東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

11楼蘭への砂漠の旅

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  猛烈なカラブラン(砂漠の強風)が吹きつけ、すさまじい砂嵐が我々に向かって襲って来た。 それに負けじと車は進む。
                
[本 日 の 記 事]

 ついに楼蘭故城に立つ 

あっ! あれが楼蘭故城だ。 夜の仏塔
周囲何百キロ、まったく明かりが無いので、まさに暗黒の世界だ。
 灯りといえば3人のヘッドランプだけだ。
 ランプなければ、1メートル先の相手の姿もほとんど見えない。
 離れないように、お互い3メートルほどの細い紐で結び合って歩いた。


 馬の背中のような形をした、岩のように硬い大きなな粘土質の塊を、
 登ったり降りたりしながら越えて行く。
 この動作が、際限なく続くように感じた。
 あるときはよじ登り、あるときは転がり落ちたりしながら、まるで這うようにして進んだ。
 
 <必ず楼蘭故城へたどりつくぞ>という熱い気持ちが、疲れきったからだを後押ししてくれた。
 真っ暗なので周囲はまったくと言っていいほど見えないので、
 逆に歩きに集中できる。
 無心の時が続いたと思うと、思いもよらないことがぽっと浮かんでくるときもある。


 暗くなってから3時間ほど歩いた地点で、足元の様子が突然変わった。
 照らしてみると、土器の破片が散らばっていた。
 足下に気をとられていると、誰かが「仏塔だ!」と叫んだ。
 
 顔を上げると、3人のヘッドランプの弱々しい明り先に、
 楼蘭の象徴とでもいうべき巨大な土と砂のストゥーパ(仏塔)が、
 黒い影をひいて幻のようになって浮かび上がっている。
 
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 いきなりの出現だったので、インパクトも強かった。

 “あれが若いころから想いをはせていた楼蘭故城か”――
 そう思った瞬間、身体じゅうから思いが込みあがって、しばらく息が止まった。
  
 苦労が多かった分、感激も飛びぬけて大きい。
 敦煌を出発して12日――。
 ついに、楼蘭への旅の終章「楼蘭故城」に立ったのである。
 
 暗がりの中しばし仏塔眺めていた…。
 するとここを訪れた先人たちが、自然と心に浮かんできた。

 5世紀、楼蘭がまだ盛んだったころに訪れた法顕
 すでに廃墟となった7世紀に通りかかった玄奘
 そして、20世紀にここを発見したスヴェン・ヘディンである。

?H5>先人たちの見た楼蘭  1600年ほど昔、法顕は、敦煌から20日近くかけてここへたどりつき、
 「王は仏法を奉ず。四千余僧あり」と書き残した。
 古書による推定人口1万4000人と比較して、すごい僧の数だ。
 当時、楼蘭は熱心な仏教王国だった。

 7世紀に玄奘は、インドからの帰り道、
 現在のニヤ遺跡、エンレデの遺跡の地帯を過ぎ、且末(チャルチャン)に至り、
 さらにここ楼蘭を通っている。
 
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                        玄奘三蔵が辿った道
 
 イメージ 8彼は且末に至ったとき、『大唐西域記』に
 「さらにここより東北に行くこと千余里、納縛波(ナバハ)の故国にいたる。すなわち楼蘭の地なり」
 と記し、
 楼蘭のあたりを通過して、
 「国は久しく空にして城はみな荒蕪たり」
 と記している。
 玄奘が訪れたときには、楼蘭はすでに廃墟となっていたのである。

 
 玄奘三蔵も廃墟となったこの仏塔を見たはずである。
 どんな想いを持ったのだろうか。
 想いのすべては共有できないにしても、確実に同じ空間を共有しているはずである。

 
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 玄奘三蔵はこのような面持ちで楼蘭の廃墟を眺めたのかもしれない。
 写真は、1976年に故夏目雅子さんが演じたテレビ番組『西遊記』

