11楼蘭への砂漠の旅
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このブログは旅の流れに沿って公開されております。すべて表示をクリックするとすべての記事がご覧になれます。[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前回の記事]253 楼蘭故城をめざして苦闘の道をゆく 楼蘭への砂漠の旅29←クリック旅の始めのほうから見たいときはこちら29.さらば長安2 〜西安城壁一周サイクリングへさあ出発〜 =はるかなり長安29= ←クリック[本 日 の 記 事] 再三のピンチを乗り越えてカラブランの中を進む暑いけど頑張るぞ〜!足首まで砂に埋まりながら、一歩一歩進む。 少し傾斜がついているところでは、踏ん張るとかえって後退する。 リーダーが一足先に歩いて状況を見ながら前進する。 トラックとランドクルーザーは我われの後を慎重についてくる。 まるで逆だが、仕方ない。 とにかくのどが乾く。 日射病を防ぐために500ミリのペットボトルをぶら下げながら、小まめに給水する。 きっと、長年ジョギングで身体を鍛えてきたので、こんな苛烈な強行軍には役立っているんだな〜> と思う。 砂嵐来襲しばらくして日差しが、ちょっと弱まった。前方を見ると、砂丘の向こうから雲が急にわき出してきた。 風雲急を告げるの表現がぴったりだ。 見る見るうちに空全体を覆い尽くしてし、 砂漠は茶色の明るい色から、薄暗い灰色の世界に見事なほどに変身してしまった。 これを見てとっさに『カラブラン』を直感した。 砂漠の強風をカラブランと呼んでいる。 これまで、 楡林窟から敦煌へ向かうゴビ砂漠での砂嵐←クリック ウルムチからトルファンへ向かう途中の天山おろし、 楼蘭へ向かってくる途中ヤルダン魔鬼城手前の暴風…など に遭遇した。 黒雲を見るとふつうは大雨を予感してしまうが、 砂漠ではとっさに砂嵐に対する恐怖が浮かび上がる。 「カサブランが繰るんじゃありませんか?」 と不安そうにリーダーの顔をうかがうと、 「そうです。きっとそうです」と、言うやいなや、手を振り回して、 3人の運転手たちになにやら合図を送っている。そして、 「すぐに車の中に入ってください」と、私を促した。 乗り込むと、我われのランドクルーザーを守るように、トラックを前後に配置した。 そして、ゆっくりと砂嵐の方向に向かって走り出した。 ゴビ砂漠のときも、トラックが嵐の方向に向かっ走り続けた。 横向きになると風圧で横転してしまうからだ。 2、3分後、雲か動いてくる方向から、 砂煙がまっしぐらにこちらに襲ってくる。 いよいよ砂嵐との戦いが始まる。 チャ〜ン チャチャチャ チャチャチャチャ チャ〜ン チャチャチャ〜 チャ〜ン チャチャチャ チャチャチャチャ チャ〜ン チャチャチャ〜 思わずこのメロディーが頭に浮かんできた。 前の2回で少し度胸がついて来たのか!?… いや、やはり怖い。 「心のから元気」というやつだろう。 だが、逃げ出すわけには行かない。 ヤルダン魔鬼城では、幸い大きなヤルダンの影に隠れることが出来たが 今はまったく無防備だ。 すでに2度も遭遇しているので、死ぬとは思っていないが、 万一車のガラスに物が当たって割れたら、 風が中に吹き込んで、車体の軽いランドクルーザーは一挙に吹き飛ばされて きりきり舞いするだろう――。 それを考えると恐ろしい。 <いや、当たるものが無いのだから大丈夫> と、無理に落ち着かせようとする自分がいる。 恐怖から逃れようとするのか…、シャッターを押しまくる。 そしてものの数十秒で、車は砂嵐の中に取り込まれてしまった。 砂嵐の中に入ったとたん、逆に “くそ〜 こんなところで死んでたまるか” という気持になって腹が据わった。 人間いざとなったらくそ度胸がつくものだなあ〜。 今まで命を落としそうになったことが子供のときから4、5回あった。 そのときも、死の直前になると妙に落ち着いて冷静だった。 そんなことまで思い巡らした。 そのとき、 人間って――もしかして、“オレって”カも知れないが…――不思議な動物だなあ〜、と思った。 砂がフロントガラスにパチパチパチパチ…という音をたてて襲ってくる。 ワイパーも利かないし、動かすと却ってガラスに疵がついて曇ってしまうと、運転手は言う。 なるほど、強風が砂を吹き飛ばしてくれるので、ウインドウには積もらないというわけだ。 視界は数メートルになった。 だが、停車して待機するわけには行かない。 どうして? 停車したままだと、砂に埋もれてしまうからだ。 ヤルダンの姿が、すぐ近くになってになって、かろうじてぼんやりと目に入ってくる。 