東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

シルクロード2万キロ一人旅

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オアシスを歩いて回る
  地平線に見え始めた黒い点がだんだんと横に広がりってゆく。それが林であることが分かってくると、道の両側にポプラ並木が現れた。やはりオアシスだ。
 
 荷物を積んだロバ車がオアシスの方へ向かってゆっくりと進んでいる。無性にオアシスを歩きたくなり、オアシスの入り口で下してくれるように頼んだ。
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\¤\᡼\¸ 14 オアシスの中心に向かうにしたがって、道路を行き交う人の姿が増えてくる。収穫した麦の束を積んだ荷車の人たち、1台の荷馬車に大勢で乗っている人々、荷馬車の引き手はロバだ。ロバ車はさしずめオアシスのトラックであり、乗用車だ。
 
 
 
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 荷馬車の間を縫うようにして走る自転車。そんな中を小型トラックが、そこのけ、そこのけといわんばかりにクラクションを鳴らして追い抜いてゆく。
武威郊外のオアシスのちょっとした夕方のラッシュといったところだ。 

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           武威近郊のオアシスのメインストリート?
 
 メインストリートを過ぎると、再びのんびりとした情景が戻る。トラックを下ろしてもらって数百メートル歩く。すると生活がちょっぴり見えてくる。おばちゃんたちが、井戸端ならぬ、「ポプラの木陰会議」で盛り上がっていたり、家の前でのんびり腰を下ろすおじさんがいたりする。みな陽気に手を振ってくる。
 そして、シルクロードではどこへ行っても子どもたちがカメラの前に集まってくる。

 
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            おばちゃんたちが「ポプラの木陰会議」

 
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               のんびりと話しながら… オアシスはゆったりと時が流れる

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 オアシスを抜けると田園地帯に入った。
 農家の庭先では原始的?な脱穀風景が見られた。
 シルクロードでは、わたしの子供のころに見た懐かしい情景に時々お目にかかる。
 
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 ここからトラックへ乗った。
 広々とした田園地帯の中をまっすぐに伸びる道を20分ほど快調に走る。
 
 
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2時30分ごろ本日の宿泊地「武威」に到着
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本日のシルクロード美人
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            途中の食堂の看板娘
 
 
 

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万里の長城姿を消す

\¤\᡼\¸ 2 トラックの左右に見え隠れしていた万里の長城がいつしか姿を消していた。
残雪を抱いた祁連の山並もはるかかなたに遠のいていた。草木も次第に少なくなり、ゴビ灘に近づいていく。

 
          
                             
  
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ゴビ灘
 
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 初めて目にするゴビ砂漠!と、思いきや、それは石ころと砂が入り混じった荒涼たる無限の広がり――ゴビ灘だった。
 これは、2005年に初めて砂漠と出会った時の、感激と失望とが入り乱れながら眺めた光景です。今なおはっきりと覚えている。
はるか向こうの祁連山脈からちぎれ雲が湧き上がるようにして生まれ出て、互いにくっつき合って次第に大きな雲になってこちらに迫って来た。
 
 今回の旅に話を戻すと、
 見渡す限り灰色の原野だ。いや瓦礫(がれき)の荒野である。「ゴビ灘」と呼ばれるものだ。土のにおいはしない。石が土になったのか、土が石になったのか、よく見ると灰色に固まった土が波打って見える。わずかに地を這うようにのびている草がある。蘭州から230キロの地点だ。

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 回廊と言うには余りにも広大すぎるその原野を、小石で覆われたまっすぐに延びるアスファルトの道――。甘新公路だ。ほぼ正面から差し込む西日で一筋の道は光り輝き、まぶしいくらいである。

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 3年ぶりに見る、限りない無の風景である。さらに遡った1989年の時、興奮気味にカメラのシャッターを切り続ける私に向かって、運転手は「もっと西へ行けばこんなものではありません」と、こともなげに言ったことも思い出した。
 トラックは80キロ以上のスピードで走っていた。漢の時代に切り開かれた4つの前線基地の最初の街、武威を目指して――。
 
