東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

12西域南道

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 玄奘三蔵のころには熱心な仏教徒徒だったホータンの人びとは、今はイスラム教を信じています。男性はイスラム帽、女性はスカーフを被っています。 〜「玉」を商売にする一家勢ぞろい〜

いにしえのホータン

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                 私が旅した中国の主なシルクロード都市
 
 約2000年前、楼蘭で南北に分かれていたシルクロードは、
 南路はチャリクリク、チェルチェン、ミンフォン(ニヤ)、ホータンを経てカシュガルに達する。
 北路はコルラ、クチャ、アクスを抜けてカシュガルに至る。
 
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 いにしえのホータン(于闐国・うてんこく)は、紀元前3世紀〜後11世紀初頭、
 シルクロード交易上の要地として繁栄し、
 また、崑崙山脈を水源とする川から採れる「玉」(ぎょく)の産地としても有名になった。
?H3>玄奘三蔵が見たホータン  玄奘三蔵がインドからの帰路このホータン(和田)に立ち寄ったときは、いったいどのような様子だったのだろうか?、

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       久しぶりに夏目雅子さんをどうぞ! 他のメンバーも懐かしい顔ぶれです。 
 
 玄奘三蔵の『大唐西域記』中で、7世紀唐代のホータンを次のように述べています。
 一部抜粋して説明します。

 瞿薩旦那国(くさつたんなこく)(現在のホータン)は周囲四千余里ある。
 砂や石ころが大半で、土壌は狭い。
 穀物の栽培に適し、いろいろな果実が多い。
 
 毛糸を産出し、糸を紡いだり織ったりすることが巧みである。
 
 また、白玉や黒玉を産する。
 
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 気候はおだやかだが、旋風が舞い、土や埃を吹き飛ばす。
 
 人びとは礼儀をわきまえ、性格は温順で、
 学芸を学ぶことを好み、技術や芸能にすぐれている。

 人びとは豊富で、家業は安定している。
 国柄として音楽を尊び、人は株を好む。

 容姿や態度に礼節があり、慣習には規律がある。

 篤く仏法を尊んでおり、伽藍は百余ヶ所、僧徒5千余人、みな大衆の教えを学習している。
 
          (参考文献)『大唐西域記3』 (平凡社)  玄奘 (著)  水谷 真成 (翻訳)
 

現在のホータン

 前の文章のうち、かなりの部分が現在のホータンにも当てはまることが、
 二度訪問してみてわかりました。

白玉河と黒玉河
 ホータンには、現在も崑崙山脈を源流とする白玉河(ユルンカシュ河)、黒玉河(カラカシュ河)が流れ、
 合流してホータン川となり、タリム河に注いでいる。
 
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       ホータンの南東にそびえる崑崙山脈   白玉河や黒玉河は崑崙山脈を源流とする。
 
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        白玉河(ユルンカシュ川)の川原はたくさんの白い石で埋まっています。
       川原ではたくさんの人が玉探しに血眼になっています。

===== 人びとは、とにかく人なつこい ===== 
街でカメラを向けると、大人も子供もニコニコと最高の笑顔を浮かべて、ポーズをとってくれます。
 これにはほとんど例外ありません。
 それから、家族の絆がとても強く、和気藹々と生活しています。
 カメラを向けると家族があっという間に勢ぞろいします。
 
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       バザールであった一家   子供の写真を撮ろうとしたら家族全員が集合

 
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       ポプラ並木で馬を引いていた女の子の家族

人びとは楽器を弾き、歌い、踊るのが大好き
  ホータンでは『セネム踊り』が盛んだ。
 『セネム踊り』はウイグル族の最も普遍的な民間の踊りの一つであり、長い歴史がある。
ウイグル族の人々は喜んで祭日を祝い、結婚式を催し、親族や友人たちが楽しく集う時に、
いずれもマイシレフの夕べを催すことになり、いつも村の一世帯がホストとなり、
その村の老若男女が一緒に参加し、夕べの主な内容は『セネム踊り』を踊ることである。

『セネム踊り』は自由かつ活発で、決まったパターンはなく、踊り手は即興的に踊り、音楽のリズムに合わせることで済み、一人で踊り、二人が向かい合って踊り、三人が一緒に踊るなどどちらでもよい。

 
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              上2枚はホテルで行われた『セネム踊り』
 
  とにかく、人びとは、知人の家に集まって、楽器を弾き、歌い、踊るのが大好きです。

旋風が舞って、土煙を上げるののも同じ
 
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   砂嵐がやってくると、ほとんど何も見えなくなってしまいまう。

