|
大仏寺の見学を終えたのは午後4時過ぎだった。
ここ2日ははなはだ強行軍だったので、スタミナにはいささか自信がある私もかなり疲れていた。
「今日の見学も終わりましたね。さあ、いよいよ宿ですね」と言うわたしに、Tさんは毅然として言った。
「宿に向かう前にぜひお勧めしたい場所があります」
私にとってはまさにありがた迷惑だった。
「とてもありがたいのですが、疲れているので明日にしませんか」と言うと、全く意に介さないように、
「張掖から約50キロのところに、張掖丹霞地貌(地形)と言われるきれいな地層が見えるところがあります。丹というのは、中国語で朱色とか赤の色のことで、霞は夕焼けなどで空が紅色に染まる現象や、それでできる鮮やかな色の雲をさすらしいです。それは彩雲というのです。とにかくきれいなのです。今日のように晴れた日が絶好のチャンスなのです」と、切り込むように言う。
中国人はオーバーに言うことが多いので、たいしたところではなかろうと思った。しかしあんまり勧めるし、生来の「なんでも見たい」の好奇心も手伝って行って見ることにした。 「夕方が特にきれいなんです。見学コースにない、地元の人だって行かないすばらしいところへもご案内します」と、馬鹿に自信満々だ。Tさんは信頼のおける人なのだが、それでも多少は割り引かなければ…と思った。 ここは、近年新しく発見され、見学ルートが整備されたばかりとのことだ。 「急げば一番いいところを撮れますよ」と言って、舗装された道を祁連山脈の方に向って、猛スピードで走る。 50キロ近く走ると、左側に「張掖丹霞地貌」の看板が出てきた。そこを左に曲がって更に2キロ位行くと、張掖丹霞地貌が見渡せる見晴らし台の上に出た。 そこで車を停めた。私がカメラの準備をしていると、
「こんなところで時間をつぶしていたら、よい場所へ間に合わなくなります。ここは帰りに寄りましょう」と言って、促すようにどんどん上ってゆく。たどり着いた先はなんと驚くような場所だった。 “思わず絶句した”なんて生やさしいものではない。一瞬体が動かなかった。写真を撮るのが怖いくらいだった。こんなに緊張してシャッターを押していたのは初めてだ。刻一刻変化するのだから、一回一回のシャッターが真剣勝負だ。 とにかく、驚くべき写真をご覧ください。 山肌が、太陽の光の変化でめまぐるしく姿を変えてゆく。
日が沈みかけ、やがて山肌は月の光でみごとな陰影を描き始めた。
シルクロードは来てからは信じられないほどの絶景を数多く目にしてきたが、今までのものは見る側の心の変化で変る静的な景色だった。だがここで目にしたものは、風景自体が刻一刻変化する「動くパノラマ」だった。
――ここの他に丹霞地形はありますか?
中国には丹霞地形は65あるそうですが、それらは「国家地質公園」という名が付けられています。 ――丹霞地形は何故このように七色に輝くのでしょう?
この地域の地質には様々な鉱物(硫黄、鉄、銅など)が大量に含まれています。その大地がシルクロード独特の強い日差しを浴びると、このようなすばらしい地層の縞を描き出すのです。 赤い堆積岩の地層が『丹霞地形』で、 張掖のものは『中国で最も美しい七大丹霞』にも選ばれております。 Tさんによると、張掖の丹霞地形は秋の青空の下で見るのが最高条件なのだそうだ。
私は春先の「丹霞がさほど美しく見えない」と言われる時期に見ているのだが、それでも地層の織り成すグラデーションに圧倒され続けだった。 「日本人でここまで入ってきたのは恐らくあなたが初めてでしょう」とTさんは言った。
まさにそのとおりだと思う。ここまで入るには、地元の人の案内が不可欠で、なおかつ自分の足で歩いて来なければならない――そう断言できる。 そういう意味で、大変貴重なシャッターチャンスを与えてくれたTさんには、心から感謝申し上げたい。
太謝謝了! 本邦初公開?の貴重な絶景にぜひ「ナイス」ポチをお願いします。
本日より日本ブログ村の「世界一周」に新規エントリーいたしましたので、そちらの方の応援もよろしくお願いいたします。
|
シルクロード2万キロ一人旅
[ リスト | 詳細 ]
|
マルコポーロが『東方見聞録』で紹介している大仏寺の釈迦涅槃仏
