東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

東日本大震災に遭遇して

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       南三陸町を襲う津波
?H3>特別番組「報道の日2011記憶と記録とそして願い」  この番組は12月25日に約15時間に渡って放送された。
 その大部分は東日本大震災に関するものだった。
 すでに何度も見た映像も多かったが、自分の体験と重なって強く私に迫ってきた。
 その中でも、特に私の胸を強く打ったのは――
「高台へ避難を…防災無線で響いた天使の声 悲しみの淵から母は…」だった。
 この題目を見て、みなさんはすぐに内容がお分かりになることだろう。
 多くの皆さんがご存知のように、命尽きるまで高台避難を呼びかけた南三陸町女性職員・遠藤未希さんの死を悼むものである。
 それと同時にこの放送は、多くの方々に「津波警報が出たら直ちに高台に避難せよ」ということを強く訴えているに他ならない。
 私も心からそう思うので、遠藤未希さんを悼む記事を内容を変えて再びアップしたいと思う。


命尽きるまで避難を呼びかけた南三陸町女性職員・遠藤未希さんの死を悼んで

 遠藤未来さん テレビ放送を見た後すぐに、般若心経を読経させていただきました。 合掌
  
 
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   未希さん あなたは、今年の桜を見ることなくお亡くなりになりました。 四国遍路の一番寺で私を迎えてくれた桜を、心を込めて捧げます。

 この記事があなたへの供養になれば幸いです。
 
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 あなたが最後まで職務を全うして行方不明になって以来、
 せめて遺体だけでも一時も早く発見されてくれればよいが…と、心から願っていました。
 そうでなくてはあなたは報われません。
 遺体発見の報を聞いて、私は悲しみの中にも少しは心が救われる思いでした。

  遠藤未希さん!
 私が現在命あるのは、地震に遭遇した金華山で、
 「6メートルの津波が来ます。全員高台に避難してください」という放送でした。
 それは鮎川からの放送に違いありません。
 その放送がなければ、待合室の屋根か、待合室の裏の旅館の二階に上がっていたかもしれないのです。
 そうすれば、間違いなくあの世行きでした。
 私たちが逃げていた時、あなたは必死にみんなに叫んでいたのですね。
 テレビ放送であなたの声を聞くたび、金華山で必死に聞いた放送とダブってしまいます。
 思わず「ありがとう!」とつぶやいて、ぐっと涙ガこみ上げてしまい、声を出して泣いてしまいます。
 あなたがが命の恩人のように思えてならないのです。
 
 

「6メートルの津波が来ます」 最後まで放送の南三陸町職員の死を悼む

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 津波に襲われ鉄筋の骨組みだけが残った防災対策庁舎。遠藤未希さんは2階から放送で避難を呼び掛けていた=3月26日、宮城県南三陸町
 
 「早く高台に避難してください」−。
 津波到達の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた後、行方不明になっていた女性の遺体が発見された。
 津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町職員、遠藤未希さん(24)。
 命を救われた町民や避難住民は、最後まで職務を全うした未希さんの死を悼んだ。

 未希さんは3月11日、町内の防災対策庁舎で津波到達の直前まで防災無線で、
 「6メートルの津波が来ます。早く高台に避難してください」と呼び掛け、
 自らは津波にのみ込まれて行方不明となっていた。

 母親の美恵子さん(53)によると、未希さんとみられる遺体は4月23日、捜索隊が志津川湾で発見した。
 昨年7月に結婚した夫(24)がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、右肩にあざがあったことなどを夫が遺体の写真で確認。
 警察が2日、DNA鑑定で最終的に未希さんと断定した。

 美恵子さんは津波で被災した自宅を片づけながら、
 「元気な姿で家に帰ってくることはあきらめていました。せめて遺骨をきれいな自宅に迎えたいと思って…」と、涙をこらえながら話した。
 遺体は町内に安置され、家族が遺体を引き取って火葬する予定。

 未希さんは、昨年4月に危機管理課に配属。
 夫と石巻市内に住み、南三陸町役場まで通っていた。
                                  [MSN産経ニュース]より                       

女性職員の死悼む=「残したもの大きい」−津波避難、最後まで呼び掛け・宮城

 東日本大震災の大津波が襲った宮城県南三陸町で、最後まで住民に防災無線で避難を呼び掛けた町職員遠藤未希さん(24)の葬儀が4日、同町で営まれた。親族や幼なじみが参列し、遠藤さんの死を悼んだ。
 遺体は午後、町営火葬場に運ばれ、荼毘(だび)に付された。同級生の1人は、遠藤さんが中学生の頃に将来の自分へ宛てた手紙を入れたカプセルを掘り起こし、母美恵子さん(53)に渡したという。
 遠藤さんの遺体は4月23日、南三陸町沖で発見され、県警がDNA型鑑定をした結果、今月2日に本人と確認された。美恵子さんは「ようやくうちの娘と分かった。(火葬後も)しばらくはうちに置いてあげたい」と泣きはらした目をハンカチで拭った。
 遠藤さんは昨年結婚し、今年9月に披露宴を開く予定だった。夫の友人で会社経営者の尾形長治さん(28)は「披露宴に呼ばれるのを楽しみにしていたのに。大勢の人の命を救った未希さんが残したものは大きい」と話した。(2011/05/04-21:34)  (時事通信の記事より)


未希さんへ

 最後になりましたが、お父様が 「未希は私たち夫婦にはすぎた娘でした」 と言っていましたよ!   安らかにお眠りください。
 1月にまた南三陸へ参ります。ぜひ供養させてください。


皆さまへ

この記事をお読みになった全国の皆さまも、遠藤未希さんのために手を合わせていただければ、
 天国の彼女も喜ぶに違いありません。

津波警報が出たら直ちに高台へを肝に銘じてください!



