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昨日、予告編で簡単に触れましたが、遅ればせながら一泊で東北復興支援の旅(松島、南三陸方面)に18名で行ってきました。旅のコースは以下の通りです。
往路: 宇都宮 → 東北自動車道 → 仙台南部有料道路 →
仙台東部有料道路 → 三陸道 → 塩竃神社 → 松島/瑞巌寺
→ 南三陸町志津川(被災地視察) → ホテル
復路: ホテル → 登米みやぎの明治村 → 三陸道 → 塩竃魚市場
→ 武田の笹かまぼこ工場見学 → 三陸道 →
仙台東部有料道路 → 仙台南部有料道路 → 東北自動車道
→ 宇都宮
写真は全て拡大可です。
この中型バスで東北復興支援の旅に行ってきました。
一路、最終目的地南三陸へ(郡山付近)
最初のトイレ休憩の安達太良サービスエリア
阿武隈川支流の荒川
白石付近からの蔵王
東北自動車道・菅生(すごう)サービスエリアにて
伊達政宗の兜の三日月マークがついてました。
仙台南部有料道路からの広瀬川
帰りに寄った塩竃のかまぼこ工場にて
塩竃のかまぼこ工場訪問者の寄せ書き
ささやかな復興支援の土産品
早速昨晩の夕飯で、笹かまぼことふかひれスープを美味しくいただきました。
上段:三陸銘菓・かもめの玉子、笹かまぼこ、簡単かきめしの素、
下段:さくらえび、気仙沼ふかひれ濃縮スープ(広東風)、南三陸チャウダー、しょうゆ味くるみゆべし
次回へ続きます。
写真撮影:2013年月7月16、17日
(全ての写真はコピーライトを有す。無断転用・転載・複製を禁ず。)
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東日本大震災関係転載記事
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【週のはじめに考える フクイチの現状。ロボットに泣き所あり】
東京新聞 社説 2013年7月14日 先月半ば、福島第一原発の構内を取材する機会がありました。強い放射線、過酷な収拾作業…。猛暑の中で願います。ロボットの強力な助けがほしい。
作業拠点のJヴィレッジから国道6号を北へ約二十キロ。福島第一原発、通称フクイチへは、ほぼ真っすぐな道のりです。
楢葉町から富岡町へ。富岡消防署の交差点あたりから、帰還困難区域です。一般車両は入れない。空間線量が高くなり、景色が荒れ始めます。
3・11を境に人の暮らしの営みが消え、時間が止まったままのよう。フクイチの中では毎日約三千人の作業員が、防護服の胸と背中に保冷剤を張り付けて、猛暑の重労働に耐えています。
それでも外の作業は、約一時間しか持ちません。いったん屋内へ引き揚げて、水分と塩分を補給しなければなりません。
止まった時計を誰が再び動かしてくれるのか、それは人ではないような、人であってはいけないような気がします。
実はフクイチの現場には、震災直後の一昨年四月以来これまでに、六種類のロボットたちが投入されて、カメラによる調査や線量の測定作業に従事した。放射線で人の近づけない建屋の中を代わりに“見る”のが主な任務です。
◆失われた10年、30年
放射線は、ロボットにも影響します。半導体に作用して、誤作動を起こさせます。人間の細胞の遺伝子、DNAを傷つけるのと同じです。
米軍は核ミサイルの誘導装置の半導体を、膨大な費用をかけて半年ごとに交換しているそうだ。核から中性子線が出るからです。
それにしても、震災発生以来すでに二年四カ月。技術立国日本の粋を集めた人型ロボットが現れて、たちどころにがれきの後片付けなどできないものかと、歯がゆい思いをしている人も多いでしょう。なぜできないか。放射線以外にも分厚い壁があるようです。
マサチューセッツ工科大教授のマービン・ミンスキーさんは「ロボット工学に関しては、三十年前にその進歩はほとんど止まっている」(NHK出版「知の逆転」)と指摘します。
研究者が、人に似せること、それらしく見せることに走りすぎ、サッカーや将棋は得意でも、ドア一つ開けられないロボットばかり造っている、と。
日本、特にフクシマには、より高い壁がありました。
一九九九年に茨城県東海村で発生したJCO臨界事故は、核燃料の加工中に核分裂が止まらなくなり、国内で初めて事故被曝(ひばく)による犠牲者を出した大事故です。
放射線に阻まれて、人が現場に近づけなくなってしまったこの事故を受け、当時の通商産業省は、遠隔操作ロボットの開発を各メーカーに発注しています。
