東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

12西域南道

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 このブログでは、「シルクロード」と「四国遍路」の両方をある期間をおいて交互にアップしております。 皆さまのご意見を参考にして、

一週間から10日くらいの間隔で交代

することにしました。

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 西域南道の景色ではありませんが、
 天山北路の「天池」の絶景で清涼感を味わってください。
天池の春 〜絶景雪景色〜←ぜひクリックしてみてください。

[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前3回の記事]

273 一路チェルチェンへ  西域南道をゆく3   杜泉新生シルクロード2万キロをゆく273←クリックしてください。
272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち    西域南道をゆく2   杜泉新生シルクロード2万キロをゆく272←クリックしてください。
271 チャルクリク  西域南道をゆく1  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく272←クリックしてください。

四国遍路 前3回の記事

もらい火は業をもらう  一番札所大師堂にて  人生を決めた遍路6'←クリック
iいざ出発 〜謙虚の大切さを教わった一番札所   人生を決めた遍路5←クリック
遍路の身じたく 遍路人生を決めた遍路4←クリック

 [本 日 の 記 事] 
 

チェルチェン 〜ポプラ並木の郷愁〜 

 
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チェルチェン河をわたる
 道はやがて西北に向かい、崑崙山脈が見えなくなるころ、 
 チェルチェンまで30キロの地点で、チェルチェン河をわたった。
 およそ500メートルの河床中央を、100メートルほどの幅で水が流れている。
 崑崙の融雪水が、両岸に展開する砂漠を貫いて滔々と流れている。
 なかなかの大河だ。
 
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===== チェルチェン簡単紹介 ===== 
チェルチェンは西域南道の重要なオアシス都市としてその名は有名でした。
 西域三六国時代、チェルチェンには、且末国と小宛国がありました。
 その後、後漢時代の二世紀末から三世紀にかけては楼蘭国の支配を受けました。

 マルコ・ポーロも「東方見聞録」の中で、このチェルチェンについて記述を残しています。

 9世紀以降、イスラム化が進み 現住民の80%がウイグル族です。
 バイングオロン・モンゴル自治州に属し、人口6万人ほどです。

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    チェルチェンで出会ったウイグル族の兄妹       こんな生き生きした目はわが国ではなかなかお目にかかれない。


チェルチェンオアシス
 ポプラ並木のオアシスでは、ときどきロバ車にお目にめにかかる。
 
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           孫を連れてこれからチェルチェンの街まで買い物に行くのだそうだ。
           なんと愛らしい子だ! 
           思わず車を止めてもらい、、かけよって抱き上げさせてもらった。


きれいに変身したチェルチェン
 チェルチェンの街は、チャルクリクよりはずっと大きい。
 18年前、街なかの一条の道――長さ100メートルほどのポプラ並木の道の両側には、
 ウイグル人が路上にさまざまな品物ものを並べて売っていた。
 
 だが現在は、街の中心には、
 噴水や遊歩道が設けられた公園が広がっている。
 
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 中心通りはレンガ敷きのぎれいな道に変身して、
 両側には近代的な建物も見られるようになった。
 
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                    近代的な建物の建築が急速に進められている。
 
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                    バスターミナル


ポプラ並木の郷愁

 大通りにはプラ並木を見ることが出来なくなったが、
 一歩路地に入ると、水路と並行してポプラ並木が続く。
 
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 そこからは、ウイグル人たちの生の息吹と、エネルギーがビンビンと伝わってきた
 大人たちは和気あいあいとした生活の営みを繰り広げ、
 子供たちは仲良く快活な声を張り上げていた。
 
 
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 そこでは、日本にもかつてあった、ほのぼのとした人と人とのをつながりが感じられた。
 郷愁を感じるのは、ひとり、わたしだけではないだろう。

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 西域南道の景色ではありませんが、
 天山北路の「天池」の夏の絶景でで清涼感を味わってください。
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[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前3回の記事]

272 チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち    西域南道をゆく2   杜泉新生シルクロード2万キロをゆく272←クリックしてください。
271 チャルクリク  西域南道をゆく1  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく272←クリックしてください。
270 ミーラン遺跡4   吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化   杜泉新生シルクロード2万キロをゆく270←クリックしてください。


 [本 日 の 記 事] 
 

一路チェルチェンへ

 チャルクリクから4チェルチェンまで西へおよそ360キロ。
 
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なんと、道はいまなお未舗装なのでだ。
 またまた、相当な覚悟して走らなければならない。
 ふと、ツアーの旅行がうらやましくなった。
 いやいや、自分はこういうたびを望んで来ているんだと、即座に打ち消した。
 
