東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

東日本大震災被災地巡礼

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「NHK東日本大震災プロジェクト」テーマソング
 
 「花は咲く」はNHKが東北地方太平洋沖地震の被災地の支援を行う〈NHK東日本大震災プロジェクト〉の一環として、復興を応援するテーマ・ソングです。ぜひ聴いていただきたいと思います。
 
 
  このテーマソングは、ともに宮城県出身の岩井俊二が作詞、菅野よう子が作曲を担当しています。
 歌唱は中村雅俊、千昌夫、新沼健二、荒川静香、野村元監督、西田敏行、鈴木京香といった歌手や、タレント、スポーツ選手など、被災地の出身もしくはゆかりの深い有名人が務めています。
 
  
 
 
 
 
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 恒例の「目黒のさんま祭」が、16日、東京・目黒区で開かれ、東日本大震災からの復興を進めている 宮城県気仙沼市で水揚げされたサンマ5000匹がふるまわれました。
 
 
 
 
 
 「目黒のさんま祭」は、古典落語「目黒のさんま」にちなんで、気仙沼市や目黒区の人たちが毎年、秋のこの時期に開く恒例の催しです。
 会場の東京・目黒区の公園では、気仙沼で水揚げされたばかりのサンマ、5000匹が炭火焼きにされ、これに大分県臼杵市産の旬のカボスを添えて、無料でふるまわれました。サンマを求める人で長い行列ができていました
 
 主催者によりますと、ことしのサンマは、北海道沖の海水温が高く水揚げ量は少な目ですが、
型は大きく脂ものっているということで、サンマを受け取った人たちはさっそく秋の味覚を楽しんでいました。

 48歳の女性は、「ハラワタもおいしく食べました。復興を頑張っているみなさんからいただいて感謝の気持ちでいっぱいです」と話していました。

 ことしは去年、津波で加工工場が流され、中止になった「さんまのすり身汁」のコーナーも設けられ、
気仙沼から来てサンマをふるまった梅津覚太郎さんは、「去年のサンマは私たちの涙でしょっぱかったかもしれませんが、
ことしは復興のうれしさでとてもおいしいと思います」と話していました。
 
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こちらからもご覧いただけます。
奇跡の一本松伐採
 
 
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伐採作業が始まった「奇跡の一本松」
(12日午前10時22分、岩手県陸前高田市で)
(読売新聞)12日11時48分配信
 
「奇跡の一本松」伐採、保存へ
 
 東日本大震災で被害を受けた岩手県陸前高田市の名勝・高田松原で、7万本の松のうち津波に流されず1本だけ残った「奇跡の一本松」が12日午前保存作業のため伐採されました。
 
 わたしはこの「奇跡の一本松」と3度対面して来ただけに、強い思いがあります。
 
 テレビ画面を見ながら、自分も現場にいるような気持ちになっていました。
 テレビ放送によると、
 作業は午前9時半すぎ、大勢の市民らが見守る中で始まりました。
 高さ27メートルの一本松はクレーンでつり上げられ、チェーンソーで枝葉部分と幹に切り離されました。(最初の写真)
    
 
  市内の仮設住宅に暮らす女性は「毎日見ていたので寂しい。生まれ変わってまた心の支えになってほしい」と作業を見守っていました。
 学生時代を陸前高田市内で過ごしたという67歳の男性は、「青春時代の思い出です。涙が出ますね〜」と話していたのが印象的でした。
 
希望の象徴として親しまれた松は、愛知県などで防腐処理が施され、来年2月中旬以降、元の場所に設置されることになりました。
 
 太い幹を、チェインソーではなく、大きいのこぎりで切ってゆく様子には感動を覚えました。「奇跡の一本松」に対する強い敬意が感じられました。
 
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わたしと奇跡の一本松
 
名勝・高田松原
 国の名勝・高田松原には7万本の松が生い茂っていました。
 私は三陸や青森県への旅の度に立ち寄って、雰囲気のよい松林の中を清々しい風に吹かれながら歩みを進めたものでした。
 

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清々しい松林を歩いた思い出がよみがえります 
 
 震災後の高田松原に一本残った希望の松
 
 ところが津波で、樹齢270年の1本を残して壊滅しました。
 この樹も地盤沈下のため海水に浸り、がれきに囲まれました。
 
 震災から20数日後に訪れた時には、きれいな松原の松はことごとくへし折られ、見る影もないありさまでした。
 
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 しかし、残ったこの松は、驚くほど凛とした強さを感じさせました。〈確かにこの樹ならば、被災者に勇気と希望を与えてくれるに違いない〉と確信させてくれる雰囲気を持っていたのです。
  
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 まさかこの木が枯れるとは想像できませんでした。
 
 衰退進む奇跡の一本松 
  ところが、復興が進み、周囲が更地になっていく中、 この希望の松は衰弱していきました。
 地元の市民団体などが興のシンボルにしようと、震災直後から松が枯れないように色々と活動を続けましたが、根が傷み、葉は枯れてきたとのことでした。
 わたしは、枯れないうちにと思い、8月下旬に訪れてみました。まだ緑は残っていましたが弱々しくなっていました。幹には緑の布がまかれていました。
 
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                   葉が枯れてきた奇跡の一本松   2011.9.11
 
 ついに昨年12月、日本緑化センターなどが保護断念を表明しました。しかし、すべてをあきらめたわけではなく、全国の研究機関や企業などでクローン技術などを使って子孫を残す取り組みは継続しました。
 
