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3度目の遍路では、鮎食川の桜がきれいでした
今年はまだ咲いていませんでした
[遍路4日目]
孫がひとりでおにぎり頼んだ?
相変わらず朝食の進みが悪いのです。
切り上げて立ち上がろうとしたところへ、宿のおばちゃんが 「はい! 頼まれたおにぎり」と言って、孫に包みを渡しました。
孫は、「ありがとうございます」と言って受け取りました。
じいちゃんは、〈おやっ! いつ頼んだのだろう。私に無断で頼むのはよくないな〉と思いましたが、おばちゃんがお接待の気持ちで提案したものかもしれないので、
後から事情を訊こうと思い、咎めたりしないでそのまま出発しました。
もしも自ら頼んだのであれば、独断はよくないが、子供ながらあっぱれな面もあると思いました。
2度の山越え
今日は、孫にとっては今までで一番距離の長い歩きになりそうです。
なべいわ荘から13番大日寺までだけでも、21.3キロあります。
宿のうろこ楼までは、約24キロです。
大日寺までは舗装道路だけでも行けますが、オーソドックスな山の遍路道を選びました。距離的にはやや短いのですが、山を越えが2度あるけこう大変な道です。
なべいわ荘から300mほど戻って、「大日寺」と書いてある道しるべを見て右折しました。
200mほど歩いてから、地図では点線なのにアスファルト道路なのでちょっと不安になりました。
「間違った道だと困るから戻って確認しよう」と孫に言うと、納得顔で引き返しました。以前だったら、きっと不満顔をしたかもしれません。
これもお遍路の効果かなと思いました。
標識で確認すると、当たっていました。
この道に入るときにも、無造作に入ったわけではなく、一応標識を見たはずなのに、少し経つと確信が持てなくなるのです。
孫には言いませんが、じいちゃんは自分の記憶力の衰えにまた認識させられてしまいました。
孫もそれを認識しているからこそ、不満顔をしなかったのかな?
玉ヶ峠まで
500mほど歩くと、玉ヶ峠までの険しい山道に入りました。
ここから玉ケ峠までの1.5キロほどの道は結構きつい上りなのです。
登り始めた途端、3度目の遍路でここを上った時のことを思い出しました。 ―― 既に午後4時過ぎで、誰一人として出会うことはありませんでした。道を間違えて再び焼山寺の山中に向かっているのではないかという不安を感じて、孤独感にさいなまれながら上っていました。
孫は元気よく登り始めました。
焼山寺越えで自信をつけたに違いありませんせん。
遍路に気持ちが向いてきたな〜と感じて、うれしくなるじいちゃんでした。
「最初から飛ばすと、午後からバテが来るぞ!」と声をかけても、耳を傾けません。
まあ〜、バテるのを体で経験させるのもいいだろうと思い、孫に任せました。
今度の遍路の主役は孫なのです。 そこを認識しなくっちゃ〜。
じいちゃんは登り始めて30分ほどで「大」を催してきました。
「オーイ、諒!」と叫んでも、孫はもう聞こえない先まで行っているようです。
連絡できないまま、実行に及びました。
そこは、子供のころに時々「野〇〇」をしていたじいちゃんならではのことです。
ますます差がついたので孫のことがちょっと気になりました。
用を済ませて、そこから10分ほど上ったところで、孫は腰を下ろして待っていました。それから30分後、宿を出て1時間少々で玉ヶ峠へ到着しました。
玉ヶ峠にはたくさんの石仏があり、庵もありました。
「朝ご飯をろくに食べていないんだから、ここでおにぎりを食べな」と声をかけると、
「まだお腹が空いていないよ」と、素直に言うことを聞きません。
こんな抵抗をやすやすと受け入れるじいちゃんではありません。
この子の行動基準は、典型的な「やりたいことをやり、やりたくないことはやらない」タイプなのです。そのため、じいちゃんから、「やりたいやりたくない」ではなく、「やらなければならないことは何かを考えて行動しろ」と、いつも言われています。
そのことを言うと、しぶしぶ食べ始めました。
上村旅館まで
玉ヶ峠から上村旅館までは比較的平坦な舗装道路です。
やれやれです。心地よい朝の歩きが20分ほど続きます。
眼下に鮎食川と集落が見えます。
孫は「ずいぶん高くまで登ってきたんだね」と、感心したように眺めていました。
途中にある鏡大師では、立ち止まって手を合わせました。
