東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

シルクロード2万キロ一人旅

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 大仏寺の見学を終えたのは午後4時過ぎだった。
 ここ2日ははなはだ強行軍だったので、スタミナにはいささか自信がある私もかなり疲れていた。
 「今日の見学も終わりましたね。さあ、いよいよ宿ですね」と言うわたしに、Tさんは毅然として言った。
 「宿に向かう前にぜひお勧めしたい場所があります」
 私にとってはまさにありがた迷惑だった。
 「とてもありがたいのですが、疲れているので明日にしませんか」と言うと、全く意に介さないように、  
 「張掖から約50キロのところに、張掖丹霞地貌(地形)と言われるきれいな地層が見えるところがあります。丹というのは、中国語で朱色とか赤の色のことで、霞は夕焼けなどで空が紅色に染まる現象や、それでできる鮮やかな色の雲をさすらしいです。それは彩雲というのです。とにかくきれいなのです。今日のように晴れた日が絶好のチャンスなのです」と、切り込むように言う。
 中国人はオーバーに言うことが多いので、たいしたところではなかろうと思った。しかしあんまり勧めるし、生来の「なんでも見たい」の好奇心も手伝って行って見ることにした。
「夕方が特にきれいなんです。見学コースにない、地元の人だって行かないすばらしいところへもご案内します」と、馬鹿に自信満々だ。Tさんは信頼のおける人なのだが、それでも多少は割り引かなければ…と思った。
 
 ここは、近年新しく発見され、見学ルートが整備されたばかりとのことだ。
 「急げば一番いいところを撮れますよ」と言って、舗装された道を祁連山脈の方に向って、猛スピードで走る。 50キロ近く走ると、左側に「張掖丹霞地貌」の看板が出てきた。そこを左に曲がって更に2キロ位行くと、張掖丹霞地貌が見渡せる見晴らし台の上に出た。
 そこで車を停めた。私がカメラの準備をしていると、
 「こんなところで時間をつぶしていたら、よい場所へ間に合わなくなります。ここは帰りに寄りましょう」と言って、促すようにどんどん上ってゆく。たどり着いた先はなんと驚くような場所だった。

 “思わず絶句した”なんて生やさしいものではない。一瞬体が動かなかった。写真を撮るのが怖いくらいだった。こんなに緊張してシャッターを押していたのは初めてだ。刻一刻変化するのだから、一回一回のシャッターが真剣勝負だ。
 とにかく、驚くべき写真をご覧ください。

 山肌が、太陽の光の変化でめまぐるしく姿を変えてゆく。

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 日が傾くに連れて、山並が夕日で赤く染まりはじめ…次第に色が増してくる。
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日が沈みかけ、やがて山肌は月の光でみごとな陰影を描き始めた。
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 シルクロードは来てからは信じられないほどの絶景を数多く目にしてきたが、今までのものは見る側の心の変化で変る静的な景色だった。だがここで目にしたものは、風景自体が刻一刻変化する「動くパノラマ」だった。


 ――ここの他に丹霞地形はありますか?
 中国には丹霞地形は65あるそうですが、それらは「国家地質公園」という名が付けられています。
 ――丹霞地形は何故このように七色に輝くのでしょう?
 この地域の地質には様々な鉱物(硫黄、鉄、銅など)が大量に含まれています。その大地がシルクロード独特の強い日差しを浴びると、このようなすばらしい地層の縞を描き出すのです。
 赤い堆積岩の地層が『丹霞地形』で、 張掖のものは『中国で最も美しい七大丹霞』にも選ばれております。

 Tさんによると、張掖の丹霞地形は秋の青空の下で見るのが最高条件なのだそうだ。
 私は春先の「丹霞がさほど美しく見えない」と言われる時期に見ているのだが、それでも地層の織り成すグラデーションに圧倒され続けだった。
「日本人でここまで入ってきたのは恐らくあなたが初めてでしょう」とTさんは言った。
 まさにそのとおりだと思う。ここまで入るには、地元の人の案内が不可欠で、なおかつ自分の足で歩いて来なければならない――そう断言できる。
 そういう意味で、大変貴重なシャッターチャンスを与えてくれたTさんには、心から感謝申し上げたい。
 太謝謝了!


