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2月3日の深夜、チュニジアから帰国しました。
今回は一人旅ではなくツアー旅行です。
旅行行程がハードスケジュールだったし、朝にホテル周辺で現地の人々と触れ合ったり写真を撮ったり、
見学中もパチパチとこまめに撮影しました。
私が旅した国や地域の子供たちはみんな人懐こくて、かわいい子です。
バス乗車中も、シャッターチャンスを狙って緊張し通しだったので、いささか疲れました。
がんばり過ぎたせいかか、8日目の朝ベットから起き上がろうとしたら、両足のふくらはぎが攣れて、余りの痛さに貧血状態になりました。
その日の見学はできないのではないかと思いましたが、朝飯抜きでケアーに努めたら、どうにかびっこを引きながら歩けるようになりました。
やれやれ…でした。
これを除けば、充実した旅ができました。
今回のチュニジアの旅の目的は、
①市民革命(ジャスミン革命)が起こった背景と、革命によってどのように変わったか
②シルクロードを通ってローマ帝国に伝わった東洋文明がここチュニジアにどのような形でもたらされているか
をこの目で確かめたいということでした。
チュニジアは、私が予想していたよりも自然も変化に富んでいて、北部と中部は緑が豊かです。
いろいろな人種や民族がいて、身なり、生活ぶりも多様でした。
北部と中部は緑豊かでオリーブ畑が一面に広がっています。オリーブ生産高は世界第4位です。
北側と東側の大部分は地中海に面しているので、晴れた時にはスカイブルーの海を眺めながらの旅でした。
シディ・ブ・サイードは、チュニジアで最も美しい街と称されるチュニジアンブルーの映える街です。
カルタゴ アントニヌスの共同浴場 真っ青な海を眼前に、古代ローマ人のこの上なく贅沢な時間の過ごし方が目に浮かぶようでした。 国中のいたるところにナツメヤシが植えられています。
南西部には広大なサハラ砂漠が広がっています。 市民革命(民主化運動)の影響は女性の服装にも見られました。
ベン・アリー政権時代はヘジャーブ(被り物)などの民族衣装は禁止でしたのが、革命後は禁止が解除され、現在では下の写真のようにヘジャーブをかぶる人が大分見られるようになりました。
革命後は自由にものを言えるようになりましたが、
一般市民の生活はいまなお貧しく、平均給料は2万円〜2万5千円程度で、失業率は25〜30%とのことでした。
そのためか、朝からたくさんの男たちが茶店のテーブルを囲んでヒマそうに話をしたり、ゲームをしていました。
これは南部の田舎町では特に多く見られました。
次回からは、引き続き詳しい様子を紹介します。
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チュニジア
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