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嫌がるラクダたちを叱咤激励してどうにかケリア河を渡ったわたしたちは再び砂漠の中を行く。 この辺りは、東西南北どちらを見回しても、大小の砂丘がはるかかなたまで連なっている。 先頭を行くラクダ曳きのリーダーのイスマイリーさんの歌声が、砂漠に朗々と響きわたり、 私たちの連のラクダはその後をゆっくりと進んでゆく。 沙漠に映る自分たちの影もゆらりゆらりと移ろってゆく。 何とも不思議でのどかだ。 温度は38度だ。かなり厳しい暑さだが、汗はすぐ蒸発して衣類はべとつかない。 そよ風に吹かれていると特別暑さを感じない。 18時ころから陽が西に傾き始め、砂丘に美しい陰影ができた。 この芸術的ともいえる曲線を見ると、これまでの疲れがすうっと消えた。 19時ごろ、枯れ木のあるところにキャンプを設営した。 さっそく大きなたき火がたかれる。 暖かな火を前に、ラクダ曳きたちが順番に得意の歌を披露してくれた。 とにかく陽気さが伝わってくる。 女性たちが混じっていれば、にぎやかなウイグルダンスが繰り広げられたに違いない。 たき火の周りでナンを焼いたり、お茶を沸かしたりして、時間をかけて夕食をとる。 厳しい旅だからこそ、キャンプでの夜はゆっくりと過ごすのだ。 せっかちな日本人のわたしも、だいぶゆったりペースに順応してきた。 みなが毛布をかぶってたき火の周囲で眠ったのは、23時30分ごろであった。 たまに目が覚めて仰向けになってみる空は、その晩も満天の星だった。 翌日2日目も、一日ラクダの旅で、イスマイリーさんの話によると、この日の移動距離は約16キロであった。 ラクダ曳きのリーダーイスマイリーさん ラクダの旅3日目で、待望の遺跡らしい姿がはるか遠方に見えてきた。 ついにダンダンウィリクに到着が近づいてきた。 |
12西域南道
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ラクダ隊、ダンダンウィリクへ向けて出発
[前回までのあらすじ]
ホータンで残留部隊と合流した我々は、ケリアの街からケリア河を北上して、タクラマカン砂漠のベースキャンプ、バスカッ・イゲルへ到着した。 詳細は、クリック ホータンから西域南道を走りケリアへ タクラマカン砂漠のベースキャンプバスカッ・イゲルへ タクラマカン砂漠 満点の星空 ?H5>ラクダ隊編成
今まで乗ってきたランドクルーザーと別れ、ベースキャンプでラクダ隊を編成した。 我々側のメンバーは、リーダー、ガイド、世話役兼食事係の4名。 現地のラクダ曳き兼世話係は4名である。 キャラバンは、5〜6頭のラクダをロープでつないで一連とし、 先頭にラクダ曳きノリーダーが乗り、 その後に私たちのグループのラクダが―― ガイド、私、リーダー、世話人の順で続いた。 そのあとには、荷物や水を積んだラクダが、現地のラクダ曳き3名に曳かれて従った。 ラクダは、親ラクダ10頭、子ラクダ2頭の計13頭である。 ラクダ曳きの一人は、交代でラクダに乗って休憩する。 なぜ子ラクダをつれてゆくの? そう思われる人が多いだろう。 ラクダは親子の情が深くて、なかなか親離れ子離れできない。 母と子を離すと、母親は悲しがって働きが悪くなるのだそうだ。 ?H5>河を渡るのを嫌がるラクダたち
出発は13時50分。 遅い時間の出発は、次のキャンプ地までの距離と、厚さを避けることを配慮してである。 まず、ケリア河を渡る。 川幅は120メートルぐらいあり、水量も多かった。 中央の深いところは水深1メートル以上ある。 夏なので、崑崙山脈の雪どけ水が多いのだそうだ。 ラクダは水に入るのを嫌がっているようだ。 仕方なく、ラクダ引きのリーダーがまず自分一人で渡った。 そのコースを追って、最初の連(グループ)の先頭のラクダが尻をたたかれ、 しぶしぶ水の中に入ると、後につながれたラクダも仕方なくついていった。 