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30.西安城壁一周  〜城壁からの眺め〜  =はるかなり長安30=  ←クリック
 
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253 楼蘭故城をめざして苦闘の道をゆく    楼蘭への砂漠の旅29←クリック 
 
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29.さらば長安2 〜西安城壁一周サイクリングへさあ出発〜  =はるかなり長安29=  ←クリック
 
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                 南門(永寧門) きらびやかな衣装で魅了した南門入城セレモニー
     
[本 日 の 記 事]

 再三のピンチを乗り越えてカラブランの中を進む 

暑いけど頑張るぞ〜!
イメージ 1 歩き始めてから2時間以上がたった。
 足首まで砂に埋まりながら、一歩一歩進む。
 少し傾斜がついているところでは、踏ん張るとかえって後退する。
 リーダーが一足先に歩いて状況を見ながら前進する。
 トラックとランドクルーザーは我われの後を慎重についてくる。
 まるで逆だが、仕方ない。
 
イメージ 2 日光が相変わらず烈しく照りつける。
 とにかくのどが乾く。
 日射病を防ぐために500ミリのペットボトルをぶら下げながら、小まめに給水する。
 きっと、長年ジョギングで身体を鍛えてきたので、こんな苛烈な強行軍には役立っているんだな〜>  と思う。

砂嵐来襲
 しばらくして日差しが、ちょっと弱まった。
 前方を見ると、砂丘の向こうから雲が急にわき出してきた。
 風雲急を告げるの表現がぴったりだ。
 
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 見る見るうちに空全体を覆い尽くしてし、
 砂漠は茶色の明るい色から、薄暗い灰色の世界に見事なほどに変身してしまった。
 
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 これを見てとっさに『カラブラン』を直感した。
 砂漠の強風をカラブランと呼んでいる。
 これまで、
  楡林窟から敦煌へ向かうゴビ砂漠での砂嵐←クリック
 ウルムチからトルファンへ向かう途中の天山おろし、
 楼蘭へ向かってくる途中ヤルダン魔鬼城手前の暴風…など
 に遭遇した。 

 黒雲を見るとふつうは大雨を予感してしまうが、
 砂漠ではとっさに砂嵐に対する恐怖が浮かび上がる。
 「カサブランが繰るんじゃありませんか?」
 と不安そうにリーダーの顔をうかがうと、
 「そうです。きっとそうです」と、言うやいなや、手を振り回して、
 3人の運転手たちになにやら合図を送っている。そして、
 「すぐに車の中に入ってください」と、私を促した。
 
 乗り込むと、我われのランドクルーザーを守るように、トラックを前後に配置した。
 そして、ゆっくりと砂嵐の方向に向かって走り出した。
 ゴビ砂漠のときも、トラックが嵐の方向に向かっ走り続けた。
 横向きになると風圧で横転してしまうからだ。

 
 2、3分後、雲か動いてくる方向から、
 砂煙がまっしぐらにこちらに襲ってくる。
 
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 いよいよ砂嵐との戦いが始まる。
 チャ〜ン チャチャチャ チャチャチャチャ チャ〜ン チャチャチャ〜
 チャ〜ン チャチャチャ チャチャチャチャ チャ〜ン チャチャチャ〜

 思わずこのメロディーが頭に浮かんできた。
 前の2回で少し度胸がついて来たのか!?…
 いや、やはり怖い。
 「心のから元気」というやつだろう。
 
 だが、逃げ出すわけには行かない。
 ヤルダン魔鬼城では、幸い大きなヤルダンの影に隠れることが出来たが
 今はまったく無防備だ。
 すでに2度も遭遇しているので、死ぬとは思っていないが、
 万一車のガラスに物が当たって割れたら、
 風が中に吹き込んで、車体の軽いランドクルーザーは一挙に吹き飛ばされて
 きりきり舞いするだろう――。
 それを考えると恐ろしい。
 <いや、当たるものが無いのだから大丈夫>
 と、無理に落ち着かせようとする自分がいる。
 恐怖から逃れようとするのか…、シャッターを押しまくる。
 
