東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

シルクロード2万キロ一人旅

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巧みな櫂捌きで羊皮筏子を操りながら黄河の激流を渡る蘭州の青年。
 いにしえのシルクロード時代を彷彿とさせる。思わず胸が高鳴る。

羊皮筏子(ヤンピーファーズ)で黄河を渡る

 蘭州でぜひ経験したいことがあった。それは、羊皮筏子(ヤンピーファーズ)で黄河を渡ることであった。シルクロードを旅する商人たちは、羊の皮袋を浮き袋にした羊皮筏子で渡ったといわれている。
 私はNHK「シルクロード」や特集「大黄河 〜激流を渡る〜」で、急流を巧みに漕ぎ渡るシーンを見て、胸をときめかしていた。
 平涼から蘭州まで来る車の中で、平涼のホテルの服務員の楊さんにそのことを話した。すると彼は「蘭州で観光客向けの羊皮筏子がありますよ」と教えてくれた。その時には予想外の情報に、子どもみたいに「やった! やった!」と思わず叫びたい気持だった。さっそく、蘭州のホテルの服務員に詳しいことを教えてもらった。

\¤\᡼\¸ 19そして夏河から戻った翌日、18日目に決行した。私にとっては、やはり、実行ではなく決行だった。黄河の岸近くの公園や橋の上から観ると、かなりの急流だ。ある程度の覚悟が必要だった。
 朝食を済ませてまもなく、羊皮筏子の乗り場がある「中山橋」まで、ワクワクした気分で自転車で向かったこの橋は「黄河第一橋」とも呼ばれている。橋の渡り口には「天下黄河第一橋」という表示があった。

 
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 この橋は1907年から1909年まで、当時の清朝政府が白銀3万両を投入し、ドイツから技術だけでなく材料の一切を輸入して造ったものだ。黄河に初めてかけられた鉄橋である。明代からこの時まで、この場所には24艘の船を鉄の鎖でつないだ浮橋しかなかったそうである。その後、1942年に孫中山にちなんで「中山橋」と改名されて今日に至っている。現在は耐久性の問題もあり、この橋を長く保存するため歩行者専用となっている。

\¤\᡼\¸ 3 橋のたもとから黄河の河畔に降りると、何艘かの羊皮筏子が見える。ついつい足取りが早まる。
 細い丸材で枠が組まれ、そこに頭と4本の足先を切り落とし、毛を剥いて中身をくり抜き、皮だけを乾燥させた羊の袋が縛り付けられている。これらの袋は、首と足のところをそれぞれ紐で結び,尻から空気を吹き込むと浮き袋のようになる。乗り手は筏のようなこのボートにまたがり、櫂を操りながら川を渡る。羊や牛の皮も使われるが、ヤギのものが一番丈夫だそうだ。縛り付ける皮袋数は一人乗りのものは、4つから5つだが、観光用の5,6人乗りのものは10数個取り付けられている。

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 どうやら私が一番乗りらしく、羊皮筏子ガイド――つまり漕ぎ手が数人いっせいに集まってきた。私を奪い合おうというわけだ。最初に声をかけたガイドに「多少銭?(いくら?)」と訪ねると、「50元」と言う。すかさず隣から「45元」と言う声がかかる。するともうひとりが「40元だ!」と声を張り上げる。まるで魚河岸で上質のまぐろを競り落とす雰囲気だ。
 私が「ホテルの服務員が30元だと言っていたよ」と言うと、「そんなに安くちゃ商売にならないよ。だがしょうがないや。30元!」と、3番目の男が言った。すると最初に声をかけた男が「この日本人に最初に声をかけたのはオレだ。25元でどうかね?」と言うので、「そうだ。あんたの言うのがもっともだ。あんたのに乗ろう」と言うと、勝ち誇ったように、これ見よがしに私の手を自分の両手で固く握り締めた。
 毎日のように櫂を漕いでいるだけあってさすがに力強い。
「ところでお願いなんだけれど、写真を撮るので、膨らますところを見せてくれないか」と頼むと、お安い御用とばかりに、ひとつの皮袋の紐を緩めて一旦空気を抜いてから、息を吹き込んで膨らませてくれた。

