東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

9灼熱のトルファン

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  なんともいえないな〜 このくったくない満面の笑顔  素朴さがいっぱいだ。まるで“えびす様”のようだ。この笑顔はいったいどこから来るのだろうか…。とにかく癒された。

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[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 最近の記事]

219 楼蘭 の美女との感動的出会い
218 楼蘭 の美女発見!
217 ウイグル民族舞踊  灼熱のトルファン23  
216 トルファン最後の夜 〜ラグメンとシシカバブ〜 灼熱のトルファン22
215 交河故城の黄昏 〜人と自然と光のハーモニー〜   灼熱のトルファン21 
214 交河故城を歩く  灼熱のトルファン20
213 交河故城残照 〜交河故城と高昌故城〜  灼熱のトルファン19    

[お勧めの過去記事3] オアシスの湖上に舞う水鳥たち ―沙湖2 

[本日の記事]

ウルムチの子供たち 〜透き通った目 くったくない笑顔〜

小学生とちょっと立ち話
「楼蘭の美女」との対面を終えて、博物館の前に立って通りを眺めていると、たくさんの人々が通り過ぎる。

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  博物館の付近にウイグル人居住区があり、ウイグル族の通う小学生がある。通りかかった何人かとちょっと話してみた。
 
 子供たちはふだんはウイグル語で話しているが、学校では両方教えているそうだ。無理に中国化するのは避けているようだ。
 普通語(北京語)の普及(言葉の統一化)に力を入れている、中国政府が言語教育にどのような取り組みをしているのか興味があったので、子供たちに聞いてみたのだ。この子供たちは少し英語も話る。


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  漢族の小学生  ウイグルの子供たちとはなんとなく雰囲気の違いを感じた。

 新疆ウイグル自治区全体では、ウイグル族45%を始め、カザフ、回などの少数民族が60%ほどを占めるが、ウルムチでは逆に漢族が73%ほど住んでいる。政府が西部の重要拠点への漢民族の配置を図っているためである。まあ、政治向けの話はやめにして…
 

街角の子供たち


 ウルムチにもかわいい子供たちがたくさんいました。
 喜んでカメラの前に集まってきます。

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           お〜い! もっと下がって さがって! ピンボケになっちゃうよ!

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     どの場所でも子供たちの人懐っこさは格別だった。人を信ずる心を持っているからだろう。

 
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          はずかしいわ〜! それにしても どうしてお札で口をふさぐの?  
          実はこの子はまんじゅうのようなものを売っていました。もちろん買ってあげました。                   あちこちで子供も働いています。

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  靴磨き  ここでも大人に混じって子供たちが頑張っていました。子供たちの表情は生き生きしていました。         親の手助けに喜びを感じているかのようでした。

 
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姉と弟  この子達の家は昔のシルクロードがウルムチに入る地点でした。私に手を振ったので、思わず車を止めてもらいました。ウイグル語しか話さないので言葉は通じませんでしたが、すぐに仲良しになれました。

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                           モスクにて

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                           カザフ族の姉弟



 子供を連れたおとうさんもお母さんも、孫をだいたおじいちゃんもおばあちゃんも
 こころよく撮らせてくれました。

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       日本のおじちゃんが写真撮ってくれるよ。ほら、泣かないでなかないで!                         べろべろば〜!  おじいちゃん悪戦苦闘でした。だけどほほえましいな〜

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       さすがおばあちゃんだ。とてもすわりがいい〜


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        家族連れ立って   日本ではめったに見られなくなった。
 


どの街でも村でも、
 子供たちには元気をもらう。
 あの澄んだ目と、くったくない笑顔
 これを見ているとすっかり癒される。
 日本の子供もたちから失われたものをしっかりと持っている。
 子供たちにとってほんとうに大切なものや幸せはなんだろうか……
 いつも考えさせられる。


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          バザールに着飾ってやってきた姉妹   バザールは出会いの場でもあるそうです。                 そういえば後ろにはめかしこんだ男の子たちのすがたが…
  

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  「楼蘭の美女」は南ロシアから南下してきた白人系人種と考えられています。眼は深く、鼻は高く、髪は黄褐色、明らかにヨーロッパ系の人種である――こんなイメージの女性を撮影した写真の中から探したら、これになりました。もう少し気品があれば、私のイメージにぴったりなのですが……。


