[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく その他の最近の記事](下線文字をクリックしてご覧ください)227 ヤルダン魔鬼城へ 楼蘭への道3 228 ヤルダンの不思議な造形美 〜自然は超一流の芸術家〜 楼蘭への道4 [本 日 の 記 事] 不気味! これぞ魔鬼城 楼蘭への道6楼蘭への旅第一日目の夜は、ヤルダン地帯の大龍城(ヤルダン魔鬼城)でのテント泊であった。宵闇迫る魔鬼城いよいよ日没が迫ってくる。ヤルダン魔鬼城に夕闇が訪れようとしている。 風景は茶色ががかった紫かから黒の世界へと移り変わってゆき、 次第に不気味さが押し寄せてくる。 かなたから死者の叫び声が“ウォーン ウォーン!”と湧き上がって来るように想えて、 おののきを感じた。 四方八方、どちらを見ても不気味の世界だ。 不気味な光が地獄の谷底から沸きあがってくる。 その光は、まるで何千年もの長いあいだに、もだえ苦しみながら死んでいった何千、何万もの人々の霊 の怨み のエネルギーのようだ。 シャッターを切るとその霊のエネルギーがカメラの中に入り込んでくるのではないか―― そんな怖い感覚が私を襲った。 以前知人の写真を撮った時に、右肩の上に人魂のようなものが映っていたことがあって恐ろしくなった ことがあった――思わずそのことが瞬間的に頭をよぎった。 あれこそが魔鬼城だ――あそこにはたくさんの霊たちがうごめいているにちがいない。 テントで野営午後9時前に撮影を切り上げ、ナン、キューリ、トマト、魚肉ソーセージ、お茶、という腹ごしらえが目的の夕食をすませて、 10時前にそれぞれのテントに引き上げた。 <こんなところでテントに一人で寝るのか…>と思うと…、気意味悪くてしかたがない。 風が出てきた。 |
11楼蘭への砂漠の旅
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226 http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/31896865.html 敦煌から玉門関・漢の長城へ 楼蘭への道2] [本日の記事] ヤルダンの不思議な造形美 〜自然は超一流の芸術家〜(改訂) 楼蘭への道4奇岩・美顔キャンプ地へ到着したのは午後3時ころ、日没の午後8時過ぎまではたっぷりと時間がある。 ガイドの黄さんは車を飛ばしてあちこちの写真スポットへ案内してくれた。 おかげさまで、とてもこの世のものとは思えない絶景や造形美にめぐり合うことが出来た。 まるでエジプトのスフィンクス、イースター島のモアイ像を思い起こさせる土塊群 アメリカの砂漠で見た西部劇に出てきそうな情景などなど… 不思議な想いに誘ってくれた。 以前訪れた感動的な場所を思い浮かべながら造形の中に浸り、情景がいっそう生き生きしたものになった。 最も圧巻だったのは、真っ先に案内してくれたのは、最も見晴らしのよい小高い丘だった。 さらにその丘の中央付近には、10メートルほどのヤルダンがあった。 「あそこへ上ればヤルダン魔鬼城がほぼ一望できますよ」と言う。 一も二もなくなく「登ります」と言うと、 「アイゼンや命綱が必要ですよ。ロッククライミングの経験がありますか?」と訊いたので、 幸い若いころ経験がある旨を話すと、二人で登ることを了承した。 「あくまでも自己責任でお願いします]と付け加えた。 中国ではまだ保険制度が充分確立されていないので、これはやむをえない。 黄さんのお陰で、自分なりに心に残る傑作をたくさん生むことが出来た。 感謝したい。 謝謝! 黄先生。 |