 ガタガタ道を走り出したとき、
 必然的に18年前の悪路を思い出した。
 ――チャルクリクのオアシスを出てからしばらくして、
  一望黒に近いゴビを走っている時だった。
  前方、道の中央に大きな石が置いてある。
  とっさに、道路妨害かと思ったが、
  周辺は無人の荒野だから、それはありえない。
  
  運転手は心得たもので、そこに近づくまでもなく、
  車を少し低くなっているゴビの中に乗り入れ、
  そこを走り出した。
  まもなく石の置いてあるところを通過してみると、
  そこは道路が長さ10メートルわたって陥没している。
  石は、危険を知らせる標識だったのである。
 
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        1989年当時は、西域南道ではなく,まさに西域「難道」だった。

 現在は、当時の大波が小波になっただけ、大分ましになった。
 
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  ……と思いきや、そうは問屋が卸さなかった。
 チャリクリクから100kmの地点あたりから、ところどころに水溜りが出来始めた。
 夏時は、アルティン山脈の雪解け水でしばしば洪水が起こるのだそうだ。
 次第に地面ががゆるみははじめたと思うと、
 ついには道を横断し幅10メートルほどの川?が出現した。
  
 どうも迂回不可能のようだ。
 リーダーが木の棒を持って川に入り、水深を計る。
 幸い水底の地盤のぬかるみはひどくないらしい。
 まず、トラックで試験走行。
 成功した後、われらがランドクルーザー、そして2台目のトラックが渡った。
 やれやれ!、
 
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 荒涼たるゴビを過ぎると、最初に出迎えてくれるのが道の両側に植えられた砂ナツメだ。
 
 
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       チェルチェンのオアシスに近づくと、道の両側には砂ナツメの並木が続く。

 砂ナツメは、防風や防砂の役割としてだけでなく、立派な食料である。
 車を止めて少しいただくと、まだちょっと早いかなという気もしたが、
 甘酸っぱさが口に広がった。
 ドライフルーツにすると実においしい。

 
 並木が途切れると、両側には、再びタクラマカン砂漠が広がる。
 道路傍の里程標が4チェルチェンまで、あと80キロを示すところで、
 アルティンにかわって崑崙山が見えてきた。
 
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 5〜7千メートル級の山脈群が続く、
 万年雪を頂いたこの山脈(やまなみ)こそ、オアシスの民の生命の泉だ。

 やがて、天を刺すようなまっすぐに伸びたポプラ並木の間を進んでゆく。
 
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 並木の両側に綿花やトウモロコシ、ひまわりの畑が広がり、
 そこでは男も女も農作業や収穫に汗を流している。

 
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 子供たちも綿摘み作業を手伝っている。学校はないのかとたずねると、綿摘みの時期には学校も公認の欠席にするのだそうだ。
 
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 綿花を摘みや農作業をしながら、みんなで声をそろえて歌を歌う。
 子供のころにふるさとで聞いた田植え歌を思い出す。
 実に楽しそうだ。
 こうした陽気で和やかな光景は、漢人にはないウイグル人独特の雰囲気だ。


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 ところどころに日干しレンガの民家が見られるようになった。
 ほどなくチェルチェンだ。
                                                                                              

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 チャルクリクの景色ではありませんが、
 天山北路の「天池」の清流で清涼感を味わってください。
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 [本 日 の 記 事] 
 

チャルクリクの小学校とウイグルのこどもたち

漢民族の比率が急増
  チャルクリクの市街地にある小学校の前を通りかかったとき、
 1989年の訪問を思い出して、再び訪問申し込みをしたところ、
 気持ちよく歓迎してくれた。
 ただ、校内の写真はあまり撮らないでほしいとのことだった。
 
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                  チャルクリク第二小学校

 とても人なつっこい陽気な子供たちだった。
 サインしてくれとせがむので、 
 ひら仮名でサインしてあげると、キャーキャー言って大喜び。
 子供たちの名前も聞いてひら仮名で書いてあげると、
 まるで宝物でももらったようにますます目が輝きます。
 
 くったくなく、明るくて、たくましそうなのはウイグルの子供たちだった。
 漢人は一人っ子政策だが、少数民族には適応されないので、
 何人もの家族や兄弟の中で育っているためだろうか。
 親の職業(農業や商業が多い)のせいもあるのかもしれない。
 漢人の子供はおりこうさんタイプが多いような感じがした。


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                 教師からいただいてきた集合写真。