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マルコポーロが『東方見聞録』で紹介している大仏寺の釈迦涅槃仏
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マルコ・ポーロも見た大仏寺の釈迦涅槃仏
 
 旧市街を見終えてTさんとの待ち合わせ場所大仏寺へと向かった。
 マルコ・ポーロは、大仏寺について、見聞録に記している。これを実際に見るのが張掖での最大の楽しみである。
 現代という時間に生きるわたしは常々、昔の人々の時間はどうやってどのように流れていたのかを無性に知りたくなるときがある。マルコ・ポーロが見た釈迦涅槃仏を自分が見るということは、遠い昔に存在した人物と同じ空間を共有するということになる。このことは、彼の生き様の一端を追体験させてくれるものである。

 『東方見聞録』の記述は客観的、写実的だが、ものの見方の表現からマルコ・ポーロの感覚も伝わってくることが多い。600年以上も後世のわたしが見て感じることと、マルコ・ポーロが感じたことを比らべてみたい……。
 そう思うと自然に足取りが早くなった。柳の街路樹のある通りを歩くと、あっという間に山門へ着いた。

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 大仏寺は、創建は西夏の永安元(1098)年。始めは「迦葉如来寺」と呼ばれたというが、元代には十字寺、明代には宝覚寺と呼ばれ、清代に勅命によって宏仁寺となった。普通には大仏寺と呼ばれている。また、元のフビライがここで生れたという伝説もある。
 
 
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                     大仏寺前

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                       大仏寺山門

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  円形の小さな入口をくぐって境内に足を踏み込むと、そこには静謐な空気が漂っている。3時過ぎということもあり、参拝者や観光客の姿はまばらだ。広大な寺院内には、大仏殿、蔵経殿、土塔などの古建築がならび、いかにも古刹といった佇まいだ。

 正面に大仏殿が建っている。建物には塗装などは施されておらず、柱もはめ板も触ってみなければ木であることがわからないほど灰色を帯び、人を寄せ付けない迫力があった。
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                          大仏殿

 扉から薄暗い堂の中に入ると、そこには朱色の布を巻きつけた大仏が横向きになって寝ていた。これこそが私が対面を楽しみにしていた涅槃仏である。
 横の長さ35メートル、肩幅8メートルにもある。全身が泥で出来ている釈迦牟尼の塑像である。

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 涅槃仏のちょうどおへその下あたりから見ると目を閉じているように見えたが、顔のそばへ行くと、その目は大きく見開かれている。奈良にしても鎌倉にしても、大仏の顔ははるか上にあり、遠くからしか見ることが出来ないが、ここの涅槃仏はその顔をま近に見ることが出来た。切れ長の目元と厚い唇に微笑をたたえている。
 ――涅槃像は釈迦の入滅の姿を現しているのになぜ目を開けているのかと、疑問に思って以前調べてみたことがあった。「釈迦は不滅であることを示している」からである。
 この涅槃像は中国に現存する泥塑臥仏としては最大のものである。涅槃像の表情にはどことなく愛敬のある明るさがあり、回廊を回りながら、幻となった西夏の人々に思いを馳せると、涅槃像の大きな目の表情などが心に残るような気がする。

  涅槃仏を囲んで、背後に迦葉阿難らの十大弟子、両脇には十八羅漢と計28体の塑像がある。周囲の塑像の表情も変化に富んで、西方的なエキゾチシズムを漂わせている。
 
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 回廊を回る壁面には仏伝や『西遊記』の故事を表す壁画があり、迦藍の内部全体が、ひとつの演劇的空間を構成していて見応えがあった。大仏殿の入口の左右の外壁に一対の精緻な石刻レリーフがあったが、これも見ものだった

 マルコ・ポーロは次のように描写している。
「偶像教の寺院・僧院の数も多く、そこには例のごとく無数の偶像が安置されている。これら偶像の中には、実際に十ペースにも及ぶ巨大なものがあり、その素材も木あり粘土あり岩石ありといった多様さであるが、一様に塗金されて、細工もなかなかすぐれている。巨像は横臥の姿勢をとり、その周囲には、うやうやしくこれにかしずいている多数の肖像が取り巻いている」(前掲書より)

