東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

1西安とその周辺(遙かなり長安)

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= さらば長安2  〜西安城壁一周サイクリングへさあ出発〜 ='

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40元を払って入城すると、入口では宮廷官女たちの熱烈歓迎を受けた。
これは、西安観光に訪れる人々を歓迎する「西安入城式」というセレモニーなのだ。
かつて国際都市長安を訪れた国賓を北門から迎えていたという故事に倣って、唐の時代の装いをまとった人々にその時代の踊りを踊ってもらいながら歓迎される。


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歓迎の列を通り抜けて城壁に出ると、次は衛兵たちがアトラクションを行って歓迎してくれる。
私が訪れたのが幸運にも夏休みの日曜日だったので、歓迎振りも一段と熱が入っていた。


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城壁を眺めると、広々としているのには驚いてしまう。なにせ、幅が12〜14メートルある。
高さは12メートルあり、下から見るよりも高く感じる。
万一、敵が城壁を超えて進入しても、ここで戦いを繰り広げるスペースは充分ありそうだ。


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レンタサイクルの料金表を見ると、一人乗りは1時間半で15元、押鐘(保証金)が200元と書いてある。
貨幣価値の高かった16年前に、うどん屋から自転車を借りて2時間30元を支払ったことを改めて思い出して、〈かなりの高額だったな〉と、思わずひとり笑いをしてしまった。だが当時も、冒険料だったと思って納得していた。
 余談になるが、ホテルの韓さんに半分冗談で、「ホテルで借りていった自転車で城壁を走れませんかねえ!?」と言い出した見ると、「すみません。城門には自転車やバイクの乗り入れは禁止なんですよ」と真顔で答えた。私は、即座に笑いながら「冗談ですよ、冗談ですよ」と笑って打ち消した。

イメージ 6お金を支払って、さあ出発。一周約14キロある。(地図はパンフレット)東に向かって反時計回りに入り始める。時々停車して写真を撮るので1時間半で回るのはちょっと大変そうだ。

 イメージ 9    イメージ 7    イメージ 8地面はレンガが敷き詰められているが、ゴツゴツしているため自転車の振動が激しい。しかも、ところどころ穴も空いているため、それを避けながらの運転となる。
2009年3月30日(月)

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[本日のシルクロード]
さらば長安1 再見! 韓さん  

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朝5時に起床して部屋から外を眺めると、まだまっ暗だ。
上空には月が皓々と輝き、ライトアップされた大雁塔が幻想的な姿を見せている。、
今日は、朝の散策はせず、荷物の整理とデジカメの充電をし、日記を整理した。
時々窓から様子を見るが、6時50分になってもまだ薄暗い。
7時からレストランでバイキングの朝食。朝粥は相変わらずおいしい。中国旅行では、朝は必ずお粥を食べることに決めている。私の好きなピアノ演奏者リチャードクレーダーマンの曲が流れている。レストランにはピアノも置かれているので、思わず弾きたくなった。
日本を出て、まだ6日しか経っていないのに、早くも日本が懐かしくなり、ちょっとセンチメンタルな気分になっていた。
朝食後、ホテルで1万円換金した。744.32元だった。朝食が中庭に出てみると、大勢の人たちが庭に面したテラスで太極拳をやっている。中国の人たちは、朝には公園や広場でたくさんの人が太極拳をやっている。中庭に日本人らしきの母娘がいるので、「日本人ですか?」と声をかけると、「そうです」と答え、「写真撮りましょうか?」と言って撮ってくれた。

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部屋へ戻ってみると、机の上においておいたチップ(枕銭)の「10元」が見当たらない。
客がまだいるうちに枕銭を受け取っていくことがあるのだろうか? と思って、韓さんに聞いてみると、中国ではチェックアウト前にいろいろなことを確認に来るのでありうる、ことだとのことだった。
いよいよ出発。
ホテル前で服務員に写真を撮ってもらうが、とてもていねいで好感が持てる対応だった。
中国では頼むと入念過ぎるほどていねいに背景やポーズを考えて撮ってくれる。
今日は、南門から入って自転車で城壁を一周して、10時30分頃西門で潘さんと孫娘に会うことになっている。

