東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

爺ちゃんが孫に震災を語る歩き遍路

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朝晩2度の電話 最後の朝
 孫と爺ちゃんの歩き遍路、5日目です。
 3日間だけは、朝と夜の2度家に電話を掛けてもよいと、許可した最後の朝です。
 それを宣言すると一瞬泣き出しましたが、「約束したことなんだから仕方ないだろう?」と言うと、すぐに納得しました。
 うろこ楼を出発する直前に孫は家に電話を掛けて、母親と二人の妹と話をしました。これで、孫は心の整理が着いたようです。
 
 今日の歩きの距離は33キロほどあります。孫にとっては生まれてから最長の距離―― まさに未知の距離です。
 「おじいちゃんは毎日30から40キロ歩いていたんだぞ。お前なら大丈夫」と言って、暗示をかけました。
 孫は少し疲れがたまっているようなので、大丈夫かな?という不安が少しはありましたが、とにかく行けるところまで行かせようと思っていました。
 さあ出発です。
 
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孫が拾った1円玉 あなたならどうする?
 
 うろこ楼を出発して1キロちょっと歩いたところで、後ろから、「おじいちゃん この辺に交番ある?」と孫が言い出しました。
 わけを聞くと1円玉を拾ったので、交番に届けたいと言います。
 我が孫ながらあっぱれ! 見直しました。
 
 でも、地図を見ても交番はありません。
 それに交番でも1円を届けられても、いろいろな点を考えると、処置に困ることでしょう。
 これは確かによいことなのだが、じいちゃんもちょっと困りました。
 あなたが私の立場ならどうしたでしょうか?
 
 
 「オサイセンとして収めて、みなさんのためによいことに使ってくださいとお祈りをしたら、いいと思うな」と提案しました。
 後は、本人の意思に任せようと思いました。
 どうなったかは、次回に。
 
 「面影の井戸」の由来を話す
 それから井戸寺までの間に、お寺の起源と面影の井戸について、簡単に話してあげました。
 ―― この地方では水がなかなか出なくて、村の人たちがとても困っていたんだ。
 弘法大師がそれをとても心配して、助けてあげようと思ったんだよ。
 大きな輪が着いた杖があるだろう。あれは錫杖(しゃくじょう)と言うんだが、錫杖を使って一夜のうちに井戸を掘ったら、清水がどんどん湧き出して来たんだそうだ。
 弘法大師は、その井戸に写った自分の姿を石に刻んだということなんだ。
 その井戸は「面影の井戸」と言われているし、井戸寺という名前もそこから来たんだ。
 大師の石像に日を決めてお祈りすると、願いがかなうので「日限大師」と言われて、たくさんの人たちに信仰されているんだよ。
 「面影の井戸」 をのぞいて自分の顔が写れば、元気で長生きできるし、
 もしも映らなかったら3年以内に不幸が来るんだってよ。
 お前はどちらだと思う? お参りしたらのぞいてみよう。
 
 こんな話をしながら歩いていると、井戸寺の山門に到着です。
   
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 命尽きるまで避難を呼びかけた南三陸町女性職員・遠藤未希さんを孫に語る
 
 孫に歩きながら震災を語るつもりでしたが―― なかなか思うようにいきません。
 孫にとってはまだ歩くので精いっぱいのようですし、じいちゃんも孫を歩かせるので精いっぱい。
 4日目ともなれば、孫も少しずつ遍路に慣れてきたので、夕食後いくぶんかは話す時間が持てるようになりました。
 3日目の夜からはその日の遍路の感想を話し合ったりしていました。
 4日目の夜は、わたしが強く印象に残っている南三陸町女性職員・遠藤未希さんのことを話そうと思いました。

 「自分が死ぬまで避難を呼びかけた遠藤未希さんという人を知ってるか?」と、話しを切り出しました。 
 孫はテレビで観て遠藤未希さんのことを知っていました。それなら話は早い。
 まず、二人で遠藤さんに合掌しました。それから、
 「この記事を読んでご覧。読めないところは手伝ってあげるから」と言って、2枚のコピーを出しました。
 これは、あらかじめ準備してきた来たものです。