 
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ガイドは羊皮筏子を軽々と持ち上げて河に浮かべる。私も救命胴着を身に着けて乗り込んだ。思ったよりは安定性がいい。写真右下(残念顔なし)
 
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いよいよ出発だ。黄河に繰り出す。流れはかなりきつい。波しぶきがばんばんかかる。この辺の川幅は数百メートルだ。流されながらも斜め下流の対岸に漕ぎ着いた。通常は帰りはモーターボートが迎えに来てくれる。だが、帰りは少し漕いでみたかったので、「帰りもこれにしたいんだけれど、いいですか」と頼み口調で言うと、ちょっと考える様子だったが、「いいですよ」と言って無線でモーターボートを断ってくれた。

\¤\᡼\¸ 9 途中流れが若干ゆるやかなところで、少し漕がせてもらった。流れと同じ方向に櫂を漕げば、自然と筏が向こう岸の方向に進み、対岸にたどり着くのである。ところが相当力を入れて漕がないと、筏の方向が下流を向き、ずんずん流されてしまう。短時間で交替してもらった。帰りは、別の羊皮筏子に乗った人たちとの出合いがあるので、格好のシャッターチャンスだ。数組の写真を撮るこが出来た。とにかくスリリングで面白い体験だった。
 
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 おっちゃん  ピチピチに囲まれてどんな気分?
 
 
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       中国のお金持ちかな〜
 
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   対岸からは通常は客を乗せずにで帰ります。ごみは気になるな

 
 客1人にガイドが1人、極めて贅沢なケースである。観光案内だけでなく、おのずと世間話が多くなる。彼は、この蘭州から西北に300kmほど離れた張掖市に妻子を残しての、単身赴任であるという。
 私が秋にはチベットへ行く予定だと言ったら、チベットの内情を話してくれた。彼はチベットでも観光案内をしていたそうである。表には出ていないが、チベット人は不満をくすぶらせていると言っていた。案の定私がチベットを訪れた数ヶ月後、不安が的中してオリンピックを前にして騒乱が起きたのだった。
 
 

 
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                 私を乗せてくれたガイド
 
 
      
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                      ナイス☆だけも 歓迎! 歓迎!
                回族街の女の子
                      

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17日目、遊牧民の集落で強制移住の遊牧民を見送り、夏河で再びラプラン寺へ立ち寄った
 夏河で昼食を取ったのち、蘭州まで150キロをひた走り。
 
大草原を行く
 
 しばらくは目に鮮やかな天空の大草原が続く。
 時がゆったりとすぎてゆくようだ。
 
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臨夏近郊の菜の花
 標高が下がり、臨夏が近づいてくると田園風景も現れ、菜の花畑の鮮やかな黄色が目に飛び込んできた。
 
 
 
 
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        \¤\᡼\¸ 18   \¤\᡼\¸ 14
         菜の花畑から赤い衣装の娘が盛んに手を振る。
 
やがて人家が現れた。周辺の草原(くさはら)では、ヤクや馬がのんびりと草を食んでいた。
     \¤\᡼\¸ 13
 
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臨夏 再び  三美人発見!

  4日ぶりに再び臨夏の街へ入った。
 
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    街の中心のロータリー   
 
 
 
  ここで三美人発見!!
 
 三人とも民族衣装が似合う女性たちでした。
 
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                   トンシャン族の女性
 
         \¤\᡼\¸ 17                                回族の女性
 
            \¤\᡼\¸ 16
                    回族の女性

 
 黄河の夕暮れ
 夕暮れになって蘭州に到着
 
 
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まるで海か湖の夕暮れをを思わせる雄大さでした。 
 
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 蘭州もなかなかの都会でしょう?
 
