40年前のエピソードを訪ねて
40数年ぶりに訪れた思い出の地・土肥
大学の同級会の帰りに、40年ぶりに一人で土肥に立ち寄ってみた。
夕暮れの景色は学生時代のもと変わりないものだったが、
街の様子はすっかりと変貌を遂げていた。
この公衆浴場の前に立った時、40年前の思い出が噴き出すように湧き上がった。
建物は新築されて変身していたが、思い出の中身はいささかもうすれていなかった。
笑えない笑い 素っ裸の男芸者(エッセイ)
大学三年の夏休み、俺が所属する柔道部の合宿が西伊豆海岸の土肥温泉で行われた。
柔道の練習は土肥中学校の道場で行われた。
俺たちは練習後毎日、街中(まちなか)にある公衆温泉浴場へ繰り出していた。
まだ午後四時過ぎということもあって、いつもは俺たちだけで独占状態だった。
だがその日は珍しく、隣の女湯からにぎやかな話し声や笑い声が聞こえてくる。
こちら男湯の連中は気になる様子だ。
卑しげな笑いを浮かべてひそひそささやき合うやつ、
素知らぬ顔をしてひたすら体を洗うやつ、
湯船に浸かって天井を眺めて飄々としているやつなどいろいろだが、
時折、ある一点にちらっと視線が向きがちだ。
実は一枚板で出来た男湯と女湯の通用扉には、節穴が二つあった。
そのことは、かねてから俺たちの話題になっていた。
一人がにやにやしながら扉を指さすと、待ってましたとばかりに、視線が一斉にそちらを向く。
ほかのやつが真っ先に近づいて、節穴を覗き始めた。
たちまち他の連中も群がって、扉に寄り掛かって押し合いへし合い競って覗く。
ところが突然、その扉が女湯側からパッと開けられたからたまらない。
不意を食らった三人が、弾みでとんとんとんと女湯に駆け込んで行った。
とたんに扉がバタンと閉まった。
間髪を入れず女湯からは、
「あんたたち、そんなに見たけりゃたっぷりみな見な!」
「こっちも久しぶりに若い元気なものを拝ませてもらったよ」という、からかい声が甲高く響いた。
呼応して「ワハハハハー…」というけたたましい笑い声。
それにかき消されるような「すみません」という蚊の鳴くような声。
タオルも持たずに飛び込んで、大事なところをひたすら手で隠し、
おばさんたちに取り囲まれながら身を小さくしている大男たちを、容易に想像できた。
何のことはない、見ていたはずの連中が逆に「素っ裸の男芸者」を演じさせられる羽目になったのだ。 柔道の猛者連も浜のおばさんたちには完全な一本負けだ。
飛び込まずにすんだ俺たち四人は、扉の前で安堵の笑いを交し合った。
だが誰からともなく、いかにもさりげなく目をそらした。
少し躊躇したばかりに覗けなかっただけだという同罪意識、
チャンスを逃した残念さ、
はたまた、
やつらはめったに出来ない男芸者のような役まで演じおって、という少々やっかんだ気持などが、
笑いの中に複雑に入り混じっていたと思う。
それを、互いに感じ取ったにちがいない。
笑えない笑いとはこのことをいうのだろうか。
40年ぶりに思い出の土肥をめぐりました。
海岸からは富士山がきれいに見える。
海辺の公園には世界一と称する 花時計が作られていました。
足湯があります。ゆっくりと浸かりました。
足湯って疲れが取れていいですね〜
土肥温泉は、吟遊歌人・若山牧水ゆかりの温泉地でもある。
彼は対岸の沼津の自然を愛し、そこに住居を構えたが、
ここ土肥に延べ100泊し、150を越える詩歌を詠った。
・白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
・幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく
松原大橋の袂には、駿河湾に向かって彼の銅像が置かれていた。
この像も40年前にはなかった。
街から少し離れた「無雙庵 枇杷(むそうあん びわ)」に宿を取りました。
落ち着いた大人の雰囲気の宿でした。
「無雙庵 枇杷(むそうあん びわ)」の貸し切り浴場
露天風呂からの眺めはすばらしい。
土肥港を出発する遊覧船
お湯に浸かって夕暮れを眺めながら、やんちゃな時代を懐かしみました。
浴場には、時に近所のかわいい娘さんが手伝いに来て、番台に座っていました。
みんな興味深々でした。
お風呂での失敗以来、軽蔑されたかな〜と、みんな心配したものでした。
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