東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

東日本大震災に遭遇して

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仙台七夕まつり 鎮魂と復興の願い 

 仙台七夕まつりは6日から8日まで3日間の日程で開幕されました。
 私 はさっそく初日に出かけました。
 今年の七夕は、東日本大震災を受け、[鎮魂と復興]がテーマに掲げられました。
 東日本大震災からの復興を願うおよそ3000本の竹飾りで彩られた市の中心部は、
 大勢の観光客などでにぎわっていました。
 
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 例年の華やかさとは一味違った雰囲気が感じられましたた。
 願いを込める七夕まつり本来の姿になったように思います。
 竹飾りに込められた「鎮魂」と「復興」の願いは、
 多くの観光客や市民の共感を呼んでいるようでした。
 東日本大震災からの復興を願う短冊や折り鶴などを熱心に見入っていました。

鎮魂と復興を願う七夕飾り

 津波で大きな被害を受けた南三陸町の住民が書いた短冊には「笑顔が戻りますように」と復興への願いが込められています。
 
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                    南三陸中学校の生徒たちが作った七夕
 
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                    鎮魂の折り鶴
 
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                    復興の願いを込めて折られた鶴
 
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                    鶴を折る人たち

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  青葉区の定禅寺通には、鹿児島県姶良(あいら)市から届いた国内最大級の竹(全長23メートル)が、同市民からの応援メッセージとともに飾られていました。(中の写真)

 市内すべての市立小中学校の児童・生徒約8万人による折り鶴が吹き流しとして飾られていました。
 小中学生による折り鶴作りは初めての試みです。
 吹き流しの下では、子どもたちの通う学校の名札を見つけるたびに喜ぶ親子連れの姿が見られました。
 太白区から来た小学生は「学校で折った。出来上がったのを見るとうれしい」と笑顔を見せました。
 全員参加の手作りの七夕という感じがしていいものです。
 
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 県外はもとより海外からも応援メッセージが寄せられ、被災地に寄り添う人々の思いが街にあふれていました。

?H3>華麗な七夕飾りもやっぱりよいものですね。  
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 仙台七夕は、毎年のように楽しませてもらっっていましたが、
 今年の七夕は、「七夕の原点」を思改めて再認識させてくれました心の行事でしたが、
 その源点は、「飾り物に思いを込める」ということではないでしょうか。

 なお、仙台の七夕飾りは被災地各地でも飾られるとのことです。


  
  
 

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 東日本大震災を後世まで伝えることがわれわれの義務でもあります。
 その主旨からいろいろな場で、自らの体験やそれによって得られた教訓をより多くの皆さんにお伝えしようと思い、講演や講話活動を続けております。
 そのレジュメの一例をを紹介します。

金華山で大地震と巨大津波に遭遇

 私は震源地に最も近い島・金華山で東日本大震災に遭遇しました。
 3月11日、山歩きの会13名で金華山への山登りをした後、
 午後3時発の鮎川行きの船を待合室で待っていたところ、
 2時46分に歴史に残る大地震に襲われました。

 我々が帰る船は、仲間2人だけを乗せて、津波を避けて沖へ出てしまいました。
 残された11人は、がけ崩れが続く山道を命からがら黄金山神社に向けて避難しました。
 避難した高台から海を見ると、
 南北両方向から押し寄せた津波が金華山瀬戸で激突して50メートルもあろうかという巨大津波になり、高台めがけて押し寄せました。
 我々はさらに高いところへ駆け上がり、命拾いしました。
 その日は、黄金山神社にお世話になりました。

 
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                    崖崩れの中を避難  
 
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        南北から押し寄せた津波が眼前で激突して、高台に迫ってくる。


鮎川での避難所生活

 幸運にも翌12日に救出されて鮎川に渡りましたが、牡鹿半島はほとんど孤立無援の状態でした。
 避難所でボンティアをしながら、救援を待ちました。
 
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        避難所(牡鹿総合支所)三階より見た津波翌日の2鮎川 
        午前中に地元のショベルカーが道を覆っていたがれきを撤去しました。