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 17日目の旅も無事に終わった。
 夕食は大好きなシシカバブと蘭州ラーメンを食べ、バ安ホテルのバススの中で3日分の洗濯をし、心地よい眠りに着きました。
 明日からは、蘭州市内廻りです。
 
               
 
 
  

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   感動! 「五体投地」
  
 以前チベット自治区、青海省、四川省へ行った時、たくさんのチベット人が熱心に五体投地をする姿を目の当たりにしてものすごく感動したが、今回の甘粛省の夏河県でも、五体投地をしている人々に何度も出会った。こうした光景を見るたびに理屈抜きに心が揺さぶられるのである。
  
聖地ラサへの道を歩む     
       
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 四川省からラサまで、五体投地で巡礼する人びと 
 
すでに1年以上経つという。何がこの人たちをそこまで駆り立てるのか。こうした姿には理屈なしに胸が熱くなる。
 
     
 
ラプラン寺の祈り
  大経堂前では大勢の巡礼者が「五体投地」でひたすら祈りを捧げていた。
 自分のようなよそ者がこの場にいたたまれないほどのむんむんとした熱気が伝わってくる。  
 
 
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   \¤\᡼\¸ 1

 
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コルラ道
 ラプラン寺の周囲にはコルラ道(巡礼路)がある。
 巡礼だけではなく、地元の人びとの散歩道になっている。
 熱心な信者は、ラプラン寺に巡礼する前に、ここを五体投地で回る。
 
 
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             \¤\᡼\¸ 5

 
 歩いてコルラ道を一周する人の中には、ところどころで留まってしばし祈りを捧げている人たちもいる。
 
     \¤\᡼\¸ 8
   

聖地への道

 チベットでは、聖地をめざして路上を五体投地している人をしばしば見かけた。
 中には、何千キロもの道のりを、
 嵐だろうが 大風が吹こうがが、雪だろうが屈することなく、
 何年もかけ、たゆまず進み続けている人にも出会った。
 現地の人に訊くと、五体投地の動機はいろいろで、
 家族などの病気平癒の祈願や死者の供養、修行、心の安寧などだが、
 いずれも厚い信仰心に基づいている。
 日本の遍路も共通した精神に根ざしているが、五体投地のほうがずっと重く深いように思える。
 
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 五体投地を黙々と繰り返しながら、ひたすら 聖地へ向かって歩む人びと。
    その一歩一歩に人生の重みのようなものを感じた。
 

 
一家そろって五体投地でラサへ
 一家そろって道路を五体投地している集団に追いついた。
 この家族は50キロほど離れた村から一家で聖地ラサまで向かうとのことだ。 
 「もう11日目です」と言う。「あと2日で到着するでしょう」
 一番小さい孫娘は五体投地をせず、かいがいしく家族のお世話をしていた。
 思わず中国語で「加油(頑張って)!」と叫んでしまったが、彼らはチベット語しか話さない。言葉は通じなくても気持は絶対に伝わったはずだ。
 
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夫婦道連れ3千キロの五体投地の旅
 
 ラサからネパールへ向かう途中、
 ひたすら五体投地を繰り返しながらカメの歩みのように遅々として進む男性と、
 黙々とリアカーを引く女性の姿が目に入ってきた。
 
 追い越してから二人の前方で車止めて様子を見させてもらった。
 二人は夫婦で、青海省の西寧から3年かけて、ヒマラヤを越えてインドまで行くのだと、現地ガイドが言う。彼は添乗の際に何度も二人を見たと言う。
 
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 私は、その話を聞いた瞬間、一挙に胸が熱くなった。
 自分自身四国歩き遍路を三度結願し、それなりの苦労を経験したが、
 二人の行為は、それとはまったく比らべものにならないほど絶大である。
 百倍も、千倍もの労苦である。

 
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 五体投地を続ける夫よりも、夫を助けて黙々とリアカーを引く妻の姿にいっそう心打たれた。
  妻の助けがあってこそ、この難行が続けられるのだ。
  私は四国遍路のとき、毎日何度もお接待を受けた。
  何よりの励ましだった。その都度元気と勇気をもらった。
  
  ここではリアカーを引く妻にこそ、お接待をしようと思った。
  《四国で受けたご恩をチベットで少しでもお返しできたことは幸運だった》と、今でも思っている。
  リアカーにはちょっとした生活用品や衣類、野宿のための掛け物や敷物が積んであった。
  坂が多いのでさぞつらかろう。指や手のひらはマメだらけだった。
  しかし妻の顔には、苦しみよりも毅然とした強い意志と、生き生きとした表情すら感じられた。
 

 妻の助けがあるとは言いながらも、一途に五体投地を続ける夫にも、もちろん敬意以上の気持を持った。
 まるで求道者のような雰囲気を感じた。
 
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なぜ五体投地をつ続けるのか?