 
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 そしてものの数十秒で、車は砂嵐の中に取り込まれてしまった。
 砂嵐の中に入ったとたん、逆に
 “くそ〜 こんなところで死んでたまるか”
 という気持になって腹が据わった。
 
 人間いざとなったらくそ度胸がつくものだなあ〜。
 今まで命を落としそうになったことが子供のときから4、5回あった。
 そのときも、死の直前になると妙に落ち着いて冷静だった。
 そんなことまで思い巡らした。 そのとき、
 人間って――もしかして、“オレって”カも知れないが…――不思議な動物だなあ〜、と思った。

 砂がフロントガラスにパチパチパチパチ…という音をたてて襲ってくる。
 ワイパーも利かないし、動かすと却ってガラスに疵がついて曇ってしまうと、運転手は言う。
 なるほど、強風が砂を吹き飛ばしてくれるので、ウインドウには積もらないというわけだ。
 
 視界は数メートルになった。
 だが、停車して待機するわけには行かない。
 どうして? 
 停車したままだと、砂に埋もれてしまうからだ。
  
 ヤルダンの姿が、すぐ近くになってになって、かろうじてぼんやりと目に入ってくる。
 ほとんどめくら運転に近い。
 だが、時速数キロなので、直前でも停車できるから大丈夫。
 
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 もちろん車内は全員沈黙だ。
 30分位してどうにか風はやんだ。 
 意外と早悔やんだ。幸運な方だという。

ヤルダンの馬の背を歩く
 それから砂の多い地面を1時間ほど走ると、
 今度は凹凸の烈しい、地形に遭遇した。
 一難去ってまた一難である。
 激しい起伏で、車の振動が激しく、
 頭を天井に打ち付けるやら、ウインドウに当たるやら散々である。
 ヘルメットの準備が必要そうだ。
 せめて、つば広帽子のなかにタオルを入れて、内出血の予防に精を出すのが関の山だ。
 こぶの数は数えきれない。
 
 必死に車内の持ち手にしがみついていたせいで、
 両手とも豆だらけで、水泡が何個も出来ていた。
 ほんとうにに凄いの一言に尽きる。

 平山郁夫先生が3度楼蘭を訪れているが、いずれもヘリを利用された。
 ご老体ではこのような陸路の訪問は無理だろう。

 さらに1時間ほど走ると、
 今度は鋭く尖った刃物のような硬い土が突き出ているヤルダン地帯に出くわした。
 
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 車での走行は,ついにここであきらめなければならない。
 ヤルダン魔鬼城付近での同じ地形で、
 同時に2本パンクするという手痛い災難に出くわしているからだ。

 いよいよ最後は歩かなければならない。
 
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 私とリーダーとガイドの3人は、食糧と水と着替え等をリュックにつめて、
 まだ楼蘭故城までは15キロほどある。
 ただの15キロとはわけが違う。
 だが、泣きごとを言っていても始まらない。
 とにもかくにも楼蘭故城めざして歩き通すしかない。

 途中で、日没を迎え、ヘッドランプで照らしながらの歩行を余儀なくされた。
  
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 このような中を、月と星とだけを頼りに歩いた昔の人たちに対する尊敬の念がいっそう湧いた。
 
 
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252 楼蘭故城へ険悪ルートへチャレンジ    楼蘭への砂漠の旅28←クリック 
 
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28.西安最後の夜、 二つの幸運な出会い  =はるかなり長安28=  ←クリック
 
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     『二都花宴図』 西面「シルクロード月下隊商憩図(部分) (西安 唐華賓館のロビーの壁画)

[本 日 の 記 事]

