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私はかねてから、楼蘭やダンダンウィリクやニア遺跡をいつか必ず訪れてみたいと願っていたが、 1989年に西域南道方面を訪れた時には、西域南道自体が未舗装の猛烈な悪路で、当時の機動力では砂漠へ突入することは不可能だし、中国側の規制も厳しかった。 シルクロード学者として有名な長澤和俊先生でさえも、2001年、40回以上もシルクロードを訪れた末に、やっとダンダンウィリクに足を踏み入れたくらいである。 それだけに、今回(2008年)私などがこれらの3つの遺跡を訪れる機会を得たことは、 すこぶる付の大きな喜びである。 砂漠の真っただ中を直線的に走れば確かに距離は短い。だが… いかに性能が上がったランドクルーザーといえども、砂漠の中を150キロ以上も走るのは、 無謀中の無謀である。 距離は2倍以上になるが、赤線のルートを行くことにした。 まず、ホータンからケリアまでほぼ舗装されている国道を東に突っ走り、
ケリアからはケリア川の左岸を北上する。 ベースキャンプのバスカツ・イゲルからはラクダの旅である。 現在、ダンダンウィリクへ向かうときは、このルートを通っている。 次回は、ダンダンウィリクまで向かう様子をアップします。 |
12西域南道
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スタインの発掘について調べているうちに、だんだん深く知りたくなってしまい、数冊の本を読みました。 ダンダン・ウィリクで発見された絵画の中には、一人の仏と、2人の女性が登場する。 もっとも有名になったのが、「西域のマドンナ」と称される如来仏画像である。 これに加えて、コータン(ホータン)に伝わる有名な伝説 − 蚕種移入伝説の「蚕姫」と龍女伝説に登場する「竜女」である。これらの伝説はは、玄奘の著書『大唐西域記』にも記されているほど、よく知られた伝説である。 西域のモナリザスタインが仏教寺院と思われる建物の壁には仏陀や菩薩の姿を描いたフレスコの壁画が描かれていた。それから約100年後の2002年に再発掘の際に発見されて、世界的に話題を呼んだのがこの壁画である。 「西域のモナリザ」と称されるこの如来は、微笑をたたえたふくよかな仏の壁画だ。 これが原色のまま見つかったとのことだ。 于闐国に花開いた絢爛たる仏教美術の片りんを見るようだ。 この壁画は、7世紀前後と推定されており、 玄奘三蔵がインドからの帰りに于闐に立ち寄ったのは7世紀前半なので、 この壁画を見ていたかどうかは不明である。 もし見たならば、現代人のように「美しい仏様だな〜」と見とれたかもしれませんね〜 。 玄奘三蔵 夏目雅子さんの三蔵法師(映画西遊記) 現代の玄奘三蔵にも見とれますね。 ホータンへ蚕をもたらした姫君上の彩色板絵を発見したスタインは、頭飾をつけた中央の貴婦人がその王女であり、向かって左側の侍女が左手を上げて貴婦人の頭飾を指し示していることが、ホータンの蚕種移入伝説を物語っていると解した。 また、侍女と貴婦人との間にある籠には蚕の繭が盛られており、板絵右側には別の侍女とともに絹を織る織機がある。 ホータンで養蚕が始まった経緯については諸説あるが、シルクロードの都市ホータンは、絹を運ぶだけではなく、絹を作り出す町でもあったのだ。 ?H3>龍女伝説 コータンの東の河に住んでいた龍女が、自分の夫となる人物を選ぶように王に求め、それに応えた大臣が白馬に乗って婿入りしたという伝説である。 第二寺址の内陣壁画は、蓮を浮かべた方形の池で沐浴している一人の女性の手前に馬が描かれており、この伝説との関連が考えられる絵画である。 スタインはこの壁画を保存するために、これを切り取って自国に送りたいと考えたが、壁画の漆喰がもろかったために断念した。 聖鼠伝説聖鼠伝説とは、かつてコータンが匈奴に襲撃されたとき、ネズミが都市を救ってくれたという伝説である。上の板絵には、頭部がネズミで王冠を戴いた一人物が、二人の侍者にはさまれて坐っている。 これは、ネズミを神格化してあらわしたものと考えられる。 ダンダンウィリクについて詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。 [参考文献] 玄奘著、水谷真成訳注『大唐西域記』、平凡社、1971年。 『西域美術:大英博物館スタイン・コレクション 第3巻 染織・彫塑・壁画』、講談社、1984年。 大和文華館編集『シルクロードの絵画:中国西域の古代絵画』、大和文華館、1988年。 オーレル・スタイン著、松田寿男訳『コータンの廃墟』、中央公論新社、2002年。 [西域南道をゆく] 前回までの記事それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎 269 ミーラン遺跡3 故城を巡る 270 ミーラン遺跡4 吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化 271 チャルクリク 272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち 273 一路チェルチェンへ 274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜 275 チェルチェン 〜バザールとチェス〜 276 チェルチェン故城とザーグンルーク古墳 277.楼蘭からホータンへ7 278 石油開発で発展するミンフォン 279 玄奘三蔵が見たホータン は仏教国…、今のホータンは? ホータン1 280マリカウト故城と玉売りの子供たち 〜ホータン2 281白玉河と「玉」の商人 ホータン3 282 ホータンの日曜バザールと絨毯工場 ホータン4 283ホータンとカシュガル1日千キロの大往復 284ポプラ並木とロバ車、郷愁を感じさせるオアシスの水田 カシュガルから再びホータンへ1 285刃物の街インギサル カシュガルから再びホータンへ2 286ヤルカンド カシュガルから再びホータンへ3287ホータン周辺の仏教遺跡を訪ねて 288ホータンに蚕と桑を伝えた王女の物語 289水豊かなヨートカン遺跡の村 290ヨートカン遺跡 〜幻想の世界への入口ようなポプラ並木 291ラワク遺跡 292 玄奘三蔵に思いを馳せたスタイン 〜ダンダンウィリク1 |
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みなさんこの絵を見たことありませんか? 西域南道のかつての王国ホータンの副都ダンダンウイリクか ら発掘された壁画の如来図です。かわいらしい女性の顔で、目つきがとても印象的です。 ふっくらとした丸顔で、口元はうっすらと微笑んでいるようにも見えます。 何を見ているところなのでしょうか。 ダンダン・ウィリクとは?ダンダン・ウィリク(「象牙の家々」の意)とは、コータン(ホータン)を中心に栄えた仏教文化圏に属する遺跡の一つである。コータンは古代から玉の産出で有名な場所で、かつて于闐(うてん)と呼ばれた王国が繁栄し、 現在のホータンも西域南道最大のオアシス都市としてにぎわっている。 その北東に位置するダンダン・ウィリクも、かつては人々が暮らす土地だった。 しかし何らかの理由で放棄され、その直後にはタクラマカン砂漠に丸ごと埋もれてしまった。 そしてこの地は人々の記憶からも消え、1000年をこえる時が流れた。 玄奘三蔵に思いを馳せたスタインこのダンダン・ウィリクの廃墟を1896年に発見したのが、タクラマカン砂漠を横断したスウェン・ヘディンだったしかし、彼自身は考古学者ではなかったので発掘調査は専門家にゆだねることにし、その位置などを「古代都市タクラマカン」として記録に残した。 この遺跡の記録に興味を持ったのが、オーレル・スタインである。 1900年冬、この遺跡発掘を行い、大きな収穫を得ることになる。 彼が敬慕してやまない玄奘(玄奘三蔵)が「大唐西域記」残した記述を裏付ける遺物が、ここから次々と発見されたからである。 約一ヶ月にわたる発掘調査により、十四箇所に上る仏教寺院址や住居(僧坊)址が明らかとなり、 そこから板絵、ストゥッコ(化粧漆喰)製の仏倚坐像、仏坐像、蓮華化生像、壁画、文書などが多数発見された。 また、ここで発見された仏教寺院址は、内陣の四周を回廊が取り囲むという方形有心堂形式であり、 内陣を右方向にめぐりながら礼拝する(右繞礼拝)構造になっていることなどがわかった。 これらの出土品はスタインによって収集され、ロンドンの大英博物館に収蔵されている。 次回は、これらの中から板絵を中心に紹介します。 さらにその2年後、日中合同調査隊がこの地を訪れた。 だが、2年前の遺跡は容易に所在が分からず、困難の末発見できたが、壁画はすでに盗掘されていた。 まさに踏んだり蹴ったりの結末だった。 このタクラマカン砂漠では多くの国家や都市が現れてはまた消えていった。 流砂を以てこの一帯を支配する「タクラマカン砂漠という世界」がいかなるものかを、図らずも表現し ていると思う。 そして、砂漠は多くのものを覆い尽くし今でもそこにある。 恐ろしくも偉大な存在だ――とつくづく思い知らされるのである。 [参考資料] ディジタル・シルクロード - 文化遺産のデジタルアーカイブ