 彼が見た涅槃仏や周囲の弟子たちの姿と、私が目の当たりにしている21世紀のそれらの姿はほとんど変わりがないように見える。『東方見聞録』は誇張やおとぎ話も少なくない――という認識を持っていたが、東方見聞録の一節が、間違いなく今、私の目の前に広がっている。これは紛れもない事実だ。
 この発見は大きな驚きだった。それとともにマルコ・ポーロに信頼と親しみを感じた。

 この涅槃仏が造営されたのは、1098年,西夏永安元年である。
 西夏、そして元と、漢民族以外の民族が河西回廊を支配していた時代が長く続いが、彼らは漢民族の文化に対抗する文化をもってなかっため、仏教文化が引き続き栄えていた。
 マルコ・ポーロが涅槃仏を見たのは、この仏様が作られてからざっと200年後である。彼は多数の仏教信者に囲まれてここに立っていたのであろうか。当時は寺も仏も色鮮やかだったに違いない。

 蛇足になるが、マルコ・ポーロはこの涅槃像に触れた後で“偶像崇拝教徒”がさほど性道徳において禁欲的でないことなどを報告している点は面白い。
 
 このほか境内には、大仏殿のうしろに蔵経殿がある。ここには7000余件の経が集められているという。
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                    蔵経殿(上)と土塔(右下) 

\¤\᡼\¸ 13 さらにその奥に、明代創建といわれる高さ33mのチベット仏教式の土塔がある。台座の部分が丸く膨らんだ真っ白な仏塔があり、その頂につけられた小さな鐘たちが風に揺られて軽快な音を周囲に響かせている。
 Tさんの説明によれば、この様式はチベット仏教特有のものらしい。確かに現代ではこの河西回廊と、中国共産党政府が定義したチベット自治区とは遠く離れてしまい多少の違和感を生むが、もともと張掖のすぐ南にある青海省はチベット文化圏であり(ダライ・ラマ14世も青海のかなり中国寄りの街の生まれだ)、この場所を様々な信仰を持った王朝が取り合った時代の名残りであることがわかる。
 土塔の前の仏教展庁では、「皇帝聖書」(明の時代の皇帝の肉筆)、教典(「妙法蓮華経」木刻版の写真など)、「大唐西域記」などがの展示があった。

 
 張掖には隋代に創建された万寿寺木塔があるので足を運んでみた。
 高さ33メートルの八角九層の塔で、市内や祁連山を一望することができた。
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 この木塔を夜に訪れてみると、きらびやかな光に包まれて、現代と古代とが交じり合った独特の雰囲気を放っていた。マルコ・ポーロがこの寺を夜に訪れていたならば、怖いほどの静寂と暗黒に包まれていたであろう。

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 鐘楼の前を通ると、ここもライトアップされていた。中国はライトアップがお好きのようだ。

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 シルクロードでは張掖の大仏寺以外にも炳霊寺大仏寺などほとんどのところで、大仏や涅槃仏のご尊顔をまぢかで拝することが出来た。
 
 
大仏寺付近で、赤ちゃんを抱いた美人さんに出会いました。
わたしは仏教徒ではありませんので…、と言ってはにかんだ表情がたまらなかったですね〜。
 「あなたは仏教徒ですか?」という彼女からの質問には少々困りました。
 「一応仏教徒です」と答えると、彼女はちょっと怪訝な顔をしました。
 それはそうですよね。
 きっと彼女は熱心な回教徒なのでしょう。
 
   
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張掖の美女
 
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 「憧れのマルコ・ポーロの像」
 
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 わたしはこの像を見上げた瞬間、強い胸の高鳴りを覚え、燃えたぎってくる想いを抑えきれなかった。完全に少年の心がよみがえっていた。
 
 マルコ・ポーロが滞在した街

 午後2時前、張掖の街に入った。
 この街は、マルコ・ポーロが1年間近く滞在したところである。
 白いレンガ造りの家並みが街を明るくしている。さすがくイタリアの街を意識した佇まいだ。以前来たときとはすっかり変わっている。
 街の中央まで来ると、なんと、そのマルコポーロの像が立っているではないか。目に入った瞬間不意打ちを食らったように立ちつくし、思わず胸が高鳴った。何せ私にとって、シルクロードの原点になった人の像との出会いだ。私はの心は完全に少年時代に立ち返っていた。
 
