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アスターナ古墳と高昌故城へ向かって
バザールから東へ40キロほどにあるアスターナ古墳と高昌故城へ自転車をこいで向かいます。
シルクロードの要衝の地であったトルファンの郊外には、都城興亡の歴史を刻んだ遺跡が点在している。灼熱の乾燥地帯という風土から、遺跡や出土品の保存状態がよく、社会制度、宗教、生活様式など、当時の文化を知る貴重な史料となっている。
市街地を抜けて緑豊かなオアシスへと入ると、ポプラ並木を吹き抜ける風が、心地よく頬をくすぐる。
道行くおじさんやロバ車の人たちが、「ヤフシムーシズ(こんにちは)どこへ行くんだい? 」とか、「どこから来たの?」などと声をかけてくる。
この陽気で人懐っこさがウイグル人のよいところだ――好んで騒乱などを起こす人たちではないと、来るたびに感じる。
呼びかけられるたびに自転車を泊めて立ち話になるので、中々進まない。これがひとり旅のよいところだ。
オアシスを抜けると、周辺は細かい小石が混じった砂地と草の生えていない茶色の山だ。それでも
ところどころにブドウ畑があって、目を和ませてくれる。
いくつか村を通り過ぎた。農家の家はみんな日干し煉瓦の家だ。
村と村の間には次第にブドウ畑も見られなくなり、所々で羊で羊の放牧が見られるようになった。
遠くにはずうっと火焔山が見え続けている。昨日は美やロマンの対象だったものが、
今日は殺伐とした、おまけに坂道として自分を苦しめる存在として疎ましくさえ思えた。
人間とは勝手なものだ。
やがて、未舗装の砂漠の道へ入った。
前方には 小石の混じった砂漠が果てしなく続いている。
だが、闘志も沸いてくる。
わざわざこの道を選んだのだから――。
砂にタイヤが取られて進みづらくなった。
ここでとんでもない事故が出来してまった。
片手運転で水を飲もうとしたら、ハンドルを取られて見事に転倒。
そのとたんに2リットルの水が入ったペットボトルが手から離れて向こうまですっ飛んでしまった。
四国歩き遍路の時、小まめ給水を心がけようと、ペットボトルを手に持ちながらちびちび飲んでいた習慣が裏目に出てしまったようだ。
あ〜あ! 中身の水はほとんど砂に飲まれてしまった。
水といえば、予備として常時持っている500ミリリットルの水だけになってしまった。
まだ、アスターナ古墳までは20数キロはある。
このペース殿2時間以上はかかるだろう。
水が余り飲めないと思うと、暑さがよけいに感じる。50度はあるだろう。
とにかく熱い。喉もがんがん乾く。日射病だけが心配だ。
だが、汗はまったくかかない。 皮膚から直接蒸発していくからだ。
喉は乾くが、水を大切にしなければならないので、がまんがまん。
ひたすらペダルをふむ。
大丈夫だと確信しているものの、
ひょっとしてこの道が高昌故城への道でなかったらどうしよう、という不安がよぎる。
1時間半以上も走っているが、一向に人にも会わないし、人家らしきものも見えない。
かなり不安になってきた。
片手運転なんかしなかったら…
自分で選んでおきながら……まともに公道を走ればよかったかな〜
などと、ついつい反省めいたことを考えてしまう。
それから2時間近く走ると山道に差し掛かった。
周りには緑がまったくないので、暑い中の坂道だ。
もっとひどくなるなあ――。
そう思いながら急カーブを曲がり終えるとると、突然道の下の方に数軒の家が見えた。
思わず“助かった〜”と叫んでしまった。
今までは変哲もない風景として見てきた日干し煉瓦の家が、今はとてつもなく貴重に見える。
水はもう100ミリを切っていた。まさに、地獄に仏だった。
勇んで坂道を下って、一番手前の農らしき家の庭に入った。
数少ないウイグル語の「ヤフシムーシズ(こんにちは)」と叫ぶと、
女の子が二人出てきた。
続いて女性が出てきた。
この家の奥さんと子供だ。
幸い中国語が話せる人だったので事情を話すと、家へ案内してくれた。
家は思いのほか広くて、涼しかった。
ぶどうをご馳走してくれ、カレーズから汲んできた水を提供してくれた。
2.5リットル詰め込んだ。これで一安心。
アスターナ古墳までは、あと数キロだと励ましてくれた。
お礼の気持に、子供たちに鉛筆を上げたらことのほか喜んでくれたのでこちらもうれしかった。
10分ほどでオアシスを通る舗装道路に出た。これで無事性生還か…とホット胸をなでおろした。このメリハリがなんとも愉しい。 さっそくロバ車に出会ったので、道を確認した。
またまたひやひやしたが、終わってみれば、いい体験をした――
と、凝り性もなくほくそ笑んでいた。
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