宿を出て2時間半で、懐かしい植村旅館です。8年前には、古い建物だったのですが、数年前に新築したのです。
写真だけ撮って橋を渡って、山道へ入りました。
30分ほどで鮎食川のほとりへ出ました。
満開の菜の花が見とれるほどきれいでした。
鮎食川のせせらぎ 橋を渡って駒坂東で再び舗装道路へ出ました。
ここから2キロ弱のところに広野郵便局があるので、お金を下ろすことにしました。 孫に話すと「、郵便局に寄るんだったら、家族に手紙を出したい」と言います。
「それはいいことだな。それにお遍路の記念にもなるしな。それじゃはがきを買おう」と言うと、手紙にしたいと言う。
「手紙だと、便せんや封筒も買わなければならないし、1回しか使わないんだったらもったいないよ。残ったらそれを持ち歩かなければならないんだよ」と言って、はがきにさせました。はがきを買うと、今度はここで書きたいと言い出しました。
どこまで自分の要求ばかり通そうとするやつだと、腹立たしくなりましたが、ここで休憩するのも悪くないかと考え直して、「10分くらいで書けよ」と、了承しました。
〈要求をつぶし過ぎると、やる気や積極性がなくなるしな〜。通し過ぎるとわがままを増長させるしな〜〉と、対応に苦慮するじいちゃんでした。
実は、このお遍路は孫のわがままを少しでも治すことも目的の一つだったのです。
:届いたはがきを見て父親は、〈なんだ〜、みんな平仮名か?〉と思ったそうです。 それを聞いて私もちょっとがっかりしたのですが、5歳の妹が平仮名が読めるので、妹のためにわざわざ平仮名で書いたのかもしれません。
宛名に家族全員の名前を書きましたので、意識的に平仮名で書いたのだと、今は思っています。それならば、妹思いの良いお兄ちゃんだと思いたいですね。
シルクロード・河西回廊の見とれるような菜の花畑 孫と爺ちゃんの四国歩き遍路前回までの記事(記事は題目をクリックしてご覧ください)
17、孫に大きな財産になった「焼山寺遍路ころがし」の超越〜焼山寺遍路ころがし3
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爺ちゃんが孫に震災を語る歩き遍路
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うれし泣きしながら家族へ報告
玄関と山荘風の室内
部屋へ入るとすぐ息子宅に電話をかけました。
無事難関を突破したことを話して、すぐに孫に替わりました。
孫は電話に出ると、感極まったように泣きながら母親に話していました。
よほどうれしかったのでしょう。
洗濯機を動かしながら、二人でお風呂に入りました。
並んでお風呂に入っていると、言わず語らずでも相手の気持ちが伝わるような気がしました。
風呂の後、孫は食堂で宿のおばさんと話をしていました。
いろいろな人に話を聞いてもらうことがうれしそうでした。 多くの大人から話を聞くことができるのは、とてもいいことではないかと思います。
今晩も食事はあまり食べませんでした。
こんなにおいしい食事でした
いつも家では洋食っぽいものが多いので、口に慣れないこともあるのでしょうが、
じいちゃんにはわがままに思えて、食事のたびにやきもきさせられるところでした。
残すと、作った人に申し訳ないし、もったいないので、じいちゃんが代わりに食べました。 ですから、体重はさっぱり減りませんでした(笑)
宿での反省会開始
3日目からの課題は、夕食後反省会をすることでした。
孫の感想と反省
①悔いなくできた。泣かずに歩けたのでよかった。
②頑張れたから、宿についてなるべく早く電話したかった。
③山でじいちゃんよりも先に歩けたことで自信がついた。
④つらかったけど、思い出ができた。
⑤山はがんばることができたから、今日はすごく良い日だった。
⑥ママ以外の人から優しくしてもらったことで、家族の大切さをより一層感じた。
⑦じいちゃんにしっかりと話を聞いてもらってうれしかった。
これまでは、一日をじっくりと振り返る余裕が、孫だけでなく私にもなかったことに気付きました。
これからもできるだけ毎日、一日を振り返る時間を持とうと思いました。
これで、3日目終了です。
8年前の4月6日 、この近辺は桜が満開でした。
孫と爺ちゃんの四国歩き遍路前回までの記事(記事は題目をクリックしてご覧ください)
17.