 
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 マルコ・ポーロがこの街に滞在したのは、13世紀の後半元の時代だ。彼はパミールから西域を抜けて、河西回廊を西から東へと旅している。そしてこの張掖に1年間滞在している。彼は『東方見聞録』に次のように記している。
 ――カンプチュウ(甘州)もタングート大州内の都市であるが、大州の首府であり、統治の中心であるだけに、規模も大きく非常に立派な町である。住民は偶像教徒の地に、若干のイスラム教徒を含んでおり、キリスト教徒は城内に立派な教会堂三所を持っている。(愛宕松男釈註『東方見聞録』)
 偶像教とは仏教徒のことである。仏教、イスラム教、キリスト教がこの街に根づいていたことがはっきりと分かる。
 
 私はまだ興奮冷めやらぬ状態で、現代の張掖のシンボル、鐘楼へ向かった。鐘楼の朱色、ポプラの緑、空の青――色の組み合わせが実にみごとだ。
 
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 この鐘楼は明代に作られたものでなので、、それ以前は張掖には鐘楼がなかったとのことなので、マルコ・ポーロはこの街では鐘楼というものには登ったことはなかったであろう。
 鐘楼の上から張掖を眺めると、並木道が街を碁盤の目に区切っている。元の時代もこのような街の造りだったであろう。だが、この張掖もご多分に漏れず、ほとんどが現代的な建物に変化してしまった。
  
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                                 張掖駅
 
 
 マルコポーロの幻影を求めて
 私が興味を持って捜し求めたのは、マルコポーロが滞在した当時の建物―― 今にも崩れ落ちそうな木塔や、頂に草が生えている廃寺を想わせる寺の瓦屋根であった。それらしい建物がわずかだが目に入って来た。それらを見ながら、マルコ・ポーロはあれを見たに違いないなどと、勝手に空想したりしていた。
 Tさんに尋ねると、そういうものはおそらく残っていないのではないでしょうかね、とそっけない。中国人の彼としては名所旧跡ならばいざ知らず、あまり見てほしくないのだろう。一応旧市街と言われる付近で下してもらって、2時間後に大仏寺で落ち合うことにした。
 
 旧市街に入って見ると以前カシュガルなどで見たことのある2、3百年前の建物だった。
 
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 住民の人にもっと古いところはあるかとたずねると、子どもに案内させますと言って子どもたちをついて来させてくれた。子どもの話によると、ここには観光客も来るとのことだ。なるほどこれなら元の時代のものと言っても十分通りそうな建物であった。
 
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祁連山遠望
 何気なく遠くを見やると祁連山脈が眼前に広がっていた。ここに来るまでは祁連山といえば、私にとっては「天馬のふるさと」であり、「漢と匈奴との戦場」であった。だが今眺める祁連の山並は、「マルコ・ポーロも眺めた山」であった。彼も雪をたたえた雄姿を見ていたに違いない。やっと接点が見つかって、何か新しい発見をしたような気分になった。

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千変万化 河西回廊の風景
 
 河西回廊に入る前には、回廊は茶色の山の間の谷間のくねくねした道だと想像していたが、その予想は見事に外れた。
 実際には緑豊かな草原やお花畑や田園地帯もけっこう多くて、オアシスも頻繁に現れる。。 
 田園地帯が近づくとそこには必ずポプラ並木が現れ、その道はオアシス入って行く。
       
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 Tサンはトラックを6,70キロのスピードで車を走らせているので、入ったと思うと、2,3分であっという間に通り過ぎててしまう。
 だが、とても気に入ったオアシスがあったので、リクエストして、Tさんと二人で歩いてみることにした。
オアシスの昼下がり
  昼下がりのオアシスは、大人は昼の眠りにつき、子どもたちの声だけがどこからともなく聞こえてくる。
張掖にに近いオアシスでは区画整理が進み、用水路が碁盤の目のように張り巡らされている。祁連山脈から流れ出た水は、いく筋もの川となってゴビを抜け、あるいはゴビの下を潜って用水路に注ぎ込む。そしてどんな小さな農道にもポプラ並木が続いている。