二年後、三菱重工や日立製作所などの四社が、ドアやバルブの開閉、配管の切断や除染などの機能を備えたロボット六台を提示しましたが、電力会社は配備せず、廃棄処分か、お蔵入り、博物館に引き取られたものもありました。原発事故は起きない、活躍の場面はないから必要ない、と。
もし、そのロボットたちが実戦に配備され、進化を続けていれば…。“失われた十年”でした。
3・11のあと、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は「災害対応無人化システム研究開発プロジェクト」を立ち上げ、原発事故にも対応できるロボットの開発を呼びかけました。いまだ「原発にも…」なのです。
例えば三菱重工は、八メートルの高所で作業ができる「スーパージラフ」通称キリンを十カ月で完成させました。原発メーカーでもある同社は、七〇年代から定期検査用のロボットを導入しています。ノウハウの蓄積がありました。
「ニーズがあれば、技術も進化します」と、同社原子力機器設計部の藤田淳さんは言う。
↓三菱重工は、八メートルの高所で作業ができる「スーパージラフ」 ◆消防車などと同様に
ロボットの任務は“見る”から“作業”に移る。現場は炉心に近づきます。究極の目標は溶け落ちた核燃料の回収です。絶対に直接人にはやらせられない作業です。
もういいかげん、現実に目を向けて、キリンの仲間をどんどん進化させ、止まった時間を再起動させねばなりません。
人が近づけない事態に備え、非常用電源や消防車と同じように、すべての原子力施設にロボットを常備すべきと考えますが、どうでしょう。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013071402000128.html
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2011年3月11日14時46分.東日本大震災あれから
今日は2年4ヶ月の月命日です。
復興がなかなか、進まない中で、どんどん月日は流れて行きます。
そして、新たな課題がどんどん起きてきます。 東日本大震災・被災者数 亡くなられた方 (直接死) 15883人。
行方不明の方 2676人。
震災関連死 (自殺を含む) 2,688人。
避難者
全国の避難者数 310,567人。
避難所の他、親族、知人宅や公営住宅、仮設住宅等への入居者も含む。
(※毎月10日に警視庁が発表しています。2013年6月10日現在)
関連死を含めれば2万人以上の尊い命が犠牲になったのです。
そして、いまなお31万人の人々が避難生活を強いられている現状にあります。
悲しく、辛く、焦り、不安などで眠れない日々の連続でした。
でも、長く感じるはずのその時間も、今となれば、アッという間だったようにも思えます。
国家や政治家の言う、「復興」という勇ましい言葉はどこにいってしま
ったのか・・? 被災地にしろ、福島原発収束しろ、政府が全面に見えて来ない現実。
おかしいとおもいませんか・・? そんな中で、今参議院選挙が行われています。大事な選挙と分かっていても・ ・・。 7ヶ月前の衆議院選挙で、行ってることとやってる事がまるで違うので被災者は呆れています。 ↓↓被災地での選挙ですが・・。だれも見向きもしません。 ↓↓震災直後の岩手県・田野畑村島の越
「復旧」もおろか、被災地から人がどんどん出て行き、残るのは高齢者、障害者など弱者ばかりです。
被災地の現状は日々、変化していきます。
苛立っているのは、「自宅再建」ができない状況の中で、「人手不足」、「諸物価の上昇」、「うまくいかない生業(なりわい)」、「増えない雇用の場」。
そして、大きな問題は長期にわたる、「不安や焦り」の中で【心の病が増加】し
てることです。 3.11津波直後 岩手・田野畑村島越
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名取市閖上地区津波到来地は、未だ建屋基礎だけが残っている。そこに津波で命を奪われた人々の鎮魂の巡礼地である小高い円錐形の盛土の地があった。日和山である。そこの駐車場と道路で隔てた場所にプレハブ小屋があった。同地区被災企業の商品(海産物商品・写真集等)を預かり販売をする店である。