韓さんが南門まで車で送ってくれた。
韓さんには、5泊の間にたくさんのことでお世話になった。
別れるときには、両手を堅く握り合って握手した。

これから旅立ちだというのにまるで帰国するような気持だった。
ちょっと感傷的気分で角を曲がると…、そこには歓迎ムードがあふれていた。
今日は日曜日でお客を当て込んでの飾り付けだろう……それでも気分はいっぺんに華やいだ。

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投票の正解

正解は2です。
イランの女性は、昔から大切にされる習慣があるようです。その習慣から、家庭での女性の地位は日本より高いようです。外国人の目から見ると、イラン女性は社会でも家庭でも低く見られがちですが、いやいやどうして…、特に家庭では対等以上のようです。イランの夫たちは、おしんを引き合いに出して、“もっと家の仕事をしろ、夫を大切にしろ”などと言うので、ケンカが多くなったとのことです。


西安最後の夜、二つの幸運な出会い

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 夜景を撮影しながらじわじわと湧いてきたいにしえの長安の世界……その余韻を残しながら、ホテルの唐華賓館へ到着した。

 預けた鍵をフロントで受け取る時、ルームナンバー「3322」を「サン・サン・アール・アール」と発音したら通じない。そこで、「サン・サン・リャン・リャン」と発音したところ、やはり通じない。何のことはない、下手な中国語よりも、「スリー・スリー・トゥー・トゥー」と言ったらすぐに通じた。
 するとおまけに、懇意になっていた主任の韓さから「『サン・サン・リャン・リャン』はバラバラの意味ですよ」と教えられ、思わず周囲にいた服務員とともに楽しい笑いになった。
 それから、韓さんが「このホテルのクリーニングのチェックシートには、日本語が記載されているので、お持ちになるとこれからのホテルで便利ですよ」とこっそりとアドバイスしてくれた。「それと、ホテルによっては硬いトイレットペーパの所もありますので、ワンロールお持ちください。サービスです」と付け加えた。
さらに、「日本へはがきを出すのでしたら、4.5元切手をここでお買いになった方がいいですよ。こういう端数の切手は西のへんぴなところでは買えませんよ」とも教えてくれた。
韓さんには本当に何から何までお世話になった。

 ロビー四方の壁全面には、唐代のみごとな絵が描いてある。今日は最後なのでじっくり鑑賞した。
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東に大和の童、西に砂漠の隊商とラクダ、北に宮園の妃と官女、南にポロ競技などの人馬が描かれている。

鑑賞後よく見ると、中日合作のこのホテルの建築に際して、日本の画家・田村紀子さんが、中国側から依頼を受けて描いたものであった。
田村さんが建築現場を訪れたとき、中国側の主任設計技師から「西安ではじめてのこの中日合作ホテルは、西安が国際都市長安として栄えた唐時代を彷彿とさせる建築様式で設計しました。そのロビーに、長安の歴史と中日合作の象徴となるような図柄を描いてほしい」と改めて依頼されたと、その経緯が書いてあった。
いにしえの悠久さと長安の国際性を感じさせてくれるさばらしいものだった。
わたしをより一層シルクロードへ誘(いざな)ってくれた。
もしまっすぐに部屋へ戻っていたら、この絵には出合わなかったであろう。



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 『二都花宴図』 西面「シルクロード月下隊商憩図(部分) 

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 『二都花宴図』2北面「古都宮女人立像図」(部分) 


 絵を鑑賞した後、売店に向かって切手を10枚買った。もう西安へ来てから5日経ったので、あちこちにに絵はがきを出そうと思い立ち、ついでに購入した。案の定ホテルの絵葉書は高かったが、百も承知で購入した。
 ところがここで、――まったく想像もしていなかったラッキーな出会いがあった。
 切手を買った後ちょっと工芸品を見ていると、先ほどの小姐が、にこやかな笑顔で近づいてきた。
「お時間があったら、日本語のお相手をしてくれませんか」と言う。
 薄いピンク色のワンピースを身につけた、すらりとした、目鼻立ちの涼やかな清楚な女の子だった。
年のころ17,8歳だろうか…。
 