 3度目に訪れたのは、3月1日でした。既に完全に枯れてしまっているのではないかと、一抹の不安を持っていました。
 だが、陸前高田が近づいたとき、にバスの中から遠くに姿が見えた時にはほっとし
た。
 
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 バスを降りてがれきの仮置き場のぬかるみを歩いて行くと、以前来たときにはなかった仮橋がかけられていました。それを渡って久しぶりに見上げた時には、思わず〈1年間よく頑張り続けたね〉とねぎらいの気持ちが湧きました。
 
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 「奇跡の一本松」は確かに葉が大分茶色を帯びているが、まだ姿形は、かくしゃくとした老人のような、生命の底力を感じさせました。
 
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 わたしは心を込めて語りかけ、そして手を合わせて祈りました。
 あなたがあの大津波に打ち克ったという厳然たる事実は変わらないのです。 たとえ姿かたちは変わっても、命の炎が消えても、
 立っていてさえくれれば
 必ず見る人の心を打ち、勇気を与えるでしょう。
 
 今あなたが見ているこの光景は、
 積み重なったがれきと、何もなくなった更地ですが、
 ここに以前にもまして素晴らしい世界が広がることでしょう。
 
 
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   また戻ってきてくれよ〜 会いに来るからな〜

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東日本大震災から1年半
復興に向けて  
 
 東日本大震災から1年半を迎えます。
 被災地では一時も早い復興を心から望み、それに向けた動きも着々と行われています。
  どこの津波被災地でも、集められたがれきがごくわずかずつ処理されている程度で、見たところほとんど変わりはありません。変わったのは、がれきが取り除かれた跡地に草が生い茂ってきたということくらいでしょうか…。 わびしいですね〜。
 国や行政の復興計画自体が決まっていないので、復興作業も進みようがないのです。 復興予算がこんないい加減な使われ方をしていたのか! と、憤りと失望を強く感じました。
 そんな中でも、自分たちにできることを着実に実行している人たち少なくありません。
  
被災地へぜひ足を運んでください
 
 被災地の皆さんと接するたびに強く感じることがあります。
 復興がいくらかでも進むに連れて、被災者の希望やニーズが多様化して来ることです。でも共通していることがあります。
 それは、「より多くの人たちに被災地を訪れてほしいということです。
 9月9日NHKテレビ放送の「明日へ」で、気仙沼市の人々が、
 「街を見に来てほしい、たくさんの人に!!」
 「情報で知るだけでなく、空気を肌で感じてほしい」
 「大震災を風化させたくない。それにはたくさんの人に見に来てほしい」
 「頑張っている人たちがいるなあ、ということを、見てほしいなあ!」
 「復興のスピード アップ!」
 などの希望を話していました。
 
 私も思うのですが、多くの方々に来ていただくことによって
 「俺たちは見捨てられていないんだな〜」と、励みや元気が出ると思うのです。
 
 被災地に来て実際見ていただければ、あなたに合った支援の仕方が実感として見えてくると思います。そうすれば、思いやりを持った上での支援をしていただけると思います。
 
 「来てけさいね〜」(来てくださいね〜
 
 東日本大震災に遭遇して
 わたしがこれまで発信した東日本大震災の記事です。これを見ながらこれからの復興について考えていただければ幸いです。
 
 崖崩れが起きている中を高台へ避難 
 
 
 南北から押し寄せた20m〜30mの津波が中央付近から激突
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 巨大津波が激突してせりあがる。 
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 巨大化した津波が50mの高台に向って押し寄せたのでさらに避難
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 石巻から60キロある我が家まで2日掛かりで歩いて帰りました。
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 全壊に近い大規模半壊だった。
 
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                南三陸町防災対策庁舎 2011.3.26
 
     
 
 
 私もささやかながら支援を粘り強く続けていきます。

 

 今日7月5日NHKで、岩手県大槌町の被災者の声を放送していた。
 ある被災者の方が 「行政の対応が遅いといっても仕方ないから、自分たちが頑張るしかないものな〜」と言っていた。
 この何気ない言葉はとても深い意味を持っている。
 この言葉の深い意味を政府も行政も理解していないだろう。
 被災者が自分たちをどのような目で見ているのもかわかっていないのだろう。
 
 震災1年後の大槌町(2012年3月1日)
 
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 野田首相は、国会の所信表明の冒頭で
 「この内閣の最大目標は、東日本大震災の復興です
 と言ったことを、まさか忘れてはいないだろう。
 
 また、「国民の生活が第一」「脱原発」などと、またまた偽りの看板で新党を立ち上げて、政界を引っ掻き回している政治家がいることに憤りを感じる毎日だ。
 
 ある、ブロ友はこのようなコメントをくれた。
 
 東日本大震災は、阪神・淡路大震災や関東大震災とは状況が違うと思います。
 津波の被災地や、原発事故の被災地は、住めなくなった土地、元に戻せなくなった土地が多いと感じています。
 町ごと移転するしか手段が無く、そうなると個人の力による復旧・復興は無理だと思います。
 復興に向けて国の手助けが必要な時なのに、民主党政権には、本当に呆れ返ります。

 全く同感です。
 
東日本大震災関係の記事
1.金華山で命がけの避難   2.金華山 地震と津波の爪跡   3.予期せぬ救出 

 
 

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