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十五番国分寺で、孫が納経所へ行っている間、こんなことを考えていました。
―― 今度の遍路では、孫をとにかく無事歩かせようということに注がれているが、次はお互い余裕をもってやってゆこう。
いつかは、「じいちゃんが孫をリードする遍路」でなく、二人の人間として遍路やってみたいな〜と思う。そしてお互いに夢と人生を語りたいな〜。
その時には、二人で石鎚山へも登りたい。
石鎚山 (2004年撮影)
孫に「おじいちゃん 遍路に行こう!」と誘われて遍路をしてみたいな。
文字通り「孫とじいちゃんの四国歩き遍路」をしてみたい。
孫がじいちゃんの面倒をみようとするとき、「まだまだ大丈夫だ!」と、我を張る時期があるだろう。それは80歳のころかな?、いや、90歳ごろだといいな。
エベレストを80歳で登ろうと目指している三浦雄一郎さんを思えばなんということはないさ。
今度の遍路で、焼山寺の山道を、一時、88歳の老遍路と私と孫の3人で上った。
俄然、目標ができた。
やがて90才を過ぎたころには、「じいちゃんと孫の遍路」じゃなく、
孫に気を遣ってもらう文字通り「孫とじいちゃんの遍路」になるかも知れないな〜。
100歳まで歩き遍路ができたらいいな〜。
その時、一緒に行ってくれる孫がいなくなったら、ひ孫を誘えばいいや。
それが私の夢だ。
2007年に訪れたエベレストのベースキャンプのことも思い浮かんだ。
その時は、、三浦雄一郎さんを思いながら、エベレストの峰を2時間ほどゆっくりと眺めていた。
当日は、素晴らしい笠雲がかかり、こんなエベレストはめったに見られないと、現地ガイドからおほめをいただいた。
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爺ちゃんが孫に震災を語る歩き遍路
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番外霊場慈眼寺を通り十五番国分寺へ
この一帯は、奈良時代に国司庁が置かれて、阿波の政治、宗教、文化の中心として栄えてきたところです、13番大日寺から17番井戸寺まで、6キロの間に五つの寺が並んで居ます。
常楽寺を出て、お寺のある丘の脇道を300mほど歩くと、番外霊場の慈眼寺に差し掛かりました。予定時間を大分オーバーしているし、孫の足取りもかなり重いので、「手を合わせて、写真を撮って、すぐに追いつくから…」と言って、先に行かせました。
番外霊場慈眼寺(14番常楽寺奥の院)
お堂に祀られている本尊の十面観世音菩薩に手を合わせて、すぐに孫の後を追いました。
ここから広い車道へ出ると、目指す国分寺の高い本堂が見えてきました。
孫に「おい! 次のお寺が見えてきたぞ!」と、励ましの声をかけても反応が返って来ません。かなり疲れているんだな〜と、察しがつきます。ただ、ここで優しそうな言葉をかけると、却って気力をなくすので、こちらも素知らぬ顔で歩きを進めます。
十五番国分寺
十五番国分寺に到着したのは、3時45分です。
山門
どっしりとした瓦葺の山門が迎えてくれました。
風格ある山門の「薬王山」の扁額が鮮やかです。
門の右側に台石の上に立つ大きな石碑があり、「聖武天皇勅願所」の文字が彫られています。
本堂と鐘楼に関心を示した孫
門を入ると、正面奥にに本堂が目に入ってきました。その手前には鐘楼もあります。
孫は本堂を指さして、「変わった形だね」と関心を示しました。子供は目ざといですね。侮れないな〜と、認識しました。。
「ああいう建物を重層入母屋造りって言うんだよ。重層というのは、二つの層があるということなんだよ。層と言うのは、一階、二階の階みたいなものだよ。まあ〜、二階建てみたいなものだな」と言うと、
「それじゃ五重の塔は、五層って言うの?」と、切り込んできます。
ですから、わかってもわからなくても、きちんと教えました。その時に意味が分からなくても、後になって理解できた経験が自分にもあるからです。
礎石にも目をとめた孫
次に孫が目にとめたのは、山門の近くに置かれている礎石でした。
案の定、「この石は何?」と、訊いてきました。やっぱり、歴史が好きだと言っているだけあって、観察が鋭いようです。前回の遍路時、私も関心があったので、帰宅後ちょっと調べてみたのです。