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ホータンには美人が多いです「ホータン美人」という言葉があるほど、ホータンではたくさんの美人に出会いました。今日は、とりあえず2枚 [西域南道をゆく] 前回までの記事それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎 269 ミーラン遺跡3 故城を巡る 270 ミーラン遺跡4 吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化 271 チャルクリク 272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち 273 一路チェルチェンへ 274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜 275 チェルチェン 〜バザールとチェス〜 276 チェルチェン故城とザーグンルーク古墳 277.楼蘭からホータンへ7 278 石油開発で発展するミンフォン 279 玄奘三蔵が見たホータン は仏教国…、今のホータンは? ホータン1 280マリカウト故城と玉売りの子供たち 〜ホータン2 281白玉河と「玉」の商人 ホータン3 282 ホータンの日曜バザールと絨毯工場 ホータン4 283ホータンとカシュガル1日千キロの大往復 284ポプラ並木とロバ車、郷愁を感じさせるオアシスの水田 カシュガルから再びホータンへ1 285刃物の街インギサル カシュガルから再びホータンへ2 286ヤルカンド カシュガルから再びホータンへ3 287ホータン周辺の仏教遺跡を訪ねて 288ホータンに蚕と桑を伝えた王女の物語 289水豊かなヨートカン遺跡の村 290ヨートカン遺跡 〜幻想の世界への入口ようなポプラ並木 291ラワク遺跡 |
ラワク寺院遺跡我々はヨートカン遺跡を後にして、ラワク遺跡へ向かった。ヨートカンからラワクへは砂漠を東に向かえば最短距離だが、 途中で白玉河を渡らなければならない。 あいにく橋がないので、いったんホータンまで行き,そこからラウルまで行かなければならない。 砂漠の奥にあるラワク遺跡ラワク遺跡は、ホータンからさらに砂漠の道を北東へ60km走った砂漠の中にあった。かなり砂漠の奥深く入り込んだ感じがした。 普通は途中までジープで行き、ラクダに乗り換えるそうだが、 前日雨が降って砂が固まったので大丈夫ではないかとの判断のもと、 最後までジープで行くことにした。 一応、ラクダを乗せたトラックも同行した。 外国車(アメリカやドイツ製)だとたいていオーバーヒートして途中でリタイアすることが多いそうだ が、さすが日本製のランドクルーザーは、最後までびくともせず働いてくれた。 日本車の性能の良さを実証することになり、ちょっと鼻が高かった。 荒涼たる砂漠の真ん中に、円筒状のものが見えてきた。 これが仏塔を中心とする寺院建築の遺跡である。 円筒状の土の造形物がラウル寺院の仏塔である。 仏塔は3層まで現存し、塔の頂上はすでに損壊されている。 1、2層は方形、3層は円形になり、土レンガで創造されている。 ラワク仏塔の周りには内壁が残っている。高さ2.7mとのことである。 この壁にはたくさんのガンダーラ風レリーフが施されていた。 唐代の壁画だという。 発見者のスタインはどんな思いで眺めたのであろうか。 塀の内外には頭部が損壊された塑像の座仏も残され、彩色された壁画も見ることができた。 今は朽ち果てているが、唐代、于窴国(ウテン国)が盛んだったころは、 白亜の寺院が夕日に照り輝いて、神々しい姿」を見せていたに違いない。 想像をめぐらしてロマンに浸るのも楽しいですね〜。 [西域南道をゆく] 前回までの記事それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎 269 ミーラン遺跡3 故城を巡る 270 ミーラン遺跡4 吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化 271 チャルクリク 272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち 273 一路チェルチェンへ 274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜 275 チェルチェン 〜バザールとチェス〜 276 チェルチェン故城とザーグンルーク古墳 277.楼蘭からホータンへ7 278 石油開発で発展するミンフォン 279 玄奘三蔵が見たホータン は仏教国…、今のホータンは? ホータン1 280マリカウト故城と玉売りの子供たち 〜ホータン2 281白玉河と「玉」の商人 ホータン3 282 ホータンの日曜バザールと絨毯工場 ホータン4 283ホータンとカシュガル1日千キロの大往復 284ポプラ並木とロバ車、郷愁を感じさせるオアシスの水田 カシュガルから再びホータンへ1 285刃物の街インギサル カシュガルから再びホータンへ2 286ヤルカンド カシュガルから再びホータンへ3 287ホータン周辺の仏教遺跡を訪ねて 288ホータンに蚕と桑を伝えた王女の物語 289水豊かなヨートカン遺跡の村 290ヨートカン遺跡 〜幻想の世界への入口ようなポプラ並木 |
