東日本大震災 未来への祈りと伝承〜「みちのく巡礼」

みちのく巡礼は、東日本大震災の祈りの場創設と記憶・教訓の伝承、防災精神の啓発、復興に寄与する活動を行っています。

ひきこもり青年の歩き遍路

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 Y君がここで弱気になるのは大体予想がついていた。
 ダメもとで、もうひと押ししてみた。
 「オーバーな言い方をすれば、Y君、きみの人生が変わるかもしれないよ。がんばって乗り切ることを期待しているよ!」
と、つい激励口調で言った。
 それに対して彼からの反応はなかった。
〈やっぱり励ましてしまったな〉と、ちょっと気になった。
このまま押し続けてはますます逃げてしまうだろう。
そこで、私はいったん引いた。
そして話の焦点を移して、再び彼に話させようと思った。
 
「ところで、今日で三日経ったよね。どんな感想なの?」
「みんな優しいんですよね。なんで他人の僕にこんなに優しいのかわからないほどやさしいんですよ。びっくりしました。突然出てきたので、『お接待』も何もわからなかったんです。さっき、お接待ってなんですか? と訊いたぐらいですから…」
「これまで四年近く家の中にいて動かなかったんだから、大変だったでしょう? 特に今日は三日目で、疲れがピークになる日なんだから、よけいに辛かったと思うね。 よくがんばったねえ。これからどうしようと思っているの?と、自分の口から意思決定させようと思った。
 
親父が言った最低ノルマは果たしたので、さっきまでは、もう少しやってみようかな…、と思っていたのですが…
と、また曖昧な言葉が返ってきた。
 私はそれに対して、ふがいなさを感じてちょっと苛立ちを覚えた。だが、あえて激励はしなかった。
 ――こうした引きこもりの青年たちには、励ましはかえって心の負担になって、逃げ出してしまう可能性がある。それを経験上知っていたからだ。
 押したり引いたりして、最終的には自分で意思決定させようと私は思っていた。
「そうだね。せっかく三日という区切りで出発して来たんだから、これからも三日区切りで様子を見ながら巡ってみるのも一手かもね……」
とやんわり提案した。軽く押してみる作戦だ。
 「…」
 それに逃げ道も用意した。
「焼山寺を上り終えてから、もしも、これ以上続けられないと思ったら帰ってもいいんじゃないの。そこまでやれれば立派なものだよ! 四年間ひきこもっていて、ろくに体を動かしていない君が、普通の人がやらない焼山寺越えを成し遂げたということになるんだもの…」
 これを聞いて、彼はすこし安心した様子だった。
 もちろん不安の表情も見せていた。
君の人生が変わるかもしれないよ。がんばって乗り切ることを期待しているよ!」と、つい本音が出てハッパをかけそうになる自分をぐっと抑えた。
そして、
とにかく君の人生は君が決めるしかないんだから、あとは君の意思に任せたよ
 と、本音に反して、むしろ突き放すようにさらりと言い放った。
「ご縁があったらまたお会いしましょう」と…
 話はここで終わらせてお互い床についた。
 時計は夜10時ちょっと前だった。
 4時間弱彼と話したことになる。
 
 床に就いてからも、私はずうっと彼のことが気になった。
  夜から雨になっていたが、寝る頃には、小降りになってきたので、〈明日はあがってくれればよいが…。Y君のためにも〉、と思っているうちに、肉体的疲労と、Y君への気遣い疲れ果てていたので、知らぬ間に眠りに入っていた。
 ところが夜中に、トタン屋根を激しく打つ雨音で突然目が覚めた。
この大雨が彼にリタイアの口実を与えることを、恐れたが、雨がやむかやまないかは彼の運命、それを乗り切るか乗り切らないかは、彼の意思なのだ。そのように自分に言い聞かせた。
そうすると、すうっと心が軽くなった。再び眠りに入った。
 
 
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       室戸岬へ向かう約90キロは2日間雨の中を歩きました。
                
                 雨の遍路もいいものですよ。
外界から遮断されて自分の世界に浸ることができます。
 
 
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 Y君が親へも思いが及ぶようになったと感じた私は、そろそろ明日以後のことを話すチャンスだと思った。 
 しかし、タイミングを間違えると、Y君を元の地獄生活に戻してしまう―― そんな不安も立ちはだかっていた。
 それを打ち破ったのが私の人生観だ。
 「やらずに後悔するよりも、やって後悔しろ
  私はここがチャンスと思い、勇気を振り絞った。
 ズバリ切り出した。
 
