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2013年6月11日
今日は東日本大震災から2年3ヶ月目です。
皆さま 黙とうお願いいたします。 合掌
東日本大震災の記憶を風化させないように時々自分が描いた記事を振り返っております。
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東日本大震災被災地巡礼
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今日は震災2年2か月目です。
犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
今日は、いつもよりさらに入念に読経させていただきました。
11日は自分自身の震災当日を振り返り心を引き締めておりますが、
金華山での恐怖は今なおはっきりと蘇ります。
東日本大震災のとき、
私は震源地に最も近い金華山で九死に一生を得ました。
崖崩れの起きている道を高台に向かう
南北両方向から押し寄せた津波が激突してせり上る
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荒涼たる津波の傷跡の広がりの中に入ると、途端に痛みだす。震災前の山下地区にはいちごハウスがいっぱいあった。しかし、今は以前何があったのか全く見当もつかない。せいぜい、家の土台がさびしく佇むだけである。この辺は道の両側に家が立ち並んで居たのにな〜と思うと悔しい。凄惨ながれきの状態に変わった街の跡を見るのはすごく辛かったが、逆に、がれきが取り除かれた荒涼たる光景な中を歩いていると、ひしひしと侘しさが募ってきて、悲しくなってしまう。思わず目に涙がたまっている。
歩きながら、いろいろな想いが浮かんでくる。いつも思う…歩ているといろいろなことが見えてくる。そしていっそう思いが深くなってゆく。
車で走ると、思いめぐらす前にどんどん光景が変わってゆく。写真を撮るだけで精一杯で、部分的にしか見ていないのだ。
人の姿を見かけることはほとんどない。まして、歩いている人に出会うことは全くなかった。時々出会うのは、工事用のダンプだけである。
がれきへの思い
やがて前方にがれき仮置き場が見えてきた。
山元町のがれき仮置き場
私はがれきを見るたびに、「これは人生だ! 歴史だ! 人の大切な思い出だ!」と叫びたくなる。
もっとも心に突き刺さったのは、金華山から鮎川へ救出されて来た時に目の当たりにした、悲惨な状態だ。 この強烈な衝撃は絶対忘れない―― 。
私の震災体験はこちらの記事をどうぞ
震源地に最も近い金華山での被災体験
津波で壊滅状態になった鮎川の凄惨な光景
街の辺りへ出た途端、さらに大きな衝撃に襲われた。そこにはかつて目にしたことのない、心が壊れてしまいそうな世界が広がっていた。まさに「呆然自失」―― 目は見開いているが何も考えていなかったのではないだろうか。ふと我に返ったとき、「呆然」が「圧倒」に変わった。――木造の家は、折れた柱やちぎられた板切れに変り果て、コンクリートの土台だけが哀れに残っている。押しつぶされた車があちこちに散乱し、あるものは屋根の上に鎮座している。本来は海のものである船が陸にある。20〜30mもある船が転がったり、屋根の上に乗りかかったりしている様は誠に異様だ。 我々以外に人の姿が見当たらない。人のいない町がこれほど異常だとは思わなかった。がれきはもともと生活の一部だったのだ。そう思った時、目の前に広がる光景が「命と暮らしが消えた姿」に見えた。パニック状態になって逃げ惑う人びと、津波に飲み込まれて恐怖でもがき苦しむ人の姿がまぶたに浮かんだ。まるで、自分が津波の真っただ中にいるような感覚に襲われた。
山元町のがれき置き場
山元町笠野にあるがれき仮置き場
量的にはまだかなり残っているようだ。
震災間もないころまでは、山元町でも「がれきの仮置き場に家電ゴミが捨てられている」といると報道されていたが、現在はフェンスが張り巡らされているので、そういうことはないと思う。
種類の区別も大分なされているようだった。
それにしても、がれきが残っているうちは復興が進まないのである。
早く処理が終了することを強く望む。
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[東日本大震災鎮魂と復興を祈る歩き旅 前回までの記事]
地域復興のボランティアセンターとして新たに設立したキリスト教会
中華料理店万里のすぐ近くに、一見個人住宅と思われる教会がありました。津波に流されずに生き残ったんだな〜なんて妙に感心してしまいました。これも被災者の心の癒しのために残されたのかな? なんて思いました。
