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石巻も復興計画が決定していないので、建物の復興はほとんど進んでいないのが現状です。
それでも、石巻に行くたび日和山へ上り、被災地の状況を見続けました。
中瀬
震災前 2009年
3月16日
6月25日
がれきは大分かたずけられましたが、形だけ残った建物は全くそのままです。
1月10日 震災10か月
復興は全く進んでいません。石ノ森漫画館も休館のままです。
石ノ森漫画館のHPより
日和大橋・南浜町方面
3月下旬(3月28日)
4月上旬
4月9日
4月下旬(4月25日)
被災地にも桜が咲きました。 例年なら心和む桜なのに、被災風景とのギャップに心が痛みました。 3月下旬と比べると道路脇のがれきがかたずけられましたが、まだ残っています。
6月下旬
がれきは少しずつ片付いてきましたが……
7月下旬
8月初旬
草が生え始めると、なんだか「兵どもが夢の跡」のような雰囲気を感じ、いったいここはどうなるんだろうというわびしさを感じてしまいました。
10月中旬
この光景を見て――
もう半年以上も経った…。さっぱり復興の兆しが見えない。政府は何をやっているんだ! 行政任せでは進むわけがない。そう思って苛立ちを感じていました。
11月下旬
復興計画も打ち出されず、打ち棄てられた様な雰囲気がますます色濃くなってきた。
2012年1月10日
相変わらず変わり映えのしない光景が広がっていました。
現在、石巻市は復興計画の素案を検討している段階であり、他の市町村同様、復興の槌音が聞こえるのはいつになるのだろうか!?。
往々にして、日本の行政は立派な計画を立てることにエネルギーを使い過ぎて、なかなか実行に移らないのが難点だと思う。
特に今回の大震災などでは、仮に見切り発車になってもよいから、早く必要なところからスタートして検討と実行を並行して進めるべきだった。 |
東日本大震災被災地巡礼
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石巻市には日和山という50メートルほどの山があり、私は震災後石巻を訪ねるたびに、早く復興してほしいという思いで、ここから復興状況を見続けてきた。
震災以前の日和山からの光景日和山は風光明媚な山で、市民の憩いの場でもある。ここは私のお気に入りの場所なので、以前から時々足を運んでいた。 中瀬公園(なかぜこうえん)
石巻市内を流れる旧北上川に浮かぶ中州は、中瀬公園になっている。その一角に建つ旧石巻ハリストス正教会教会堂は、明治18年(1880)に建造され、現存する木造教会としては日本最古。
また、石ノ森章太郎が作り出したマンガのミュージアム「石ノ森萬画館石ノ森漫画館もある。 震災当日(3月11日)わたしは震災の日、ここ日和山から30キロほど離れた金華山で大地震と巨大津波に遭遇していた。詳細はこちらの記事をご覧ください。 24.大地震 恐怖の戦慄 〜震源地に最も近い金華山での被災体験1 25.崖崩れの中のを命がけの避難 〜震源地に最も近い金華山での被災体験2 26.金華山 巨大津波の激突〜震源地に最も近い金華山での被災体験3 震災の際に日和山に避難した友人が写真に収めていた。 役に立ててくれと言って、その写真を提供してくれたので紹介します。
地震からしばらくして追い打ちをかけるように雪が降ってきた。津波を避けて避難した人々にとっては酷な雪であった。同じ時間、金華山にいたわれわれも雪に見舞われていた。
友人は、「大津波に理性も感情もすべて奪われ、我が家が流れる様子をただ虚無感でシャッターを押した」と語っていた。
このキャプチャーを書いている今、そのことを想い、熱いものがこみあげて来て涙が止らない。 石巻でも、気仙沼ほどではないが、あちこちで火災が発生した。
きれいだった中瀬の公園地帯は、ほとんどの建物が流出した。
震災5日後(3月16日)私は3月16日、自衛隊のジープで鮎川の避難所から石巻まで送ってもらった。北上川の川岸にある姉の家は100%流出しているはずだが、見届けたいという思いがあり、 まだ冠水していたり、泥でぬかる街を通り抜けて日和山へ出向いてきた。 中瀬の対岸にある姉の家は予想した通り、跡形もなく流出していた。 この地域では多くの死者が出たと放送でいいていたし、おまけにこの光景を見た瞬間、 姉夫婦のことが無性に心配になった。とにかく生きていてくれと心の底から願った。 こんなにも人間の生死に不安を感じたことはそれまでになかった。 (幸い命が助かったことが3月19日のテレビ放送で知り、胸をなでおろした。)