幻想の世界への入口ようなポプラ並木一人ポプラ並木を歩んでいると次第に静寂の世界にひきこまれてゆく感覚にとらわれて来る 実に幻想的だ。 自分が誰であるか、忘れさせてくれる まさしく「聖地」である ポプラ並木はまるで別世界へ誘う門のようだ 長い長い門だ ポプラ並木の途中に「約特干遺跡(ヨートカン)」の看板が立っていた。 確かに、「約特干遺跡」はヨートカンと読める。 看板の写真を撮っていると、、なんとなくぎこちない中国語で、 「你好!(こんにちは)」 という女の子の声がした。 まだ朝なのだから、「早上好(おはようございます)」が普通だが…、と思いながら振り返ると、 目がきれいで、純真そうな女の子だった。 自分を指さして、こくんとうなずく。 どうやら写真を撮ってくれということらしい。 とにかく、ウイグル人は写真好きなんですよね〜 撮ってあげると、 ずっと私についてきて、遺跡まで案内してくれた。 しかも手まで繋いで…。 ――シルクロードでは子供でも自分が優位の立場では手を繋いでくれることが多い。 10歳だそうだ。 まったく人を疑うことを知らないといった様子。 だから目が輝いているのだろう。 この村の人たちはそうした純朴さを持っている。 ヨートカン遺跡女の子が案内してくれたのは緑あふれる畑だった。「あれがヨートカン遺跡よ」と言って指さしたのは、畑の端の方にある小高い土の盛り上がりだった。 のどかな田園地帯の中にあるヨートカン遺跡は、看板が無ければただの小さな丘にしか見えない。 遺跡の発掘遺跡は古代コータン(于窴国・ウテン)の重要な都市だったとされている。20世紀初頭にはヘディン、スタイン、大谷光瑞などの探検隊も当地で発掘調査を行った。 *テラコッタ (terra cotta) とは、イタリア語の「焼いた (cotta) 土 (terra)」に由来する言葉で、 陶器や建築用素材などに使われる素焼きの焼き物、あるいは。、用いられる粘土、さらには色のこと。 通常、茶色がかったオレンジ色である。 現在地表には建造物の遺構はまったく残されておらず、 主な出土品は地下5mの地層から発掘されている。 出土地層は厚さが約3mあり、一部では地表に現れ、 その場所からは多くのと陶器破片が出土している。 遺跡からは陶製埴輪や貨幣・ガラス片・真珠・金製像・版画・玉器・骨などが出土しており、 埴輪は人物と動物が多く見られ、陶器の破片にはギリシャやペルシャの影響を受けた幾何紋様や植物紋様が見られる。 過去に出土した金器はそのほとんどが現地の住民によって溶かされてしまったが、 1959年には金製の鴨像が発見され、その形状は敦煌・千佛洞に描かれた鴨の絵と非常に似ている。 また20世紀初頭にスウェーデンの探検家へディンが発掘した時には、 キリストが描かれた金貨や十字架・金牌なども発見されており、 かつてはキリスト教の宣教師が滞在していたことも確認されている。 遺跡は概ね漢代から宋代のもので、 現在は地表より8m低い窪地を中心に、周囲約0.3平方キロが保護されている。 西方の影響を大きく受けていることから、古代の東西文化交流を研究する格好の材料となっている。 ほか、毎年世界各地から多くの旅行客が絶えず訪れているとのことである。。 [西域南道をゆく] 前回までの記事それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎 269 ミーラン遺跡3 故城を巡る 270 ミーラン遺跡4 吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化 271 チャルクリク 272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち 273 一路チェルチェンへ 274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜 275 チェルチェン 〜バザールとチェス〜 276 チェルチェン故城とザーグンルーク古墳 277.楼蘭からホータンへ7 278 石油開発で発展するミンフォン 279 玄奘三蔵が見たホータン は仏教国…、今のホータンは? ホータン1 280マリカウト故城と玉売りの子供たち 〜ホータン2 281白玉河と「玉」の商人 ホータン3 282 ホータンの日曜バザールと絨毯工場 ホータン4 283ホータンとカシュガル1日千キロの大往復 284ポプラ並木とロバ車、郷愁を感じさせるオアシスの水田 カシュガルから再びホータンへ1 285刃物の街インギサル カシュガルから再びホータンへ2 286ヤルカンド カシュガルから再びホータンへ3 287ホータン周辺の仏教遺跡を訪ねて |