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四国遍路の元祖衛門三郎終焉の地・杖杉庵へ
焼山寺から杖杉庵へ向かう道は、こんもりとした木々に囲まれた歩きやすい、気持ちの良い山道です。
孫を無事焼山寺遍路ころがしを乗り切らせたことで、じいちゃんは、大分肩の荷が下りた気分で坂を下ります。
歩きながら、四国遍路の元祖と言われる衛門三郎の話を、ポツリポツリと話して聞かせました。
残念ですが、あまり関心はないようです。
それでも、お義理で聞いていました。
彼の関心事はもっぱら、「どれくらいでなべいわ荘に着くの?」ということでした。
話の中で関心を示したのは、弘法大師にいじわるな仕打ちをした衛門三郎の8人の子どもたちが、次々に死んでいったことでした。
そのことについては、「欲ばりで、ひどいことばかりしていたって、いくらなんでも8人の子供をみんな死なせるのは、弘法大師もやり過ぎじゃないの!?」と、不満顔でした。
実は、弘法大師には深いお考えがあってなさったことだと、教えたかったのですが、この年齢ではわからないと思ったので、「もっと大人になって、このことに関心を持っていたら教えてやるよ」と言って、幕を引きました。
衛門三郎についての詳細は、過去記事 「四国遍路のいわれを知ろう」 「杖杉庵で遍路の元祖衛門三郎を哀れむ 」を クリックしてご覧ください。
山道から舗装道路にはいると、杖杉庵の前に立っている大杉が見えてきました。
8年ぶり4回目のご対面です。
もう おじいちゃんの木なので、孫のように日々変わることはありませんね。
それだけにどっしりとした貫録を感じます。
杖杉庵の前に立つ大杉
大師が三郎の死んだ後、持っていた杖を墓標として立てると、杖から目が出て大杉に育ったと言われています。
庵のそばには、ひざまづく衛門三郎と、その左手に小石を握らせる大師との再会シーンが再現された像があります。
私は、いつも哀れを催して感慨深く見つめるのですが、
孫に、「写真とってやろうか?」と訊くと、即座に「いいよ」と断りました。
このシーンは、子供の目には不気味に見えるのかもしれませんね。
なべいわ荘へ
「おじいちゃん早くなべいわ荘に行こう!」と、孫は急かせます。
それにつられるように、数分で杖杉庵をあとにしました。
間もなく山の梅畑に入ります。まるで、「長い梅の木トンネル」です。
「この木にみんな実が付いたらすごい数だね」と、
おじいちゃんには想像もしない発想をするものですね。
こんなことで、子供は気分転換するのだなと、思わずくすりと笑いました。。
体は疲れていますが、心地よい歩きです。
やがて杉に囲まれた山道と入りました。
足取りが重いせいか、予想以上に時間がかかっています。
孫は、「おじいちゃん なかなか着かないね〜」と苛立ち顔です。
「おじいちゃんのせいじゃないんだから…、とにかく急ぐしかないよ!」と、じいちゃんもやや苛立ち声です。
杉木立の木漏れ日は、夕方の雰囲気です。
意気消沈の状態で、二人は黙々と歩きました。
それでも、孫は泣きません。 昨日までの孫はどこへ行ったのでしょうか!?
昨日まであんなに泣いていたのに、一日でがらりと強くなれるのだろうか、変われるのだろうか、単純に割り切れるものだろうか?……と、じいちゃんは逆に心配にもなっていました。
現に、杖をずるずる引きずっています。
自分を押さえて心の中で葛藤しているのかもしれない、とも思いました。
でも、この子は心の中を口にする子なので心配はいらないと、割り切りました。
ですから、「杖はお大師さんなんだから、引きずるんだったら持ちなさい」と、きちんと注意しました。
やっと舗装道路に出ました。
地図で確認すると、あと1キロ弱でした。
気分だけは元気になりましたが、結局30分も掛かって到着。
思わず二人で「やった〜」の声を上げました。
そしてじいちゃんは『よくやった。がんばったな〜』と、精一杯褒めました。
「弘法大師にお礼を言おう」と声をかけると、
私の真似をして、杖を横にして両手で顔の位置まで捧げ、深々と礼をしました。
それを見ていると、目頭が熱くなりました。
このことだけでも、今日の山越えの苦労が報われた気持ちになりました。
そして、宿の前の杖洗い場に着くと、教えられなくても杖を洗いました。
1日二人で焼山寺を歩くことができたことに感謝の気持ちがわきました。
感謝の気持ちは、まことにさわやかです。
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感動と感謝に包まれた焼山寺境内〜孫は何を思ったのだろうか?