ほとんどめくら運転に近い。 だが、時速数キロなので、直前でも停車できるから大丈夫。 もちろん車内は全員沈黙だ。 30分位してどうにか風はやんだ。 意外と早悔やんだ。幸運な方だという。 ヤルダンの馬の背を歩くそれから砂の多い地面を1時間ほど走ると、今度は凹凸の烈しい、地形に遭遇した。 一難去ってまた一難である。 激しい起伏で、車の振動が激しく、 頭を天井に打ち付けるやら、ウインドウに当たるやら散々である。 ヘルメットの準備が必要そうだ。 せめて、つば広帽子のなかにタオルを入れて、内出血の予防に精を出すのが関の山だ。 こぶの数は数えきれない。 必死に車内の持ち手にしがみついていたせいで、 両手とも豆だらけで、水泡が何個も出来ていた。 ほんとうにに凄いの一言に尽きる。 平山郁夫先生が3度楼蘭を訪れているが、いずれもヘリを利用された。 ご老体ではこのような陸路の訪問は無理だろう。 さらに1時間ほど走ると、 今度は鋭く尖った刃物のような硬い土が突き出ているヤルダン地帯に出くわした。 車での走行は,ついにここであきらめなければならない。 ヤルダン魔鬼城付近での同じ地形で、 同時に2本パンクするという手痛い災難に出くわしているからだ。 いよいよ最後は歩かなければならない。 私とリーダーとガイドの3人は、食糧と水と着替え等をリュックにつめて、 まだ楼蘭故城までは15キロほどある。 ただの15キロとはわけが違う。 だが、泣きごとを言っていても始まらない。 とにもかくにも楼蘭故城めざして歩き通すしかない。 途中で、日没を迎え、ヘッドランプで照らしながらの歩行を余儀なくされた。 このような中を、月と星とだけを頼りに歩いた昔の人たちに対する尊敬の念がいっそう湧いた。
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このブログは旅の流れに沿って公開されております。すべて表示をクリックするとすべての記事がご覧になれます。[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前回の記事]252 楼蘭故城へ険悪ルートへチャレンジ 楼蘭への砂漠の旅28←クリック[お 勧 め の 記 事12]=== 蘭州回想 杜泉新生シルクロード2万キロをゆく32 === ←クリック旅の始めのほうから見たいときはこちら28.西安最後の夜、 二つの幸運な出会い =はるかなり長安28= ←クリック 出来るだけ凹凸の烈しい道を避けて、出来るだけ河床の道を選んで走ることにした。 川筋(河床)は割合はっきりと認識され、車の轍も明瞭に残っている。 方向的に見て、目下のところは、シュプールを辿って行けば楼蘭故城へ近づけそうな感じだ。 河底には巻貝が多数見受けられた。 だが手に取ろうとすると、もろくも崩れ去ってしまう。 いつの時代のものなどだろうか。 比較的楽に走行できる砂の道という感覚で進入したが、ところがそうはいかなかった。 車輪は砂を巻き上げ、前方がほとんど見えないような有様だ。 風景写真どころではない。 精密なコンパスを持っているので、方向を失うことは無いとは思うが、 なにぶんにもスタッフ全員がこの周辺は初めてなので、多少の不安感はある。 それでも、いざとなったらヘリコプターへの救援体制は出来ているのでその点は安心だ。
さらに進むと砂が細かくなり、地麺が柔らかくなってきた。
海岸の乾いた白い砂浜のようだ。人間の足で歩いても10数センチぐらい食い込む。
4輪駆動のランドクルーザーでも、まるで新雪の上をラッセルして進むごとくだった。
タイヤがすぐに砂に埋まってしまう。車の轍を頼りにして入り込むと、かえって大変だった。 細かい流沙でスリップして、車輪を空回りさせて進まない。 押そうが引こうが、車輪が砂にめりこんでしまう。 アリ地獄のようにもがけばもがくほど深みに嵌ってしまう。 6輪駆動のトラックの救援でどうにか脱出した。 2台のトラックのうち1台は、いざとなったら救援に回れるように荷物を軽くしてある。 1時間以上走っているが、まだ3キロほどしか進まない。 歩きと同じだ。 やむを得ずヤルダンへ方向転換した。 ヤルダンは千変万化に姿を変貌させるので、風景的には申し分ない。 入り口付近では、シャッター-チャンスがあった。 茸のようでもあり、島になったり、妖怪であったり、自由自在に変化した。 全く起伏のない砂漠や集団墓地のように饅頭の小山が無数に存在したり、 葦だけがタマリスクだけがその上に生えているといった奇形もあり、 よくもまあ自然のなす造型の業をこれでもか、これでもかと見せ付けられた。 