 ちょっといいですかと、恐る恐る声をかけると、気さくに応じてくれた。、
 
        \¤\᡼\¸ 17

 ねぎらいや敬意を伝えると、 
 「一生続けている人もいますから、私などたいしたことはありません」と、笑顔でさらっと言った。
 五体投地中の近づきがたほどの厳然とした雰囲気とは打って変わって、とても穏やかな表情だった。それはもう艱難辛苦を超越した姿に見えた。
 
 「なぜ、こんなに苦労して五体投地を続けるのですか?」
 「この道は仏の世界へ通じる道なのです。一歩一歩、仏の道へ近づくことはとてもうれしいのです。誰に頼まれてやっているわけでもありません。だから苦しみなんかありません」
  きっぱりと言った。

 「リアカーを引き続けている奥さんはどう思っているのですか?」
 「私は二人で五体投地をしていると思っています。二人とも五体投地をやっていたら生きられませんから…。夫は私の代わりに五体投地をやってくれて、私は食や生活という形で夫に命を与えているのです」

 四国歩き遍路では、お接待してくれる人は「自分に変わって遍路してくれる人に対する感謝の気持ちです」と言う。この奥さんも似通った気持ちなのにちがいない。
 
 今まで五体投地を見て、〈なぜこんなに苦労してまで五体投地を続けるのか?〉
 という疑問をもっていたが、この言葉を聞いて、それが大分解けたような気がした。
 五体投地をする人の大多分のは、
 根本的には、「苦しみと喜びが表裏一体」と考えているのではないだろうか。
 五体投地と遍路は基本的精神は同じではないだろうかと実感した。
 五体投地をもっと深く知りたくなった。

 
 

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 17日目、遊牧民の集落から蘭州へ戻る道すがら再びラプラン寺へ立ち寄った。
 
 
ラプラン寺の僧侶たち
    
信頼
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  高僧と少年僧  高僧は付き人の少年僧をまるで孫のようにいつくしみ、少年僧は心から高僧を慕っているようだった。

敬虔な祈り
 老僧は私に撮影を許すと、何事もなかったように再び静かに祈り始めた。
 そこにはカメラに対する意識は微塵もなく、ただ御仏に対する敬虔さだけが感じられた。

          \¤\᡼\¸ 2
    
 

 五体投地のコルラ
 巡礼道を五体投地でコルラする修行僧が何人かいた。
 この光景を見るたびに心打たれてしまう。
  
          \¤\᡼\¸ 11
             巡礼道を五体投地でコルラする修行僧 
 
大法会
  大法会前の若い僧たちはくったくない会話を交わしている。
  チベット寺院の修行僧たちは、謹厳な日本の修行僧と比べると、必ずしもマナーがよいわけではないと感じた。
 
     \¤\᡼\¸ 6
     。   
 
    \¤\᡼\¸ 3
                     大法会へ向かう僧侶たち
 
   \¤\᡼\¸ 5
       大法会  数百名の僧侶が居並び荘厳さが漂う


勤行と問答

勤行
          \¤\᡼\¸ 4
                    学院における修行

問答
 ゲルク派では、哲学的な「問答」を繰り返すことで、教えへの理解を深める。
 立っている僧が問いを出し、座っている僧が答えるのだが、手を打ち鳴らし、大きな動作で迫る質問者の様子は、なかなか見応えがある。時にはユーモラスな動作も繰り広げられて、我々見学する者は思わず吹き出したくなる時もある。
 
