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東日本大震災被災地巡礼
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仙台市荒浜には立派な観音像が立っていました。
「荒浜慈聖観音」と刻まれた白御影石製の観音像は、土台も含めた像の高さは約9メートルで、ほぼ津波の高さだとのことです。
右手の慰霊碑は高さ1.7メートル、幅2.4メートルの黒御影石製です。
数十メートル離れた場所に2011年12月に住民有志が建てた木製の慰霊塔(高さ2.5メートル、写真左手前)も同所へ移されていました。
2年半の区切りの日ですので、たくさんの人がお祈りに来ていました。
しかし、お参りしている人々の気持ちは実にさまざまで複雑なのです。ここへいつ来てもそれを感じます。
仙台市は復興計画の中で、海沿いを南北に走る県道10号線の海側を災害危険区域に指定しました。居住は禁止なのです。
荒浜地区、800世帯はすっぽりこの区域に含まれます。 以前来たとき、住民の話によると、この区域指定は住民の意向を事前に聞くことなく発表されたとのことで、それに対して住民の反発が強いとのことでした。 防潮堤の整備や、敷地のかさ上げなどの防護策をとり、避難ビルなどを整備すれば安全は確保できると考える住民もいます。一部の住民は、いままで通り荒浜に住み続けたいと主張しています。
黄色の旗はこうした人々の意思表示なのです。
しかし別の看板を見ると「移転を希望するものも、荒浜に住み続けることを希望するものも、ふるさと荒浜が好きです。どちらも生きていける道を探しております」と書いてありました。
住民の人々の気持ちは実に複雑なのです。
観音様近くで、70代と50代くらいの母子らしい女性たちと話をしました。
50代くらいの女性はこう語りました。
仙台市内の安全な場所にいた息子が、自分たち二人のことが心配でわざわざ荒浜の自宅まで戻ったために津波の犠牲になった。自分たちは荒浜小学校の屋上に避難して命は助かったが、その時にはいつ死ぬかとすごい恐怖だった。海の前のこの慰霊の場に来ると、津波の恐怖がまざまざと蘇り、息子が感じたであろう恐怖まで想像してすごく怖い。この慰霊の場は、もう少し海から離れた浄土寺にあってほしかった。そうすればもう少し穏やかな気持ちで祈ることができると思う。私は怖くてもう荒浜には住みたくない。
一方、近くで荒浜居住を希望する女性が署名運動を行っていた。
その光景に向けた視線は鋭かった。
震災前の荒浜地区は集落全体がまとまっていたが、震災のために断ち切られてしまったと感じた。
左前方には先ほどの母子が助かった荒浜小学校が見える。
次は、母子が話していた浄土寺へ向かった。
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東日本大震災から2年半経ちました。
毎月11日は欠かさず被災地を訪れています。 東日本大震災犠牲者への鎮魂の祈りの旅は今回で30回目ということになります。
今回は仙台空港、名取市閖上、仙台市荒浜、蒲生海岸を訪れてお祈りさせていただきました。 合掌 慰霊塔などは大分立派になってきたのですが、被災地の復興は相変わらずの光景が続いています。
今日回ったところはすべて海岸の近くなので、居住禁止区域になっているのです。ですから、一向に建設の気配がないわけです。
がれきはおおよそ取り除かれているのですが、その跡には雑草が生い茂っています。大きいものはわれわれの身長を優に上回るものもあります。
名取市閖上 日和山
津波が襲ってくるを見てあわててこの小山に駆け上ったそうです。
しかし、この小山を飲み込むように襲い掛かる津波で全員が命を落としたに違いありません。
社が再建されていました
たくさんのおりづるが飾られ、花が手向けられていました
住宅地や街の跡には草が生い茂っていて侘しさが胸に迫ります
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東日本大震災の津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の復元工事のために周囲を覆っていた足場が、6月8日に取り外されました。
津波に流されずに残った「奇跡の一本松」は枯れていることが判明したため、震災の記憶を伝えるモニュメントにしようと、去年9月にいったん切り倒され、防腐処理などを行ったあと、ことし3月に復元工事が行われました。
しかしその後、レプリカの枝葉の部分が元の姿とは違って大きく傾いていることがわかり、5月から、やり直しの作業が進められてきました。枝葉を整えるやり直しの作業は終わり、8日は周りを囲っていた高さおよそ20メートルの工事用の足場が撤去され、復元された一本松がテレビ画面を通して私の前に姿を現しました。 この一本松の存続をめぐっては、多くの議論がありましたが、私個人としては存続してよかったと思います。
私はこれまで4度この「奇跡の一本松」と対面しているだけに思い入れがあります。枯死した一本松が保存のために切り倒されてから約9か月。美しい立ち姿がよみがえりました。
インタビューを受けた中年男性は「被災地の人びとにとっては大きな存在になると思います」、30代の女性は、「一本松は切り倒される前も見たことがありますが、そのときの姿と変わっていないですね。復興の象徴だと思うので、これからも立っていてほしいです」と話していました。、
7月3日には完成記念式典が行われ、市によりますと、その後1年間は夜間にライトアップされるということです。
わたしが訪れた時の写真を紹介します。変化がわかりますよ。
2011年4月11日(1ヵ月後).
2011年8月20日(5か月後)
2011年12月11日 枯れた葉
2012年2月29日(上2枚)
木の根元に祀られた小さなお地蔵様にとても心打たれました。これが祈りの原点だと改て感じました。
次は、モニュメントとして保存された「奇跡の一本松」との対面を楽しみにしています。
ことしの秋には歩いて東北4県の被災地巡りを計画しています。
春に計画したのに…、「前立腺がん君」!、君のおかげでだめになったのだから今度は協力してくれよな! たのむよ〜! \(^o^)/
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