いにしえは仏教国、今は回教徒
 玄奘三蔵の頃と違っているのは、「百余ヵ所」もあったという伽藍も、
 「5千余人」いたという僧徒の姿もないことだ。
 今、ホータンの人びとは、イスラム教(回教)を信仰しており、
 仏教徒はただの独りもいないといっていい。
 
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       ホータンでもっともインパクトを感じたのが、この女性でした。
       しっかりと覆われたスカーフから見えていたエキゾチックで、神秘的な眼が強く印象に残りました。
 

[[西域南道をゆく] 前回までの記事

 (それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます)
268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎←クリック
269 ミーラン遺跡3 故城を巡る←クリック
270 ミーラン遺跡4 吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化←クリック



  

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石油開発で発展するミンフォン

ミンフォン(ニヤ)への道

 
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                       写真 1
  
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       20年ほど前はほとんど砂漠の道だった道路はほとんどが舗装されました。

 この周辺のタクラマカン砂漠には、石油が豊富に産出するので、
 油田開発を目的として、天山南路と西域南道を結ぶ、タクラマカン砂漠を縦断する
 「砂漠公路」が建設された。(写真1の地図の赤い点線)

油田開発で発展している町ミンフォン

  ミンフォンは、新たな交通の町として発展しているようだ。
 ミンフォンは近年、その油田で働く人たちの 拠点になっている。

 チェルチェンから西へ300キロ弱、約4時間半ほどで、昔ニヤと呼ばれたミンフォン(民豊)へ到着した。

 町に近づくと、五階建ての団地が数多く見えてきた。
  
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 20年ほど前に訪れたときには、町らしい姿はほとんどなかったが急速に変った。
 油田で働く人の大多数は漢族で、ウイグル族は少ないとのことだ。。
 大通りを歩く人びとを見ても漢族の多さが目立つ。
 
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ウイグル料理とチャイハナ

 西域南道と砂漠公路が交差するあたりには、漢族向けに中国料理を出すレストランがいくつかあるが、
 街中にはウイグル料理の店のほうが多い。
 
 町の中心にはロータリーガありモニュメント立っている。
 
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 その近くには映画館があり、寅さんシリーズの日本映画なども上映されるそうだが、
 私が訪れた時には中国映画だった                 
 
 そこからから南へ進んでいくと、
 シシカバブやサモアといったウイグル料理を味わえる店がたくさんある。
 
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       ウイグル料理の定番ラグメン。
         具をかけて食べる。肉、トマト、玉ねぎ、ピーマンなど。洋風っぽい味
         今日の昼飯は、これで三元(42円)なり。

 
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        ウイグル料理の食堂の前を行進して行く漢族の人民軍兵士。
        なんとなくおかしみを感じてしまう。

チャイハナ
 高さ約70センチ、広さ2〜3畳ほどの台の上に靴を脱いで上がり、5〜6人で食事やお茶を楽しめるチャイハナ(喫茶店)もあった。
 客はたいていウイグル人である。
 夜、ランプの中で飲む紅茶は格別だった。
 
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ウイグルの人びと

ウイグルの人びとはもちろん回教徒だ。
 何箇所かにモスクがある。
 
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       この日は金曜礼拝の日なので、大勢の人が礼拝に訪れていた。

ウイグル人の足はなんと言ってもロバ車だ。
 
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        ロバ車を操る老婆は、白い被り物の上に、世界一小さいといわれる独特の黒い帽子を載せている。
       初めてお目にかかった。
       お母さんと赤ちゃんがとてもかわいかったで〜す。
 
 
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       子供も上手に操っている。貴重な生活手段なのであろう。
 
 
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       行列を作ってバザールに品物を運ン出行く。

バザール
 この町のバザールもご多聞にもれず、にぎわっている。
 
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 油田で働く労働者が暮らす町となったミンフォンは、今まさに活気あふれている。
 さらに発展していくことだろう。

 
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                     ウイグルには美人が多いですね〜


[西域南道をゆく] 前回までの記事

 (それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます)
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                         ロプ・ノール 龍城 の夕景(楼蘭)

楼蘭からホータンへ

 私は敦煌からランドクルーザーとラクダに乗って楼蘭に至りました。
  *記事は、書庫「11楼蘭横への砂漠の旅 」をクリックしてください。、
  
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楼蘭からミーラン遺跡へ

 さらに南へ下りミーラン遺跡へ向かいました。
 (それぞれ下線付きの題目をクリックすると記事が開きます)
268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎←クリック
 