 
     \¤\᡼\¸ 17

 
   \¤\᡼\¸ 9

  
      \¤\᡼\¸ 13
                       楽器の演奏の練習

作務(労働修行)と托鉢
 ちょうどお昼時であったため、ゴンパ脇の厨房では少年僧たちが食事の準備をしていた。 
 
\¤\᡼\¸ 7 \¤\᡼\¸ 8    食事の準備                             水汲み

 チベット寺院では政府からの援助が期待できないので、ほとんどの労働を僧たちが分担して行っている。これも修行の一環と位置付けている。

  托鉢
   \¤\᡼\¸ 19
       ㊤托鉢へ出かける僧たち。   ㊦托鉢の鉄鉢を持つ僧

 
     \¤\᡼\¸ 18
 見学者や観光客への案内は若い僧が、中国語(普通語)か英語で行う。日本語を話せる僧侶は余りいないとのことで、日本人観光客への案内は、添乗している現地ガイドが行っているとのことだ。

子供の僧
 
        \¤\᡼\¸ 12

 チベットには子供の僧がたくさんいる。経済的、家庭的な理由で、子供のころからやむなくお寺に預けられているケースも少なくない。
 バターとナン、ミルクなど質素な食事をし、熱心にお祈りを捧げていました。
 
   \¤\᡼\¸ 10

 こんなに小さい頃からお祈りして、生涯この寺で終えるのか思うと少し胸がつまる思いがした。
 
       \¤\᡼\¸ 15
   明るい笑顔で写真に応じる子供僧たちの姿を見て何かほっとしたものを感じるのは私一人ではないだろう。

短期学僧
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 読書をしている若い僧と仲良くなった。四川省のゾルゲから勉強のため3カ月ほどここにきているとのこと。
 多くの活仏(生き仏)や、ゲシェ(チベット仏教で最高の学位)を得た僧がいるラプラン寺には、 各地から彼のような僧が集まって来ていて数カ月滞在して勉強していく。
 そしてそれを地元の寺に持ち帰って広めていくそうだ。
                             彼が今研究しているのは仏教哲学とチベット医学である。
 地元では寺が医療施設も兼ねていることもあり、簡単な病気は薬草を煎じて地元の人に提供するらしい。
 「村のために人が集まる、そんな寺にしたいんだよね」と、
 きらきらした目で語ってくれたのが印象的だった。

パソコンを操作する僧
 
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、先ほどの短期学僧が「ゲシェ」に会わせてくれるというので案内してもらった。
 10年間ダラムサラのナムギャルゴンパにいたとのことだ。
 ダラムサラはダライラマの亡命政府があるインドの町である。
 けっこう英語が通じた。
 「パソコンを持っているんだよ」というから、見せてもらった。
 Win98のちょっと古いものだったが、
 ラプラン寺で持っている人は10数人くらいしかいないらしい。
 これでラプラン寺の歴史をまとめているとのこと。
 これが終わったら英語のガイドブックを作ると言って張り切っていた。
 
 
 
  
     
               


 シルクロードのテーマを聴きながら記事をご覧ください。
 
 
ヤクの値段は?
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 近年中国人の食文化の向上でヤクの需要は旺盛で前年比5割も値段が上がっており遊牧民の生活レベルは上がってきているとのことですが、過放牧になり草不足、裸地化等あらたな環境問題となっているとのことです。
 
 2004年では、約5千円ほどだった引き取り価格が2008年では千二百元(1万5千円)ほどになりました。安値で引き取られたヤクは、蘭州などの市場で5千元(6万円)ほどで売買されているそうです。
投票の正解は1万5千円です。
 
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遊牧民の強制移住
 
 近年中国では、
 環境保護対策――過放牧による砂漠化が進む草原の環境回復・保護――の理由から、
 遊牧民を草原から村落や都会へ移住させる方策が国によって進められています。
 確かにたくさんのヤクたちが毎日たくさんの草を食べれば砂漠化の一因になるかもしれませんが…
現地を旅していると、それが主原因とは思えません。
 