「東日本大震災に遭遇して」 記事一覧

 写真を5枚紹介します。記事は題目をクリックしてご覧ください。
1.金華山で命がけの避難
 
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           津波を避けるため、がけ崩れが起こる中を黄金山神社へ向けて10数分逃げ上がりました。
2.金華山 地震と津波の爪跡
3.予期せぬ救出
4.鯨の町鮎川・凄惨な津波の傷跡
 
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             左上の建物が避難所になっている牡鹿総合支所




あれから7か月 脳裏に刻まれた鮎川を襲う津波 

 この動画は、わたしが金華山から救出されて渡った鮎川を襲う津波の映像です。
 わたしが避難していた石巻市鮎川支所から撮影されました。
わたしは、生かされた命という意識を忘れないためにも、
 そしてあの惨状を風化させないためにも何度も繰り返して見ています。
 あれから7か月たった今だからこそ、皆様にも覧いただければ幸いです。

 
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       [鯨の町を襲った津波・石巻市鮎川](映像はクリックしてご覧ください)

  
 この動画は、知人から紹介を受けました。
 その知人は、鮎川で被災した祖母のために、
 わたしがブログでアップした鮎川の写真を譲ってほしいと依頼してきました。 
 聞けば、その祖母は私と同じ避難所にいた人だったのです。
 お世話になった鮎川にすこしでもお役にたちたいとの思いで喜んでお送りしました。
 これがきっかけで交流が始りました。

 
 
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   津波翌日の鮎川(石巻市)の夕暮れ   石巻市牡鹿総合支所3階より

 わたしは避難所生活をしていた時、
 この動画の撮影場所と同じ場所から被災後の凄惨ながれきを見て心を痛めていました。

 だから、はじめて映像を見た瞬間、自分は完全にその場の人になってしまいました。
 感情を失ってただ茫然として見入ってしまいました。
 自分が金華山で遭遇した大津波が、同じ時、すぐ向かいの鮎川をこのようにして襲っていたのか…、
 船で鮎川に着いた時に、呆然自失として眺めたあの瓦礫は、この津波の爪痕だったのか…。
 そう思うとものすごいショックを感じました。
 思わずジーンと来て涙が流れてしまいました。
 
 だが、再びがれきのシーンが映し出されたとき、むらむらと負けん気が出てきました。
 こんなことで負けてたまるか!!と思ったのです。


負けずに復興を!

 多くのボランティアあの方々が、鮎川を訪れて復旧・復興に手を貸してくれています。
 私が久しぶりに訪れた7月31日にも茨城県からボランティアの方々がバスで訪れていました。
 ありがたいことです。
 9月30日のボランティアの様子を写した動画を見てください。


 とにかく日本中で力を合わせて、日本全体のためにも、東日本大震災から立ち直りましょう。


 がんばれ 日本!!


 
 
小野寺五典衆議院議員 
東日本大震災復興へ熱意の質疑
 
10月5日の「衆議院東日本大震災復興特別委員会」において
 
 自らも被災者でもある小野寺氏は、
 被災地の実情と被災者の心情を十分にくみ取った訴えを行い、
 適切かつ敏速な対応を強く要望した。
 語り口は物柔らかだが、熱のこもった説得力のある質疑には、迫力があった。
 
 彼の話には、テレビ放送などで映し出される被災地の画像や説明だけではわからない被災地の現状(内情)がかなり伝わったことと思う。
 
 これに対して、平野復興担当大臣の、時には笑い顔さえ浮かべる答弁には、熱意と責任感の感じられないと、憤りを感じた方々が多かったのではないだろうか。
 
 
東日本大震災の体験記が出版されました。
 
 東日本大震災99人の声 
「あの日のわたし」
 
被災地からの叫び!
 