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[お勧めの過去記事2] ヤルダン魔鬼城〜自然がつくる造形の不思議〜 クリックしてみてください。

[本日の記事]

楼蘭 の美女と感動の再会

 
 楼蘭 の美女のミイラは、ウルムチの新疆ウイグル自治区博物館に保存されている。

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                    新疆ウイグル自治区博物館

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                    博物館のチケットには「楼蘭 の美女」の挿絵が描かれている。


「待ちに待った楼蘭の美女との対面」

 この博物館は、一階が一般展示室、二階がミイラ展示室になっている。案内してくれたのは、日本語の話せる学芸員だった。初めにミイラ展示室に案内してもらった。
 各地で出土したミイラがガラスケースに収められていてじっくり観察できた。新彊は乾燥した砂漠地帯なので、ミイラの保存状態がきわめてよく、昨日死んだとしか思えないようなミイラもあった。
学芸員はそれぞれ詳しく説明してくれるが、お目当ては楼蘭 の美女のミイラなので、次第に聞くのがおざなりになってしまった。目玉商品はやはり奥のほうに展示されていた。
 原則写真撮影禁止だが、ノンシャッター3枚ということで許可していただいた。


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 発掘時には白かった顔が空気に触れて急激に黒ずんだが、今なお魅力は損なわれていない。見入れば見入るほど、気品をたたえた“湖畔の麗人”に心を奪われた。
 
 いろいろな想いが広がってゆく――。
 髪を飾る鷺の羽が、整った顔立ちをいっそう引き立てている。生前彼女は髪に羽をさすことを好んだのであろうか。髪を羽で飾り、絹をまとって歩く姿に思いをはせると、楼蘭はひときわ華やいだものになってくる。
 彼岸に旅立つ女性へ楼蘭人が心を込めて手向けた二本の羽根。埋葬にあてって羽根を添えるならわしがいったい楼蘭にあったのだろうか。
 この美女が発見された土埌から百キロほど離れた墓地で、スェーデンの考古学者フォルケ・ペルグマンが発掘したミイラも、やはり羽根をさしたフェルト帽を被っているという。



「楼蘭の美女プロフィール」
 身長152cm(生前157cm) 血液型O型、死亡した推定年齢は45歳。
 南ロシアから南下してきた白人系人種と考えられている。
 眼は深く、鼻は高く、髪は黄褐色、明らかにヨーロッパ系の人種である。
 
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  博物館から提供を受けた日本人向けの本より


 炭素C14法の測定からは、3880年前(+−95年)という数字が出ている。
 
 1980年、中国新彊文物考古研究所の穆舜英女史を中心とするグループにより、タクラマカン砂漠
の東、楼蘭鉄板河遺跡で発掘され、一躍世界中にシルクロードブームを引き起こした。
 
 発掘された時は全身が毛布でくるまれていた。毛布は胸で合わさり、木製の針でとめてあった。頭にはフェルトの帽子を被り、足には羊の皮の靴を履いていた。帽子には雁の羽が二本さしてあった。頭の近くには、草で編んだ籠が置かれていた。胸元の木の針をはずし、毛布を広げると、上半身は裸身であった。 下半身には羊の皮の下着を着けていた。顔は黒くなっているが発掘時には白かったという。
 自然にできたミイラなので内臓も入っている。

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                           発掘持の写真
 
 学芸員によると、楼蘭美女はエックス線で見ると肺が真っ黒だったそうだ。おそらく、砂漠の細かな砂が肺に蓄積してしまったのだろうという。彼女のDNAを調べると、ヨーロッパ人の血が70%くらい入っているアーリア系人種とのこと。
 発掘後に上海での防腐剤処理をしたため肌が一気に黒ずんでしまったが、以前はその美しさに世界中が驚愕したという。現在でも肌の色を除けば髪の毛の毛穴まではっきり識別できる。ウールの着物をまとい鹿の皮で作った靴を履き、帽子には鳥の羽が挟んであり、副葬品のウールのポシェットには木の櫛が入っている。
 現代の女性とあまりかわりがない。
 何の目的で楼蘭まで南下し、なぜここに埋葬されたのかなど、その経緯はほとんど明らかになっていない。