「6メートルの津波が来ます」 最後まで放送の南三陸町職員の死を悼む

           
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 津波に襲われ鉄筋の骨組みだけが残った防災対策庁舎。遠藤未希さんは2階から放送で避難を呼び掛けていた。(MSN産経ニュースの写真)

 3月26日、宮城県南三陸町
 「早く高台に避難してください」―― 。
 津波到達の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた後、行方不明になっていた女性の遺体が発見された。
 津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町職員、遠藤未希さん(24)。
 命を救われた町民や避難住民は、最後まで職務を全うした未希さんの死を悼んだ。

 未希さんは3月11日、町内の防災対策庁舎で津波到達の直前まで防災無線で、
 「6メートルの津波が来ます。早く高台に避難してください」と呼び掛け、
 自らは津波にのみ込まれて行方不明となっていた。

 母親の美恵子さん(53)によると、未希さんとみられる遺体は4月23日、捜索隊が志津川湾で発見した。
 昨年7月に結婚した夫(24)がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、右肩にあざがあったことなどを夫が遺体の写真で確認。
 警察が2日、DNA鑑定で最終的に未希さんと断定した。

 美恵子さんは津波で被災した自宅を片づけながら、
 「元気な姿で家に帰ってくることはあきらめていました。せめて遺骨をきれいな自宅に迎えたいと思って…」と、涙をこらえながら話した。
 遺体は町内に安置され、家族が遺体を引き取って火葬する予定。

 未希さんは、昨年4月に危機管理課に配属。
 夫と石巻市内に住み、南三陸町役場まで通
っていた。     [MSN産経ニュース]                       

「もう一つの記事も読んでご覧」 と言って、次の記事も読ませました。
女性職員の死悼む=「残したもの大きい」−津波避難、最後まで呼び掛け・宮城
 東日本大震災の大津波が襲った宮城県南三陸町で、最後まで住民に防災無線で避難を呼び掛けた町職員遠藤未希さん(24)の葬儀が4日、同町で営まれた。親族や幼なじみが参列し、遠藤さんの死を悼んだ。
 遺体は午後、町営火葬場に運ばれ、荼毘(だび)に付された。同級生の1人は、遠藤さんが中学生の頃に将来の自分へ宛てた手紙を入れたカプセルを掘り起こし、母美恵子さん(53)に渡したという。
 遠藤さんの遺体は4月23日、南三陸町沖で発見され、県警がDNA型鑑定をした結果、今月2日に本人と確認された。美恵子さんは「ようやくうちの娘と分かった。(火葬後も)しばらくはうちに置いてあげたい」と泣きはらした目をハンカチで拭った。
 遠藤さんは昨年結婚し、今年9月に披露宴を開く予定だった。夫の友人で会社経営者の尾形長治さん(28)は「披露宴に呼ばれるのを楽しみにしていたのに。大勢の人の命を救った未希さんが残したものは大きい」と話した。(
2011/05/04-21:34)  (時事通信の記事より)
 
 孫が2つの記事を読み上げた後、私は自分の気持ちを話し始めました。
 「私は、遠藤さんが最後まで仕事をやり通して行方不明になってから、せめて遺体だけでも一日でも早く発見されてくれればいいな〜と、ずっと願っていたんだよ。そうでなくては遠藤さんは報われないよ」
 「うん。そうだよね」と、心からうなずきました。
 この子に心があってよかったと思いました。
 「おじいちゃんは、 遠藤さんの遺体が発見されたというテレビの放送を聞いたときは、心からよかったと思ったね。少しは心が救われる思いがしたんだよ。」
 「ぼくもそういう気持ちになると思うよ」
 「テレビ放送を見た後すぐに、般若心経を上げさせてもらっただよ。おまえも今は般若心経と言われればすぐわかるからじいちゃんの気持ちがわかるだろう」
 「なんで、おじいちゃんはこれだけ遠藤さんに打ち込んでいるの?」
 「それはな、 遠藤未希さんを命の恩人みたいに思っているからだよ」
 ―― 私が現在生きていられるのは、地震に遭った金華山で、
 「6メートルの津波が来ます。全員高台に避難してください」という放送があったからなんだよ。
 それは鮎川からの放送だと思うんだけど。
 その放送がなければ、待合室の屋根か、待合室の裏の旅館の二階に上がっていたかもしれないんだよ。
 そうすれば、間違いなくあの世行きだったな。
 おじいちゃんたちが黄金山神社近くの高台に逃げていた時、 遠藤未希さんは必死にみんなに叫んでいたんだろうな。きっと。
 