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269 ミーラン遺跡3 故城を巡る←クリック
 
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                    ミーラン遺跡

270 ミーラン遺跡4 吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化←クリック
 
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                   スタインが採取した有翼天子像

[西域南道をゆく]

 
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 ミーランから西域南道へ入り、まずチャリクリク(若羌)へ到着です。
271 チャルクリク  西域南道をゆく1 ←クリック
 
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                 チャリクリクのオアシス

272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち  西域南道をゆく2←クリック
 
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                   チャリクリク小学校の子供たち

273 一路チェルチェンへ  西域南道をゆく3←クリック
 
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              綿花を摘みや農作業をしながら、みんなで声をそろえて歌う。

274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜  西域南道をゆく4  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく274←クリック
 
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        ポプラ並木が程よい木陰を作り、その下の水路が程よい水音をたてている。


275 チェルチェン 〜バザールとチェス〜  西域南道をゆく5←クリック
 
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                     チェルチェンのバザールは活気にあふれていた。

276 チェルチェン故城とザーグンルーク古墳  西域南道をゆく6←クリック
 
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                 『古代且末国の城壁』且未(チェルチェン)故城


 楼蘭からミーランに向かう途中に砂嵐に出会い、逃げ込んだオアシスにいた美人←クリックです。
 以前もアップしましたが、またどうぞ
 
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 次回の記事からは、ミンフォンを経てホータンへ向かいます。
 
 

改訂しました。

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 チベットには「天上のシルクロード」といわれる貿易の道が走っていました。
 この景色を眺めた時、〈いにしえのシルクロードの旅人たちは、厳しい砂漠の道だけでなく、こんな天国のような道も歩いていたのだな〜〉という想いがわきあがりました。
 こういうところを歩いている時は、安心しながら、癒された気持で歩みを進めていたに違いない。
 これがシルクロードの奥深さとめりはりだろう。

[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前3回の記事]

274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜  西域南道をゆく4  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく274←クリックしてください。
 
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273 一路チェルチェンへ  西域南道をゆく3   杜泉新生シルクロード2万キロをゆく273←クリックしてください。
275 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち    西域南道をゆく2   杜泉新生シルクロード2万キロをゆく272←クリックしてください。

四国遍路 前3回の記事

もらい火は業をもらう  一番札所大師堂にて  人生を決めた遍路6'←クリック
iいざ出発 〜謙虚の大切さを教わった一番札所   人生を決めた遍路5←クリック
遍路の身じたく 人生を決めた遍路4←クリック

チェルチェン故城とザーグンルーク古墳 

 チェルチェン故城は、チェルチェンの街の西南6キロのところにあった。 
 遺跡に通じる道は途中から、ポプラ並木が続いていて、緑が次々に飛び込んでくる。
 
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 それもつかの間、故城の周辺に近づくと、
 タマリスクがまばらに生えているだけのゴビである。
 
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 まず、「地主荘園」という生活民具を陳列した豪邸へ立ち寄った。
 この屋敷内には、文物管理所のようなところがあった。
 そこには、係りらしい男がたった一人いた。
 
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                    地主荘園がある村の中の道。女の子が歩いていた。
 
 中国政府発行の見学許可証を見せると、
 「通常は200元だが、150元にしておきましよう」と言う。
 中国ではよくあることなので、特別理由は尋ねななかった。
 たぶん紹介者の地位などで価格が違うのかもしれない。

 「ありがとう」と礼を言って、日本製の三色ボールペンをあげると、
 彼はとたんにニコニコして、「私が案内しましょう」と申し出た。
 「ここを留守にして大丈夫なんですか?」
 と訊くと、
「ここにはめったに人はきませんから」と言って、われわれの車に乗った。


イメージ 15 昔の貴族屋敷と称するころを見た後、
 「ザーグンルーク古墳」に行きましょうと言う。
 1966年に農民が塩を探して掘っている時に偶然発見したと言う古代のお墓である。
 一家が何代にもわたり葬られており、
 砂漠の中のこの建物の中に2000年以上前のミイラ14体がある古墳が保存されている。
 この人が古墳群の中にある陳列館の鍵を持っており、どうやら管理人兼ガイドということらしい。

