ、と思うほど埃の道が続く。産みの苦しみだと言い聞かせつつ、口をマスクで覆って耐えていた。砂埃の道を1時間ほど走り、砂漠の山を越えた。すると、 ――そこにはすさまじいばかりの景色が待っていた。まるで地獄から急に天国へ入り込んだかのような感覚をおぼえた。黄色い菜の花と濃い緑の麦畑、そして耕された鮮やかな赤土がモザイク芸術の世界を創りあげていた。そこにはすがすがしい風が吹き渡り、川辺、高山が緑に満ち、菜の花の香りが漂っている。真っ青な空にはこれ見よがし、筋ような雲が鋭い広がりを見せていた。 次第に麦や菜の花の畑が減り、しばらく続いたモザイクの世界もいったん単調になったが、 やがて一面、緑の濃いみごとな草原に変った。それがはてしなく広がっていた。緑と水と羊の白い点、そしてゆったりと広がる青い空とが壮大なコンビネーションを描き出していた。 よかったら、右下の傑作をクリックしていただけるとうれしいです。
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2009年7月14日(火) [コメント] このシルクロードブログは旅の流れ沿ってリアルタイム的に紹介してしております。ひとつの記事はそれぞれ独立していますが、初めて訪問される方は、「すべて表示」や各書庫で初めの方の記事からご覧いただければ、より楽んでいただけると思います。 書庫の番号はほぼ旅の日程順に並んでいます。 また、「シルクロードを詩う」をご覧いただくと、これからの旅(中国篇)の雰囲気をご覧いただけると思います。(題目をクリック) 写真を撮っていると、大勢の人がミニバスでやってきて中国語で打ち合わせのようなものを始めた。 話を聞いてみると、世界文化遺産である「万里の長城」の保護をめざし、その現状を把握する調査とのことだ。 この調査には、甘粛省文物考古研究所の調査員の他、甘粛省と同じように長城が見られる陜西省、山西省、内モンゴル自治区、寧夏回族自治区などの調査員や研究者の方々も研修を兼ね参加しており、その中に日本人も2名参加していた。総勢17名の調査隊である。 今回の調査は、実質調査日数8日間、踏査距離は30km以上になり、長城の残存状況の他、烽火台17基、付属施設5基などを調査するとのことだった。 調査は、烽火台や長城などの現状を把握することが目的であるため、実際に長城沿いに歩いて観察し、大きさや位置などを計測し、その記録を取るそうだ。 私も日本人の隊員に頼んで1時間ほど調査を見学させてもらった。 明代の烽火台 烽火台の調査 北方の龍首山脈を眺めながら、その谷間からモンゴルの騎馬隊が現れ、殆ど障害物のない緩斜面を一気に駆け下り、長城に迫る姿を想像し、これを守る当時の明の兵士に思いを馳せてみた。 今回、幸運にも調査を見学させてもらい、万里の長城に直接触れることが出来、さらには、長城や烽火台に上ることまで出来たことは、実に貴重な体験となった。 [コラム] 河西回廊は、中国と西域を結ぶ重要な交通路で、シルクロードの中国側の玄関口ともいえる要衝であった。このため古くから漢民族と少数民族の間には、ここを巡り幾多の攻防が繰り返されてきた。約2000年前の漢の時代には、主に北方の匈奴(きょうど)の騎馬隊の侵入を防ぐために、この河西回廊にも長城が築かれ、約600年前の明の時代にも北方のモンゴル族に備え新たに長城が築かれた。特に山丹付近には、北京付近の煉瓦製の長城とは異なる、主に黄土を突き固めて築いた素朴な造りの明代の長城が、草原や砂漠の中に延々と続く風景が現在も広がっている。 |