 テレビ放送で遠藤さんの声を聞くたび、金華山で必死に聞いた放送とダブってしまうんだよ。
 思わず「ありがとう!」とつぶやいて、ぐっと涙がこみ上げてしまって、声を出して泣いてしまうんだよな〜。
 遠藤さんが命の恩人のように思えてならないのさ。
 だから、南三陸町へ行ったときには必ず防災対策庁舎へ行ってお参りしているんだよ。
 
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およそ1年後の3月1日
 
 
 
 お前にこうして話していることが、 遠藤さんへの供養になればいいな〜と思っている。
 
 こんな話をした後、なぜ遠藤さんが最後の最後まで呼びかけ続けたのだろうか? について話し合いました。
 孫は「仕事に熱心だったから」 と簡単に答えました。
 「それはそうなんだけれど…。単純にそれだけか? おじいちゃんはもっとほかの面も考えなければいけないと思うな。もっとよく考えろと、いつも言っているだろう。物事は絶対に一つの面からだけ考ちゃいけないよ」
 「また歩きながら聞いてみるよ。これは宿題だ。もう9時だから寝るぞ」
 
 これで、遍路4日目終了です。
 
 
  


 
 本音で孫に遍路をやらせたい
 
 やっと4日目の宿、鱗楼に着iいた。
 
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 私はとにかくやれやれだった。
 かわいい孫を鍛えるのはたいへんなことだな〜と、つくづく思う。
 孫との遍路を思い立った時には、
 「鍛えようなんて気は起こしてはならない。孫とじいちゃんの楽しい長旅にしよう」と
心にもないことを考えていた。
 孫に合わせながらも、遍路を全うさせることが大事だと考えていた。
 
 だが、それはもちろん私の性には合っていない
 本音は、楽な遍路なんて毛頭考えていなかった。
 それが孫のためでもあると考えていた。
 案の定、一番霊山寺を出発して間もなく、本格遍路をさせようと思う気持ちがむらむらと起こった。
 歩きはじめたら必ず孫に本格遍路を求めるだろうということは、自分自身確信していた。
 やはり、偽りの気持ちで孫に接してはいけない。
 楽な遍路をさせるくらいならば、はじめから観光旅行に連れて行けばよいことである。
 孫は、今は分からなくても必ずわかるはずだ。
 とにかく本音で付き合ってやろう―― と、心は定まった。
 
 これからは容赦しないぞ―― 。
 そう思った瞬間、気持ちがす〜っと楽になった。
 
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                 爺孫遍路 強風の中、吉野川の中洲を進む
       
孫と爺ちゃんの四国歩き遍路前回までの記事記事は題目をクリックしてご覧ください
 17、孫に大きな財産になった「焼山寺遍路ころがし」の超越〜焼山寺遍路ころがし3
 
 16番観音寺まで急ぎで
 国分寺を出発したのは、午後4時10分でした。
 
 
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 1.8キロ先の16番観音寺まで向かいますが、5時の納経の時間に間に合うには急がなければなりません。
 
 「今日中に観音寺にお参りしないと、明日はすごい強行軍になるから頑張るぞ!」と、孫を激励しましが、孫の顔には高揚感は感じられません。
 12番焼山寺の遍路ころがしを大人並みに歩いたので、今日も予定通り歩いてくれると計算したのですが、ちょっと甘かったようです。
 今日はできれば17番までを予定したのですが、とても無理です。
 せめて16番まで回らないと、明日以後の数日間の宿をキャンセルしなくてはなりません。リーダーのじいちゃんとしては気がもめるところでした。
 
 とにかく急がせなければなりません。
 「お前はマラソン大会で上位に入っているんだから頑張れるさ」と、プライドをくすぐると、案の定ペースが速くなりました。
 途中で4車線の広い道を横断して、田園の道や住宅街をひたすら歩きます。
 孫もしっかりと付いて来ます。見通しがだいぶ明るくなりました。
 「偉いぞ。この調子なら20分ちょっとで着きそうだな」と声をかけてやります。すると、ますますペースが上がりました。この褒め言葉が肝心なんだと、実感したじいちゃんでした。
 