 
 陳列館の中には、発掘された墓室とともに、まさしく仰向けに横たわった10数体のミイラがあった。
 
 「写真はダメですが?」とたずねると、
 「勘弁してください。その代わりこれを差し上げましょう」と言って、
 一枚の写真をくれた。これを紹介します。
 
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 ここから北方は見渡す限りの褐色の砂漠が広がっている。
 故城までは1キロぐらいだろう。
 だが、4駆のランドクルーザーも車輪が砂に埋まり、思うように進まない。
 まるで歩いているようだ。

 10分ほどあえぎあえぎ走ると、遠くの遺跡らしきものが見えてきた。
 規模はかなり大きく、砂漠の中に土の城壁などの残骸が広い範囲に点々と散らばっている。
 
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 どうにか『古代且末国の城壁』且未(チェルチェン)故城へ到着した。
 チェルチェン(且未)故城は、『且末県来利勒克遺跡』と呼ばれている。
 
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 チェルチェン故城は、3千年以上前の前漢代のものとされているが、
 大部分が砂に覆われ、往時を思い起こすべくもない。

 だが、今でも砂から顔をだした石臼や陶器片、ガラス片などなどを見つけることが出来た。
 
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 こうした遺物を手に取ったり眺めていると、当時の人びとの生活が浮かんでくるようだった。
 想像も楽しいものである。

 

  

投票ありがとうございました。

皆さまのご意見を参考にして、

「シルクロード」と「四国遍路」を、一週間から10日くらいの間隔で交互にアップ

することにしました。

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  遙かかなたまで見渡す限り菜の花畑   
 この広大さにまず圧倒され、その繊細さと優雅さに感服させられる。
 緑の牧草と黄色い菜の花が入り乱れて境のないまだら模様を描いている。そこに曲がりくねった水の色が変化をあたえている。
 シルクロードでは、――大自然の前には人間なんてちっぽけな存在さ。どうあがいても到底かないっこない――と、いつもひれ伏すような気持になる。

[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前3回の記事]

274 チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜  西域南道をゆく4  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく274←クリックしてください。
 
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        ポプラ並木が程よい木陰を作り、その下の水路が程よい水音をたてている。


 [本 日 の 記 事] 
 

チェルチェン 〜バザールとチェス〜 

 チェルチェンはゆっくり歩いても、小1時間も歩けば、一周できてしまう。
 街を歩いていて出会うのは、ほとんどがウイグル人だ。
 ここには、9世紀までイラン系の人たちが住んでいたというが、
 現在は8割をトルコ系のウイグル人が占めている。

 歩いていると、あちこちから笑顔で声を掛けてくる。
 ここチェルチェンばかりでなく、一帯にシルクロードの人びとは陽気で、フレンドリーだ。
 なんなく日本人だと判るのだろう。
 「どこから来たの?」よりも、たいてい「日本人かい?」と聞いてくる。
 あいにくたいていの人はウイグル語しか話さないので、枚私はほとんど手振り身振りだ。
 昼下がりなので、ポプラの木陰で昼寝している
 
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 例によって、バザールに入り込む。
 ここはウイグル人のバザールだ。
 
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 ウイグル像のバザールでは、野菜や果物、羊肉や鮮魚など何でもそろう。

 漢族とウイグル像では、食生活に違いがある。
 漢族は、豚肉の料理を好むが、
 ウイグル像はイスラム教の教義に従い、豚肉は食べない。
 また、漢族は赤いにんじんを好んで食べるのに対して、
 ウイグル像は、黄色いにんじんを食べる。

 食生活習慣のちがいからか、
 チェルチェンでは漢族とウイグル族、それぞれの利用するバザールは異なっている。

?H5>チェスと中国将棋の境界線は?  
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                  チェスをするウイグル族のおじいさんと漢族の青年

 中国には、日本の将棋とは違った中国将棋がある。
 日本の将棋との大きな違いは、
 相手の駒を取っても、 これを持ち駒として攻撃や防御に使えないことだ。
 
 中国では縁台将棋の好きな人が多く、
 夕方になるとあちこちで対局風景が見られる。
 長さ10センチもあるような駒を持ち出して、
 真剣勝負!
 
 私がシルクロード沿線の町で見たところでは、
 トルファンから東の地域では中国将棋が、
 中国の最西端の町カシュガルでチェスが楽しまれ、
 トルファンとカシュガルの間では、
 中国将棋もチェスも行われていた。
 
 漢族の新疆ウイグル自治区への移住が増加しているので、
 中国将棋のエリアが西へと広がっているのであろう。

 食や趣味、特技の目線で眺めると、
 東西文化の境界や融合の様子が垣間見えて、面白かった。
 
  
 

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