自衛隊のジープで石巻へ
16日、物資輸送のため訪れた自衛隊のジープで石巻市内まで運んでもらいました。

石巻から東松島へ

 石巻到着後、市内が見渡せる日和山へ登り、姉が住んでいる湊町を確認しましたが、
 予想通り姉の家は流出していました。
 市内で最も津波被害が大きかったひばり野海岸方面の状況も確認したあと、
 実家の被害状況を見るため、徒歩で東松島市矢本へ向かいました。
 幸いに床下浸水で済んだ弟宅に一泊しました。
 
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                      日和山から見た中瀬と湊町
 
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                   東松島

東松島から仙台の自宅まで歩く

 17日早朝、東松島を出発して野蒜と東名を経由して仙台の自宅まで歩きました。
 3月17日中にかろうじて帰宅出来ました。
 
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       野蒜駅と東名駅間で津波被害にあったJR仙石線の電車
 
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       東名駅   駅は破壊され、周辺はがれきに埋もれていました。
 
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       東名地区  地形が変化して陸地が海に変わってしまいました。

我が家は、大規模半壊

当初は、現在の家は取り壊して、千葉県の長男の近くで借家住いする覚悟をしましたが、
大規模な修理して引き続き住むことにしました。職人不足で、工事に4ヶ月ほど掛かりました。
 
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私は6月28日まで、行方不明者
6月28日、宮城県警より安否確認の問い合わせがありました。
それまでは、行方不明者リストに乗っていたということになります。

「東日本大震災に遭遇して」 記事一覧

 記事は題目をクリックしてご覧ください。
1.金華山で命がけの避難
2.金華山 地震と津波の爪跡
3.予期せぬ救出
4.鯨の町鮎川・凄惨な津波の傷跡
5.避難所生活1 震災翌日 孤立無援の鮎川
6.避難所生活2 鮎川では早くも復興への動き
7.鮎川での避難所生活3 再び津波警報発令
8.さようなら鮎川 お世話さまでした。 がんばってください!
9.凄惨な被災地を通り 徒歩で石巻から東松島へ向かう 〜自然の前に謙虚であれ
10.仙台への帰還への道1 〜仙石線の被害を目の当たりにしながら野蒜・東名へ向かって歩く
11.仙台への帰還の道2 〜野蒜・東名地区の津波被害と消防隊員の強い使命感
12.元気をくれる言葉たち
13.被災地三陸漁師〜「自粛をしないで欲しいです」
14.我が家の地震被害 
15.震災ごみ仮置き場が満杯 「ルール守って」
16.津波に水没して生還した1本の奇跡の桜〜ついに満開に〜「岩手・田野畑村被災地からの報告」
17.命尽きるまで避難を呼びかけた南三陸町女性職員・遠藤未来さんの死を悼んで
18.2ヶ月の3月11日に振り返る。14時46分に犠牲者、行方不明者に黙祷。
19.東日本大震災チャリティーイベント 「井上ひさしさんに捧ぐ&学ぶ街づくり」 ご案内
20.金華山の復興に向けた検討に入る
21.漁師復帰に向けて・・。 新しい光が照らされたような事がありました。
22.【3.11大震災 証言・焦点】:証言/気仙沼・大島の津波/伝説の「島三分断」寸前
23鹿やうみねこはは地震を予知する?  〜金華山と鮎川での体験を通して  
24.大地震 恐怖の戦慄 〜震源地に最も近い金華山での被災体験1
25.崖崩れの中のを命がけの避難  〜震源地に最も近い金華山での被災体験2 
26.金華山 巨大津波の激突〜震源地に最も近い金華山での被災体験3
27.生かされた命
28.東日本大震災の教訓 津波の前に引き潮があるとは限らない1 私のチリ地震津波体験