だが、このような造形美を味わうのもつかの間だった。 想定外の地面に出くわした。 先ほど苦しめられた砂地獄以上の砂沙漠に出くわした。 砂はますます深く、雲母を含んだパウダー状態で、軽く舞いあがり、 まるで車をも飲み込んでしまうのではないかと思われるほどのものだった。 オーバーに言えばまるで妖怪の世界のようだった。 この妖怪は刺激しないに限る。 運転手を除いてすべてが車を降りて歩くことになった。 車はほとんど歩くと同じようなスピードでノロノロと進んだ。 靴に砂が入り込んでいっそう足取りを重くする。 10月だというのに、日差しは刺すように烈しかった。 敦煌を出てから12日目、自然の恐ろしさをいやというほど味わされた。 人間はこの大自然にかなうわけが無い。 ましてや征服するなどとは大それている。 歩きながら思った―― ヤルダン魔鬼城で観光客の姿をチラッと見かけ、 4日前に塩田で案内人と言葉を交わし対外は、 まる11日間、われわれグループ以外、人の顔を見ていない。 困難な場面にぶつかるたび、いつもいにしえの旅人の不安や孤独を想うのである。 それどころではなく、生きものの姿さえもを見ていなかったのだろう。 法顕は「空に飛鳥無く、地上に走獣無し、ただ死人の枯骨を以て道しるべとなすのみ」 と記している。 現在の砂漠には、野生のラクダが生息しており、われわれも実際遭遇した。 ラクダの糞を一生懸命に丸めている糞ころがしや、別の場所ではコガネムシのような昆虫も確認でき た。 また、獣にやられたのではないかと思われるラクダの屍骸も発見したし、 大きな鹿の死体も見かけた。 この枯れ切った砂漠の中にも、結構生き物の痕跡を認めることができた。 仮にこれだけであっても、ずっとましなのである。 ましてや、携帯電話で救援を求めれば、トラックやヘリコプターが来てくれる。 椅座というときには命を守ってもらえる恵まれすぎている「冒険旅ごっこ」なのである。 こんなことを考えながら、もくもく歩き続る。 何キロ歩くのだろうか。 楼蘭故城は近そうで遠い…… ポチ! 期待しています。
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このブログは旅の流れに沿って公開されております。すべて表示をクリックするとすべての記事がご覧になれます。[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前2回の記事]251 [http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/32287569.html 鉄板河遺跡と方城遺跡 楼蘭の遺跡をめぐる2 楼蘭への砂漠の旅27 ]←クリック[お 勧 め の 記 事12]=== 活気あふれる夜市 杜泉新生シルクロード2万キロをゆく32 === ←クリック旅の始めのほうから見たいときはこちら27.絹を歌った詩 〜長安一片の月〜 =はるかなり長安27= ←クリック楼蘭故城へ険悪ルートをめざして1980年日中シルクロード調査隊は、土垠から直接楼蘭故城へ向かわず、いったん720基地へ戻ってから、楼蘭故城へ向かった。 そのときの状況を次のように述べている。 ――土垠から楼蘭王都までは直線にすれば35キロほどである。 しかし、険悪な道は、ジープの走行を不可能にしている。 一行は、720地点経由で王都に向かった。
『幻の楼蘭・黒水城』NHKシルクロード・絲綢之路三巻
あれから三十年近く経過してので車の性能が高くなったし、道とはいえないが、いくらかルートらしきものが出来て、たまにはそのルートを走る一行もいるとのことだ。 そんな耳よりな話を聞いておきながら、みすみす石橋を渡るような私ではない――。 躊躇せず直接ルートを選んだ。 茶色の荒波の大地がはてしなく続いている。 その地面には、刃物のようにに尖った硬い土が突き出ている。 ところどころには行く手を阻むかのように巨大なヤルダンがそそり立っている。 <来るなら来てみろ!>といわんばかりだ。 これにはかえって冒険心と挑戦心がわきあがった。 リーダーもガイドも口をそろえて「よい経験をさせてもらえそうです」と言って、 意気揚々としている。 その言葉に、こちらもも百万の味方を得たような心強さを感じた。 思えば敦煌を出発して11日目、始めのうちは意見の食い違いでたまには衝突することもあったが、 今はお互いに気心も知れ「旅の同士」のような存在になっている。 だが、だが大自然は予想を遙かに超えた鋭い牙をむき出して待っていた。 |
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