 楼蘭故城をめざして苦闘の道をゆく

 方城をから南西に進路をとり、35キロ先の楼蘭故城へ向けて出発。
 ふつうの道ならばあっという間に到着する距離だ。
 
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 出来るだけ凹凸の烈しい道を避けて、出来るだけ河床の道を選んで走ることにした。
 川筋(河床)は割合はっきりと認識され、車の轍も明瞭に残っている。
 方向的に見て、目下のところは、シュプールを辿って行けば楼蘭故城へ近づけそうな感じだ。
 
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 河底には巻貝が多数見受けられた。
 だが手に取ろうとすると、もろくも崩れ去ってしまう。
 いつの時代のものなどだろうか。
  
 比較的楽に走行できる砂の道という感覚で進入したが、ところがそうはいかなかった。

 車輪は砂を巻き上げ、前方がほとんど見えないような有様だ。
 風景写真どころではない。
 
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 精密なコンパスを持っているので、方向を失うことは無いとは思うが、
 なにぶんにもスタッフ全員がこの周辺は初めてなので、多少の不安感はある。
 それでも、いざとなったらヘリコプターへの救援体制は出来ているのでその点は安心だ。
 
さらに進むと砂が細かくなり、地麺が柔らかくなってきた。
 海岸の乾いた白い砂浜のようだ。
 人間の足で歩いても10数センチぐらい食い込む。
 
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4輪駆動のランドクルーザーでも、まるで新雪の上をラッセルして進むごとくだった。
 タイヤがすぐに砂に埋まってしまう。
 
 車の轍を頼りにして入り込むと、かえって大変だった。
 細かい流沙でスリップして、車輪を空回りさせて進まない。
 押そうが引こうが、車輪が砂にめりこんでしまう。
 アリ地獄のようにもがけばもがくほど深みに嵌ってしまう。
 6輪駆動のトラックの救援でどうにか脱出した。
 2台のトラックのうち1台は、いざとなったら救援に回れるように荷物を軽くしてある。
 
 1時間以上走っているが、まだ3キロほどしか進まない。
 歩きと同じだ。
 やむを得ずヤルダンへ方向転換した。
 
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 ヤルダンは千変万化に姿を変貌させるので、風景的には申し分ない。
 入り口付近では、シャッター-チャンスがあった。
 茸のようでもあり、島になったり、妖怪であったり、自由自在に変化した。
 全く起伏のない砂漠や集団墓地のように饅頭の小山が無数に存在したり、
 葦だけがタマリスクだけがその上に生えているといった奇形もあり、
 よくもまあ自然のなす造型の業をこれでもか、これでもかと見せ付けられた。
 
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 だが、このような造形美を味わうのもつかの間だった。
 想定外の地面に出くわした。 
 先ほど苦しめられた砂地獄以上の砂沙漠に出くわした。
 砂はますます深く、雲母を含んだパウダー状態で、軽く舞いあがり、
 まるで車をも飲み込んでしまうのではないかと思われるほどのものだった。
 オーバーに言えばまるで妖怪の世界のようだった。
 
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 この妖怪は刺激しないに限る。
 運転手を除いてすべてが車を降りて歩くことになった。
 車はほとんど歩くと同じようなスピードでノロノロと進んだ。
 靴に砂が入り込んでいっそう足取りを重くする。
 10月だというのに、日差しは刺すように烈しかった。
  
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 敦煌を出てから12日目、自然の恐ろしさをいやというほど味わされた。
 人間はこの大自然にかなうわけが無い。
 ましてや征服するなどとは大それている。

 歩きながら思った――
 ヤルダン魔鬼城で観光客の姿をチラッと見かけ、
 4日前に塩田で案内人と言葉を交わし対外は、
 まる11日間、われわれグループ以外、人の顔を見ていない。
  
 困難な場面にぶつかるたび、いつもいにしえの旅人の不安や孤独を想うのである。
 
イメージ 21 法顕や玄奘三蔵は何日間も人と出会わなかっただろう。
 それどころではなく、生きものの姿さえもを見ていなかったのだろう。
 法顕は「空に飛鳥無く、地上に走獣無し、ただ死人の枯骨を以て道しるべとなすのみ」
 と記している。