ラクダが水を怖がることを私は初めて知った。 この場面は、写真はダメだと、ラクダ引きのりーダーは手で静止した。 自分の所有するラクダの情けないところを写されると、商売に差し支えるからでしょうと、 わたしたちのリーダーはこっそりと教えてくれた。 しかし、第2グループの先頭にいた母ラクダは、 たたかれても引っ張られても抵抗して水に入ろうとしない。 その上、向きを変えて強引に岸から離れようとする。 やむなく別のラクダを先頭につなぎ、それに引っ張られるようにして進んだ。 川の中央は流れが速く、ラクダは上流側に足をずらしながら、水に流されないように進むので、 前後左右に激しく揺れる。 だいぶ慣れてきたラクダの背中だが、とても写真どころではない。 緊張して手綱をしっかり握り、体を前傾させてバランスを取りながら、どうにか無事に渡り終えた。 ここから、先は再び砂漠の中を行く。 |
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ホータンを出発した我々は、ケリアを経過して、ダンダンウィリクへのベースキャンプベースキャンプバスカッ・イゲルへ向かった。 ケリア河沿いの砂漠の道をバスカッ・イゲルへ向かうケリアの街の東側を流れる広々としたケりア川にかかる橋を渡って左折し、左岸を北上し始めた。これまで通って来た道では、乾季の白玉河や黒玉河ではあまり水は流れていなかったが、 ケリア河は比較的水量が多い。 そのおかげで、周辺には水田がたくさん見られ、緑がいっぱいだ。 しかし、まもなくポプラの並木道も途絶え、畑地も、葦が群生する湿地帯も見えなくなり、小高い砂丘地帯に入った。 目指すキャンプ地バスカ・イゲルまではケリヤから125キロほどの距離だが、砂丘の間をぐるぐると縫うように進む自然の悪路で、スピードは出せない。運転手も四苦八苦している。 猛烈な砂煙なので、ラップで包んだカメラで撮影を続けているが、やはり鮮明な画像は無理だった。 わざわざ停車してもらって、ラップなしの別のカメラで撮影するときもあった。 周囲は砂丘の連続で、ところどこに太い胡楊があり、砂丘にはタマリスクと葦が生えている。 民家はほとんどなく、ほぼ2〜3キロごとに羊飼いの姿が見られるだけであった。 ところどころでラクダが胡楊やタマリスクを食んでいる姿にもお目にかかった。 バスカッ・イゲル近くになると夕日が傾き、うっすらと暗くなり始めた。 午後7時50分、ようやくバスカッ・イゲルへ到着した。 ああ〜 今日も長い一日だったな〜。 [西域南道をゆく] 前回までの記事それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎 269 ミーラン遺跡3 故城を巡る 270 ミーラン遺跡4 吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化 271 チャルクリク 272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち 273 一路チェルチェンへ 274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜 275 チェルチェン 〜バザールとチェス〜 276 チェルチェン故城とザーグンルーク古墳 277.楼蘭からホータンへ7 278 石油開発で発展するミンフォン 279 玄奘三蔵が見たホータン は仏教国…、今のホータンは? ホータン1 280マリカウト故城と玉売りの子供たち 〜ホータン2 281白玉河と「玉」の商人 ホータン3 282 ホータンの日曜バザールと絨毯工場 ホータン4 283ホータンとカシュガル1日千キロの大往復 284ポプラ並木とロバ車、郷愁を感じさせるオアシスの水田 カシュガルから再びホータンへ1 285刃物の街インギサル カシュガルから再びホータンへ2 286ヤルカンド カシュガルから再びホータンへ3287ホータン周辺の仏教遺跡を訪ねて 288ホータンに蚕と桑を伝えた王女の物語 289水豊かなヨートカン遺跡の村 290ヨートカン遺跡 〜幻想の世界への入口ようなポプラ並木 291ラワク遺跡 292 玄奘三蔵に思いを馳せたスタイン 〜ダンダンウィリク1 293 西域のモナリザと蚕姫と龍王女 〜ダンダンウィリク2 294 ダンダンウィリクへの道1 295 ホータンから西域南道を走りケリアへ ダンダンウィリクへの道2 |