【東日本大震災】「津波の前必ず引き潮」 誤信が悲劇招く 岩手・大槌

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2011年05月01日日曜日付け  河北新報より

 「津波が来る前には必ず潮が引く」。
 過去に津波を経験した三陸沿岸の住民の多くは、そう信じていた。
 岩手県大槌町では、東日本大震災で、引き潮がなかったように見えたため、
 潮が引いてから逃げようとした住民を急襲した津波がのみ込んだという。
 津波の前兆を信じていたことが、1600人を超える死者・行方不明者を出した惨劇の一因にもなっ
 た。

 3月11日午後3時すぎ、大槌町中心部の高台に逃げた住民は、不可解な海の様子に首をかしげた。
 大津波警報は出されていたが、海面は港の岸壁と同じ高さのまま。
 潮が動く気配がなかった。
 
 「潮が引かない。本当に津波が来るのか」。そんな声が出始めた。
 大槌町中心部は、大槌川と小鎚川に挟まれた平地に広がる。
 津波の通り道となる二つの川の間に開けた町の海抜は10メートル以下。
 津波には弱い一方で、山が近くに迫り、すぐ避難できる高台は多い。

 高台にいた住民らの話では、海面に変化が見えない状態は20分前後、続いたという。
 JR山田線の高架橋に避難した勝山敏広さん(50)は
 「避難先の高台から声が届く範囲に住む住民が 『潮が引いたら叫んでくれ。すぐに逃げてくるから』 と言い、自宅に戻った。貴重品を取るためだった」と証言する。

 複数の住民によると、高台を下る住民が目立ち始めたころ、
 港のすぐ沖の海面が大きく盛り上がった。
 勝山さんは信じられない現象に一瞬、言葉を失った。
 「津波だ」と叫んだ時には、 既に濁流が町中心部に入り、自らの足元に迫った。

 「なぜ潮が引かないのに津波が来たのかと、海を恨んだ。
 自宅に戻った人を呼び戻す機会がなかった。
 引き潮があれば、多くの人が助かった」と勝山さんは嘆く。
 住民によると、津波は大槌川と小鎚川を上って川からあふれ、濁流が町中心部を覆った。
 少し遅れて、港中央部の海側から入った津波が防潮堤を破壊し、なだれ込んだ。
 
 町中心部の銀行の屋上から目撃した鈴木正人さん(73)は、
 「2本の川と海の3方向から入った津波が鉄砲水のようにな、って住民と家屋をのみ込んだ。やがて合
 流し、巨大な渦を巻いた」と振り返る。
 
イメージ 3 東北大大学院災害制御研究センターの今村文彦教授は
「引き潮がない津波もある。津波の前に必ず潮が引くという認識は正確ではない。親から聞いたり、自 らが体験したりして誤信が定着していた」と指摘。
 近隣の山田湾などで潮が大きく引いたことから、
 大槌湾でも実際は潮が引いていた可能性が高いと分析し、
 「湾の水深や形状から潮の引きが小さくなったことに加え、港の地盤が地震で沈下し、潮が引いたよう
 には見えにくかったのではないか」と推測している。

(中村洋介、遠藤正秀)

「津波の前必ず引き潮」 誤信が悲劇招く 岩手・大槌(河北新報)
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/289.html より


?H3>岩手県大槌町を襲った津波(動画)
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        大槌町を横断する津波