同教会は、震災前までは個人住宅として使用されていましたが、津波により1階まで浸水し大きなダメージを受けました。
その後、ボランティアさんによって亘理町での住宅補修や地元漁師さんへの復興支援活動を拡大していく中、建物所有者から「この建物を被災者支援活動のために活用ください」との申し出をいただき、建物の改修を進め、新たにキリスト教会と地域復興のボランティアセンターとして誕生することになったとのことでした。 四国遍路でも厳しい山道には励ましや教えの札がぶら下がっていました。そんな中に珍しくキリストの教えが書かれた札を見つかることがあります。初めはちょっと抵抗があったのですが、遍路は宗教を越えた心の修養だと思うようになっていた自分には、むしろ清々しく感じました。純粋な」祈りは宗教を越えたものだと思います。
東日本大震災では、お坊さん、牧師さん、神主さん、天理教の人々などの宗教者が、宗教や宗派を乗り越えて被災者のために協力して力を尽くす姿を、数多く見聞きしてきました。こうした宗教者の方々は、身内を亡くしたり将来に悲観したりして精神的に落ち込んだ被災者の方々の、心の支えとしても大きな働きをしました。
だからここに教会があったことに、ほっとした気持ちになったのです。
時間があればお寄りしたところですが…、 万里の駐車場へ戻って、車を走らせると、左手に太陽光発電設備が見えました。
このあたりならば津波の被害を受けたことでしょう。復興を期待したいと思います。
そういえば、わたり温泉 鳥の海のそばにもありました。
この辺りは常磐自動車道が防波堤の役割を果たしたと見えて、他の地域よりも被害が深刻ではなかったようです。ビニールハウスや民家も見えました。
しかし、道が常磐自動車道をくぐって海側に近づくにつれて、荒涼たるたる光景に変わって行きました。
南原や長瀞地区に入ると、被害の大きさが一目瞭然でした。
がれき処理施設
荒涼たる乾いた褐色の世界に近代的な設備が見えてきました。吉田浜に建設された亘理町のがれき処理施設です。
亘理町のがれき処理施設 (吉田浜)
山元町へ 牛橋公園
山元町に入ると、遠方に野球場が見えてきました。牛橋公園野球場です。2001年のみやぎ国体で軟式野球少年の部が行われた会場で、そのまま公園として町で管理していましたが、近年は「楽天イーグルス牛橋公園野球場」になっていました。
まもなく、左手に墓地が見えてきました。墓地の入口から少し奥まったところに小さな観音像が見えます。
妙に心惹かれて近づいてみると、背後には、
「東日本大震災流出遺骨鎮魂塚」という木の標柱が立っていました。
素朴ですが、とても心に入り込んでくる観音様でした。身内を亡くした方々の苦悩や悲しみにじっと耳を傾けてくださるような気がしたのです。
安らかにお眠りくださいと手を合わせました。祈ることで自分のこころも癒されました。
山元町役場にお聞きしたところによれば、ここは「東泥沼共同墓地」(鵬仙寺)と言います。
よかったら今日もこの曲をお聞きください。
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クリックして曲を聴きながら記事をご覧ください。
「わたり温泉 鳥の海」でのお祈り
「わたり温泉 鳥の海」の建物に近づiいてみると、やはり供養の人々でした。 この方々を見た瞬間、なぜこの建物の前で供養しているのだろうか?―― という疑問が浮かんできました。実は、津波はこの建物の3階まで来たのですが、大勢の人が5階や屋上に避難して助かったと、昨年来たとき聞いていたからです。お話を伺いたいと思いましので、邪魔にならないように、離れた位置でしばらく待ちました.。待ちながら、いろいろなことを思いめぐらしました。
東日本大震災以前は、ここの1階には、町営の「鳥の海ふれあい市場」があって、地元でとれた新鮮な季節の野菜や荒浜漁港で水揚げされた鮮度の良い魚介類などの生鮮品、そしてアイデアあふれる加工品が市場に所狭しと並んでいて、たくさんのお客でにぎわっていました。私も亘理を訪れた時はここで買い物をしていました。こうしたお客様や従業員の中には、この建物の中にいても津波に気付かずに逃げ遅れた人もいるかもしれません。あるいは、他の場所で津波にのまれた人の遺体がこの建物の中で発見されたということもあるかもしれません。
しばらく待ちましたが、入念に供養しているのでそっと立ち去りました。
近くで復旧作業をしている人の話では、現在ここは復旧工事に携わる関係者の寄宿舎として利用されているとのことです。
早く元の荒浜に戻してね……そんな気持ちでいっぱいでした。
築港通りを荒浜漁港へ向かいました。
港の近くに置かれている廃船 これ使えないの?