堂堂たる山門の前に立つと、”よく来たな、待っていたぞ”と歓迎してくれているように感じました。
一礼して山門内に入ると、びしりと気持ちが引き締まりました。
山門は、外なる遍路道から、内なる祈りの世界への心の切り替え場所です。
これが私にとっては、心地よいめりはりになっています。
古杉の巨木に囲まれた境内の道をゆっくりと歩んでいくと、感動と感謝の気持ちが次第しだいに湧いてくるのを感じました。
以前の3回の遍路の時には、達成感と、それからの遍路旅への自信と安心感のようなものが、ほとばしるように感じられたものでした。
今回は気負いが少なくなり、自然体になったのかも知れませんね。
手前は本堂 向こう側が大師堂 どこか幽玄さが漂います
孫はどう感じたのでしょうか?―― 。
単純にうれしさ一杯だったに違いありません。
それでいい、それでいい…。
成長してから、この焼山寺遍路ころがしの意味を考えるようになったとき、初めて何かの感慨が浮かぶことでしょう。
そのようになった時、二人で酒を酌み交わしながら、語り合ってみたいものです。
これを書いている今、孫が自分の孫を連れて遍路している姿が浮かびました。
今回と同じように、やっぱり菜の花一杯の遍路道を歩いていました。
思わず目頭が熱くなり、しばしキーボードから手を離して思いにふけりました。
二つの出会い
本堂近くの境内に入ると、一眼レフカメラを慣れた手つきで取り扱っている男性が近づいてきて、
「写真を撮らせていただいてよいでしょうか」と、声をかけてきました。
この人は、阿南市のアマチュアカメラマン高橋武夫さんです。私と同じ歳でした。
高橋さんは、撮影写真のCD、動画風に仕上げたDVD、大判の写真などを送ってくれました。
写真の一部をお借りして、参拝の様子を、孫の視点で紹介します。
境内のベンチに荷物を置いて本堂へ向かいます。 僕まだ休みたいな〜
まず、本堂で灯明をともします。
僕が前の方に立てたら、おじいちゃんに、「後の人のことを考えて後ろの方に立てるんだ。教えたろ!?」と、注意されました。
それから、こころを落ち着けて読経しました。 無心になれたかな?
長戸庵で出会った大阪の榎本さんとまた会いました。 「ご縁がありましたね〜」と、おじいちゃんは言いました。 榎本さんには、僕とおなじ年の息子さんがいるんだって。
僕はちょっとたくましくなったと思いませんか? 「諒とおじいちゃんは二人で焼山寺を超えた仲間なんだぞ」と言って、並んで写真を撮ってもらいました。 大師堂でローソクを灯します。
「奥から立てるんだよ」と、また言いました。もう、間違わないのに…
僕はこの瞬間何を思っていたのでしょうね… 自分でも覚えていません。
お線香を立てます。
「後の人の邪魔にならないように真ん中に立てるんだよ」と、また言いました。口癖かな?
大師堂での読経 仏様に敬意を表して足は揃えなさいと、言われているのですが…
僕もも般若心経が上手に読めるようになってきました。
納経所で榎本さんとおはなし おしゃべり諒君の本領発揮です 地図を見ながら今日の宿・なべ岩荘を確認しました。
はじめのうちは、おじいちゃんに見せられていたのですが、だんだん地図に興味を持つようになりました
おじいちゃんに頼んで、モニターで写真の写り具合を見せてもらいました。
さて 出発! 仁王門にお別れです。 ありがとうございました
本当の遍路が今から始まるような気がしました。
参道を下ります 「この写真を見ていたら、なんだか、松本清張という人のの「砂の器」の父子を思い出したよ」
と、おじいちゃんは言っていましたが、僕にはわかりません。
宿までの途中にある杖杉庵(じょうしんあん)まで向かいます。
孫と爺ちゃんの四国歩き遍路前回までの記事(記事は題目をクリックしてご覧ください)
16.がんばって先を歩く孫〜焼山寺遍路ころがし2
17、孫に大きな財産になった「焼山寺遍路ころがし」の超越〜焼山寺遍路ころがし3
みなさん!