[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく その他の最近の記事](下線文字をクリックしてご覧ください)226 http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/31896865.html 敦煌から玉門関・漢の長城へ 楼蘭への道2] 224 楼蘭への道 〜出発地の敦煌へ列車で戻る〜 幻の王国楼蘭をたずねる2 記事は下線文字をクリックしてご覧ください。 旅を振り返って旅を最初からご覧になりたい方はタイトルをクリックしてください。3.[ http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/23465991.html 自転車レンタル交渉 =はるかかなり長安3=] [本日の記事] ヤルダン魔鬼城へ 楼蘭への道3漢の長城の最西端を過ぎてからは、疏勒河沿いに、砂漠や小石混じりのゴビ灘の道なき道をヤルダン魔鬼城をめざしてを走る。 おおよそ6,70キロの道のりだ。 今では玉門関を通ってヤルダン魔鬼城まで舗装道路が完成している。 それを利用すれば、敦煌市内から約2時間半でヤルダン魔鬼城へ到達できる。 半月前には舗装道路を通ったが、 今回は先人たちの歩んだ道を少しでも味わってみたかったので、 あえて昔のシルクロードにこだわった。 「ここもタクラマカン砂漠ですか」と訊くと、 「いいえ、クムターグ砂漠です」と、ガイドが教えてくれた。 クムターグ砂漠は中国の8大砂漠の一つで、羽毛状の砂丘が分布する国内でも珍しい特徴的砂漠とのことだ。 「よい写真スポットへご案内しましょう」と言って、小高い砂丘へ案内してくれた。 なかなかの美観だ。 次第に地面が硬くなり浪打ち始め、やがてあちらこちらにヤルダンが見え始めるた。 ヤルダンは以前も何度か説明したが、ウイグル語で「険しい崖のある土丘群の地」の意味である。 ここのヤルダンは、風蝕で出来た様々な形の土丘が南西約25km、幅約2kmに及んで連なっている。この一帯は三龍堆と呼ばれている。 いつ見ても見事な砂漠の造形美に圧倒されっぱなしだ。 三龍堆から50キロほど走ると、地面が次第に凸凹が烈しくなり、道が大きく波打つようになってきた。 まるで海岸か山の岩場のようだ。 ここからが本格的なヤルダンが始まるのだ。 われわれの4輪駆動ランドクルーザーも、後続の6輪駆動のトラックも、運転手がひどく大変そうだった。 車体がひっきりなしに前後左右上下に烈しく揺れる。 何度も車の天井に頭をぶつけ、体がときどきドアに打ち付けられる。 まるで洗濯機の中にほうりこまれた古パンツのようにもみくちゃ。今にも壊れそうだ。 自分の身を保つのが精一杯で写真どころではない。 それでも車に乗っているだけなので、砂漠を行くといってもたいした辛いわけではない。 こんな道を法顕や玄奘三蔵たち先人たちは、 ラクダや馬で進んだのだろうか、 それとも下りて歩いたのであろうか? こんなことに想った瞬間―― 「ガイドさん 少し歩かせてください」 という言葉が無意識に口から出てきた。 ちょっと怪訝そうな顔をしたが、即座に 「そうしましょう」と、拍子抜けするほどあっさりと応じた。 歩くのは、私とガイドと、トラックに乗っている世話人の計3名である。 私の車の運転手、トラックの運転手と助手は10キロほど先――その日のキャンプ地で待つことになった。 7、8キロ歩いた地点で、私たちは大自然が創りあげた壮大な城の中に入り込んだ。 ここが大龍城とも呼ばれる、ヤルダン魔鬼城だ。 2003年「敦煌ヤルダン国家地質公園」としてオープンした。 だがこんなとんでもないところを歩いているのはわれわれ三人だけだ。 さすが大龍城と呼ばれるだけのことはある。 ゴビの砂漠の中に、巨大な土の塊が、ちょうど南極の海に浮かぶ氷山のように、何十何百とそびえ立っている。 土の塊は、周囲数百メートル、高さ4、50メートルといった巨大なものもあれば、まるで人が創りあげたような仏塔形のものもある。 土塊の上に立ってみると、トラックやランドクルーザーが、まるでミニカーのように見える。 