「この石は七重の塔の中心になった柱(心柱)の基礎になった石だよ。『心礎』と言うんだよ」と答えてやりました。
境内には、この「心礎」以外にも、大師堂の礎石が残されています。
大師堂の礎石
現在の大師堂は、少し離れたところに仮再建されています。
古い大師堂の礎石のそばへ来たとき、
孫が「おじいちゃん この石の上にリュックを置いていていい?」と、ちょっと返答に困ることを訊きました。
確かにこれらの石は、腰を下ろしたり荷物を置いたりするのに都合のよい形をしています。
「この石は、奈良時代の建物の基礎になっていた石なんだよ。貴重なものなんだよ」
「だけど、この石の上にたくさんの人が靴で上がっている位だから、いいとも思うよ」と、歯切れの悪い返事をしました。 孫はリュックを置いた後すぐに、鐘楼に目を向けました。
これまでのお寺では、鐘を撞こうとしたら、お参りの後で撞くのは戻り鐘と言って縁起が悪いと私に言われたり、せっかく礼拝の前に気づくと、「撞かないでください」と書いてあったりして、、撞くことができなかったのです。
「おじいちゃん。鐘撞こうよ!」
「そうだな、今まで撞けなかったからな。撞けるといいな」と言いながら、じいちゃんも勇んで向かいました。
幸い撞くことができました。
音のトーンは重くも軽くもなく中程度でしたが、グオン、グオン…と言うような余韻のバイブレーションが独特でした。初めて聞く鐘の音は、孫の心にどのように響いたでしょうか。
この鐘楼の造りはすごく立派なものでした。
木彫りの獅子や龍の彫刻が施されています。
屋根は瓦葺で鯱などものっています。
孫と爺ちゃんの四国歩き遍路前回までの記事(記事は題目をクリックしてご覧ください)
17、孫に大きな財産になった「焼山寺遍路ころがし」の超越〜焼山寺遍路ころがし3
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3時10分ごろ14番常楽寺へ到着しました。
不機嫌そうに山門の石柱に寄りかかっています。大分疲れているようです。
常楽寺は小高い丘の上にあります。
寺も階段も自然の大岩の上に建てられ、作られています。
この岩は、まるで急流のようで、「流水岩」と呼ばれています。
孫を先に立たせました。杖を引きずるようにして石段を上っています。
参道や境内にむき出しになった流水岩に驚いたようでした。
「おじいちゃん また滑らないように気を付けてよ!」と、振り返える孫に、
「生意気言うんじゃないよ。お前こそ気をつけろ〜」と、言葉を返したとたん、
こちらに気を取られた孫は、ずる〜っと滑って尻もちをつきました。
「ほうら、やっぱりな〜。お前は疲れているから危ないと思っていたんだ。これで、お相子だな」と言いながら、笑い合いました。
実は焼山寺へ向かう「遍路ころがし」の下りで、私が雪で滑って大尻もちを着いたことがあったのです。
自分一人で納経所へ出向く孫
3番金泉寺からは、孫一人で納経所へ行かせています。
(1番霊山寺で納経の仕方を教え、2番極楽寺ではそばで見ていました)
孫に「自分のための遍路」であることを意識させるためです。
そのため今回は、私自身はあえて納経帳にご朱印をいただかないことにしていました。私の場合、気力と体力さえ維持していれば、これから何度でもチャンスがあります。
逆打ちよりも孫との遍路の方がずっと価値がある
次は、また1番からやり直せばよいことです。
それと 、今回はできなかった逆打ちをやってみよう、という楽しみな目標も残されました。
うるう年に逆打ちをすると、より一層ご利益があると言われているので、今回は絶好のチャンスではあったのです。
しかし、二人で回ることの方が、孫のためにも、私にとってもずっと価値がある―― と、もちろん確信しています。プラス思考で考えています。
気になる木・あららぎの霊木
孫が納経所へ行っている時が、私にとってはゴールデンタイムです。
境内の写真を撮ったり、メモしたりします。
常楽寺には気になる木があります。
その木は、弘法大師が糖尿病に苦しむ老人に煎じて飲ませたと伝わる檪(くぬぎ)の木で、「あららぎの霊木」と呼ばれています。
その木の二股には、「あららぎ大師」と言われる小さな弘法大師像が安置されているのです。
ありました! 本堂と大師堂の間にしっかりとありました。