イメージ 9  私はずうっと以前、ロプ・ノールを探検したプルジェパルスキーが、ロプ・ノール湖畔の伝統的な結婚式について紹介している文章を呼んだことがある。
 それによると――
「結婚式の前夜、新郎は新婦にキツネ皮二枚、パンまたは小麦粉若干、それに灰色のアオサギの羽根一束を、夫婦の契りの印として送ることになっている」(中野好之訳、『黄河源流からロプ湖へ』)

 新郎が新婦へアオサギの羽根を送るならわしになっていた。とすると、湖畔の麗人の髪を飾った羽根もその贈り物だったのかもしれない。早逝した新妻へ、夫が永遠の愛を誓って、彼女の黒髪に鷺の羽根を刺したのであろう。
 湖畔の麗人は、乙女ではなく、愛しい夫を思う新妻であった。――これを読んだ当時こんなことを想像した。
 ところが、科学の発達によって、後に“楼蘭 の美女の年齢は45歳くらい”だと分かった。そのとき私のロマンは打ち破られてしまったのだ。だが、「楼蘭 の美女」に対する想いは薄れるものではなかった。


 とにかく、この美人のそばを立ち去るのはつらい。
 立ち去りがたい気持を抑え、合掌してから…、学芸員に促されるまま部屋を出た。
 楼蘭 の美女とは無言の対面だったが、彼女は私を4千年ほど前の世界に誘ってくれた。その驚くほど長い時間が少し身近に感じられた……。
 
 
 
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[本 日 の 記 事]

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                    ウイグル族の女性の民族舞踊   

トルファン最後の夜  〜ウイグル民族舞踊〜

?H3>ウイグル民族舞踊  私が宿泊した「トルファン賓館」では5〜10月の夜9時から民族舞踊ショーを行っている。
 トルファンへ来てからも、葡萄溝、ぶどう祭り、カレーズ楽園などでウイグル民族舞踊を鑑賞しました。 何度か見ているうちに次第に特徴が見えてきました。まとめて紹介します。
 
 ウイグル族の女性のダンスでは、バリ舞踊のようになめらかな手の動きをする。そして、手の動きにあわせて顔を横にくいっくいっと動かす。その微妙な動きに目を奪われる。
ダンスの後ろでは民族楽器を使って生演奏が行われている。エキゾチックな音色はなかなかも聞きごたがある。

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                しなやかな手と顔の動きが観客を魅了する。


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                  バックでは民族楽器で演奏が行われる。 


 ウイグル族の舞踊ショーは、男性二名、女性数名で行われることが多いようだ。もちろん、女性のみの場合や男女同数のときももある。

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男性の特徴は
とにかくまゆげを動かす。まるでおもちゃやアニメのようにまゆげが動く。

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 もう一つの特徴としては「求愛ダンス」
 男性が逃げる女性をひたすら追いかける。そのコミカルさに観衆がどっとわく。
 そして、どうにかこうにか求愛を受け入れてもらう。すると観客も祝福の拍手を送る。
 こんな感じのストーリー性あるのダンスが演じられる。
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                     待ってくれ〜と、追いかける男性 逃げる女性。
 
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                    どうにか求愛にこぎつけて熱烈なプロポーズ

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                    プロポーズが成功してハッピーな二人。



 豊作を祝って野菜や果物を頭上に掲げたり、水が絶えることの無いようにとの祈りを込めてコップを持っての踊る。 

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                           豊作の踊り

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                    水が豊かなることを祈ってカップを持って踊る



 基本的に女性はみんなエキゾチックな顔立ちをしていてきれいだ。
 衣装も赤や青といった原色で、やでぱっちりした目鼻立ちの浅黒い顔にはよく合っている。
 漢民族の古典舞踊とはまるで異なるエクゾチックな香りがただよって来る。

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 ショーが終わりに近づくと、ダンサーが客を誘って踊りの輪が次第に広がってゆく。踊り手も客もともに楽しみ、多いに盛り上がる。輪もすっかり輪の中に溶け込んでいた。こうしたところがウイグルの陽気で闊達なところだ。
 
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 この時にはまさか半年後に売る鞭で動乱が起こるなどとは夢にも考えずに楽しみまくっていた。