 現在の砂漠には、野生のラクダが生息しており、われわれも実際遭遇した。
 ラクダの糞を一生懸命に丸めている糞ころがしや、別の場所ではコガネムシのような昆虫も確認でき  た。
 また、獣にやられたのではないかと思われるラクダの屍骸も発見したし、
 大きな鹿の死体も見かけた。
 この枯れ切った砂漠の中にも、結構生き物の痕跡を認めることができた。

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 仮にこれだけであっても、ずっとましなのである。
 ましてや、携帯電話で救援を求めれば、トラックやヘリコプターが来てくれる。
 椅座というときには命を守ってもらえる恵まれすぎている「冒険旅ごっこ」なのである。

 
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 こんなことを考えながら、もくもく歩き続る。
 何キロ歩くのだろうか。
 
 楼蘭故城は近そうで遠い……

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[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前2回の記事]

251 [http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/32287569.html 鉄板河遺跡と方城遺跡  楼蘭の遺跡をめぐる2  楼蘭への砂漠の旅27 ]←クリック 
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                鉄板河遺跡には「楼蘭の美女」が3800年もの長い間眠っていた。


[お 勧 め の 記 事12]

=== 活気あふれる夜市   杜泉新生シルクロード2万キロをゆく32  === ←クリック
  
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  シシカバブを焼く香ばしい香や、人々の陽気な賑わいにつられてついつい夜の市場へ引き込まれてしまう。

旅の始めのほうから見たいときはこちら

27.絹を歌った詩 〜長安一片の月〜 =はるかなり長安27=  ←クリック
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[本 日 の 記 事]

 楼蘭故城へ険悪ルートをめざして

 1980年日中シルクロード調査隊は、土垠から直接楼蘭故城へ向かわず、
 いったん720基地へ戻ってから、楼蘭故城へ向かった。
 そのときの状況を次のように述べている。
 ――土垠から楼蘭王都までは直線にすれば35キロほどである。
 しかし、険悪な道は、ジープの走行を不可能にしている。
 一行は、720地点経由で王都に向かった。
『幻の楼蘭・黒水城』NHKシルクロード・絲綢之路三巻

 あれから三十年近く経過してので車の性能が高くなったし、道とはいえないが、
 いくらかルートらしきものが出来て、たまにはそのルートを走る一行もいるとのことだ。 
 そんな耳よりな話を聞いておきながら、みすみす石橋を渡るような私ではない――。
 躊躇せず直接ルートを選んだ。
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 すぐさま、方城から直接楼蘭故城を目指して出発した。
 
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 茶色の荒波の大地がはてしなく続いている。
 その地面には、刃物のようにに尖った硬い土が突き出ている。
 ところどころには行く手を阻むかのように巨大なヤルダンがそそり立っている。
 <来るなら来てみろ!>といわんばかりだ。
 これにはかえって冒険心と挑戦心がわきあがった。
  
 リーダーもガイドも口をそろえて「よい経験をさせてもらえそうです」と言って、
 意気揚々としている。
 その言葉に、こちらもも百万の味方を得たような心強さを感じた。

 思えば敦煌を出発して11日目、始めのうちは意見の食い違いでたまには衝突することもあったが、
 今はお互いに気心も知れ「旅の同士」のような存在になっている。

 だが、だが大自然は予想を遙かに超えた鋭い牙をむき出して待っていた。



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                            敦煌の舞姫4
 
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[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前2回の記事]

250 「漢代の遺跡土垠遺跡  楼蘭の遺跡をめぐる1   楼蘭への砂漠の旅26←クリック
 
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249 「ロプの女王」   楼蘭 への砂漠の旅24  〜杜泉新生シルクロード2万キロをゆく249←クリック 

[お 勧 め の 記 事12]