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 単調な景色に少し飽きて、思わず周囲から目を離してメモに夢中になった。すると、何かとすれ違った。
振り返ってみると、遠くに馬影が見えた。またとないシャッターチャンスを逃してしまった
 十頭くらいの荷馬車の隊列である。どの荷馬車にも人影が見えた。石を運んでいるようだった。たぶん、この荒野の風景は今も昔もさして変わりはないであろう。
 とすると、軍馬を連ねて西へ向かった古代の兵士たちの姿もこんな風景だったのではなかろうか。
ひづめ音と荷馬車のきしむ音だけが響くシルクロード――。 
 無味乾燥な景色がいつまでも続いたかと思うと、道はやがて、山に差し掛かかった。
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                       ゴビ灘の山越え
 この山を越すと遠くにポプラ並木が見えてきた。初めは感動していたポプラ並木だが、今はあまりときめきはない。もし感動するとすればその長さくらいのもので、感動が感謝に移行することはない。ああ、もうじきオアシスがあるのだな、と認識するくらいである。
 そのオアシスもも30秒か1分で通り過ぎてしまう。それでも癒される心のオアシスなのだ。
 「次のオアシスで停めてください。歩いてみたいいんです」と頼んだ。
 いよいよ長いポプラ並木に入った。歩けると思うとときめきを感じた。
 
            
 
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               ビニール袋をかぶったオアシスの女性
               ほこりよけに便利だわ、とのこと
 
 
 
 
 食堂を出て間もなく、遠方の山から突然小さな雲が次々に湧き上がり、それが風に飛ばされて互いにくっつき合い、大きな雲の集団になってこちらにぐんぐんと迫ってきた。
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 それもつかの間、大豆程の大きさの雹が激しくトラックのウインドウめがけて襲ってきた。
 
 黄土高原―― いや砂漠地帯の天気はあっという間に変化する。
オアシスのポプラの林も麦の収穫あとの畑も急に粉をまかれたように白くなった。 
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 シルクロードの光景から一変して日本画的な雰囲気に変わってしまった。まだ、旅の19日目なのにちょっぴり郷愁を感じたわたしだった。
 
 ところが、10分ほど下るとウソのように晴れ上がり、緑と黄色と茶色がみごとに調和した景色が現れた。よく見ると明の長城の茶色の壁が延びている。しかしところどころ切れている。道路の建設や人間の通行を確保するために、最小限度切断されることも少なくないという。
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 さらに下ると緑や黄色がいっそう鮮やかになり、それぞれの濃淡がさらに風景にバリエーションをあたえている。
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 あたり一面、黄色に彩っっている菜の花畑が広がった。とにかく雄大だ。
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古浪峡から武威へ
 
 古浪峡の峡谷を抜けた一本の道は、祁連山の豊かな水に潤され、「鑫の張掖、銀の武威」として栄えたオアシスの町につながっている。
 
 黄土高原の茶色の山はだもうっすらと緑に塗られている。
 高原に畑作地帯が続く。麦の収穫が大分済んだようだ。
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 高度が上がると、段々畑が多くなってくる。
 こちらは麦の刈り入れはまだのようだ。
 苦労している農民には申し訳ないが…、段々畑はとても絵になるのである。
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 「耕して天にいたる」の言葉のように、急斜面の高いところまで段々畑が作られている。涙ぐましいまでの土地の利用だ。
 
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 運転手は、
 『俺の日当は9元(当時126円)なんですごく少ないんだが、ここの連中はもっとひどいんだよ。年収が1000元(1万4000円)にもならないのはざらなんだよ」と愚痴っぽく言う。同情すると、延々と話しを続けた。
 
 
 沿海地方では、大金持ちが日本に来て平気で100万、200万の高級品を無造作に買いあさってゆく。何たる格差。
 
 
 愚痴話を聞いていると、遠くの方に、まるで長い長い鉄橋のようなものが見えてきた。その方向に鉄道はないので用水路かなと思って訊いてみると推測通りだった。
「引大総干渠」と言って、青海省大同河から甘粛省景泰まで水を送る長い用水路だ。庄浪河をまたぐため水道橋になっている。水道橋の総延長は 93kmあるとのことだ。
 
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  90キロ以上の長さを持つ用水路「引大総干渠」

 
 時々見える大草原は遊牧地帯だ。環境保全の名目で放牧が次第に禁止されている。
 
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             草原では羊の放牧が行われている
  たしかに、高度が上ると草が少なくなってきた。そんな状況でも細々とした放牧が行われている。
 放牧中の老人とちょっと話してみると、「朝に羊を牧草地へ連れてきて夕方連れて帰る毎日さ」と、生気のない返事が返ってきた。
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                      放牧をする老人
高速道路へ入る
 