 
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 用水路の脇の道を歩いてゆくと、薄紅色のそばの花畑が一面に広がり、可憐な花の周りをモンシロチョウが舞っている。何ともものどかな光景だ。
 そよ風に乗ってそばの花の匂いがプンプンと漂ってくる。ところがその匂いたるやお世辞にもよい香りとは言えないのだ。なんだか鶏糞のような匂いなのである。
 日本でもそば畑があるが、作付面積が小さいせいか、種類が違うのか知らないが、このようなにおいは感じなかった。
   
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                          一面に広がるそば畑
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                        薄紫の可憐なそばの花
 

  そば畑と用水路を隔てて、反対側にはひまわり畑が彼方まで広がっている。
ひまわりは、太陽に向かう花として中国では人気がある。もちろんそのために畑があるのではない。種から食用油をとるのである。
 
 
 
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         がかなたまで一面に広がっているひまわり畑
        
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 畑の中で、ひまわりに飛びついている少年を見かけた。
 何をしているのだろうか?
 私はそっと近づいた。
 ひまわりは大人の背たけを越えていた。
 少年は飛びついた花を手元に引き寄せると、花に顔を埋めた。
 そして唇と舌を使って実にたくみに種を取り出し、口の中で皮を砕いて中の白い実を食べていた。
 少年は私の姿に驚いたが、ひまわりに飛びつく私を見て笑みを見せた。
 私もひまわりの実を食べた。香ばしい香だ。
 
 少年は写真を撮ってくれとせがむ。
 いいよ、と返事すると、他の子供も一緒に撮ってくれと言って私をオアシスの方へ連れて行った。
 私のカメラを目ざとく見つけて子どもが集って来た。
 河西回廊は飛行機で飛んでしまう観光客が多いので、このオアシスにはめったにカメラを持った人が来ないのだろう。
 珍しくて仕方がないようだ。
 撮影後モニターを見せると、キャーキャー言って喜ぶ。
 ほんとうに純粋な子どもたちだ。
 和やかな時を…、幸せな時を過ごした。
 子どもとのふれあいは、いつでもどこでも心が和む。

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 シルクロードを以前旅したとき、中国人から「黄金の季節」という言葉を聞いたことがある。
 そのときには秋だった。まさに緑豊かな収穫の時期だ。しかし、春にもそれに劣らず「黄金の季節」である。河西回廊をここまで走って来てそう思った。
 祁連草原の緑、山丹の大草原、そして一面の菜の花やひまわりが咲き誇るオアシス―― まさに黄金の季節であった。

 色を失ったゴビが支配する回廊。
 それゆえに、中国の人たちの緑への執着と、緑を作り上げてきた自負を私は強く感じていた。あちこちで涙ぐましいほどの植林の努力、放牧地の制限にその姿勢を見た。
 植林に精を出している人たちを車の中から見て、郵便局のポストや看板が緑色なのも緑化を意識しているのでは?という想いがふと頭に浮かんだ。
 今回のシルクロード一人旅行が、もしも中近東の政情不安でダメな時には、私は内モンゴル自治区の植林に参加しようと思って準備していた。今、ちょっと引け目を感じながら通り過ぎた。
 
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 植林した苗木の周辺には、給水した水が周囲に流れないように土手状に土が盛られ地いる。


 嘉峪関には次のような砂漠化防止を呼びかける石碑が建てられていた。
 「甘粛省を横断するこの河西回廊は、千年以上も前から東西の文化を繋ぐ重要なルートであり、敦煌、玉門関、酒泉、嘉峪関など、多くのシルクロード遺跡が点在している。しかし、多くの旅人を魅了して止まないこの美しい土地は、日々拡大する砂漠に飲み込まれ続けている」

 
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今年最後のアップになりました。
大勢の方々に訪問していただき厚く御礼申し上げます。
来年も訪問よろしくお願いいたします。お待ちしております。
 
 
           
          感謝 平原綾香
 
                                                 
 
 
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張掖へ向かう道すがらのんびりと進むロバ車がたくさん見られる
 
張掖への道1 幻のピンゴリー    
 
 万里の長城が次第に姿を消すと、西の方の山から次第に雲が湧き上がって来る。ここは標高二千メートルほどなので、砂漠地帯というよりむしろ高原だ。だから天候はめまぐるしく変る。どんよりと曇った空からは、今にも雨が降ってきそうな気配になってきた。
 