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 16番観音寺までの間にある歴史施設を孫に話
 歩きのペースが上がったところで、孫の好きな歴史の話をしてやりました。 
―― 15番国分寺から16番観音寺まで向かう徳島市国府町は、古代の徳島の中心地だったので、遺跡なんかがたくさんあるんだ。
 国分寺と観音寺の間には、徳島市の歴史施設が2か所あるんだよ。
 「阿波史跡公園」と「考古資料館」だ。
 おじいちゃんが3回目に来たときには、時間にゆとりがあったので寄ってみたんだ。 
 阿波史跡公園では、春なのにまるでの夏の始めのような涼しい風が吹いていて、そんな中で食べたお弁当は最高にうまかったな。
 阿波史跡公園には、縄文式の住居が復元されているんだ。
 
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 「考古資料館」は、縄文〜平安時代の資料約700点が展示されているんだ。
 入場は無料で、お茶なんかのサービスもあって、何人かのお遍路さんが休憩したいたよ。
 
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「今日は時間がないので寄ることはできなんだけれど、いつかまた来たときには寄るといいよ」と言うと、「見たかったな〜」と残念そうな顔をしていました。
 
 16番観音寺を打つ
  こんな話をしながら急ぎ足で歩いていくと、16番観音寺が近づきました。 
 
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 4時32分に16番観音寺に到着しました。やれやれです。
 頭を撫でようとしたら、手で遮りました。もうそんな子供じゃないぞ、と言うことでしょうか…。
           
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 門を見上げて孫は「立派な門だね」と言いました。
 ここの山門は、和様重層の堂々とした門です。
 「山門の両側を見てごらん。どこか他のお寺と違ったところはないか?」と、質問すると、ろくに考えもしないで「わかんない」と答えました。こういうところが、じいちゃんの気に食わないところなのです。
 「そんなに簡単に、わかんないなんて言うなよ! もう一回よく見ろよ」
 じいちゃんの口調がちょっと厳しくなりました。
 「あっ、わかった。石の柱がたくさん立っていることでしょう?」
 「石の柱が塀の代わりになっているんだ」
 「この柱は、お寺に寄付した人の名前と金額が書いてあるんだよ」
 「ここには大正時代のものがあるだろう。ちょうどひいおじいちゃんが生まれたころだよ。こっちは平成14年というのもあるよ。お前が生まれた年だ」
 などと言いながら、信者の根強い信仰に支えられて来たことを語って聞かせました。
 
 観音寺は狭い道路を挟んで商店街に面したこじんまりとした親しみやすいお寺です。古い街並みに溶け込んでいる感じです。以前来たときには、地元の人も何人かお参りしていたり、子供たちが遊んでいました。 
 
 さて、礼拝です。巡拝者は、時間が時間だけに、私と孫だけでした。
 本堂はすっかりと新しくなっていました。
 
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   新しくなった観音寺の本堂
 
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                      大師堂
 
   5時の納経に間に合わせるように、少し急いで礼拝を済ませました。
 
 夜泣き地蔵と仏足跡と炎に包まれた女人の絵
 夜泣き地蔵
 納経が終わってから、大師堂のそばにある「夜泣き地蔵」に手を合わせました。
 「お前は赤ちゃんの時にずいぶん夜泣きしたんだってな〜。だから今でも自分を主張するときに泣くんだろうな」と、ちょっとからかいました(´∀`) 。
 「もう子供じゃないんだから、正々堂々と自己主張しなくちゃな」と、わたしに言われた孫は苦笑いを浮かべました。
 
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                       大師堂の脇にある「夜泣き地蔵」
 