|
|
「憧れのマルコ・ポーロの像」
|
|
|
今年最後のアップになりました。
大勢の方々に訪問していただき厚く御礼申し上げます。
来年も訪問よろしくお願いいたします。お待ちしております。
張掖へ向かう道すがらのんびりと進むロバ車がたくさん見られる
張掖への道1 幻のピンゴリー
万里の長城が次第に姿を消すと、西の方の山から次第に雲が湧き上がって来る。ここは標高二千メートルほどなので、砂漠地帯というよりむしろ高原だ。だから天候はめまぐるしく変る。どんよりと曇った空からは、今にも雨が降ってきそうな気配になってきた。
小さな集落をいくつか通り過ぎる。どの集落にも、郵便局、人民銀行、学校、赤旗の立つ地区の革命委員会の建物があり、長距離バスの停留所があった。大きな袋をかついだ人たちがバスを待っている。バスが来ると、大きすぎる袋はバスの屋根の上に積み上げられる。いつ見てもバスは満員である。Tさんのトラックに乗せてもらわななかったら、この種のバスに乗っていたにちがいない。
(左)バスを待つ人々 (右)大きな荷物は屋根に積み込まれる
このシーを見てふと思い出した…以前タイでバスに乗ったとき、スコールでリュックの中身がずぶぬれになってしまったことがあったっけ…。
でも、河西回廊はめったに雨が降らないのでこの人々は大丈夫だろう。
例によって、ところどころで警官に停止命令を受ける。――シルクロードは1回目の旅のときにも、中国からトルコまでどこでよく警察の検問を受けた――。
外国人の私を乗せているので、しつこく理由を聞かれる。その都度Tさんは根気強く対応してくれる。それでも面倒な時には、伝家の宝刀「Tさんの兄の紹介状」を見せる。すると、すぐに埒が明く。始めからみせたら? と私が言うと、権威を振り回したくない、と彼は言う。すぐに権威を振りかざしたがる人が多い中国にあって、Tさんのような人は珍しい。我々のすぐ後、対向してきたトラックが取調べを受けた。彼は書類を書かされた上、お金を払わされていた。
現金だと交渉次第で値引きしてくれるとのことだ。、警官の懐に入ることも、もちろんある。蘭州拉麺の店で働いていたおばさんが「うちの亭主は小遣いがなくなると、検問に行く」と話していた。これは別段中国に限ったことではない。
道路の補修工事があちこちで行われていた。道路わきに、コールタールをためたプールのようなため池がある。長い柄の柄杓からドラム缶にタールを移している人が見える。老人も若い娘さんも働いている。そういえば、スカートをはいた女性を見ることは稀である。みんなズボン姿だ。土や砂利を運ぶのは荷馬車。山丹牧場で見た軍馬もこの中にいるのだろうか、そんなことを想ってみた。 集落の高台や河原に緑色の軍服をつけた兵隊の姿があった。、解放軍の駐屯地であろう。3台の高射砲が西の空を向いている。かまぼこ型のテントとテントの間には、洗濯物がぶらさがり、その横でバレーボールに興ずる兵隊がいる。 こんな光景を撮影しているのを見つかったらどんなことになるかわからない。
厚い雲間から青空がのぞき、薄日が差してきた。ジェット戦闘機が白い線を残して雲の中に消えていった。このシーンは、戦争とはいかにも無縁そうな大草原で夢と歴史の世界に浸っていた私を、一瞬にして現実の世界へ引き戻してしまった。
こんな集落を抜けるとまたゴビ、そしてまた集落、その繰り返しが延々と続いた後、ここから張掖の街まで、途切れ途切れにオアシスが続いている。ちょうど昼時であった。人通りは少ない。
通りでは、ござやシートの上に瓜、スイカ、野菜、果物が山に積まれている。「ピンゴリー」という初耳の果物があった。 「りんごは中国語でピンゴー、梨はリーといいます。つまり、ピンゴリーはりんごと梨を掛け合わせたものです」と、Tさんは説明した。残念ながら、その場を通り過ぎた後に説明されたので、買って食べる暇がなかった。ピンゴリーは、見た目はりんごに近く、味は梨のようだという。ただ、食べた後はりんごの酸っぱさが残るのだそうだ。機会があったら食べようと思ったが、それからはピンゴリーとは、二度と出会えなかった。 本日のシルクロード美人
蘭州 ミス少数民族コンテストにて
|