岩手県大槌町を襲った津波 ←クリックすると動画がご覧になれます


「東日本大震災に遭遇して」 記事一覧

 記事は題目をクリックしてご覧ください。
1.金華山で命がけの避難
2.金華山 地震と津波の爪跡
3.予期せぬ救出
4.鯨の町鮎川・凄惨な津波の傷跡
5.避難所生活1 震災翌日 孤立無援の鮎川
6.避難所生活2 鮎川では早くも復興への動き
7.鮎川での避難所生活3 再び津波警報発令
8.さようなら鮎川 お世話さまでした。 がんばってください!
9.凄惨な被災地を通り 徒歩で石巻から東松島へ向かう 〜自然の前に謙虚であれ
10.仙台への帰還への道1 〜仙石線の被害を目の当たりにしながら野蒜・東名へ向かって歩く
11.仙台への帰還の道2 〜野蒜・東名地区の津波被害と消防隊員の強い使命感
12.元気をくれる言葉たち
13.被災地三陸漁師〜「自粛をしないで欲しいです」
14.我が家の地震被害 
15.震災ごみ仮置き場が満杯 「ルール守って」
16.津波に水没して生還した1本の奇跡の桜〜ついに満開に〜「岩手・田野畑村被災地からの報告」
17.命尽きるまで避難を呼びかけた南三陸町女性職員・遠藤未来さんの死を悼んで
18.2ヶ月の3月11日に振り返る。14時46分に犠牲者、行方不明者に黙祷。
19.東日本大震災チャリティーイベント 「井上ひさしさんに捧ぐ&学ぶ街づくり」 ご案内
20.金華山の復興に向けた検討に入る
21.漁師復帰に向けて・・。 新しい光が照らされたような事がありました。
22.【3.11大震災 証言・焦点】:証言/気仙沼・大島の津波/伝説の「島三分断」寸前
23鹿やうみねこはは地震を予知する?  〜金華山と鮎川での体験を通して  
24.大地震 恐怖の戦慄 〜震源地に最も近い金華山での被災体験1
25.崖崩れの中のを命がけの避難  〜震源地に最も近い金華山での被災体験2 
26.金華山 巨大津波の激突〜震源地に最も近い金華山での被災体験3
27.生かされた命
28.東日本大震災の教訓 津波の前に引き潮があるとは限らない1 私のチリ地震津波体験
 東日本大震災から早くも4ヶ月。
 多くの犠牲者を出した災害でしたが、今後につながる反省や教訓も残ったと思います。
 今後、東海、東南海、南海などの大地震も懸念されています。
 地震や津波に対する教訓を改めて思い起こし、災害時に生かしていただくことを切に願います。

津波の前に 引き潮あるとは限らない 〜紙芝居知識加えて新たに発売

 2011年7月15日付け 朝日新聞朝刊に「津波の前 引き潮あるとは限らない」
という、興味深い見出しの記事が掲載されましたので、まず紹介します。
 
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 クリックすると画面が拡大されます。

私とチリ地震津波

 「津波の前に引き潮があるとは限らない」――。
 このことは、子供の頃何度かお年寄りから聞いていたし、
 1960年昭和35年)のチリ地震津波の時にこれを自分の目で経験した。
 私はこの時高校2年生だった。
 私の出身高校は石巻市の日和山(標高56.4メートル)にある。
 学校からは、太平洋や牡鹿半島が一望できたし、
 近くの日和山公園まで移動すれば、北上川や両岸の市街地も見えた。
 
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      日和山公園から北上川と太平洋と石巻市街を望む。 左手後方は牡鹿半島。 (2009年)
  

 
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               日和山公園から石巻市街を望む。(2009年)
 

 私たちは校庭や日和山公園から津波の様子をずっと見ていた。

 この津波はなんと1万7000キロメートルかなたの南米チリ沖の地震によって発生したもので、
 22時間かけて三陸沿岸にやってきたのである。
 日本ではまったく地震を感じることはなかった。
 だからラジオで津波の警報が出ていましたが、平常どおり仙石線に乗って登校した。
 ホームルームの時間に、大きな津波が来るので学校で待機するようにとの指示を受けた。
 私は、〈地震がないのになぜ津波?〉〈いつもどおり警報だけだろう〉
 と、あまり信用していなかった
 同級生の中には、授業がなくなってよかったとさえ言う者もいて、いたって緊張感はなかった。
 私たちは、不謹慎ながら、見物気分で海を眺めていたように思う。

 引き潮も一時間以上もかけて非常にゆっくりしたものだった。
 見かけは通常起こる引き潮となんら変わらず、知らないうちに水が減っていったという感じだった。
 この津波では、三陸を中心に全国で125人の犠牲者が出ました。