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 さっそく、読んでみました。
 あの日の体験や思いが飾らない文章で切々と語られています―― 。
 わたしは思わずぐいぐいと引き込まれていきました。
 とてつもない恐怖、
 肉親を亡くした深い悲しみ、苦しみ
 家族の絆の深さ、
 人と人との助け合い、
 長い長い不自由な生活、当たり前の日常を待ちわびる切ない気持ち
 そんな中から懸命に立ち上がろうとしている姿……
 
 自分の体験とも重なって胸に迫り、たまらなく涙が流れてきました。
 一般の方々が書いた文章なので、プロの文のようなうならせる味はないけれど、
 それだけに飾られない真実が却って胸を打ちました。
 被災者の一人として、ぜひより多くの皆様にも読んでいただきたいと強く感じました。
 これだけの大きな犠牲を強いられた大災害を絶対に風化させてはなりません。
 それを後世に生かしてゆくことはわれわれの務めではないでしょうか。
  
 「衆議院東日本大震災復興特別委員会」
 小野寺五典衆議院議員のすばらしい質疑
 
 10月5日の「衆議院東日本大震災復興特別委員会質疑」において素晴らしい質疑を行いました。
 自らも被災者でもある小野寺氏は、被災地の実情をより具体的に、データを交えてわかりやすく、
 語り口は物柔らかですが、熱のこもった説得力のある訴えには、迫力がありました。、
 さすが?の政府側にも、伝わったに違いありません。
 
 まだ動画が作成されていないようなので、その一部を文章で紹介します。
 
 これでは高台移転は絶対無理!
 
 高台移転の問題が議論されていますが、市町村の負担金が多すぎてとても実現不可能です。
 小野寺議員が提示したデータ(テレビ画面より)
 宮城県南三陸町の高台移転に関する事業費の資産(単位億)
   全体    国庫    県    町    JR
  1395    636   113  590    56
 
  ちなみに南三陸町の年間一般会計は、74億円 です。
 これでは、高台移転は、現実的には絶対不可能ですよね。
 この数字を見て、政府側はどう考えているのかな〜
 
 
 復興住宅
 
 小野寺議員は、「復興住宅」という6階建ての住宅を提案している。
 1階:店舗  2階:集会所   3階以上:住宅
 朝霞の公務員住宅1棟を建てる火炎筑肥で、復興住宅850軒立つと言う。 
 
 *なぜ6階かというと、小野寺議員が4月26日に日本記者クラブで質問を受けた時、
 気仙沼近辺の何校かの3階建の小中学校が、完全に津波にのまれてそこへ避難した生徒や児童の命が奪われたし、南三陸町では、3階建ての役場の屋上に逃げた職員30名のうち8人しか生き残らなかった、と答えている。
 
 仮設住宅問題では、管前総理は、お盆までには全島完成させると言っていたが、それが実行されていない、と指摘した。
 
 
この「衆議院東日本大震災復興特別委員会」の動画はまだ作成されていないので、
日本記者クラブで行われた小野寺議員の談話の動画をアップします。
 
 
イメージ 1
 
URL:www.youtube.com/watch?v=ZyGtzXl7Khk ←'''クリック'''
 
 
[日本記者クラブでの談話のあらまし]
 
 宮城県気仙沼市出身で実家も津波被害にあった小野寺五典・衆議院議員が「被災地議員」で、自分の被災者経験を話し、被災者への対応を急ぐよう求めた。

≪「被災地には与党も野党もない。どの党でもいい。何党でもいい」(与野党の連立交渉について聞かれ)≫
小野寺議員は地震の翌日、気仙沼に入り、連絡のとれなかった母と弟を探し回った。
 夜通し、歩きまわって、避難所で母と弟をみつけ、おにぎり1個を3人で分けた。
 翌日、南三 ­陸町に入り、電柱にぶらさがった遺体など惨状を目の当たりにした。
 いまも気仙沼と国会を往復し、気仙沼では壊れた実家で母・弟と暮らす。
 水道、電気、ガスはいまだになく、 ­避難所の被災者もテレビの津波の映像を見ることもできず、ラジオだけで情報を得ている、という。
 被災者が抱える問題を国会でとりあげ、官邸に申し入れると、何日かたって対応策がとられる状態が続いている。「遅い。官邸の頭は原発にいっていて被災者のことを知らない。
  ­きょうも、仮設住宅の見通しについて聞くと内閣府の担当官は『知らない。
 担当ではない』と答え、代わって出てきた国土交通省が説明した。
 仮設住宅に入る人の生活支援策を聞 ­くと『それは厚労省の担当なので、わからない』という。
 制度があるのに動いていない」と批判した。
 震災後、被災地ではガソリンや物資不足が深刻になったが、タンクローリーや支援物資のトラックが高速道路を走るのを禁止していたためで、小野寺議員がとりあげて数日後、や ­っと高速道路を通れるようになった。
 津波で車を流された被災者が、新しく車を買おうとすると車庫証明や印鑑証明がないから売れないと業者に拒否された実例を国会で質問し、 ­ようやく免許証だけで買えるという通達が出た。
 こうした例をあげ、「海には資源がある。船さえあれば生産者となれる」と水産業の復活支援を訴えた。
 連立や入閣をめぐる民主党と自民党のやりとりについて「空虚な議論というか・・・。
 被災者には遠い世界の話だ。被災地には与党も野党もない。どの党でもいい。
 避難民のほし ­いものを感じる人に現地司令官になってもらいたい」と話した。
 司会 日本記者クラブ企画委員 泉 宏

    小野寺議員のホームページ  http://www.itsunori.com/

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