 日本語の挨拶や折り紙を教えたりした。
 驚くほど反響が大きかったのは、
 われわれが子供のころに遊んだ、「ケンケンパー」だった。
 一時間ちょっとの短い時間だったが、楽しい交流が出来て大いに満足できた。

 1989年に訪れたときには、全員がウイグル族だった。
 しかし、約20年後の今度の訪問では、
 児童の半数以上を漢族の児童が占めていた。

 中国政府による西部地域の経済振興政策により、
 ――民族支配の目的も小さくないのだろうが…
 中国各地から新疆ウイグル自治区へ移住する漢族が増えている。
 その様子は、チャルクリクのような小さな町の小学校でも実感できた。

ウイグルの子どもたち

 
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 学校内でなければということで、何人かのウイグルの子どもたちをお借りして…。 たくさんの志願者の中から選ばれた精鋭!?

 
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       指のサインは何でしょうか? わかりますか?   街で出会ったウイグルの子どもたち。
    コメントしてみてください。お待ちします。 正解は明日あたり、この記事にコメントします。

 
 判官びいきと言われそうだが…、私にとっては、やっぱりウイグルの子どもたちはとてもかわいい。
 透き通った純粋な目はなんともいえないな〜
 
 

 

  

久しぶりにシルクロードの世界にやってきました。

[杜泉新生シルクロード2万キロをゆく 前3回の記事]

270 ミーラン遺跡4   吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化   杜泉新生シルクロード2万キロをゆく270←クリックしてください。
269 ミーラン遺跡3   故城を巡る  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく269←クリックしてください。
268 ミーラン遺跡2 ミーラン故城の手荒な歓迎  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく268  杜泉新生シルクロード2万キロをゆく266←クリックしてください。


 [本 日 の 記 事] 
  = チャルクリク 西域南道をゆく1=
西域南道の要衝チャルクリク
 今日は、ミーラン故城から西域南道を走りチェルチェンへ向かう。
 最終的には、天山南路と交わるカシュガルをめざす。
 
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 タクラマカン砂漠の南側を東西に結んでいる西域南道の
 東端に位置するオアシスがチャルクリクである。
 西域南道の要衝として、
 タリム盆地の北辺にあるコルラへ、
 河西回廊へ続く敦煌へ、
 シルクロードの聖解消ルートの東にある西寧へとつながっている。

 玄奘三蔵は、インドからの帰り道、
 西域南道を通り長安へ歩みを進めた途中に楼蘭をと通ったことを
 『大唐西域記』に記録している。
 しかしこの時期、楼蘭はすでに廃墟となっていたという。
 ならば玄奘三蔵は、チャルクリクも通ったのではないかと推定されている。


ミーラン遺跡からチャルクリクへ走る
 ミーランからしばらくはアルティン山脈方面に向かって
 未舗装の道を砂煙をもうもうとあげながら突っ走る。
 
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 やがて青海省ルートにぶつかるとやっと砂塵から開放される。
 
 ミーラン遺跡からあわせて85キロ走ると、遠方にチャルクリクが見えてきた
  ポプラの暴風林が烈しく揺れている。
チャルクリクのオアシス
 オアシスの中にも風砂が舞っている。
 周囲を囲む防砂林があるとはいえ、
 そこを通り抜ける風の力も、決して侮れない力を持っているようだ。
 
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?H5>チャルクリクの街  
 近年、チャルクリクの街は急激に変化しているという。
 街路には、明るい色合いの衣類や雑貨の店がたくさん並び、
 道路は拡幅され、車道と歩道が区別されている。
 以前は多数行き交ったであろうロバ車は少なくなり。
 乗用車やオート三輪に変わった。
 街の中心には、携帯電話会社の電波塔がそびえている。
 
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陽気なウイグルの叔母さんたちがこちらに向かって、写真を撮ってくれ盛んに手を振って笑顔を振りまく。
 
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 中心街の道はきれいなレンガ敷きだで、店の建物もどこかエキゾチック差を漂わせている。
 
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 チャルクリク一番のホテル 

 それでも、ウイグル族の主食であるナンの香ばしい香が漂い、
 羊の肉などをギョウザ風の皮で包んで焼いたサモサが、通りのあちこちで売られている。
 街の風情が変わっても人々の生活はあまり変わらないようだ。
 
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  バザールにはたくさんの人びとが集まり、ウイグル人の陽気さと活気が伝わってくる。
 
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 サモアの香辛料と羊肉の香ばしさが鼻と腹を刺激する。ついつい吸い寄せられるように焼きがまの方へ足が向いた。
 
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 じっと見ていると、これぞウイグルといった感じのオジイサンが、
 無言でサモアを差し出した。この店の主人だった。 ウイグル語しか話せないので、話が通じない。
 手振り身振りでビールは無いかと訊くと、両腕でで大きなバツを作った。ざんねん!