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 小さな集落をいくつか通り過ぎる。どの集落にも、郵便局、人民銀行、学校、赤旗の立つ地区の革命委員会の建物があり、長距離バスの停留所があった。大きな袋をかついだ人たちがバスを待っている。バスが来ると、大きすぎる袋はバスの屋根の上に積み上げられる。いつ見てもバスは満員である。Tさんのトラックに乗せてもらわななかったら、この種のバスに乗っていたにちがいない。

\¤\᡼\¸ 14 \¤\᡼\¸ 15     中国の郵便局は、ポストも看板も緑色

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(左)バスを待つ人々        (右)大きな荷物は屋根に積み込まれる
 
 このシーを見てふと思い出した…以前タイでバスに乗ったとき、スコールでリュックの中身がずぶぬれになってしまったことがあったっけ…。
でも、河西回廊はめったに雨が降らないのでこの人々は大丈夫だろう。

 例によって、ところどころで警官に停止命令を受ける。――シルクロードは1回目の旅のときにも、中国からトルコまでどこでよく警察の検問を受けた――。
 外国人の私を乗せているので、しつこく理由を聞かれる。その都度Tさんは根気強く対応してくれる。それでも面倒な時には、伝家の宝刀「Tさんの兄の紹介状」を見せる。すると、すぐに埒が明く。始めからみせたら? と私が言うと、権威を振り回したくない、と彼は言う。すぐに権威を振りかざしたがる人が多い中国にあって、Tさんのような人は珍しい。我々のすぐ後、対向してきたトラックが取調べを受けた。彼は書類を書かされた上、お金を払わされていた。
 現金だと交渉次第で値引きしてくれるとのことだ。、警官の懐に入ることも、もちろんある。蘭州拉麺の店で働いていたおばさんが「うちの亭主は小遣いがなくなると、検問に行く」と話していた。これは別段中国に限ったことではない。

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 道路の補修工事があちこちで行われていた。道路わきに、コールタールをためたプールのようなため池がある。長い柄の柄杓からドラム缶にタールを移している人が見える。老人も若い娘さんも働いている。そういえば、スカートをはいた女性を見ることは稀である。みんなズボン姿だ。土や砂利を運ぶのは荷馬車。山丹牧場で見た軍馬もこの中にいるのだろうか、そんなことを想ってみた。

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 集落の高台や河原に緑色の軍服をつけた兵隊の姿があった。、解放軍の駐屯地であろう。3台の高射砲が西の空を向いている。かまぼこ型のテントとテントの間には、洗濯物がぶらさがり、その横でバレーボールに興ずる兵隊がいる。
 こんな光景を撮影しているのを見つかったらどんなことになるかわからない
 
 厚い雲間から青空がのぞき、薄日が差してきた。ジェット戦闘機が白い線を残して雲の中に消えていった。このシーンは、戦争とはいかにも無縁そうな大草原で夢と歴史の世界に浸っていた私を、一瞬にして現実の世界へ引き戻してしまった。

       
  
 こんな集落を抜けるとまたゴビ、そしてまた集落、その繰り返しが延々と続いた後、ここから張掖の街まで、途切れ途切れにオアシスが続いている。ちょうど昼時であった。人通りは少ない。
 通りでは、ござやシートの上に瓜、スイカ、野菜、果物が山に積まれている。「ピンゴリー」という初耳の果物があった。
「りんごは中国語でピンゴー、梨はリーといいます。つまり、ピンゴリーはりんごと梨を掛け合わせたものです」と、Tさんは説明した。残念ながら、その場を通り過ぎた後に説明されたので、買って食べる暇がなかった。ピンゴリーは、見た目はりんごに近く、味は梨のようだという。ただ、食べた後はりんごの酸っぱさが残るのだそうだ。機会があったら食べようと思ったが、それからはピンゴリーとは、二度と出会えなかった。
\¤\᡼\¸ 12 幻に終わった「ピンゴリー」 赤いのがピンゴリー

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本日のシルクロード美人

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蘭州 ミス少数民族コンテストにて

 
 
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