 聞くところによると、彼女は高校生で、日本語の勉強のためにこのホテルでアルバイトをしているとのことだった。しばらく話しているうちに、会話だけでなく日本文をもっと勉強したいので、これからも教えてほしい。独学なので自分の日本文が正しいかどうかわからないのでお願いしたい、とのことだった。願ったり適ったりだ。こちらも中国語を勉強したかったので、文通することになった。
彼女が日本語で、わたしが中国語で手紙を書き、互いに添削し合うことにした。

イメージ 3 そこまではよくあることだ。だが、それからがなかなかあることではない。
お互いに連絡先を書き合ったとき、「潘」という苗字に思わずオヤッと、思った。
大雁塔で案内してもらって以来、兵馬俑や華清池でも大変お世話になった、あの「潘さん」だ。
いきさつを話すと、彼女は驚いた様子で、それは自分の祖父だと言う。それには、思わず「ええっ!」という声が出てしまった。まさに驚きだ。
これぞまさに「事実は小説よりも奇なり」というやつだ。
「明日は、日曜日なので祖父とふたりで西門まで見送りに行きます」と、うれしいことを言ってくれた。
当然のことながら…、ツーショットで記念撮影となった。
その夜の偶然な二つの出会いと、明日の出発を考えると、興奮でなかなか寝付かれなかった。
真夜中に、屋上へ登って城壁のほうを見ると、ビルや商店街の電気が消え、ライトアップされた城壁がくっきりと浮かび上がっていた。まるで線画のように……

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2009年3月27日(金) 

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[本日のシルクロード] 絹を歌った詩 〜長安一片の月〜



絹は、中国文明が生んだ最も魅力的な遺産である。
その絹の交易がシルクロード(絹の道)の命名の原点になるのである。
私は、夜の西安を廻りながら、絹を歌った詩、白楽天の「繚綾(あやぎぬ)の詩」と
李白の「子夜呉歌」が時々浮かんできた。
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絹は盛唐のあでやかさの代名詞のようなものであり、その華麗さを歌ったのが「繚綾の詩」である。    繚綾の詩  白楽天 
             天上に様(よう)を取りて人間に織らしむ
             織って雲外秋雁の行となし
             染めて江南春水の色となす  
 


だが、そのあでやかさの陰には、それを作り上げた庶民の女たちの悲しみや苦しみが隠されているのである。
それを短い詩の中で切々と歌い上げたのが、李白の「子夜呉歌」なのである。

イメージ 16当時の長安の庶民は、自分たちの手で蚕を養い、絹糸を取り出し、糸に紡ぐ。さらにそれを織物に仕上げる。
仕上げた布を、砧打ち(きぬたうち)――槌で布を打ってやわらかくし、つやを出す。(文末のコラム1参照)
この作業は、長安の女たちの大事な仕事であった。
特に夫など、男手を異民族との戦にとられている女たちにとっては、大きな収入源となっていた違いない。
長安の都に女たちの衣を打つ音が、昼夜休みなく続いていたという。

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                         唐代の長安の街並み(想像図)


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子夜呉歌  李白 
                
長安一片月    長安一片の月
萬戸擣衣聲    万戸衣を擣(う)つの声 
秋風吹不盡    秋風吹きて尽きず
総是玉関情    総て是れ 玉関の情
何日平胡虜    何れの日にか胡虜を平らげ
良人罷遠征    良人遠征を罷(や)めん
 
 長安の夜空にさえる一片の月
 八百八町すべての家々からひびいてくるきぬたの音
 秋風はいつまでもいつまでも吹きよせる
 月、きぬた、秋風、すべて玉門関のあなたを思わせるものばかり
 ああ、いつになれば、えびすを平らげて
 あなたは遠いいくさから帰れるの…

(歌の起源は文末コラム2を参照)
女たちは愛する夫の帰りを待ちわび、この歌を口ずさみながら、ひたすら絹を打ち続けたに違いない。
次の2枚写真からも、うら悲しいこの歌の雰囲気漂ってくるような気がする。