 「Y君! 『遍路ころがし』って知ってる? きっと知らないよね」と訊くと、案の定彼は「それってなんですか?」と訊き返した。
「遍路ころがしというのはね、急坂のあるきびしい難所の遍路道のことを言うんですよ。実は、明日のコースはすごく厳しいんだよ。
今日君も見てきた山は、次のお寺の焼山寺に向かう山なんだ。確か吉野川に掛かっていた橋から正面に見えていたでしょう。あれがその山なんですよ。
 僕は橋を渡ったことはうっすら覚えていますが、山は気に留めている余裕はなかったです。
 
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 焼山寺へ向かう山道は、八十八ヶ所の中でも一番の難所と言われていてね、アップダウンを5度繰り返す山越えなんだ。十二キロもあってね、健脚の人でも五時間くらいはかかるんだよ。君だと七、八時間くらいはかかるかもしれないね。だけど、それを乗り切ったら、絶対すばらしいよ!」
と、言った後、彼の反応をうかがった。
 
 
彼はおじけづいたらしく何も言えなかった
 
「私はたくさんのお遍路体験記を読んだことがあるんだけれど、書いている人だけじゃなく、他の人もここでリタイアーして帰ったという話を聞いたことがないよ。だから、きっと君も大丈夫ですよ。心配することはないですよ!
 私の経験でも、確かに大変なことは大変なんだけれど…、焼山寺へ辿りついたときには、すごく自信がつきましたね。これは、経験者が口をそろえて言いますね」
 
 そんなものでしょうか…。僕は父に言われた三日は一応やってみたので、どうしようかなと思っているんです。明日はどうなるかわかりません。
 
 この言葉にいささかがっかり来た。
 それよりも失望を感じた。
 せっかく辛抱強く4時間近く付き合ったのになあ〜。
 でも、やっぱりそんなに簡単に事は運ばずはない、オレも甘かったなと思った。 (続 く)
 
 
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 一番霊山寺から2番極楽寺へ来る途中の道の両側には桃の花が見事な花を咲かせていました。Y君もこの花を見て心が癒されたに違いありません。
 
 
 私は話し続けました。
 ところで、君は親に優しくしてほしかったと思っているかも知れないが、君自身は親に優しくしてあげたことはあったのかね? 
 肩をたたいてあげたり、たまにはお父さんの靴を磨いてあげるとか、お母さんが忙しい時に手伝ってあげるとか、ごみ出しだってしたことないんじゃないの? ごみ出しなんかは、ひきこもっている時に外へ出るかっこうの機会だったはずだよね…。無理もないことだけど…、君は自分のことしか考えていなかったと思いませんか?
「…」
 これに対してY君は言葉にこそ出さないが、肯定の気持ちを持ったと私には感じられた。
 君自身突然四国へ来て、お接待を受けたり優しくしてもらったりして、どう感じた?
「…」
 たぶん、これから何度もやさしくしてもらっているうちに、自然、自然に自分も他の人に優しくしてあげようという気持になってくると思いますよ。
 そう言われたときY君は思わず考え込んでしまったようだ。私は、彼からの反応を少し待っていた。
 
「今思うと、親にとってはきっと地獄だったんでしょうね」
と、なんだか遠い過去を偲ぶようにぽつりと言った。
 彼は親へも思いがおよぶようになったのだと、私はうれしくなった。
 「すごいです。一歩も2歩も進みましたね大進歩です。」
 「僕の心境の変化を、Sさんは口に出して褒めてくれました。とてもうれしいです。僕はあまりほめられた記憶はありません」
 Y君は心から嬉しそうだった。
 いままで心から微笑んだことはなかったのではないではなかろうか。
 そろそろ明日以後のことを話すチャンスだと思った。
 
 私は話し始めるついついエンジンが止まらない。
 「このまま少し話してもいいですか?」と一応Y君にお伺いを立てて
得意の説教がましい話が続く。
 「学校での関係が苦しくなって不登校になる。家族との関係が息苦しくて部屋に閉じこもる――周りの出来事や人びとに対して『そんなの関係ない! あんたには関係ないだろう!』と言って閉じこもったところで、関係が無になるわけではないよね。君自身がかたくなにその関係を拒否してしまうと、周囲の心を傷つけてしまうことになるんだよ。敢えて、人との関係を絶ってはいけないよ…。
 
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 関係の中で生じる気遣いや配慮、それから、いいことじゃないけれど、邪推だとか嫉妬だとかいう芳しくない感情でさえも必要なんだよ。ちょっと難しいかもしれないけれど、こうしたいろいろな感情の中に身をおくことで、人間は自分の存在感を感じるものなんですよ。そして、何よりも人間は死の瞬間まで人と係わらなければならないんですよ。いや、死んでからも、周囲の世話になるものなんですよ。仮に君が自殺してしまったとしたら、その時だって、大勢の人の世話になるし、悲しみや心の疵という形で係わりが残るんだよ」
そう言ってからちょっと間を置くと、Y君は、
「優しいけれど背筋がぴんとしてとても頼もしいですね」と、私の顔をまじまじと見た。
 