高層ビルの展望台に登って、下界を見下ろす様(さま)に似ている。 ――道路が縦横に走る。その両側に並ぶ巨大な土の塊は、大都会のビルである。それが見渡す限り続いている。 「これは大上海ですね〜」 わがガイド氏は、自然の造形をそう形容した。 中国最大の都市、上海、その上海を数倍も上回る都会の景観だというのである。 このヤルダンは、東西80キロ、南北40キロほどあるという。 そういえば、ウルムチでビル街の夕景を撮った時、「まるでヤルダンだ」と、想ったことがあった。 「なかなかうまい表現をするなあ」と感心しながら、私も頭をひねっってみる。 「自然がつくった大都会、神々の居城」と、名付けてみた。 この地形は、風化土堆群と呼ばれている。 ゴビに吹き荒れる烈風によって土が削り取られ、硬いところだけが残っているというのである。 実際土塊に近づいてみると、激流が岩を削り取るように,土塊には風の流れが刻み込まれていた。 とりあえず1枚だけ公開します。後はクリックして見てね〜 |
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224 楼蘭への道 〜出発地の敦煌へ列車で戻る〜 幻の王国楼蘭をたずねる2 記事は下線文字をクリックしてご覧ください。 233 心ふるえた小説『楼蘭』 幻の王国楼蘭をたずねる 1 記事は下線文字をクリックしてご覧ください。 敦煌発 9:00 ここはこれで3回目だ。 今回は不愉快な思いもしたが、溜飲を下ろした。 玉門関の周りには柵がめぐらされている。 バスでやって来た日本人ツアー観光客がこの柵の中に入って写真を撮ろうとしたら、貸し馬屋2人がやってきて、入場料がいると言って3人から100元ずつ集めていた。 半月前に私が来た時にはそんなことは言われなかった。 どうも腑に落ちない。 おせっかい焼きの私としては、黙っちゃいられない。 同じ日本人がだまされるのを見過ごすことは出来ない。 チケットが無いのはおかしいと言うと、 柵内に入る人はあまりいないので、そんなものはないと言う。 それじゃ、どこがこれを管理しているのか知りたいので、3人が払った金の領収書がほしいというと、 「そういうものはない」と、またまた言う。 では、どういう組織から委託を受けてあなた方はここの入場管理をしているのか、と聞いたら、 「ここは水もないし管理がとってもむずかしい」 などと答えにもならないことを言って、話をそらそうとする。 私はここに取材に来ているので、ここで見たことをありのまま書かなければならない、 それと知り合いの政府観光関係責任者にこのことを確認しなければならないと言うと、 急に二人は動揺して、ポケットの中の100元札を返してよこした。 ポケットの中にはたくさんの100元札がねじ込まれていた。 観光バスでやって来たツアー客などは、100元のニセ入場料をすぐ払ってしまうだろうから、 観光バスが10台くらい入ってきたら、1万元以上の金があっという間に稼げるだろう。 私が車で発進しようとしたら、この二人のボス格らしい中年男が馬で追いかけて来て 「悪かったです」と謝った。 これまで中国に来てたけっこうだまされたが、問い詰めてこういう風にはっきりと謝られたのは初めてだった。 この違法搾取は完全に犯罪なのだから、どこかに通報されるとまずい、と真剣におびえたのであろう。 ここ玉門関は漢の西端に位置した関所だ。 ここからは漢の支配の及ばない西域だ。 古来ここで多くの惜別の詩が詠まれた。 楼蘭――この国名は、流麗でまろやかな韻律をもち、限りない幻想をかきたててくれる。 この地を目指して、私の冒険旅行の始まりでもある。 ?H5>漢代長城 漢代長城を右手に見ながらひたすら走り続ける。 ラクダに乗ったいにしえの旅人たちはどのような想いをもってこの長城を眺めたのであろうか。 |