 ――今回の東日本大震災でも、見かけは大きくない引き潮に安心して、避難が遅れて大切な命を落とし
   た人が少なくないでしょう。
 
津波襲来
 これまでの津波とはまったく違う津波がやってきたのはそれからだった。
 5メートルもの波が何度も押し寄せた。(文献では8回)
 大海原では5メートルくらいだったものが、岸に近づく急に高さを増して10メートルほどにもなり、
 さらに北上川の河口に入り込んだとたん20メートル程にもにもなった。
 そして、川の両岸の市街地を襲いながら遡った。
 それまでニュース映画で見た台風による水害よりも衝撃的なシーンだった。

 追い寄せてくる波よりも引いてゆく波によりいっそう強い恐怖心を持った。
 船、家の残骸や家財道具などが、川を埋めるようにして海のほうへ向かって流されていった。
 まだ単純な少年だった私にとって衝撃だったのは、テレビが流れてゆくシーンだった。
 当時貴重品であり、文明の先端だったテレビが何台もごみに混じってむなしく流れてゆく…。
 それをを呆然と眺めていた。
 当時、世はまさに「ミッチーブーム」だった。
 皇太子御成婚を見るために無理して購入されたばかりのテレビだったのである。
 
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     「結婚の儀」を終えた皇太子殿下と美智子さま    1959年4月10日 東京・皇居

                           毎日新聞社発行の「御成婚記念写真集」より

 
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                 現在も大切に保存している記念切手

 
 

津波の恐ろしさ

 津波の前には大きく引き潮になるというのも、必ずしも正しくありません。
 海底が陥没することで津波がおきる場合はいったん引き潮がありますが、
 プレートの跳ね返りによる東海地震の場合、引き潮がない可能性があります。
 また、同じ地震による津波でも、ところによって引き潮があったり、無かったりする場合があるようで
 す。

 三陸でも、安政と昭和の津波のときは引き潮があったようです。
 安政の時は昼間だったこともあり、はっきりと目撃されているようです。
 しかし、明治三陸津波や奥尻島では夜だったこともあり、引き潮を目撃するゆとりもなかったと思われ
 ます。
 いずれにせよ同じ津波でも場所によって引き潮はあったりなかったりするのであてになりません。

 津波は急に海面が盛り上がり、岸に近づくにしたがって波の高さが急速に高くなります。
 津波は10メートルを超える高さで、突然海が立ちあがって押し寄せてくるのです。
 海がそのまま立ち上がり、海底の巨石や港の船を丘の上まで持ち上げ人家を打ち壊してゆきます。
 そして、引いてゆくときにはもっと強い力で、ほとんど全ての家屋を引き倒し海に持ち去ってゆきま
 す。

 津波のスピードは水深の深い太洋では、ジェット機並か、新幹線と同じスピードといわれます。
 陸地に近づいた津波の速度は、人間が全速力で走る程度に遅くなるという説もありますが、
 海岸の状況次第でもっと早い場合もあるので、走って逃げ切れるかどうかわかりません。

 津波に襲われて泳いで逃げるということはほとんどできることではありません。
 津波は海底の泥を巻き上げた泥水と、なぎ倒した家屋の木材が一緒になって、
 大人が走って逃げられるかどうかの速さで襲ってくるのです。
 津波による犠牲者は普通の溺死者とは異なり、打撲による死亡がほとんどです。
 明治三陸津波の犠牲者の遺体は激しく損傷し、体の一部が失われている場合がほとんどで、
 青黒いあざが全身に浮き出ているものが多く記録されています。