「あららぎの霊木」はすっかり出世?して、その前に社が建てられ、周囲を柵で囲まれていました。以前は、お遍路さんからあまり顧みられることなく、境内にひっそりと佇んでいたのです。
懐かしい思いで対面しました。
ひそやかに佇む「あららぎ大師」
孫が戻ってきたときに話してやると、関心を示て見上げていました。
それよりも、もっと関心があるのは、
「次のお寺まで何キロあるの?」ということでした。
「十五番国分寺までは、800mだよ」と言うと、「え〜! 1キロないの!? 今までで一番短いね!」と、おどろきと喜びの声を上げました。
この子は、喜怒哀楽がはっきりしているな〜。泣いたり喜んだり。
でも子供らしいということか…。内にこもる子は却って何をやらかすかわからないからなぁ〜と、妙な気分で自分を納得させているじいちゃんでした。
孫と爺ちゃんの四国歩き遍路前回までの記事(記事は題目をクリックしてご覧ください)
17、孫に大きな財産になった「焼山寺遍路ころがし」の超越〜焼山寺遍路ころがし3
みなさん!
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13番大日寺で出会った父子遍路
孫にとっては結構大変な歩きだったかもしれません。
大分疲れた表情です。2寺過ぎ、13番大日寺に着きました。
山門で写真を撮ろうとしましたが、「いいよ」とお断りです。
ここは、平地に建つこじんまりとしたお寺です。
10段足らずの師団を上って、山門を入るとすぐ前に本堂があります。
本堂
この時間になると、お遍路さんの数は少なく、比較的ゆったりと参拝できました。 孫は慣れてきたせいか、ローソクや線香に火を点けたがります。
ローソクと着火マンを渡すと、二人分点けて私にも渡します。
大師堂 我々が大師堂での読経が済むと、父子連れのお遍路さんがやってきました。
子どもは、学年を訊くと小学3年生でした。
孫よりも、1歳下です。
この父子は徳島県の人で、車遍路と歩き遍路を織り交ぜています。
歩きのときは、お母さんに最寄りの場所まで送ってもらって、そこから父子で歩くのだそうです。そして最後に、また迎えに来てもらうとのことです。
地元の人ならではの方法ですね。なかなか、良い方法だと感心しました。
現在小学五年生になるお姉ちゃんもこの方法で八十八ヶ所回ったのだそうです。
目的は? とお父さんに質問すると―― 自分も親に連れてこられたのですが、情操教育には良いと思っているので受け継いでいます、と語ってくれました。
今回の遍路で子どものお遍路さんと出会うのは3度目です。
前回の時には八十八ヶ所回って、子供遍路と出会ったのは3度でした。それに比べると、まだ13ケ寺で3回目は多いようです。
遍路が子供にとってすばらしい影響をもたらすことが認識されてきたのでしょうか。
―― 実は、内の孫を遍路に誘う時、子供遍路の様子を書いた記事「ちびっ子遍路 〜次世代へ引きつがれるお遍路の心〜 」を見せたところ、とても刺激を受けたのです。そして、自分も行ってみようという気になったのでした。
新聞の切り抜きをお接待してくれたおばあちゃん
大日寺の東角を左に曲がると、おばあちゃんが小さなお店の中から走り出てきて、
「新聞に載っていた人たちかね?」と、声をかけました。
やっぱりここでも、「よく歩いているね〜。えらいね〜」と褒められました。
こうした励ましが、孫の元気を生むようです。
少し立ち話をしてから、「ちょっと待っててな」と言って、飲み物と新聞の切り抜きを持ってきてくれました。
そして、丁寧に道を教えてくれました。
「さ〜て、14番常楽寺まで、2.3キロだ。がんばるぞ!」と、
孫も元気を取り戻しました。
1キロほど鮎喰川沿いの道を歩くと、一の宮橋にさしかかりました。
鮎喰川に掛かる一の宮橋を渡ります
一の宮橋を渡って、くにゃくにゃした緩やかな坂道を上って、14番常楽寺へ向かいます。
歩きながら、 「次の常楽寺は、でこぼこした自然の大きな岩の上にそのまま建っているんだよ。その岩は流水岩と呼ばれているんだ」 と説明してやっていると、うっかりして、左へ行くべきところを右に曲がってしまいました。すぐに気づきましたが、
話に夢中になると小さな遍路マークを見落とすことがあるので要注意です。
孫と爺ちゃんの四国歩き遍路前回までの記事(記事は題目をクリックしてご覧ください)
17、孫に大きな財産になった「焼山寺遍路ころがし」の超越〜焼山寺遍路ころがし3
みなさん!