復興作業は少しずつ進んでるんだけど… もう2年経っているんだよ
鳥の海ふれあい市場
わたり温泉の1階にあった「鳥の海ふれあい市場」が、港の近くに仮設店舗で再開しています。震災復興 鳥の海ふれあい市場開所式
我々が行った3月11日は月曜日ですので、閉店でした。
でも、ちょっとクレーム…
今日は震災の日なんだよ。
今日くらいは特別に開いてもいいんじゃないの。来年は期待してるよ\(^o^)/
みなさん! ぜひいらして下さい♪
営 業:10:00〜17:00(土・日・祝のみの営業です)
場 所:荒浜築港通り・宮城県漁協西側 お問い合わせ先:0223−35−2228 PRに協力させていただきます。
鎮魂の碑と慰霊塔
港近くに新しい石碑と塔が見えたのでさっそく行って見ると、予想通り、 「鎮魂の碑」と「慰霊塔」でした。石碑の裏面を見ると、3月に建立されたばかりでした。
ここで151名の犠牲者の方々とMさんの供養させていただくことにしました。
この慰霊塔の中に多くの方々の人生や歴史が詰まっていると思った瞬間、
涙をこらえることができませんでした。
これでMさんにもお別れができたように思いました。 合掌
身内を亡くされた女性の方が見えていたので、妻も交えて3人で語り合いました。
18歳まで荒浜に住んでいて、現在は仙台在住とのことでした。
慰霊碑の詳細は、以下の新聞記事をご覧ください。
Mさんの宅地跡で慰霊 慰霊塔でMさんの鎮魂を済ませたとは言いながら、やはり宅地跡で手を合わせたいという思いが残っていました。少し離れたところに食堂らしきの建物が見えたので、そこで訊いてみようと思い立ちました。11時半頃なので、まだ昼食にはちょっと早いと思ったのですが、立ち寄ってみました。中華料理の「万里」という店です。
親切な店の奥さんに尋ねましたが、同じ苗字が何軒かあって、Mさんを特定できませんでしたが、奥さんは、他のお客さんにも声をかけてくれました。一人のお客さんが携帯で知人に聞いてくれて、わかりました。なんと、その食堂から見える場所でした。
感謝感激でした。
Mさん宅の跡地で感動の合掌
Mさんが毎日利用したであろうコンクリートの階段
私はこの石段を、彼を偲びながら一歩一歩踏みしめました。また縁があったらあの世で会おうな。俺はこの世でもう少し苦しんでみるよ。ちょっとでも人のお役に立ちたいな。 でもこの世に綿々とはしないよ。これも神様のおぼしめしさ―― 。
この階段を降りた時、この世での彼との最後の別れが済んだという気持ちでした。
Mさんの供養をどうにか済ませ、心おきなく山元町へ向かいました。
被災地を視るたびに強く思うのは、非力な自分に何ができるかのかという思いです。それと同時に感じることは、被災地のみなさんは頑張っているなあ、ということです。
よかったらこの曲をお聞きください。
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