                  {参考文献}  「津波ものがたり」山下文男 童心社 1990年


生かされた命

 今日、7月1日のNHKの朝ドラK「おひさま」には泣かされた。
 主人公陽子の二番目の兄茂樹が戦争から無事で帰って来た。
 長兄の春樹は軍医として、次兄の茂樹は志願して戦地に赴いた。
 茂樹がが父と陽子に、長兄の春樹との最後の別れの別れの様子を語り終えたとき、
「ほんとうに死ぬべき人間は、兄でなく僕だったのです」と言って嗚咽した。
 それに対して父は、「ばか者! 死ぬべき人間なんてどこにもいない!」と大声で叱り、
 「ただいま。それだけでいいんだよ…」と、やさしく抱きしめた。
 茂樹は父から深い愛情をそそがれ、信頼の涙を流した。
 こうした父子の深い真実の愛情は現在の日本にはほとんど皆無であろう。
 思わず胸が突き上げられ、一瞬「ううっ」と声を上げて涙を流してしまった。

 今回の東日本大震災の津波では、「死ぬべきでない命」があんなにたくさん奪われた。
 状況だけを考えれれば、私などは当然、「死んでも不思議でない命」であった。
 
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 崖崩れの中のを命がけの避難←クリック

 幸運と言うよりも、「生かされた命」だとつくづく思う。

 3回目の遍路中にお接待をしてくれた女性の
 「役に立ちなさいと生かされています」という言葉は、一生忘れない。

役に立ちなさいと生かされています

 今日で遍路も17日目、須崎市の浦ノ内海岸の道を、東京の佐藤さんと二人で歩いていた。
 
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 すると、遠くから「お遍路さーん」と手招きしながら、小走りでかけよってくる年配の女性がいる。
 近道でも教えてくれるのかと思って近づくと、
 「休んでいってください」と言って、わざわざ自宅まで連れて行ってくれた。
 疲れていたので、喜んでお邪魔した。
 表札には「正木マサコ」と書いてあった。
 少し後から歩いてきたお遍路さんも合流して三人でお接待を受けた。
 しょうが糖湯とぽんかんとハブ茶をごちそうになった。
 
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 「あとの人生は、反省しながら生きていきたいと思っているんですよ。
 そして、死ぬ時には、いい人生だったと思って死ねるような、そういう生き方をしていきたいと思います」。
 「今は通院中ですが、お大師様に生かされているのは、人のために何かしなさい、ということだと思っています。人にしてさしあげることはたやすいが、していただくことは難しいと思います。わたしは、してさしあげることに幸せを感じるんですよ」。
 「長い間看護婦を務めて、最後の13年間は、体の不自由な方々のお世話をさせていただきました。おかげで、自分を少しは見つめることができるようになったと思います」。
 「大切なのは、人と人との信頼関係だと思います。決してお金じゃありません」
 
こうした話をおだやかなまなざしで淡々と語ってくれた。
 とても慈愛に満ちたやさしい人だった。
 こうした人びとの支えがあったからこそ、歩き遍路が存在し得たのだと思う。ありがたいことだ。

息の長い支援を続けようと思う
 自分は生かされた命なのだから、“自分よりも被害の大きかった人たちや地域のために役に立とう”という思いを持っている。
 自分なりにやれることはやっているつもりであるが、自分自身の復興などに追われて、十分にやれていないという、忸怩たる思いがある。
 一方では、自分の足元がおぼつかないものには、心の余裕を持ったお手伝いは出来ない、とも感じている。
 一番気になっているのが、自分が被災した金華山と避難所で御世話になった石巻市鮎川であるが、
 遠方でもあり、残念ながらその後足を運んでいない。
 遍路でのお接待は、他の人へのお接待という形でお返しする、ということもあり、
 比較的近い地域へのボランティアを続けていきたいと思う。
 復興にはこれからも時間がかかるので、息の長い支援を心がけていれば、
 いつかはもっとお役に立てることがあるだろう。
 そう自分に言い聞かせて、細く長く支援を続けていこうと思う。

 
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       3月12日 暮れなずむ鮎川の被災地  (上)17:10  (下)17:31
 
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       3月13日 鮎川、地元のショベルカーが出動して道路のがれきを取り除き始めた。(10:18)
  

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