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一本杉の弘法大師像
柳水庵から上りが続きます。
雪は途中でほとんどやみましたが、吐く息が白く見えます。
最後はこれでもかというようなジグザグのきつい坂を上って、遍路ころがしの最高点一本杉にたどり着きました。
石段の上で弘法大師像が待っています。
「あの弘法大師の像を見て、どんな感じがする?」と孫に聞いてみましたが、
「う〜ん、何も感じないよ」と、そっけない返事です。
「実は、おじいちゃんが この前の遍路に来たときには、上から睨みつけられているような気がして、ハッとしたんだよ。その時には、疲れて、気持ちが中だるみしていたんだ。緩んだ気持ちを弘法大師が見抜いているんだな、と思ったよ。今日は、そんな感じがしないよ」
石段を上って、弘法大師像に二人で手を合わせてから、ゆっくりと眺めました。
「どうだ? 何か感じたか?」
「わかんない」
「もしかしてどう表現したらいいかわからないのかもしれないな〜。まあ、まだ子供だからいいよ…」
「優しそうに見えないか?」
「そう言われればそうだね」
「よく頑張ってここまで来たなと、歓迎してくれているように、思うんだ。そして、ほっと安心するんだよ」
「二人で旅の無事を祈ろうよ。ところで弘法大師を拝むときにはなんと唱えるんだっけな?」
「南無大師遍照金剛でしょう」
孫の興味は、大師像よりも一本杉の方にが向いているようです。
「これって一本なのかな〜」と、不思議がっていました。
雪の急坂を下り、けわしい坂を上って12番焼山寺へ
雪で滑る急坂を注意しながら下りているうちに膝が痛みだしました。
「ゆっくり下りるから先に行って…」と言うと、
孫はどんどん下って行きます。
残念ながら山道は孫に負けそうです。
孫において行かれるのは、少し悔しくもあり、うれしくもありで、複雑な気持ちです。
標高差350m下って左右内(そうち)集落に到着です。
孫は、ちょっと心配そうに待っていました。
「こんなに下って、なんだかすごく損したみたいだね」と言うので、
「お遍路は人生と同じだって言われているんだよ。生きていると、良いときも悪い時もあるし、損をすることだってもちろんあるさ。それが逆に後から役に立つことも結構あるんだよ。苦しいことがあるから、楽しいことが余計に楽しく感じるんだよ」
「こうやって苦しんでおくと、何か苦しいときにぶつかっても、なんだ、こんなことって思えるんだよ」と、話しました。
目下苦しみに直面している孫としては、それに手放しで賛同できないようでした。
複雑な表情で、聞いていました。 それは、もちろんですよね〜。
じいちゃんは、〈後でわかればいいさ〉と、心の中で思っていました。
孫は、上手に話題を切り替えました。
「おじいちゃん、さっき膝が何になるって言ったの?」と、訊きました。
「関節炎だよ」と言うと、「それになるとどうなるの?」と、聞くので少し説明してやりました。
左右内谷川にかかる橋を渡ると、再び急坂が始まりました。
道端に「へんろころがし6/6」と書かれた札が立っています。
「6つの坂のうちの6番目ということだよ。これが最後の坂だ。頑張ろう!」
と声をかけると、
「おじいちゃん膝大丈夫?」と言います。
結構やさしい所があります。
「下りは痛いけど、上りは大丈夫さ」と言うと、安心したようでした。
おめでとう! 焼山寺到着
これが最後の上りだとわかると、孫の足取りは早くなりました。
足の方も少しずつ慣れてきたなと感じます。
1時間足らずで参道へ出ました。
11番藤井寺へ出発して、休憩も入れて6時間ほどで到着したことになります。
ほぼ標準的な時間です。子供の足としたら、上出来でしょう。
孫の顔は、途端に赤みが差しました。
すごくうれしかったのでしょう。
私は20歳の時、この場へ辿り着いたときには、言いようのない感動を覚えたものでした。
孫の場合、無理に連れてこられた格好なので、よりいっそう思いが深いに違いありません。
すぐほめてあげよう。二人で、喜びをかみしめながら参道を歩もう――。
そう思った矢先、前方からやってくるバス遍路のおじいちゃんやおばあちゃんから、一斉に声をかけられました。
じいちゃんとしてはここでクライマックスシーンを味わいたかったのです。すぐに褒めてあげられなかったのは残念でした。
しかし、孫にとっては、みんなから声をかけられて褒めてもらう方が、むしろ至福の時だったに違いありません。
長い参道を歩いてゆくと、山門の前には長い石段が待っています。
最後のしめくくりです。
安心して気が抜けたところでの急階段は、どのお遍路さんにとっても厳しい試練です。
これがあってこそ、お参りのありがたさがいっそう増すのでしょう。
遍路後、孫にいろいろ聞いた時、
「一番うれしかったこと」は、「焼山寺に到着した時」
「一番つらかったこと」は「焼山寺の遍路ころがし」だ、と答えました。
いずれにしろ、焼山寺の山越えは、孫にとっては強い印象を持ったことは確かです。
このことが、大きな財産として将来に好結果をもたらすことを強く願っています。
孫と爺ちゃんの四国歩き遍路前回までの記事(記事はクリックしてご覧ください)
みなさん!
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