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イタリア 〜印象に残る光景 シルクロードの西の起点・ローマ帝国1
ヴェネチア1 マルコ・ポーロのふるさとヴェネチア(ベニス) ヴェネチア2 〜壮麗なサン・マルコ広場と大聖堂 ヴェネチア3 オリエントの面影を残すヴェネチアの街 〜伝統工芸ヴェネチアン・グラスとマスケラ ポンペイ1 古代ローマ文明の奇跡・ポンペイ展【改訂】仙台市博物館で開催されている「ポンペイ展」を見学してきました。パンフレット[写真の説明] ) 展示された豪奢な邸宅の壁画や彫像物、落書き、 金・銀・宝石を用いたきらびやかな装飾品、金・銀貨などの発掘物は目を見張るばかりだった。 それと同時に気付かされたのは、 ヘレニズム文明(ギリシャ)とエジプト文明の影響をかなり受けているという点である。 彫刻はギリシャの顔立ちだし、神殿の柱にも影響が見られる。 一方、エジプトの神や神殿も壁画にも登場していた。 ポンペイの暮らしが見えてくる神殿や2万人収容の円形闘技場、浴場、劇場などの公共施設のほか、 個人の暮らしを伝える住宅、ワイン醸造所、外科医の家、酒場、パン屋、娼館などからの発掘物を見 ていると、ポンペイの人びとの生活ぶりが、浮かび上がってくるようだった。 きわめつけは風呂システムだ。 大理石の浴槽と追いだきのできる驚くべき給湯システムである。 2000年前の人びとの知恵は脅威である。 火山灰で封印されてしまったお陰で、2000年前のローマの都市・ポンペイが、 そのまま蘇えることが出来たのである。 私は5年前と最近2度ポンペイを訪れました。
そのときの記事は、後日アップします。 |
14イタリア
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[イタリア 前回の記事] イタリア 〜印象に残る光景 シルクロードの西の起点・ローマ帝国1 マルコ・ポーロのふるさとヴェネチア(ベニス)リベルタ橋を渡ってヴェネチアへヴェネチアは陸続きではなく完全な島です。イタリア本土との間に掛かる鉄道と自動車用の「リベルタ橋」を渡り、ヴェネチア へ入ります。 中世の頃には、敵の侵入を防ぐため、もちろん橋はありませんでした。 この橋は、ムッソリーニの時代にかけられました。 市街地へ水上バス(ヴァポレット)でゆくヴェネチアは車が走れないので、水上バス(ヴァポレット)に乗って大運河を航行して、市街地まで移動します。シルクロードの面影を求めて水上バスを降りたら、ふつうの観光客ならば、 たいていサン・マルコ広場へ向かうか、ゴンドラ乗り場に行くでしょう。 ところが私が真っ先に向かったは、マルコ・ポーロの生家です。 なにせ私のシルクロードの原点は、マルコ・ポーロだからです。 ヴェネチアとシルクロードといえば、私だけでなく、誰もがマルコ・ポーロを思い浮かべることでしょう。 彼の生家があるというリアルト地区の北東にある「コルテ・デル・ミリオン」と言う中庭(コルテ)を 地図を頼りに探すことにしました。 私のシルクロードの原点マルコ・ポーロ子供のころにいだいたシルクロードへの憧れが――私を300日にあまる中国・西安からイタリア間での壮大なたびに駆り立てたのです。←記事はクリック ヴェネチアといえば、「マルコ・ポーロのふるさと」という思い入れ強いのです。 『東方見聞録』のイタリア語の原題「イル・ミリオーネ」からついた地名だが、 彼が中国の話をすると、桁がいつも「ミリオーネ」(百万)という大げさな単位がつくことに由来するするらしい。 リアルト橋から少し歩いた所、マリブラン劇場のすぐ近くに、 ひっそりと、かつてマルコ・ポーロ一族が住んでいた場所があった。 表示がなければわからないほどだ。 広場(中庭)の名は「コルテ・デル・ミリオン」。 彼が中国までの旅の後、ジェノヴァで捕らえられていた間に記した書の名は、 日本では「東方見聞録」という名で知られているが、 当時のイタリア人たちはその話を信じず、 マルコポーロには「マルコ・イル・ミリオーネ(ミリオーネとは100万、無数の意。 つまり日本語で言うと「嘘八百のマルコ」という感じだろうか)というあだ名が付けられた。 その名が彼の住んだ場所にも名残として残っている。 私の憧れだったマルコ・ポーロはヴェネチアでは、どうやらほら吹き扱いされていたようだ。 ジパングを目指して出航し、アメリカ大陸を発見したコロンブスも、この書を手元から離さなかったそうだ。 なんと366箇所も書き込があったとのことだ。 中世の雰囲気が漂う街街をあちこち歩きまわりながら、サン・マルコ広場へと向かいます。近年作られる橋は、島の水没を避けるため軽い材質が使われています。 洗濯物もなんとなくヴェネチアらしいな〜 ちょっとこぎれいで。 マルコ・ポーロの時代にもこんな光景が見られたんじゃないかな〜。 こうした道は、後世になって次第にに作られてきたものであろう。 現代的な中にどこか中世の活気が残る市場大きな通りに出るととたんに現代に戻ったような感じがしました。店のテントは布製である。少しでも中世の雰囲気を出そうという心配りだろうか。 日本の魚市場と同じように、威勢のよい声がかかります。私にまで声をかけてきます。 商業が盛んだった中世のヴェネチアを彷彿させる光景だった。 ヴェネチアの名所旧跡やゴンドラ、民芸品、食事などは、次回をお楽しみに。 |
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