閖上地区復興のろしを、ここに挙げたのは、川崎さん夫婦である。2013年6月22日オープンをした。 川崎さんは、震災前は、閖上地区のサイクルスポーツセンターで、宿泊施設、自転車貸出、プール管理運営を行っていたが津波で職を失ったのであった。 名取復興支援協会・ボランティア受付事務所の看板をプレハブ正面端に立て掛けてあった。閖上地区周辺の雑草取りや花を植えたいと話していた。閖上地区のボランティアを希望される方々はぜひ訪れて頂きたい。 当時消防団員として閖上地区で活動を行った人と6月29日に、ここで出逢った。津波が引けぬ瓦礫と化した街で、救助活動・捜索活動の中、悲惨な状況を話してくれた。木に登り難を逃れたご婦人が一向に引かない海水の中を、たまたまあったボートで救助する。 http://www.geocities.jp/hanayamasienn/P10101061.jpg家屋が流され二階から、近づいてきた無人の漁船に飛び乗り、機関室で一夜を明かし救助された数名が奇跡の生還した。引き波で沖に流されなかった事と転覆しなかった事、大火にさらされなかった事が幸いした。 同じ電柱に3名がすがり、一番下は、胸元まで海水に浸り耐えていた。上部にいた者が、寒さ疲労の限界で「だめだ、もう」。電柱から手を放し自ら津波の中に消えて行く者がいた。 消防団同僚では、消防車に乗せられるだけ乗せて来て避難所である閖上中学校で降ろし、避難途中の数名がまだいる場所へ戻り、そこで津波に襲われ帰らぬ人となる。ハンドルは握ったままで発見された。又、避難を呼びかけマイクを握ったまま発見された同僚もいた。 捜索活動では、鳥に目、体の柔らかい部分がえぐられた溺死体も見ていた。食事が喉を通らない体験をしていた。この世の地獄である。人命の尊厳を否定された非業の死に、目を背けたくなる惨状と対峙できたのは、地域消防団としての使命感だった。
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被災地の「災害FM」 復興と足並みそえ、最大の役割は人をつなぐこと。
3.11東日本大震災の後、被災地で次々に誕生した臨時災害放送(災害FM)が岐路を迎えている。
コミュニティーFMへの移行か、それとも廃止かという判断を迫られる時期が近づいている。 災害FMは総務省が大規模災害の際に、市町村に対して臨時放送局の免許を与える。従来の期間は約2カ月だったが、今回は甚大な被害に配慮して目安を2年とした。
その後、さらに1年延長できる措置もとられた。公式には明らかにされていないが、本年度いっぱいが節目だとみられている。
東北では24自治体で開設され、15局が放送を続ける。県内では開設した7自治体のうち、4局が現在放送中だ。
花巻市と奥州市はそれまでのコミュニティーFMに戻ったほか、大船渡市は今年4月に新たにコミュニティーFMを立ち上げた。宮古市も準備を進めている。
悩みが大きいのは、釜石、陸前高田両市と大槌町の3局だ。立ち上げや運営には官民の支援があったが、今後の見通しは不透明だ。恒久的なコミュニティーFMに移行しようにも、地元企業が大きな被害を受けてCM収入も見込みにくい。
災害FMはそれぞれの被災地で貴重な情報源となった。域内すべてをカバーできない弱点はあるが、避難所情報や生活情報を伝え続けた。
大震災から2年3カ月が過ぎて放送内容も変わった。少ないスタッフでも住民の生の声を丁寧に拾い上げ、意欲的な番組をつくる局も少なくない。被災地のラジオは生活の一部になりつつある。
6月初め、盛岡市で開かれたシンポジウムでは、陸前高田と大槌のパーソナリティーが「ばらばらになったコミュニティーをつなげる役割を果たしたい」と強調した。
総務省は、期限は仮設住宅の解消状況や自治体としての被災住民への情報伝達手段の確保などを勘案して判断するという見解だ。
しかし、当初の「2年」も仮設住宅の入居期限を念頭に置いたものとみられるが、現実は仮設住宅の解消は程遠い。 地域によっては期限を切らずに免許を更新すべきだと思う。
このシンポジウムでは、災害FMとコミュニティーFMの中間に位置づける「復興FM」という考え方も紹介された。
最大の役割は人をつなぐこと。まさしく、今の災害FMが目指していることだ。
企業の支援で存続を応援しようという動きも出てきている。
大震災ではラジオの存在感が高まった。
存廃は自治体と聴取者(住民)が決めることだが原則だが、地域の復興と足並みをそろえて進化している。
災害FMの役割を、もう一度見つめ直すべきではないだろうか。
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