万里の長城は2千キロ長かった
4月20日付n朝日新聞に「万里の長城 2000キロ長かった」という見出しで、次のような内容の記事が掲載された。
中国の国家文物局と国家測量局が07年5月から08年末までに、明代(1368〜1644年)の万里の長城について長さの測定を行い、総延長は8851.8キロに上る、と発表した。
万里の長城は、レンガなどで造った「人口壁」は全体の約7割に当たる6259.6キロで、残りはがけなど天然の地形を利用しており、総延長は上記の長さになる。従来、長城の長さを足し合わせれば、1万2700里
(6350キロ)になることから「万里の長城」の名がついたされていたが、今回の測量では天然の部分も含めたことから、二千きろ以上長さが延びたようだ。
私は、1989年と2000年の2度、北京付近の八達嶺など、明代の長城を訪れているが、2005年と2007年のシルクロード旅行では、河西回廊付近の漢代の長城も見ることが出来た。
(左)1989年、(右)2000年 撮影
万里の長城は、そもそも、北方の異民族の侵入を防御するための目的で建造されたものである。
古代中国では、外敵や異民族の侵入から国を防御するために「長城」と呼ばれる防御壁が諸国によって作られていた。この起源は春秋戦国時代(紀元前7世紀頃)にさかのぼるが、これら諸国によって別個に作られた長城が秦の始皇帝によって、統一整備された。
万里の長城=始皇帝 のイメージがあるが、実は観光旅行でお目にかかるのは、ほとんどはさらに時代を下って明代(17世紀)に築かれたものである。
漢の武帝が匈奴を打ち破って、河西回廊(蘭州〜敦煌)を支配下において、シルクロードを中国の手中に納めたのである。それを守るために万里の長城は大変重要なものであった。
武帝は匈奴防衛のため、また西域各国との通交のため各所に障壁や烽火台を築いた。
一般にいわれる万里の長城は明代に構築された現存する部分であり、渤海湾を望む山海関から甘粛省西部の嘉峪関にいたる約3,000kmのことである。
万里の長城はその規模、構築に要した時間など、世界史上最大規模の建築物である。明代に構築された万里の長城からは、当時の設計技術の高さをうかがうことができる。主要部分は敵の侵入を防御するための高大な城壁であり、要所要所には関所、敵台(兵隊の駐屯地、武器貯蔵庫)、のろし台が配置されている。敵の侵入に備えて、領土の防御、通信拠点としての役割を持っていたわけである。
万里の長城は長い年月に渡って構築された遺構であり、初期に構築された部分はほとんど風化してしまい、明代構築の一部でも、材料調達の都合上、粗末な材料で造られた部分は風化が進んでいる。
漢代のものでもたいていは風化したり、砂に埋もれていた。残っているものが旅行者の目にする万里の長城名のである。
万里の長城は1961年には中国政府により国家重点文物保護単位に指定され、八達嶺、山海関、嘉峪関を中心に重点的に修復が進められているとのことだ。
次回記事でその一部を紹介しよう。1
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