 高速道路が見えてきたので、「入ろう!」と誘うと、今までにこやかだった運転手の顔が突然険しくなった。「私が払うから大丈夫だよ」と言って安心させると、大喜び。
 
高速道路だというのに、相変わらずの悪路だ。道が波打っていて穴だらけ。日本の田舎道よりもひどい。

 
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「中国の高速道路は、出来るのも早いが壊れるのも早い」という。
 規則では15年の保障だが、実際には数年で壊れてしまう。
 理由は、汚職。担当の幹部が予算よりも安い価格で工事をさせ、その差額を懐にするというものだ。みなさんも知っての通り、中国社会では汚職が問題になっていて、運転手は「最近甘粛省でも交通局の関係者50人が刑務所送りになったよ」と平気な顔で言っていた。現実に、この高速道路はまだ3年しか経たないのに、あちこち修理の痕が見られる。
 これじゃ高速道路も意味がない。1区間でさっさと普通道路へ戻った。

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咸陽の茶房の小姐
 
 
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「蘭州から武威へ前2回の記事」
 
 
 
蘭州から武威まで 
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烏鞘嶺へ向かって
 ここにもチベット人の街
 蘭州を出発して104キロ、私を乗せた運送トラックは永登という街を通り過ぎ、そこからさらに30キロほどで天祝蔵族自治県に入った。名前の通りチベット人の多い町だった。
 
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 感激! 烏鞘嶺でもヤクの放牧
 道はアップダウンを繰り返しながら次第に高度を上げて、烏鞘嶺に向かってゆく。
 標高3060メートルの烏鞘嶺の頂上付近になると、ヤクの放牧が行われていた。
チベットや東チベットで見たヤクの放牧がまさかここでも見られるとは思わなかった。ちなみにヤクは3000メートル以上で棲息する。
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古は漢と匈奴の国境だった烏鞘嶺
 
 烏鞘嶺の頂上付近には、これからの旅で向かう3都市までの距離が書いてある標識が立っていた。思わずパチリ! 
 
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  4月下旬だが、烏鞘嶺頂上にはもちろん雪が残っている。
 だが、予想したよりはもむしろ少なく感じた。
  
 
 写真を撮っていると急に雲が湧き出てきて、小雪がちらついてきた。あたりはすっかり霧に包まれてしまった。
 せっかくの絶景を逃して残念。
 
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 ところが霧の中を走っていると突然視界が開け、そこには、以前来たときには無かった展望台が姿を現した。展望台からの眺めはとにかく素晴らしい。北海道の美瑛をスケールアップした壮麗さだった。
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頂上から1キロほど下った地点にある展望台
 烏鞘嶺の絶景
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稜線には万里の長城が築かれている
 
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 峠を下り始めると緑の草原が広がり、白、黒、茶色―― 色とりどりの羊を放牧する光景にお目にかかった。
 遊牧民の姿は、かつて匈奴の地であったことを連想させた。
 
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 中国の歴史は漢人によって書かれているので、匈奴が中国の領土に侵入してきたと表現されているが、匈奴側にすれば逆に自分たちの領土を奪われたという思いをしているに違いない。
 

河西回廊のスタート地点古浪峡
 
 
 天祝県を過ぎて75キロ走ると古浪峡の峡谷地帯に入った。
 
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 河川の流れがこれまでの東向きから西向きに変わる。このあたりから河はすべて内陸河になる。

 河西回廊はこの古浪峡に端を発し、西は新疆ウイグル自治区と甘粛省の境界にある星星峡までの、長さ1200km、幅100kmの帯状の地を指す。

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   「回廊」という言葉には、回りくねった廊下というイメージが強い。中国ではこの帯状の地帯のことを「河西走廊」と呼んでいるが、この走廊は長い廊下という意味である。中国の中央部と西域を結ぶ一本の細長い廊下――私には、河西回廊よりも河西走廊と呼ぶほうが、シルクロードのイメージに合うような気がする。皆さんはどう思いますか