 遊牧民にとっては、生活を奪われ、先祖代々住んでいた草原を離れることはつらいでしょうし、ヤクや羊たちにとっても生きる場を奪われることは死活問題です。
 
 
 宿泊した翌日(17日目)、テントをたたんで移動の準備をしている一家がありまた。
 この草の豊富な6月に放牧地の移動なんて…、考えられません。
 
 強制移動の朝、民族衣装に着がえてカメラに収まってくれた子供たちに強い感謝の気持ちと憐みの気持ちがわきました。
 子供の表情もとてもさびしそうでした。
 移住先がはっきりせず、この写真を届けてやれないのがとても残念です。
 
         \¤\᡼\¸ 9
         
 引っ越し

\¤\᡼\¸ 2              ヤクの背中に荷物を積む移住家族

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              子供たちも引っ越しの役割を担う
 
 
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          引っ越しに出発する家族
 
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            ヤクは引っ越し荷物の運搬にも役に立ちます
 
別 れ
 周辺のテントの遊牧民たちが見送る。送る側も送られる側もつらい別れだ。
 
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胸中に何が去来しているのか…
 
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悲しそうに見送る子供たち
 
 
若様強制移住に怒りの談話
 私は、以前シルクロードやチベット圏、内モンゴルなどを旅していて、
 環境保護を理由とした、遊牧民の強制移住について、何回か見聞きしてきました。

 昨日、この部族の「長」の息子・「ワカサマ」に強制移住について質問すると、怒りを込めて次のように語っってくれました。
 ――この集落にも、数年前から政府から何度か「移住命令」が来ている。
 以前は、希望者が少しはいたので政府命令に応ずることも出来たが、
 最近はその都度「長」が強く説得して、移住してもらっている。
 みんな一族なので、説得する側としても、とても苦しい。
 
 中国政府は、青海省に住むチベット人遊牧民10万人に対し、
 草原から村落・都市へ移住するよう命じた。
 過放牧による砂漠化が進む草原の環境回復・保護のためという理由だ。
 年内に6万人が移住させられ、2010年までには10万人の移住が完了予定だ。
 
 移住した遊牧民にはもれなく家と野菜栽培のためのハウスが提供される。
 どうせその移住先も、別のチベット人から奪った土地なのだろう…。
 万が一本当に初期投資がタダだとしても、
 農機や肥料や電気代などの名目で、金を取られてしまう。
 ついでに商売もやりませんかなど言って、
 中国農業銀行か何かが金を貸しつけて借金漬けにして
 最後には家も土地も取り上げられ、結局、移住してきた漢族が住むことになる。
 同じことはチベットに限らず、すでにあちこちで起こっているのだから、
 騙されないように、だれか教えてあげてほしい。
 そもそも遊牧民に農業をやれというのが無茶な話だが…。

 ちなみに多くのチベット人は、
 チベット高原の温暖化は中国人の増加と無秩序な資源採掘のせいだと信じている。
 以上が、怒りを込めた若様の話です。
 充分納得できます。
 
 強制移住地
 次の写真は、以前内モンゴルの寧夏回族自治区で見た、
 中国の「生態移民」という政策により移住させられた人の家です。
 
    \¤\᡼\¸ 4

 見るからに安っぽい同じ形の家が並んでいました。
 「生態移民」とは、
 環境保全のために砂漠化や土壌流失が深刻な土地で暮らす遊牧民などを
 集団移住させる中国政府の政策です。
 先祖代々放牧で暮らしていた人たちが強制的に生活手段を奪われて、
 〈このようなところへ連れて来られて幸せになれるのだろうか?〉
 そんな思いでながめました。
 周囲には、田園らしきものはまったく見えず、
 この荒涼たる地に、生計が立てられる作物が育つはずはない、という憤りの思いに駆られました。
 
     \¤\᡼\¸ 5


 

 
 以前別の場所で撮影したものですが、ヤクの放牧のお気に入り写真を紹介します。

 
   \¤\᡼\¸ 3
    草原で草を食むヤク  後方にそびえるのはエベレスト街道のアマダブラム  

 
   \¤\᡼\¸ 6
             西蔵自治区・康雄氷川のヤクの放牧

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