 仏足跡イメージ 3
 本堂で2つ見せたいものがあると言って、もう一度本堂に連れて行きました。
 本堂前には、真新しい仏足跡があります。「これはお釈迦さまの左足の跡で『仏足跡』というんだよ。2番極楽寺にはもっと大きなのがあっただろう」
 「普通は『仏足』って言うんだけれど、ここのは『仏足』と書いてあるね
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 炎に包まれた女人の絵
イメージ 4本堂に向かって、「右上に絵が見えるだろう。薄暗くてはっきり見えないが、あれは炎に包まれた女の人を描いた絵なんだよ」
「この絵にはちょっと怖い話があるんだ」と言って、エピソードを話してやりました。
―― その昔、淡路島から訪れた6人連れがこの寺で雨宿りをし、雨に濡れた白衣を焚き火で乾かしていた。ところが、一人の女性の白衣に火が燃え移って大やけどを負った。  実はこの女性は姑との仲が悪く、姑を柱に縛り付けて、燃えた薪で叩いて虐めていたという。しかし、この日のやけどを弘法大師の戒めだと悟り、深く反省をして、の絵を奉納したといわれている。
 
「この話を聞いてお前はどう思った」と訊くわたしに、
「別に何も思わないよ」と孫は答えました。これには、腹が立ちました。
「ふざけんじゃないよ! お前はそんなにバカじゃないだろう!!」と、向きになって怒鳴るじいちゃんを見て、孫の様子が変わりました。
「悪いことをすると、必ずいつかは罰が当たるということでしょう。僕はそのことは前からわかっていたんだよ」
「なぜ始めからそう答えないんだ。おじいちゃんに反抗したな。まあわかっているんだな。このことはいつも忘れるなよ」と、孫に愛情を注ぐあまり、またまた生真面目ぶりを発揮していました。
現実社会では、因果応報とは矛盾したことがまかり通っていることも少なくないのは残念ですが、必ず何らかの形で報いを受けると思っています。
 
こうして、孫と旅しているといろいろなことを考えさせられます。
と言うより、孫を通じて考えさせられることがいっぱいあります。
ぜひ、じいちゃんと孫の遍路をやってみてはいかがでしょうか。
二人で失敗しながら、試行錯誤しながらの遍路旅はすばらしいものになるでしょう。
 私のように何度か経験した者でないからこそ、お孫さんと濃密な人間関係が築ける『じじ孫遍路』が楽しめるのではないでしょうか。
 ぜひお勧めします。
 
これで、4日目の遍路は終了です。
予定通りいかなかったが、孫は今日もよくがんばったな〜と、心の中では強く感じていました。
安堵と充実感で、今日の宿「うろこ楼」へ向かいます。

国分寺の桃山様式大庭園

 十五番国分寺には、安土桃山時代の様式の大庭園があります。
 一般公開はしていませんが、あらかじめ予約すれば許可してくれるということなので、3回目の遍路の時には本に書きたいのでぜひ見せてほしいと頼んで見学させてもらいました。
 まさか、孫が歴史に関心を持っているとは知らなかったので、今回は申し込みはしませんでした。ぜひ孫にも見せてやりたかったなあと、残念でした。
 孫には後でブログで紹介するから見なさいと話しました。
 皆様にも、3回目遍路の時に撮影した写真で紹介します。 
 
 ―― 巨大な石を組み合わせて作られていて、思わず〈すごい〉と、声を出したくなるほど勇壮です。
 たいていの石は、私の身長よりも大きいものです。
 
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 ただ調査中ということで所々にブルーシートで覆われていて、工事中のようにも見えるのが残念でした。
 
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人間がくぐれるほどの大石です。
 
  
 部分的ですが、少しずつ修復も進められているようでした。
 
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  川の流をイメージした枯山水です。
 急流がしだいにゆるやかになり大海にそそがれる様をイメージしていますが、力強い活き活きしたものが伝わってきます。
 
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 よく京都の寺で目にした庭の造りと同じですが、勇壮でスケールの大きさを感じさせてくれます。
 今は、まだ荒廃していますが、復元されれば歴史的価値の高い庭になるだろう、ことは間違いありません。
  
 孫にはこの写真を見せて説明してあげようと思います。
 将来は、復元された庭を一緒に眺めたいものです。
                
孫と爺ちゃんの四国歩き遍路前回までの記事記事は題目をクリックしてご覧ください
 17、孫に大きな財産になった「焼山寺遍路ころがし」の超越〜焼山寺遍路ころがし3

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