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= さらば長安2 〜西安城壁一周サイクリングへさあ出発〜 =' これは、西安観光に訪れる人々を歓迎する「西安入城式」というセレモニーなのだ。 かつて国際都市長安を訪れた国賓を北門から迎えていたという故事に倣って、唐の時代の装いをまとった人々にその時代の踊りを踊ってもらいながら歓迎される。 私が訪れたのが幸運にも夏休みの日曜日だったので、歓迎振りも一段と熱が入っていた。 高さは12メートルあり、下から見るよりも高く感じる。 万一、敵が城壁を超えて進入しても、ここで戦いを繰り広げるスペースは充分ありそうだ。 貨幣価値の高かった16年前に、うどん屋から自転車を借りて2時間30元を支払ったことを改めて思い出して、〈かなりの高額だったな〉と、思わずひとり笑いをしてしまった。だが当時も、冒険料だったと思って納得していた。 余談になるが、ホテルの韓さんに半分冗談で、「ホテルで借りていった自転車で城壁を走れませんかねえ!?」と言い出した見ると、「すみません。城門には自転車やバイクの乗り入れは禁止なんですよ」と真顔で答えた。私は、即座に笑いながら「冗談ですよ、冗談ですよ」と笑って打ち消した。 |
1西安とその周辺(遙かなり長安)
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絹は、中国文明が生んだ最も魅力的な遺産である。 その絹の交易がシルクロード(絹の道)の命名の原点になるのである。 私は、夜の西安を廻りながら、絹を歌った詩、白楽天の「繚綾(あやぎぬ)の詩」と 李白の「子夜呉歌」が時々浮かんできた。 絹は盛唐のあでやかさの代名詞のようなものであり、その華麗さを歌ったのが「繚綾の詩」である。 繚綾の詩 白楽天 天上に様(よう)を取りて人間に織らしむ 織って雲外秋雁の行となし 染めて江南春水の色となす だが、そのあでやかさの陰には、それを作り上げた庶民の女たちの悲しみや苦しみが隠されているのである。 それを短い詩の中で切々と歌い上げたのが、李白の「子夜呉歌」なのである。 仕上げた布を、砧打ち(きぬたうち)――槌で布を打ってやわらかくし、つやを出す。(文末のコラム1参照) この作業は、長安の女たちの大事な仕事であった。 特に夫など、男手を異民族との戦にとられている女たちにとっては、大きな収入源となっていた違いない。 長安の都に女たちの衣を打つ音が、昼夜休みなく続いていたという。 唐代の長安の街並み(想像図) 子夜呉歌 李白 長安一片月 長安一片の月 萬戸擣衣聲 万戸衣を擣(う)つの声 秋風吹不盡 秋風吹きて尽きず 総是玉関情 総て是れ 玉関の情 何日平胡虜 何れの日にか胡虜を平らげ 良人罷遠征 良人遠征を罷(や)めん 長安の夜空にさえる一片の月 八百八町すべての家々からひびいてくるきぬたの音 秋風はいつまでもいつまでも吹きよせる 月、きぬた、秋風、すべて玉門関のあなたを思わせるものばかり ああ、いつになれば、えびすを平らげて あなたは遠いいくさから帰れるの… (歌の起源は文末コラム2を参照) 女たちは愛する夫の帰りを待ちわび、この歌を口ずさみながら、ひたすら絹を打ち続けたに違いない。 次の2枚写真からも、うら悲しいこの歌の雰囲気漂ってくるような気がする。 一方、国際都市長安の都は、絢爛と咲き誇る牡丹のように、華麗なほどの賑わいを見せていた。 人口は百万を数え、外国からの使節があとを、絶たなかった。 こうした人びとをもてなす宴が宮廷だけでなく、外部の歓楽街でも行われていた。 また、王侯貴族やシルクロード貿易で潤った西域商人たちも、夜ごと宴を張って優雅な遊びを繰り広げていた。 こうした歓楽地は城内の東南隅にあるの曲水池周辺に集中していた。 わが国の平安貴族たちも行っていた「曲水の宴」は、ここから来ている。 杜甫などは宮廷からの帰り道、借金をしながらも通っていたという。 現在でもこうした雰囲気の華やかな夜景も見ることができる。 華やかさといえば、現代風だが、大雁塔の噴水ライトアップもみごとなものだ。 ライトの色がめまぐるしく変化し、そのつどに歓声があがる。 華やかさは、古今東西、多くの人に喜ばれるものだ。 [コラム1]
木綿や絹を纏えたのはごく一部の特権階級の人々に過ぎませんでした。それでは一般民衆の衣は、というと長いこと麻や楮(こうぞ)、藤、葛(かずら)など、 樹皮からとった繊維を織ったものでした。それらを蒸し、さらに川で晒し、紡いで織ります。 こうして繊維の太く、布目も粗いごわごわした布が出来上がります。これを打ち柔らげるためにとんとんと叩くことを総して砧といいました。 砧の台は、元石の台であったろうと言われています。しかし、次第に木の台が主流になりました。台は特別 に作るというよりは、松、杉、檜などの切り株を適当な厚さに切って使用しました。円形である上に、木目が細かく、布を打ってもすり減ったり痛んだりすることが少ないからです。 また、槌は欅(けやき)が好まれました。砧を打つのは女性の仕事であり、軽くとんとんと調子をつけて叩くものですから、重くては作業が捗らないからです。 麻、藤などを衣料に利用した地帯はもとより、木綿織でも粗い糸を用いる手紡ぎ、手織りの行われた地域には砧は長く残り、大正時代迄は各地で砧打が見られたと言います。しかし、細い糸で織られる紡績糸、または唐糸と言われる機械製の糸が利用されるようになってくると、洗濯した布を砧で打つ必要はほとんどなくなってきました。 「子夜呉歌」は子夜(女の名)の作ったといわれる、呉(江蘇省一帯)の民歌である。 晋の時代から歌われ、すこぶる哀調をおびていた。 後の人びとが四季にあわせて子夜四時歌を作った。 李白の詩も春夏秋冬と四首あり、この詩は秋のもの。 李白は、江南の風土で育った歌を、北方の都に舞台を移し、玉門関へ遠征する夫の留守をまもる女の歌に仕立てている。 (武部利男「中国詩人選集・李白」より) |