「人は関係なしには生きられない――これから遍路を続けていく中で、必ず気づかされるはずですよ。君がその厳然たる真実をしっかり胸に抱くことが出来るようになった時、これからの自らの行く末が漠然とでも浮かんでくるのではないか、と私は確信しているよ」と、自分でもほめたくなるほどの言葉が出たような気がしていた。
 
 僕は小さいときから、お父さんにも、お母さんにも、『なにやってんだ』とか『早くしなさい』とか言われ続けてきた気がするんです。あまりほめられた記憶っていうのは…ないですね。だからよけいに自分が苦しんでいることを言えなかったんです。
 
なるほどね。だけど、ほとんどの親は自分の子どもをいい子だと思っているんだよ。君のお父さんやお母さんも、君のことを十の内九とか八とかいい子どもと思っていても、もっといい子にしようと思って。一や二の欠けたところを注意していたんだよ。たいていの親はそんなものじゃないのかなあ。私にも自分の子供たちに対してそういうところがあったよ。少し反省の意味もこめてね…。
 それからね、今は攻撃型の社会なんで、お父さんは、毎日会社でストレスがたまるし、上司やなんかからいろいろと言われていると思うんですよ。そんなこんなできっと心の余裕がないんですよ。家に帰ってついお母さんに当たることもあるだろうし、君にだっておおらかな気持で接することが出来なかったと思うよ。そこらのところをわかってあげなくちゃ。
 この話をしたときは自分でも、どこか父親や夫としての実感がこもっているように感じた。  (続 く)
  
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   Y君の目にはこの藤棚はどのように映ったのであろうか?
 
Y君は話し続けるので、私は明日からのことを切り出しかねていた。
Sさん、こんなにじっくりと相槌を打ちながら聞いてくれる人はあなたが初めてです。話を聞いてもらっただけでも自分の気持が楽になれたし、話しているうちに僕の心も整理がついてきました。
 
僕は正直言って大人も社会も、親だってあまり信じていません。僕は人間全体を信用していないんです。大人はうそばっかりついている。悪いことをしても、テレビの前に出てきて、いかにもていねいに、頭だけを下げている。深々と下げたって心がともなっていない。空鉄砲を打ち鳴らしているようなものだ。心の中ではなにを考えているかわかったものじゃない。空々しくて、見ちゃいられないです。
 失礼ですが…、お風呂場で出会ったときSさんだって、普通の大人と同じだと思っていたんです。だから話したくなかったんです。親とさえ話さなかったのにどうしてこんな見ず知らずの人となんか口を利いてたまるか、と思っていました。だけど、話しているうちにちょっと違うなと思ったんです。
 ところで君は、信じられる人はいるのかね? 友達とか、ご両親とか、先生とか…。
 友達はよくウソをつくし、親だって先生だって信じていません。
 それじゃ、自分自身は信じられるの?
 あまり信じていません。僕ももちろんうそをつくし、誰だってそうじゃないんですか?
これを聞いたとたん、私は目が急につりあがり、額には怒りじわが寄ったのが自分でもわかった。
馬鹿を言うんじゃない!」と怒鳴った。口からつばが飛んだ。
 
「世の中まだまだ捨てたものじゃないよ。テレビや新聞で報道されている人たちは全体から見ればまだまだ少ないよ。すべての人があの人たちと同じだと思ったら大間違いだし、君自身不幸だよ。人間の心の中にはたいてい悪魔は住んでいるものだが、それに打ち勝ちながら生きているんだよ。私もそうだよ。少なくとも半数以上の人は――その人の全人格、すべての言動とまでは言わないが――おおよその部分で信じていいと思うよ」
と言い終えると、心が元のように穏やかになったように感じた。
 
「君は、自分を信じられないから、死のうと思ったんじゃないのかね。少なくても自分を信じる努力をするところから、まず始めるべきだと思うね。それにはいつも自分を偽らず、他人にも誠実に接することだと思うよ。お遍路中にたくさんの人と出会ったりすると思うけれど、誠実に接してごらん。君が身に着けている白衣は清らかな心を象徴しているものでもあるんだよ。幸いに遍路で接してくれる人は、必ず君に誠実に接してくれるよ
 と、諭すような口調で話した。
 
 すみませんでした。僕はあなたが怒鳴った時の顔は絶対忘れません。ありがとうございました。僕はあれほど真剣な顔をして叱られたのは生まれて初めてです。親にも怒鳴られたことはありますが、こんなに叱られたことはありません。
 自分は今まで自分自身をごまかし、他人を偽って生きてきたんだと、少し気づいたような気がします。
 
このやりとりでふたりの距離が完全に縮まったように思えたが…
さて、どうしたら彼に遍路を続けさせることができるのだろうか。 (続 く)
 
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