こうした悲惨な現実を目の当たりにすると、自然の恐ろしさと偉大さで心が押しつぶされそうになった。 つくずく思う―― 人間なんてほんのちっぽけなものだと。 西遊記で孫悟空が飛び回った大空間はお釈迦様の手のひらだった。 東松島市にあるの実家のことが余計に心配になった。 とにかくできるだけ急いで歩いてそちらへ向かうことにした。 こんなときには、徒歩はもどかしくて仕方ががなかった。 しかし、いまさら焦っても結果は変わらない―― そう自分に言い聞かせた。 そして、がれきにつまずいたり、泥に足を取られないように気を付けながら歩みを進めた。 「東日本大震災に遭遇して」 記事一覧記事は題目をクリックしてご覧ください。1.金華山で命がけの避難 2.金華山 地震と津波の爪跡 3.予期せぬ救出 4.鯨の町鮎川・凄惨な津波の傷跡 5.避難所生活1 震災翌日 孤立無援の鮎川 6.避難所生活2 鮎川では早くも復興への動き 7.鮎川での避難所生活3 再び津波警報発令 8.さようなら鮎川 お世話さまでした。 がんばってください! 9.凄惨な被災地を通り 徒歩で石巻から東松島へ向かう 〜自然の前に謙虚であれ 10.仙台への帰還への道1 〜仙石線の被害を目の当たりにしながら野蒜・東名へ向かって歩く 11.仙台への帰還の道2 〜野蒜・東名地区の津波被害と消防隊員の強い使命感 12.我が家の地震被害 13.震災ごみ仮置き場が満杯 「ルール守って」 14.命尽きるまで避難を呼びかけた南三陸町女性職員・遠藤未希さんの死を悼んで 15.金華山の復興に向けた検討に入る 16鹿やうみねこはは地震を予知する? 〜金華山と鮎川での体験を通して 17.大地震 恐怖の戦慄 〜震源地に最も近い金華山での被災体験1 18.崖崩れの中のを命がけの避難 〜震源地に最も近い金華山での被災体験2 19.東日本大震災に遭遇して今思うこと 〜ボランティアの皆さんに感謝 20.金華山 巨大津波の激突〜震源地に最も近い金華山での被災体験3 21.生かされた命 22.東日本大震災の教訓 津波の前に引き潮があるとは限らない1 私のチリ地震津波体験 |
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惨憺たる孤立した被災地鮎川にも、神は平等に光を与えてくれる。
―― そんな希望の光にも見えた夕日であった。 3月12日午後5時20分 牡鹿総合支所より まもなく5か月に近い8月初旬と、半年間近の9月初旬に、復興の様子を調べに被災地を訪れた。 訪問先は、石巻市内(工業港・門脇・南浜方面)、女川、牡鹿半島(鮎川)、東松島(矢本・小野・野蒜・東名)である。 仙台から三陸自動車道を北東に向い、石巻港1Cで下りた。 仙台方面では、三陸自動車道で津波がせき止められ、それより内陸側は津波被害はほとんどなかった。 同じように、東松島市や石巻市でも三陸自動車道が、防波堤の役割を果した。 石巻市鮎川鮎川は、金華山で被災した我々が幸運にも翌12に日に船で救出されて、5日間避難所生活を送ったところである。その意味で深く心に残る場所である。 その時の様子は、こちらをご覧ください。 1.金華山で命がけの避難 2.金華山 地震と津波の爪跡 3.予期せぬ救出 4.鯨の町鮎川・凄惨な津波の傷跡 5.避難所生活1 震災翌日 孤立無援の鮎川 6.避難所生活2 鮎川では早くも復興への動き 7.鮎川での避難所生活3 再び津波警報発令 8.さようなら鮎川 お世話さまでした。 がんばってください! 鮎川へ近づくに連れて湧き上がった感慨鮎川がその後どうなっているのかいつも心に掛かっていた。車が鮎川に近づくにつれて心急くものがあった。 まるで、被災した故郷へ向かう気分だった。 私は被災後、何カ所かの被災地へボランティアに行っていたが、肝心の鮎川は遠方のため訪れていなかった。 復興ができるだけ進んでいてほしいという切ない期待と、まだまだ復興が進んでいないのではないかという不安が入り混じっていた。 鮎川港を見渡せる場所へ来たとき、急いで車を止めて遠くに見える港と街の跡を眺めた。 遠くなのではっきりとは分からないが、人間の営みが僅かではあるが感じられて気持ちの安らぎを覚えた。 {地震当日 出発前の鮎川港} 地震翌日の惨状港の岸壁付近に立って荒涼たる広がりを眺めると、商店街や住宅の跡を眺めてみた。やはり鮮明の想い浮かんだのは、 船から降りて目の当たりにしたこの世のものとは思えない変わり果てた光景であった。 そして、それを見て呆然と立ち尽くした自分の姿であった。 この光景は決して私の脳裏から離れないであろう。 まだまだ遠い復興6か月後には、がれきはだいぶ撤去されたが、空洞化して廃墟と化したたコンクリートの建物が、ところどころにむなしく佇んでいた。 津波に踏みにじられた土地のいたるところに、草がたくましく生え始めている。、 それが土地が原野」化して荒れ果ててゆく象徴のように思えて、むしろわびしさを感じた。 まだまだ、復興というには程遠いな〜 そう感じる姿だった。 |