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一方、国際都市長安の都は、絢爛と咲き誇る牡丹のように、華麗なほどの賑わいを見せていた。
人口は百万を数え、外国からの使節があとを、絶たなかった。
こうした人びとをもてなす宴が宮廷だけでなく、外部の歓楽街でも行われていた。
また、王侯貴族やシルクロード貿易で潤った西域商人たちも、夜ごと宴を張って優雅な遊びを繰り広げていた。
こうした歓楽地は城内の東南隅にあるの曲水池周辺に集中していた。
わが国の平安貴族たちも行っていた「曲水の宴」は、ここから来ている。
杜甫などは宮廷からの帰り道、借金をしながらも通っていたという。

現在でもこうした雰囲気の華やかな夜景も見ることができる。
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華やかさといえば、現代風だが、大雁塔の噴水ライトアップもみごとなものだ。
ライトの色がめまぐるしく変化し、そのつどに歓声があがる。
華やかさは、古今東西、多くの人に喜ばれるものだ。

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[コラム1]
 木綿や絹を纏えたのはごく一部の特権階級の人々に過ぎませんでした。それでは一般民衆の衣は、というと長いこと麻や楮(こうぞ)、藤、葛(かずら)など、 樹皮からとった繊維を織ったものでした。それらを蒸し、さらに川で晒し、紡いで織ります。
 こうして繊維の太く、布目も粗いごわごわした布が出来上がります。これを打ち柔らげるためにとんとんと叩くことを総して砧といいました。
 砧の台は、元石の台であったろうと言われています。しかし、次第に木の台が主流になりました。台は特別 に作るというよりは、松、杉、檜などの切り株を適当な厚さに切って使用しました。円形である上に、木目が細かく、布を打ってもすり減ったり痛んだりすることが少ないからです。
 また、槌は欅(けやき)が好まれました。砧を打つのは女性の仕事であり、軽くとんとんと調子をつけて叩くものですから、重くては作業が捗らないからです。
 麻、藤などを衣料に利用した地帯はもとより、木綿織でも粗い糸を用いる手紡ぎ、手織りの行われた地域には砧は長く残り、大正時代迄は各地で砧打が見られたと言います。しかし、細い糸で織られる紡績糸、または唐糸と言われる機械製の糸が利用されるようになってくると、洗濯した布を砧で打つ必要はほとんどなくなってきました。

[コラム2]
「子夜呉歌」は子夜(女の名)の作ったといわれる、呉(江蘇省一帯)の民歌である。
晋の時代から歌われ、すこぶる哀調をおびていた。
後の人びとが四季にあわせて子夜四時歌を作った。
李白の詩も春夏秋冬と四首あり、この詩は秋のもの。
李白は、江南の風土で育った歌を、北方の都に舞台を移し、玉門関へ遠征する夫の留守をまもる女の歌に仕立てている。   (武部利男「中国詩人選集・李白」より)

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2009年3月25日(水)

ご訪問ありがとうございます

西安滞在も残すところ1日になりました。
あと2回西安にお付き合いください。
今日は長安を偲ばせてくれる「西安の月」をご覧ください。
おしんの投票日は3月25日までです。
まだの人はよろしくお願いします。左の「投票」をクリックお願いします。

[本日のシルクロード]

長安の月

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我ながら何か絵のような写真です。これぞいにしえの長安をイメージした私の心を映し出してくれたような一枚です。まさに「写」――シルクロードの神様からのプレゼントかも知れません。

イメージ 2

これは、興慶宮公園で阿倍仲麻呂の碑を見た後、彼が見たであろう月を思って撮影したものです。写真に心を込めると下手な撮影者でもいいものが取れるようです。
この2枚が私の本日の「お気に入り」です。

                 イメージ 3  イメージ 4

唐宮廷舞踊では、宮廷の官女や胡姫(西域の女性)たちが月下で舞を繰り広げル場面が数多く登場します。宮廷の月が思い浮かびます。 
 
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