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我々はここ3日間で、ランドクルーザーでホータンとカシュガルまで往復し、ヨートカン遺跡とラワクを訪れた。 ヨートカン遺跡とラワクの記事はこちら: 289水豊かなヨートカン遺跡の村 290ヨートカン遺跡 〜幻想の世界への入口ようなポプラ並木 291ラワク遺跡 その間トラック部隊は、ホータンでダンダンウィリクへ行く準備をしながら待機していた。 いざ ダンダンウィリクへこの日は、ホータンを出発して西域南道(国道315号)を東へ走り、ケリアから北へ折れて、ケリア河の左岸をバスカツ・イゲルへ向かった。 旅のスタッフと準備楼蘭と西域南道の旅のスタッフ、移動手段、物資などについて改めて紹介しましょう。 ランドクルーザー(ガイド、運転手、私) トラックA(リーダー、運転手) トラックB(スタッフ、運転手) トラックAには、水・食糧などの生活用品、テント、予備タイヤなど トラックBには、ラクダ3頭、ロバ2頭、食用の羊4頭などが積み込まれている。 たかが客一人にこれだけの周到な準備が必要なのである。 こうした手厚い旅ができる現代人に比べて、 2000年以上も前の旅人の苦労がしのばれ、とてつもない偉大さを感じてしまう。 西域南道はほとんど舗装道路なのだが、舗装状態があまり良くない所が多い。 波打っていたり、亀裂や穴が多い。 私といえば、小型デジカメをラップで覆って、頭を天井にぶつけながらひたすら撮影に専心した。 ―― こんな時、いつも頭に浮かぶのが、道路行政の汚職だ。 工事関係の役人たちが工事費を着服するので、実際の工事費はかなり削られてしまうという。 この日も々、突然道路工事に遭遇したが、観察すると、 アスファルトの厚さがほんの、2,3センチ程度だった。 これじゃ、ほんの一時しのぎだ。 道路の両側には一面砂や小石が無限に広がっている。 わずかだが、ところどころに草やタマリスクが生えている。 そのわずかな草を羊たちがひたすら食んでいる。 道路の南方には、雪をたたえた崑崙山脈が続いている。 山脈からの雪解け水が、西域南道の人々の生活を支え、生物の営みを可能にしているのだ。 時々、遠方あるいは近くにオアシスが見えて来たり、小さなオアシスを通過することもある。 はるか彼方に竜巻が起こって,砂塵を渦巻き状に巻き上げながらユラユラと走って行くのが見える。
170キロの悪路を猛烈なスピードで走ること2時間半、車はケリヤに到着した。(9時25分)
町へはいると、毛沢東とコルバン爺さんが握手している巨大看板がお出迎えしてくれた。 ガイドによると、 ―― 1950年代にケリヤ出身のウイグル族のコルバン爺さんは、毛沢東に感謝の言葉を述べるたに、はるばる北京までロバ車で出発した。 そのことを知った中央政府が色々と援助し、最終的に希望が叶い毛沢東と面談できたとのことだ。 ホータンにも同じ像があり、実際は二人とも同じ位の背丈だったらしい。 ウイグルでは教科書にも出て来るので、誰もが知っている話で、 「民族融和」の象徴となっているとのことだ。 こうしたところは、中国政府はなかなか抜け目がない。 ケリヤで、休憩を兼ねてガソリンの補給。 ?H5>その間ちょっとバザールまで行って…撮影 いよいよタクラマカン砂漠へ入り込んでゆく。 ラクダの旅のベースキャンプであるバスカツ・イゲルへ向かって出発!! 、 |