=== 羊皮筏子(ヤンピーファーズ)で黄河を渡る  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく26  === ←クリック
  
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 巧みな櫂捌きで羊皮筏子を操りながら黄河の激流を渡る蘭州の青年。 いにしえのシルクロード時代を彷彿とさせる。思わず胸が高鳴る。

旅の始めのほうから見たいときはこちら

26.長安の月 =はるかなり長安26=  ←クリック
 
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[本 日 の 記 事]

 鉄板河遺跡と方城遺跡  楼蘭の遺跡をめぐる2

「楼蘭の美女」が発掘された鉄板河遺跡

 朝に土垠遺跡をを出発してから1時間ほどで、鉄板河遺跡に到着した。
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 20〜30メートルの茶色の台地の上に、ほとんど朽ち掛けた建物跡や墓地がわずかに残るだけである。
 楼蘭に来るほとんどの人は、たいてい楼蘭故城と土垠遺跡だけであるが、
 私は、楼蘭の美女が発掘された場所に立ち寄ることにこだわりを持っていたので、やって来た。
 
 ここは楼蘭が歴史上に登場するよりずっと以前の古代遺跡である。
 この鉄板河遺跡から、ヨーロッパ系白色人種(コーカソイド)のミイラが相次いで発掘された。
 これらはC14法(放射性炭素計測法)の分析によれば、約3800年前に遡ると推定されている。
 つまりこれらの人々は、漢代に初めて歴史に現れた楼蘭王国よりも、
 さらに千数百年以上も前にこの地に住んでいたことになる。
 楼蘭の美女もその一人である。

 楼蘭は想像以上に長い歴史をもつ場所であった。これらの人々はどのような背景をもち、どのような生活を送っていたのだろうか?
 謎がかなり解かれた「さまよえる湖」とは異なり、こちらは依然として謎のままである

 
 私は古墓をめざして小高い丘に登っていくと、二本の柱と深く掘られた穴が目に入ってきた。
 おそらく、二本の柱はミイラを発見した時の目印になった柱であり、穴は発掘した跡であろう。
 
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 発掘の様子等については、下記の題目をクリックしてご覧ください。
 楼蘭 の美女発見!  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく218 ←クリック
楼蘭の美女と感動の出会iい    杜泉新生シルクロード2万キロをゆく219 ←クリック


[コラム]「楼蘭の美女」のプロフィール
イメージ 5 このミイラは1980年、タクラマカン砂漠の東にある楼蘭鉄板河遺跡で発掘されたものである。炭素14測定の結果、紀元前19世紀(約3,800年前)に埋葬されたもので、死亡時の年齢は約40歳、身長155センチメートルと推測されている。
 また、1980年4月から放映されていたNHK特集 シルクロード第5回「楼蘭王国を掘る」(1980年8月4日放送)でも紹介された。

 2004年5月29日には中国遼寧省瀋陽市の中国刑事警察学院刑事人相学の専門家、趙成文によって3年がかりで楼蘭の美女の生前の姿を再現する頭像が製作された。趙成文は「今回復元した容貌は生前のものに90パーセント以上似ているだろう」と語った。これは18歳を想定して復元したものである。
 
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方城遺跡

 鉄板河遺跡から西南に進んだところに方城遺跡があった。
 ここは楼蘭故城からは、北東に当たる。
  
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 城内北部に高台があり、そこへ登ってゆくと、粗大な木材が散乱している。
 建物の柱だったものであろう。
 
   「方城」は、 「居慮倉」と呼ばれた糧倉の遺跡の可能性があるとされている。
                    (穆舜英 『神. 秘的故城楼蘭』)

 楼蘭周辺の遺跡には、案内表示や説明版などはほとんど見当たらない。
 以前は立ち入り禁止区域に指定していたくらいだから、
 観光誘致は積極的に進めたくないのであろう。
 もちろん近年の調査研究もあまり進んでいない。

 
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                   「楼蘭の美女」にはちょっとかなわないようですが…

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