毎日、孫へのたくさんの応援や励ましのコメントありがとうございます |
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広野郵便局から200mほどの地点にある河野橋を渡って、対岸を走る県道21号へ出ました。鮎喰川を左手に見ながら歩みを進めます。。
トラックや乗用車がひっきりなしに通り、トラックに笠があおられます。
山道では孫を先に歩かせますが、一般道では孫を守ってじいちゃんが先に歩きます。平地では、歩く速度がわたしの方が大分速いので、孫のスピードに合わせるのに苦労します。うっかりすると、10mほど差がついてしまいます。
橋を渡って1キロほど歩くと、前方にゆっくりゆっくりと歩いている人が見えます。近づいてみると、昨日12番焼山寺で別れた大阪の榎本さんでした。焼山寺からの下りで足を痛めたとのことでした。
「どうぞお先に」と言う榎本さんに、
「くれぐれも無理をなさらずに、様子を見て判断してくださいね。またの機会もあるのですから…。ではお気をつけて」と、わたしが言うと、孫も「お気をつけて」と言ったので、ちょっとおかしくなりました。中々、おしゃまなのです。
私は、彼が無事に結願できる幸運に恵まれることを心から祈りました。
お茶のお接待
一向に見当たりません。
やむを得ず、行者野バス停のベンチに腰を下ろしておにぎりを食べ始めました。
すると、向かいの家のおばあちゃんがお茶を運んできてくれました。
「終わったらここに置いていっていいからね」と言って、家に戻っていきました。
みかんを食べ終えてから孫の足元を見ると、小さな皮が何個か落ちています。
「お世話になったバス停なんだからきれいにしようや」と声をかけると、すぐに拾いはじめて、ほかのごみも拾いました。この子は、公衆道徳は割合守る方だと以前から思っていました。2年生の夏休みに我が家に来たとき、朝の散歩のとき、歩きながらゴミ拾いをしていました。どこで教わったのか、「環境問題だからね」と、大人のようなことを言っていたのを、じいちゃんはよく覚えています。
湯飲み茶わんと急須を返しに行くと、出かけたらしく、留守でしたので、お札を添えておくと、私を見習って(まねをして?)自分のお札も置きました。この子は一人前にみられることが好きなんだなと、また気づきました。
ここから3キロほど歩くと、「おやすみなし亭」という休憩所の看板が見えてきました。
あと2キロほどで大日寺なので素通りしようと思いましたが、好奇心の強いじいちゃんと、休みたい孫の気持ちが一致して、入ってみることにしました。
セルフのホットコーヒー、お菓子、みかん、水等があり、大変ありがたいお接待でした。「おじいちゃん 入ってよかったね」と言う孫に、「うん」と返事はしたものの、予定の遅れが気になるじいちゃんでした。
予定していた十七番井戸寺まではおそらく無理だろうと、思いました。
この辺りから、孫の足取りが急に遅くなってきました。
ややもすると遅れがちです。
「あとナノカ(七日)、あとナノカ〜」と、口に出しながら、後ろから付いてきます。
孫なりに自分を励ましているのでしょう。
孫の場合、あと7日で辛さから解放されるというよりも、「あと7日で家族に会える」という気持ちが強かったようです。
梁田橋を過ぎました。間もなく大日寺です。
この時がよみがえってきます。
パソコンに向かっている今、目頭が熱くなってしまいます。
「がんばれ 諒! あと500mで大日寺だ」
と、思わず心で叫んでいるじいちゃんです。
孫と爺ちゃんの四国歩き遍路 前回までの記事(記事は題目をクリックしてご覧ください)
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