ラグ麺の昼食
\¤\᡼\¸ 20 古浪峡で午後1時くらいになったので、杏林酒家と言う食堂に入り、ラグ麺の昼食。 麺打ちを見せてもらう――日本のうどんそっくりだ。    店の奥さんが、日本人がめんつゆを置いていったのでよかったらどうぞ、と勧めてくれたが、私はあくまでも「郷に入りては、郷に従え」を貫いて、具を掛けて食べた。〈長旅で健康を保つためには、その土地の食べ物に自分を慣らすことが大切と思っている。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日は美人が登場しませんでした〜最後は… 匈奴に嫁した王昭君(映画より)
 
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  わたしはシルクロードのシルクロード一人旅にお気に入りの曲のCDを持参して、時々聴きながら旅をしていました。この曲を聴かせるとわたしをのせてくれた運転手はすごく感激してくれました。皆さんも素敵な曲を聴きながら記事をお楽しみください。
 
 
 
 
黄土高原へ
 
 運転手はこの曲を聴きながら快調に車を走らせて行きます。
 道はゆるやかに上り始め、次第に黄土高原のような景色に変わっていく。
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 蘭州から150km地点、天祝をすぎたあたりから左手に雪を頂いた祁連山脈が見えてきた。東西800km、西は安西の南の方まで続いている。海抜4000〜5000m級の山々が連なり、3000本以上の氷河を頂き、ここから流れ出る水が河西回廊沿いのオアシスを潤している。
河西回廊は、祁連山脈と北のティングリ砂漠やバンダンギリ砂漠や龍首山に挟まれ、このあたりから新彊との境にある星星峡までの長さ1200km、幅100kmの帯状の地を指す。
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漢の武帝と霍去病
 ここで、河西回廊の歴史をちょっと紹介します。
 紀元121年、漢の武帝は、霍去病を二度に渡って出撃させ、河西地方から匈奴を追い出し、河西四郡を置いた。武威郡(涼州)・張掖郡(甘州)・酒泉郡(粛州)・敦煌郡(沙州)。これにより、漢のシルクロード支配の第一歩が開始されました。

 
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 霍去病の漢軍と匈奴殿激しい戦闘場面(甘粛省博物館の絵)

 漢の万里の長城見える!
 道の勾配が次第に急になり、蘭州から175kmほど走った所で、右手に二重の万里の長城が見えてきた。今回の旅で初めて万里の長城である。
いま目にしている長城は、北京郊外にある素焼きのレンガで作られた八達嶺の長城とは異なり、延々と続く、崩れかけた黄色い土塀であった。
「大分崩れていますが、あれが漢代の長城ですか?」と運転手に訊くと
「あれは漢代のものではありません。おそらく5,6百年前の明代のものでしょう。奥に低く見えるのが漢代のものです」と説明してくれた。

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    まるであぜ道と区別がつかないほど崩壊している「漢の長城  
   遠方に切れ切れに見えるのが漢の長城。
   その手前の比較的はっきりしているのが明の長城 
   さらに手前は草の生えているあぜ道
 
 運転手はトラックを漢の長城の近くまで走らせてくれました。
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         漢の長城

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                                       明の長城と祁連山

 人類が築いた、地上最大の建造物といわれる万里の長城は、匈奴の脅威に対処するため、
秦の始皇帝によって東は遼東から、西はリン等に至るまで広大な空間に築造された。
 漢の武帝時代に河西回廊が編入されると、長城はさらに西へと伸び、敦煌にある陽関や玉門関までの、全長1万1千5百里に達した。秦や漢の時代の一里は約400メートルだから、
その長さはなんと4千6百キロという膨大なものである。

 

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 漢代の長城は高さ1丈余り《約2.5メートル》、幅3尺(約70センチ)で、きわめて
堅固に作られ、「五里一墩、十里一大墩」といわれる方形の墩台(とんだい)が設けられた。墩台とは、小高い砦のようなもので、守備兵がここにつめて昼夜を問わず監視を続け、敵の襲撃の兆しを発見すると、ただちに烽火を上げたところである。

[万里の長城の関連記事]
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/26165776.html http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/26155709.html (クリックしてください)

 長城は、ある時は甘新公路沿いに、あるときは山の尾根づたいに、またあるときはゴビ灘の草原の中を見え隠れしながら、延々と連なっていた。烽火台の脇では、白や黒の羊とヤギが草を追い求めていた。
 
 
 
 
 わたしが乗ったトラックが走る国道312号と並行する蘭新を列車があえぎながら走っている。
 
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 トラックは、上り下りを繰り返すながらひたすら目的地の武威へ向けてひた走る。

 
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