[コラム]  ウイグル民族舞踊にはこんなに種類があります
興味のある方は、読んでみてください。

 ウイグル人は音楽と踊りが好きなことで有名。次のような踊り(ウスーリ)がある。

セナーム・ウスーリ
 最も一般的な自由な踊り。祭りや結婚式、パーティなどでよく踊られる。地方ごとに「カッシュガール・セナーミ」「イリ・セナーミ」「クチャ・セナーミ」等がある。

ドラーン・ウスーリ
 楽曲「ドラーン・ムカム」(ムカムの一種)に合わせて踊る古い民間のダンス。ヤルカンド河流域のマキット、マラルベシ、ヤルカンド、アワット等の地域に広まる。

サマ・ウスーリ
 シャーマニズム信仰から来た踊りと言われる。主にカシュガル、ヤルカンド方面に普及された踊りで、普通は男性だけで踊る。

シャディヤナ
 祭礼や大集会で踊る集団舞踊。

ナズリクム
 これも祝賀や集会で人々が踊るものでトルファンのウイグル人の間に伝わる。
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交河故城 〜人と自然と光のハーモニー〜 

 今日は写真をお楽しみください。

 交河故城は黄土の大地を掘り込んで造られた。
 大地に彫刻した都市だ。
 長い年月で風化され、
 実に個性的な面影を残している。
 自然はすばらしい彫刻家だ。
 人間と共同して見事な作品を創りあげている。
 夕暮れになり次第に赤みをおびた太陽の光がそれに加わると
 光景は一挙に異彩を放ち始め 
 真紅の光が当たるとクライマックスに達する。
 交河故城はすばらしいミュージアムだ



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傑作ポチ期待しています。

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           黄昏時の交河故城はいにしへの想いを誘い出してくれる。

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交河故城を歩く(改訂)

要害の地、交河故城

交河故城博物館
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            まるで巨大な航空母艦を思わせるような交河故城
                        航空写真(博物館のパネル)
   
 断崖の台地に作られた自然の要塞都市であることがよくわかる。これならば容易に敵に攻められないであろう。
 交河故城は断崖の台地に計画的に配置建設された都市であって、北区(手前左側)は寺院区、中央部(中央右側)は寺院と官庁街と邸宅群、そして南区(中央左側)が一般住宅地区に分かれている。また、最北部には墓葬が存在している。 

 交河故城はいろいろな民族の支配を受けているので、様々な時代・民族の遺構が残っている。歴史好きの私には、見ごたえがありそうだ。

入場
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   交河故城入口    南側にスロープのある道があり、そこから入城。
 昔も両側の河の交わるこのあたりから人々は行き来したのだろう。前方には修復中の遺跡が見える。近年盛んに修復が進んでいる。復元が完成した建造物も見られるだろう。楽しみな反面いじくらないでほしいという気持も働く。

 
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                    中心大道と日干しレンガの建物 

 中央部に向かって中心大道を歩いていくと、道の両側には崩れかかった日干し煉瓦の建物が続いている。

仏塔
 まず、大きな仏塔が見えてくる。中央は高さ10メートルほどの巨大なもので、その基壇の四隅には、高さ4メートルほどの小建築物がある。交河故城には200もの仏塔があった。

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               仏塔とそれを取り巻く建物
 

 日干し煉瓦積みの仏塔は、天山を背景にそびえたって見えたが、やはり年月を経た風化は免れがたい。各塔の頭部は特に風化、磨耗が烈しいようにだ。

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             頭部が崩れている仏塔

中央大寺院

 仏塔の南側に寺院がある。ここは修復が進んでいる。
 高さ5メートルほどの塀に囲まれているが、その黄土の塀の内側の部分は赤くなっている。おそらく大火のために、黄土が赤く招請してしまったたまま放置されたのだろうと推定されている。

 交河故城中最も大きな遺構は中央寺院である。高さ5メートルの塀に区切られた院内は、南北80メートル、東西40メートルの広さで、いる愚痴を入ると広場がありその正面に3段の階段で上る基壇があって、その上に高さ7メートルほどの仏塔がある。

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                         中央大寺院正面

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                           寺院内部

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                     中央大寺院内にある仏塔



 この寺院の仏龕にもまったく仏像は残っていない。ヨーロッパの探検家によって持ち去られている。

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                仏像が持ち去られてからになっている仏龕 

僧院
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            玄奘も宿泊したといわれる僧院
  