 
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   ミーラン遺跡の仏塔    仏塔の壁に描かれた壁画は、東西文化の交流の証となるヘレニズム文化を色濃く残すものとして貴重なものである。



 [本 日 の 記 事] 
 

ミーラン遺跡4  吐蕃の城砦と古寺のヘレニズム文化

===== 吐蕃の城砦 ===== 
  
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 ミーラン故城全景

 城壁は葦と粘土の層を突き固めたものと、
 レンガ(塼)積みの2種類がある。
 このことからも、、二つの時代に築かれ、使われたことが判る。

 まだ 壁はしっかりと残っており大な日陰をつくっている。

 壁から少し離れた所に木が見えた。
 胡楊の木だ。直径1m近い木の半分近くが地表に出ている。
 掘ればおそらく円形の全体が見えるだろう。
 
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 胡楊三千年の諺どうりだとすると、
 この胡楊は故城の歴史を見守ってきたのかもしれない。

 その周辺には、陶器の小さな破片が落ちている。
 ガイドによれば、1300年ほど前の塔代のものだという。
 近年は遺跡からの持ち出しはうるさくなったので、ただ見るだけである。



 城壁の銃眼と思われる穴から身を潜めて外を見ると、
 周囲のゴビの世界を一望することが出来る。
 これならば敵の動きが一目瞭然だ。
 
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 城壁に上って城内を見れば、
 中央に広場があり、
 城壁の真下烽火台に連なるレンガ(塼)敷きの道が通っている。
 
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 その両側には、塼でいくつかに区切られた空間も見える。
 そこには、木の柱の残欠もあって、住まい=部屋であったことが容易にわかる。
 そしてそこには、丸い、径50センチほどの穴が2つあいている。
 すすのあとを見れば、それはかまど跡と知れる。
 空想が広がって実に面白い。
 
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 住居跡も城壁の下側も分厚い砂に埋もれていた。
 風が吹くとその砂を風が巻き上げ、そこにまた新しい砂が降り積もる。

 城の四隅に望楼があり、
 城が垣は杵で土をついて作られ、
 西側には城門の遺跡と思われる2箇所の口があいていた。
 
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                            望楼
 
 城内の東側には役所跡と言われている大きな家屋があり、
 その南には高さ10数メートルの烽火台がある。
 そこには枯れ草の束も散乱してる。
 おそらく烽火に使われた草かもしれない。
 
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                   役所跡と推定されている大きな建物
 
 
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                          望楼(中央)と烽火台(右)

仏塔

 城砦から300メートルほど離れたところに仏塔があった。
 仏塔は基壇と塔から出来ている。
 
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 基壇は、径7メートル、高さは2〜3メートルである。
 それは堆積した砂の深さと風による侵食が方向によって不均等だからだろう。
 
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イメージ 7 塔は高さ3メートル、直径2メートルだが、
 これが本来の大きさとは思えない。
 塔を一周ながら丹念に見ると、
 化粧の土壁が残っている部分と、それが剥落してレンガが露出している部分がある。
 レンガが露出しているのは、西南に面した部分と東部である。
 
 この日のカラブランも、西南からの風であった。
 この地方では、その方向からの風が最も多く、強いという。
 この仏塔は、城砦よりも古く、千5百年以上も風砂に耐えてきたのであった。
 
東西文化交流の証
 1907年古寺跡からさまざまな文物を発見した。
 この中で、最もセンセーションを巻き起こしたのは、
 第三古寺址の「仏伝」(釈迦の伝記)と「有翼天子像」
 第五古寺址の「ガンダーラを担う各国童子像」だった。
 これらは現在、インドのニューデリー博物館に所蔵されているが、
 おおくの出版物でもお目にかかっている方々も少なくないだろう。
 
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                       スタイン採取の有翼天子像
 
 ギリシャ個展文明が次第に東に伝わり、
 やがてインドの北西部――、
 現在のパキスタンのペシャワル地方にあたるガンダーラの仏教美術と融合したヘレニズム文化は、
 世界史上もっとも壮大な東西文化交流の具体的成果であり、
 ミーラン遺跡の壁画群は、典型的な例とされている。
 しかも、ミーランは、ヘレニズム文化が及んだ最東端だという点でも価値がある。


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