 塀に沿って院内の四周に僧院がある。高昌故城を出た玄奘の一行はここにも1泊たであろうと推定されていが、屋根も崩落したこの土壁の部屋の一つで、27歳の玄奘はどのような眠りに付いたのであろうか。高昌国王から与えられた莫大な路銀とみやげものの絹、そして紹介状を持った玄奘を、交河の中央寺院の僧侶たちは手厚くもてなしたに違いない。かまどを中心に、忙しく忙しく出入りする料理人の声や皿を並べる音まで聞こえてくるようだ。


中央の官庁街

 大寺院を出て南方向を見ると、無数の建物跡や道が見える。ここ中央部は官庁があった場所である。ところどころに官庁らしき大きな建物が見える。ここは役人たちの住居もあった。3メートル、長さ350メートルの道が中央を貫いている。ここが交河城のメインストリートだ。ここでは商売も行われていて、貴人や麗しい女性たちがも行き来していたことであろう。

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南区 一般庶民の住宅


 南区へ行くと、中央部以北よりも一段低くなってた。 これは偶然ではない。南区の街は、日干しレンガを組み上げた寺院などとちがって、黄土の台地を掘り込んで造られているのだ。(模型の左側手前の低くなっている部分)

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 街並み屋家々の残る地層の鮮やかな縞模様がそれを証明している。人々は、いわば台地に都市を彫刻したのであった。
 
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               家屋や家並みには縞模様の地層が見える。

  南区は一般庶民の住宅であった。高い塀で仕切られた幅3〜5メートルの路地が縦横に走っている。

 家々の跡や路地の一つ一つが、今でも個性的な面影を残している。
 路地から家とに入ってみると、小さな張りの凹み、煙突、かまどがある。そして、井戸があちこちの大地に大きな口をあけている。のぞけば、水はない。そういえば、交河故城には、水の匂いは今はまったくない。交河の水は高さ3呉メートルの崖の下しか流れていない。往時、井戸は一帯どれくらいの深さまで掘られたのだろうか。それでもこのでおかみさんたちが井戸端会議をしたのだろう。そんな生活の息吹が感じられる。

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牢屋跡
 そうした南区の中央に一段深く7、8メートル掘り込まれた広場があった。監獄跡だろうという。下に降り、門口と思われ所から入ると、10メートルほどの「トンネル」を通って広場に出る。ここには、小作料を払えなかったり、賦役や兵役を逃れようとしたり、「過所」を持たずに旅した人たちが閉じ込められたのだろうか――さえぎるもの一つない陽光が容赦なくそそぎ、暑熱はたまって動かず、往時の人々の怨嗟の声が聞こえてくるようだ。

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                        牢屋へ続くトンネル

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牢屋 地下牢で周りの壁が切り立っているので逃げ出すことはできない。


緑あふれる崖下の畑

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 崖の下を流れる河の方を見下ろすと、緑あふれる畑が一面に広がっている。畑仕事をする地元の人々の動きが見える。昔はこの畑が貴重な食糧供給源だった。いにしえの人々ももここで畑を耕し、収穫の喜びを味わっていたのだろう。
 緑陰で焚き火をしながら羊肉を焼く人たちの楽しそうな声が聞こえてきた。栄華の都を追憶していた非現実の世界から、いっぺんに現実の生活に引き戻されてしまった。
 さっそく入り口付近の売店へ直行。

売店で休憩
 焼肉の匂いでビールが触発されたが、残念ながら売店にはビールは無い。それにまだ早い。
 みんなは盛んにスイカにかぶりついている。私もさっそく行動開始。暑さの中土埃にまみれながら歩いたのでとにかくのどが乾いている。しゃにむにかじりついた。
人心地付いたところでもう一度写真スポットを探しながら、夕暮れを待った。

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落日の交河故城
 私は、この往時のいぶきあふれた広大な故城の見学と撮影にほぼ一日を費やした。午後8時過ぎには落日を迎えた。
 かつて西のインドに向かう若き玄奘も見たであろう――巨大な仏塔のかなた、ほとんど一点の雲も無い。大地のはてに、日輪を描くがごとくに沈む落日は、まことに神々しく思わず両手を合わせていた。

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 やがて落日の瞬間に見せた交河故城は、不気味さを超越したこの世のものとは思えないものであった。まさに息を呑むような光景であった。

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